ノート:曽根城 (美濃国)

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改名提案[編集]

曽根城曽根城 (美濃国)へ、曾根城曽根城 (紀伊国)への改名を提案いたします。移動後は「曽根城」を曖昧さ回避ページとし、「曾根城」は「曽根城」へのリダイレクトとします。
現在、「曽根城」は岐阜県大垣市の城、「曾根城」は三重県尾鷲市の城となっていますが、曾は曽の旧字体で同名の城であり、記事名を一見しただけではどちらの城かわからないからです。一方が他方より明らかに著名ということはなく、尾鷲市の城が特に「曾根城」と表記する慣習になっているわけでもないため、双方「曽根城」に慣例によって旧国名を付けた平等な曖昧さ回避としたいと思います。--立花左近会話2012年9月12日 (水) 12:46 (UTC)[返信]

またまた異論を申し上げるようで恐縮ですが、大垣市の方も尾鷲市の方も『日本歴史地名大系 三重岐阜県の地名』および『日本歴史地名大系 三重県の地名』では両方「曾根城」となっています。この本は基本的には新字体表記であるにもかかわらずです。また、「曾根城」ではありませんが、『世界大百科事典』(平凡社)は「曾根崎心中」など「曽」を使用せず、悉く「曾」の書体が用いられ、『広辞苑』も同様に「曾根崎」や「木曾」表記となっているんですね。もちろんこれらは旧字体が用いられていた古い時代の物ではありませんので、単純に「曽」が新字体、「曾」が旧字体ということでもなさそうです。
『広漢和辞典』(大修館書店)では「曽」は「曾」の俗字とありました。「圓」が「円」の旧字体と扱っているのとは対照的です。以前は「曽」も「曾」も常用漢字表には無く、2010年に新たに「曽」が常用漢字に追加されたことで事情が変わったのかもしれません。しかし、常用漢字に追加されたことと、城の正式名称とは話が別ですから、そこの所を詳細を検討する必要があると考えます。
ただし、『日本歴史地名大系』の記述からも大垣市の方を「曽根城」、尾鷲市の方を「曾根城」と書体で区別する根拠も無さそうですから、その点では立花左近さんのご提案も現段階で半分は妥当だと考えます。--As6022014会話2012年9月18日 (火) 08:28 (UTC)[返信]
(追記)、記事名の後の(半括弧)は記事名が重複する場合の曖昧さ回避であって決して記事内容を説明するものではありませんから、記事名を一見しただけではどちらの城かわからないからについては考慮する必要は無いと考えます。説明はあくまで記事の冒頭部分で行うものですから。--As6022014会話2012年9月18日 (火) 08:35 (UTC)[返信]
ご提示の資料が「曾根」表記になっている理由は、As6022014さんのおっしゃるように「曽」が常用漢字に追加されたのが、2010年だからだというのが主な理由ではないかと想像します(今似たような提案がノート:木曾谷#「曽」の常用漢字化による記事名変更の提案でも上がっております)。曽根崎心中はウィキペディア日本語版では「曽根崎心中」となっていますし、デジタル大辞泉でも「曽根崎心中」、日本大百科全書でも「曽根崎心中」です。従って、常用漢字化以前の資料の表記は参考にならないと考えます(まあ、もしも両城の表記を書き分けているものでもあれば別ですが、ご提示のものの他、新人物往来社の『日本城郭体系』でも両者を「曾根城」としていることは確認しておりますので、そのようなものはないのではないかと思います、もしあれば、ご教示下さい)。そもそも、この二つの城は常用漢字などというものができる以前に廃城になっており、そういう意味では城が存在したときにはどちらも「曾根」表記だったと思われますが、今日まで存在している寺社仏閣などととは違い、現在における正式名称などというものは存在しません。ですから、最近における使用例を勘案して判断するしかありません。
そこで、最近の表記例はどうかというと、大垣の城跡の方は大垣市のサイトでも「曽根城」表記であり、現地の城址碑、説明版の類も全て同表記であることは確認しております。なお、城名の由来となった地名も現在は「曽根町」と表記されています。一方尾鷲の城跡の方は、尾鷲市の史跡に指定されていますが、尾鷲市のサイトの表記は「曽根城」であり、現地の説明版も「曽根城」表記であることを、これもまた確認しております。ちなみに城名の由来となった地名も現在はこちらもまた「曽根町」と表記されております。
以上により、2010年の「曽」の常用漢字化以降に、尾鷲の城の方を特に 「曾根城」と表記している、信頼できる情報源による出典を複数ご提示していただかない限り、尾鷲の城を「曾根城」表記する必要性はないと考えます。また、「曽根城」と「曾根城」は表記が違うだけで同じ名前の城ですから、As6022014さんの追記は、失礼ながら全く的外れで利用者の利便性を考慮しないお考えだと思わざるを得ません。--立花左近会話2012年9月18日 (火) 12:11 (UTC)[返信]
(追記)うっかり書き忘れましたが、「曾」を「曽」の旧字体と書きましたのは、ウィクショナリーの「曽」に「曾」が「繁体字, 旧字体, 旧印刷標準字体」と書いてあったのを省略したもので、「圓」も「円」の「繁体字, 旧字体」で 「旧印刷標準字体」でないことを除けば、事情は変らないのではないかと思います。--立花左近会話2012年9月18日 (火) 12:35 (UTC)[返信]
2010年の常用漢字化以降の事情については、想像ではなく、まず「曽」が依然俗字であるのかなど詳細に調査する必要があります。私はWebサイトよりも書物を重視すべきとの考えですが、この点は立花さんと真っ向から対立する考えですので、お互いに反論しあったところで収拾は付かないでしょう。
また、尾鷲と大垣の城ですが、どちらかといえば短期間でも曾根藩として存在した大垣の方が多少優先されるべきとの考えも成り立ちますが、平等曖昧さ回避でも良いかもしれません。
曖昧さ回避では括弧はあくまで重複を回避する目的なのであって、説明により利便性を確保する目的ではないのです。立花さんと私は根本的に考えが全く異なっており、相手の意見を的外れと思うのはお互い様の事です。「的外れ」とか「揚足取り」といった発言は控えていただければ幸いです。--As6022014会話2012年9月18日 (火) 13:27 (UTC)[返信]
表現が適切でなかったようですので、その点はお詫びいたします。また、常用漢字化の問題をさておいても、両城は少なくとも現地における表記は双方とも「曽根城」であり、Webサイトといっても、どちらも両城が存在する地方自治体の公式ウェブサイトで信頼できる情報源であると考えます。書物を重視されるとおっしゃるならば、具体的に両城の表記が書き分けてあるものをご提示いただきたく思います。--立花左近会話2012年9月18日 (火) 14:47 (UTC)[返信]

