ノート:後ウマイヤ朝アミール領

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改名とリダイレクト化の提案[編集]

2019年4月ごろから「現代のアラビア(ペルシア)湾岸諸国以外の、英語で "emirate" と呼ばれる政権を「首長国」と呼ぶことは適切か?」という議論というか調査を、ノート:クレタ首長国#「クレタ首長国」について(現在は「イスラーム期のクレタ」に改名済み)で行いました。結論としては「理由は明確でないものの歴史学の専門家は「首長国」という言葉を一切使っていない(ただし湾岸諸国を除く)」と言えます。

  1. 「コルドバ首長国」なる歴史用語も、日本の図書館に普通に置いてある本では用例を見出すことができません。「コルドバ首長国」は、端的にウィキペディア用語で言うと、独自研究です。
  2. 「コルドバ首長国」が使われていない理由の1つ目は、そもそも「首長国」という用語に問題があり、歴史学者はこの用語を避けるからと思われます。
  3. 「コルドバ首長国」が使われていない理由の2つ目は、スペイン史を専門とする日本の歴史学者はこの時代のこの王朝のことを「後ウマイヤ朝」と呼ぶからです。このことは例えば『イスラム事典』(平凡社、1982年)の序章、佐藤次高嶋田襄平氏による「歴史の中のイスラーム教徒」などに書かれています。

したがって、ネット上で「コルドバ首長国」なる歴史用語が実体を持ち、一人歩きしはじめる前に、何らかの対処をしたいと考えています。具体的には、以下の対処法が取りうると思います。

  1. 「コルドバ首長国」を「後ウマイヤ朝」に統合(コルドバ首長国はリダイレクト化されます)。
  2. 「コルドバ首長国」を何か、問題のない記事名(例えば、「君主がアミールを称していた時期の後ウマイヤ朝」)に改名する。
    1. 改名後の記事には日本と世界の歴史学界の研究史について軽く触れる。
    2. リダイレクト「コルドバ首長国」を削除。あるいは、リダイレクト「コルドバ首長国」を残す。
    3. ノートページは移動しない。あるいは、後ウマイヤ朝に統合する。

以上に述べた提案に対して、何かご意見や追加の提案があれば、このノートページにお書きください。特にご意見なければ「改名+リダイレクト残す+ノートページ移動しない」コンボで進めようかなと考えております。wikidata:Q1337854 に対応する記事が存在した方が、一般的な読者に対して親切だと思われるからです。--ねをなふみそね会話2019年5月23日 (木) 00:49 (UTC)[返信]

コメント これは時間をかけて検討したほうがいいと思います。それに、Wikipedia:改名提案への記載と{{改名提案}}の添付もありませんし、Wikipedia:統合提案への記載と{{統合提案}}の添付もありません。また、初版立項者の利用者:McYataさんがアクティヴのようですので、エチケットとして、声をかけて意見を伺ってみたほうがよいと思います。この記事が後ウマイヤ朝の一時期を指しているだけというのは全くもってその通りなのですが、W.M.ワット著、黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラーム・スペイン史』岩波書店、1976年4月 では、「ウマイヤ朝アミール領」という用語が使用されていますし、ハンス・ユルゲン・マルクス「正しい戦争はあるか―歴史の答え―」『南山神学』27号(2004年2月)pp. 1-43 には、「コルドヴァ首長国」([バ]じゃなくて、何故か[ヴァ])という表記があります。英語の文献ですと、The Emirate of Córdoba という名称が割と使用されているので、「日本の学界ペディア」になってしまうとWP:JPOV違反の恐れもあるような気がしています。ということで、慌てずのんびりやりましょう。--Takabeg会話2019年5月24日 (金) 13:32 (UTC)[返信]

