ノート:急性放射線症候群

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歴史の説を追加したいのですが、添削求む。[編集]

放射線や放射性物質の発見から放射性障害が認識されていった過程を追加したいのですが、当方医学はまるっきり部外者なのでどなたか添削して頂けませんか?以下は英版en:Acute radiation syndrome#Historyの抄訳にアトミカの情報を追加したものです。(日本語では見つけきらなかった。)

== 放射線障害の歴史 == 放射線自体は19世紀末に発見されたが、その影響については暫く認識されなかった。1895年にX線を発見したウィルヘルム・レントゲンはX線の照射による指の火傷を経験したが、それはオゾンによるものと考えた。

1896年にはX線による放射線皮膚炎、目の痛み、皮膚炎を伴わない脱毛、火傷などの障害が報告された。 その後1901年にはモルモットの死亡、動物実験での流産、1902年には慢性X線潰瘍から皮膚がんへの悪性転化、1911年には白血病の誘発、1919年には胎児へのX線照射による奇形の発生が報告された。また職業病としての報告例も増加し、1924年にはシュネーベルク病(シュネーベルク地域の鉱山労働者におけるラドンによる肺がん)が報告されたほか、時計の文字盤にラジウムを塗っていた女子作業者(ダイアル・ペインター)においては、1923年にはラジウム顎、1926年には再生不良性貧血、1929年には骨肉腫の発生などが報告された。1927年にはハーマン・J・マラー がショウジョウバエへのX線照射による遺伝的影響を発見した<ref name=”atomica_rekisi”>ATOMICA「http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09040101/01.gif 「放射線障害に関する歴史上の出来事」」</ref>。

放射線障害が認知されるまでは多くの医者や企業が放射性物質を使ったまがい物の治療法や薬を特効薬(en:Patent medicineen:Radioactive quackery)として処方・販売した。例えばラジウムを使った浣腸、ラジウム入りトニックウォーターなどが販売された。これらに対し1898年にラジウムを発見したマリ・キュリーはラジウムの人体に対する影響はよく解っていないので止めるべきたと非難した。彼女自身も放射線障害の再生不良性貧血で1934年に死亡した。1930年代には多くの放射性物質服用者の死亡や障害が明らかになり、放射性物質入りの薬の販売は途絶えた。

しかしながら、それでも放射線の影響は完全には理解されておらず、1945年と1946年には デーモン・コアにより科学者が死亡した。

1945年の広島・長崎への原爆投下による被爆者の治療や生存者の健康調査などにより、放射線障害の研究が進んだ。日本の医療機関の他にアメリカは広島と長崎にABCC(後の放射線影響研究所)を設置し、これらの医療機関などの診断・治療、調査により多くの知見が得られた。 <終>--和流千景 2011年11月26日 (土) 21:25 (UTC) wikifyおよび記述の整理・追加。--Panda 51 2011年12月1日 (木) 12:33 (UTC)[返信]

歴史の説を放射線障害#放射線障害の歴史へ貼付けました。更新がありましたら、放射線障害の頁でお願いします。--和流千景 2011年12月2日 (金) 03:54 (UTC)[返信]