(インデント戻す)参考資料の追加です。『角川日本地名大辞典』(21 岐阜県 1980年発行、24 三重県 1983年発行)を参照しましたところ、大垣の地名は「曽根」、尾鷲の地名も「曽根」でした。双方、古代から近世までの歴史を解説していますが、全て「曽根」表記です。ただし、大垣の方で曽根城は出てきますが、尾鷲の方では曽根城については記述がありませんでした。

さて、私は全ての「曽根」の表記を統一すべきとは思っていませんが、曽根崎の話が出てきたのでそれについて触れますと、『角川日本地名大辞典』(27 大阪府 1983年発行)では「曽根崎」表記でした。それに対し、『大阪府の地名』(日本歴史地名大系 21 2001年発行)では、「曾根崎」表記でした。ここからは推測ですので、そうだと言い張るつもりは毛頭ありませんが、おそらくそれぞれの出版社で表記のルールがあって、それによっているだけではないかと思います。『日本歴史地名大系』と『世界大百科事典』はともに平凡社ですし。しかし、2010年の「曽」の常用漢字化の影響というのは、どうもあまり関係なさそうで、この点は訂正させていただきます。1980年代発行の『角川日本地名大辞典』が「曽」を使っているのもそうですし、大垣の曽根城跡の石碑は1989年に建てられたものですが、「曽根城」表記ですので。