コメント 初版作成者です。クレタの議論も読ませていただきました。1年前にこれを立項した経緯としては、en:Emirate of Córdobaを読んで「カリフを名乗って初めて後ウマイヤ朝と言える、なるほど外国ではそういう捉え方が一般的なのか」と感じて、そこまで深く調べることもなく翻訳してしまった、というのが正直なところです。日本では君主がカリフでもアミールでも、独立国でも従属国でも、とりあえず「朝」と呼ぶようになっていますから、名乗りが変わっただけで新たな歴史記事を作るのは難しいのかもしれません。後ウマイヤ朝の建国年について他言語版を見てみると、スペイン語版や英語版をはじめ多くが929年(Emirate of Córdobaの後継とみなす)としている一方で、アラビア語版は日本語版と同じく756年(アッバース革命直後から)をとっているようです。個人的には、世界的に比較的広く使われている概念として記事を残し、研究史を載せるという形が良いと思うのですが、Emirateの適当な訳が定まらず訳例もほとんどないとなると、統合でも仕方ないのではないでしょうか。それと別件になりますが、この記事を作った頃に関連人物記事をいくつか作ったのですが、アラビア語理解の不足のため、誤ったタイトルばかりをつけてしまいました。そのため、今になってねをなふみそねさんとTakabegさんのお手を煩わせることになってしまっています。大変申し訳ありません。--McYata会話2019年5月25日 (土) 02:33 (UTC)[返信]
McYataさん、本件の場合、「誤ったタイトル」というのは言い過ぎです。例えば、R.I.ムーア編、中村英勝訳『世界歴史地図 The Hamlyn Historical Atlas』東京書籍、昭和57年4月1日 第1版発行、0020-553050-5313、49頁:「22 カール大帝の帝国」には「コルドバ首長国」とあります。Emirate of Cordoba という英語の日本語訳は、たいてい「コルドバ首長国」になるということだと思います。また、前嶋信次『イスラムとヨーロッパ: 前嶋信次著作選 2』平凡社、2000年7月1日発行、ISBN 4-582-80673-2、189頁。「アブドル・ラフマーン一世とその子孫とがアミールの称号のもとにコルドバの都に君臨したので、これを「コルドバのアミール時代」と呼び、イベリアのイスラム時代史の第二期とする。」、カロリーナ・ドメネク=ベルダ「9世紀の西地中海-古銭学のデータから」『人文學』第二百二号、2018年11月、同志社大学人文学会。では、「アル・アンダルスのアミール期」、「アミール期」という用語が使用されています。帝国書院=ウェスターマン社『世界歴史地図 Atlas of World History』帝国書院、昭和57年4月1日発行、では、46頁の「コルドバ回教国」と48頁の「コルドバ=カリフ国」とを使い分けています。したがって、「コルドバ首長国」、「コルドバ・アミール国」、「コルトバのアミール時代」、「アンダルスのアミール期」などなど記事名の候補はいくつかあると思いますが、単独立項することについては、その特筆性に問題がないと考えます。「後ウマイヤ朝」の扱いについてですが、『ブリタニカ国際大百科事典 第2巻』 (嶋田襄平)、『アジア歴史事典 第1巻』 (小林元)、『世界歴史事典 第1巻』 (嶋田襄平)では「ウマイヤ朝」の中で「後ウマイヤ朝」が解説されています。『日本大百科全書 第8巻』(花田宇秋)、『世界大百科事典 第9巻』 (私市正年) では「後ウマイヤ朝」が単独立項されていますが、情報量としては若干少なめな感じです。「後ウマイヤ朝ウマイヤ朝に統合しよう」と提案する利用者は余りいないと思いますが、参考までに。--Takabeg会話2019年5月25日 (土) 16:25 (UTC)[返信]
  • 増田義郎日本語版監修『大陸別世界歴史地図1 ヨーロッパ大陸歴史地図』東洋書林、2001年6月1日 第1刷発行、ISBN 4-88721-503-7、67頁:「カール大帝の帝国 814年」では、「コルドバ回教国」、69頁:「火と剣―異教徒との戦い 910年頃」では、「コルドバ回教国」、78頁:「スペイン・レコンキスタ」では「コルドバ・カリフ国」となっています。--Takabeg会話
返信 (Takabegさん宛) ええ、コルドバ首長国という(もしくはそれに類する)用例が実際にあるのは、既に前のTakabegさんのコメントで理解しております。あくまでも「別件」として、関連項目で行われている改名提案に触れて「誤ったタイトル」と言っただけです。当項目のページ名と内容に関する議論については、お二人が深めている状況ですので、もう私のような浅学がコメントできることは無いです。すみません。この機会に、しっかり学ばせていただきたいと思います。--McYata会話2019年5月26日 (日) 05:31 (UTC)[返信]
「余り謙遜なさらずに」という趣旨で書きました。何か誤解を与えてしまったようでしたら申し訳ありません。それと、私も本件に関しては「素人」ですので、一緒に意見交換ができたら幸いです。--Takabeg会話2019年5月26日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
肝心のアラビア語版は ar:الدولة الأموية في الأندلس。 直訳すると「アンダルスのウマイヤ家の国」で、日本語で言う「後ウマイヤ朝」と大体同じ概念を指すと言っていい。さらに arwpには Emirate of Cordoba に相当する概念がありません。日本の歴史学者の歴史認識は、欧米世界よりはイスラーム世界の歴史認識に近いようです。ところで、とりあえず、統合で処理する路線はなしということでよろしいでしょうか。改名提案タグを貼ります。--ねをなふみそね会話2019年5月26日 (日) 01:55 (UTC)[返信]
アラビア語版のar: إمارة قرطبة (Emirate of Cordoba)は、ar: الأندلس#الإمارة الأُمويَّة (إمارة قُرطُبة) (アンダルス) にリダイレクトされています。--Takabeg会話2019年5月26日 (日) 14:19 (UTC)[返信]