ということで、すでに両者を書体で書き分ける必要はないということでは意見は一致していると思いますが、あとは、表記をどちらにするかです。これまでのところ、紙媒体の事典類では両表記例があって、どちらも間違いではなく、特に「曾根」表記とする慣例もないということは言えると思います。となると、現在両自治体の公式サイトや現地石碑、説明板などで使用されている「曽根城」表記にする方がいいと考える次第ですが、いかがでしょうか。--立花左近会話2012年9月20日 (木) 11:37 (UTC)[返信]

曾根城 (美濃国)および曾根城 (紀伊国)として平等曖昧さ回避とするのでは都合が悪いのでしょうか。尤も結論としては「曾根城」も「曽根城」も双方共正しく誤りでないことは明らかなんですが。
結局「曽」の方が一般的な表記だと感ずるのも、2012年9月現在のご自身からの時空的距離に関する遠近的感覚に過ぎないと思うのです。例えば「Cl-」を「塩素イオン」と教育を受けた世代では「塩素イオン」を標準と考え、「塩化物イオン」と教育を受けた世代は然りというわけです。「常用漢字表」も、2010年に「曽」が追加され「」が削除されたように、常用漢字にしても各種HPにしても長い目でみれば刹那的、流動的なものです。古今東西を通して長い時間軸、空間軸で不変な視点に立てば、やはり「ソ根城」のような歴史的事物は特に「曾」の文字が相応しいと考えます。また『日本城郭体系』の記述も一つの手掛かりではないかなぁ。
エン頓寺」の件もそうですが無理に常用漢字あるいは正字体どちらかへ統一する必要は無いと思うのですよ。記事によって様々な書体が入り混じる、統一感は無いようですが、それが自然な姿だと思うのです。常用漢字概念の制約によって劣化した表現という見方もある、単純化によって要素(情報)が削ぎ落とされたともいえる、常用漢字、新字体一辺倒、画一的な統一では新たな知への興味をもつ機会をも奪いかねないと考えます。
公式HPを出典とすることについての私の考えですが、これは歴史地震の記事の編集で感じたことで、例えば康和地震の被害について『理科年表』には「南海道・畿内(中略)土佐で田千余町みな海に沈む」とある。これを出典にWikipediaに記載する行為自体はそれで誤りではない。ただ、果たしてこの記事の信憑性はどうか、これは誰が何時記述した史料に基づくのか追及すれば『広橋本兼仲卿記』の紙背文書という原典に行き着く。そこで初めて定説とされ、一見、南海地震と疑う余地も無い様に見える理科年表の記述の信頼性がどの程度のものであったか判明するというわけです。公式HPもそれ自体を出典とすることは否定しませんが、ただ信頼性の高い出典か否かの立場では、より強く根拠を主張するためには何時誰がどんな素性の資料に基づいて作成しているか明らかであることは大事だと思います。--As6022014会話2012年9月21日 (金) 08:03 (UTC)[返信]
そうですね。「曾根城 (美濃国)」および「曾根城 (紀伊国)」にするというのは、選択肢としてはあると思いますよ。まずお聞きしたいのですが、それだったらAs6022014さんは賛成していただけるのですか?--立花左近会話2012年9月21日 (金) 08:14 (UTC)[返信]
恐れ入ります、そこまで譲歩していただけるならば賛成いたします。--As6022014会話2012年9月21日 (金) 08:42 (UTC)[返信]
わかりました。申し訳ありませんが、私の方は直ちに賛成というわけには参りません。しかし、今の記事名よりはまだベターだと思いますので、有力な選択肢とした上で、もう少し議論させて下さい。ちょっと時間がなくなったので、またコメントします。ご容赦下さい。
失礼しました。さて、ここまでで、事典類では「曽根城」と「曾根城」があるがどちらも間違いではないこと、大垣の城と尾鷲の城の字体を書き分ける必要のないことについては意見が一致したと思います。また、「曾根城 (美濃国)」および「曾根城 (紀伊国)」にするならAs6022014さんは賛成してもいいとおっしゃって下さいました。では、それが今の記事名よりベターだとは思いますが、ベストと言えるのかを考えたいと思います。ここからは基本に戻って、Wikipedia:記事名の付け方に沿って検討します。そこには「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」、「基本的には日本語での正式名称を使用します」、「複数の字体がある漢字については、常用漢字表にある字体を使うことが原則です。ただし、固有名詞にこの原則は適用されません」などがあります。しかし、歴史的事物は旧字体が相応しいといったような記述はどこにも存在しませんので、申し訳ありませんが、それは考慮からはずさせていただきます。
さて、大垣の曽根城なのですが、城跡は現在主に華渓寺と曽根城公園の敷地となっています。曽根城公園は大垣市の管理する公園ですから大垣市のサイトにある「曽根城公園」が正式名称です。公式サイトの信頼性についていろいろご意見がございましたが、実際に書いているのが誰かわからずとも、管理者である大垣市が公に発信している情報ですから、これを信頼できないと見るのは無理があります。そもそも、公園に「曽根城公園」と刻まれたモニュメント(?)が建っています。いや、公園と城とは違うとおっしゃるかもしれません。大坂城大阪城公園のような例もあるではないかと。
ご存知かもしれませんが、実は今大阪に再建されている天守閣の正式名称は「大阪城天守閣」です[1]。公益財団法人 大阪市博物館協会が運営しています。公園の方は大阪市の管理です。しかし、城跡は国の史跡に指定されています。どういう名称でかというと、「大坂城跡」です[2]。それが史跡としての正式名称です。史跡の指定は勝手にできるものではなく文化財保護法によってされるものであり、これは都道府県市町村による指定も同様です。
そこで大垣の場合なのですが、大垣市により史跡に指定されており、名称は曽根城跡です[3]。そして、華渓寺の前には石碑が建っていますが、その表記は「曽根城跡」です(File:Sonejyo-ogaki02.JPG)。
尾鷲の方はどうか? こちらも城跡が尾鷲市の史跡に指定されています。その名称は「曽根城跡」です[4]。こちらには残念ながら石碑はありません。しかし、前述の通り説明板がありこれは「曽根城跡」と書かれています。尾鷲市の教育委員会による説明板です。教育委員会といっても誰が書いているのかわからないとおっしゃるかもしれません。しかし、一般的には文化財調査や遺跡発掘にかかわったり、市町村市を編纂したりもするところですから、信頼できないとは言い難いと思います。
詰まるところ、これまでの意見の繰り返しではありますが、事典類では両表記がある、しかし市指定史跡としての名称、城跡碑や教育委員会による説明板は「曽根城」表記であり「曾根城」表記はない。となれば、やはり「曽根城」にするのが「曾根城」で揃えるよりもさらにベターではないか、というのが私の意見です。--立花左近会話2012年9月21日 (金) 18:26 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、合意はできません。統一する事を必ずしも善しとはしない、これが私の意見です。歴史地震の記事名、円頓寺の件も同様に考えています。--As6022014会話2012年9月24日 (月) 03:30 (UTC)[返信]
分かりました。であれば、字体を変える必要のない(と私が考えている)大垣の城の字体を変えてまで統一することもないでしょう。改名は合意不成立で中止とし、両記事には別表記も併記することで対応させていただこうと思います。議論へのご参加、ありがとうございました。--立花左近会話2012年9月24日 (月) 14:41 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

曽根城」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月6日 (金) 19:15 (UTC)[返信]

改名提案(2回目)[編集]

2012年の改名提案と同じく、「曽根城」から「曽根城 (美濃国)」、「曾根城」から「曽根城 (紀伊国)」への改名を提案します。
前回同様、「曽」と「曾」は字体が違うだけで同じ字であり区別が付かないことが主な理由です。そのうえで統一するのであれば常用漢字の「曽」にすべきであると考えます。2010年に「曽」が常用漢字に定められてから時間も経ち、状況も変化したのではないかと思い再提案します。
補足として(前回の議論にもありますが)、それぞれが所在する自治体はどちらも「曽根城」と表記しており、かつ、どちらも「曽根町」に所在していることから[1][2]、「曽」の方が馴染みがあるのではないかと思われます。

  1. ^ 曽根城公園”. 大垣市 (2023年6月2日). 2024年2月27日閲覧。
  2. ^ 曽根城跡【そねじょうあと】”. 尾鷲市 (2022年1月5日). 2024年2月27日閲覧。

--YasuminB会話2024年2月27日 (火) 08:25 (UTC)[返信]