コメント クレタの方の調査にかなり関わったこともあり、一応コメントさせていただきます。関連する書籍のこの時代についての言及を下部表の通り確認しました。つらつらと眺めていての感想ですが、

  • 原則として「コルドバ首長国」という用語は日本の学界では使用されない(Takabegさん紹介の出典も、著者が明らかにアンダルス史を専門にしておらず、Emirate of Cordobaを直訳した可能性大だと思います)
  • 「後ウマイヤ朝」政権をアミール位とカリフ位の使用によって区別する方法は少なくとも日本語の出典では一般的ではない(つまり「コルドバ首長国」に該当する概念は基本的に使用されない)。
  • 「後ウマイヤ朝」という用語は一般的であるが、排他的に使用されるほどではない。特に訳書ではあまり使用されていない傾向がある。
  • 一般的にイベリア半島のムスリム政権を指す用語として包括的に使用されているのは「アンダルス」「アル=アンダルス」であり、711年の西ゴート王国征服から11世紀の後ウマイヤ朝の崩壊まで一貫して使用される傾向がある。
  • 「 アンダルス」が「ムスリム支配」を体現した用語であることは、同時代のキリスト教徒諸侯に意識されていた。
  • 「後ウマイヤ朝」に該当する政権とそれ以前のムスリム政権は同時代中には厳密に区別されていなかった。むしろ後世になって整理が行われている。
というような感じです。前嶋信次氏の分類になる「アミール期」を区分する方法は、実際のところあまり一般的に採用されているようには見えず、特にスペインの通史で使用されていないのが気になります。日本語の後ウマイヤ朝の用例が原則的にはアブド・アッラフマーン1世以降を指すことを考えれば、個人的にはこの「アミール期」は現状では少数の学者の「見解」に過ぎず、「後ウマイヤ朝」の記事内に内包されるべきではないかと思います。どの書籍でもアブド・アッラフマーン3世によるカリフ位の使用を画期として扱ってはいるので、外国語版との対応は難しいところではありますが・・・。
この記事のあり様について、個人的にはねをなふみそねさんの見解に近く、「アンダルスのアミール」などの記事名に変更した上で、統治者理念(王権概念)や日本と諸外国での研究動向、取り扱いの違いなどに触れる記事にし、「コルドバ首長国」自体は後ウマイヤ朝、またはアンダルスへのリダイレクトにするのがすっきりするのではないかと考えます。少なくとも日本語の各種書籍から考える限り、「アミール期」の記事を「後ウマイヤ朝」の記事と共に併存させるのは、マムルーク朝の記事とバフリー朝チェルケス朝の記事を併存させるような違和感を感じます。
ちなみに、初版立項者に何ら手のつけようのない完璧な記事の投稿が求められているわけではないので、McYataさんが改名議論を「手を煩わせる」と認識する必要はないと思います。対象の記事に健全な加筆活動が続けられているというだけですし、Wikipedia外の話ではありますがモンゴルの四汗国が諸ウルスとイル・ハン朝という呼称に代わっていったように、より適切度の高い名称への変更は歴史分野では適時行われるものだと思います。--TEN会話2019年5月27日 (月) 08:16 (UTC)[返信]
和書での言及
著者 タイトル 発行 内容 備考
756年以降を「後ウマイヤ朝」と分類する
佐藤健太郎 スペイン史 1(世界歴史大系) 2008 ムスリムの征服以降は基本的には「アンダルス」など、厳密な用語は用いない。756年以降「後ウマイヤ朝」として言及。カリフ位宣言を画期とするが、厳密な時代区分を行わない。
安達かおり イスラム・スペインとモサラベ 1997 イベリア半島のムスリム政権を「アンダルス」と呼びその歴史を「属州期」(711~)「後ウマイヤ朝」(756~)に分ける イベリアのムスリム政権の王権概念について記述あり。
佐藤次高 イスラーム世界の興隆(世界の歴史 8) 1997 756年以降「後ウマイヤ朝」。カリフ位宣言を画期とするが、厳密な時代区分を行わない。
阿部俊大 レコンキスタと国家形成 2016 イベリアのカリフ政権について「後ウマイヤ朝」「イスラーム勢力」など。アミール期については言及がない。 対象とする時代が異なりあまり参考にならない。
黒田祐我 レコンキスタの実像 2016 イベリアのムスリム政権について「後ウマイヤ朝」。より一般的には「アンダルス」 キリスト教側がムスリムのイベリアを指す「アンダルス」という概念に抵抗して西ゴート王国からの継続性の主張、新ゴート主義を展開したことについての言及あり。
林邦夫 西欧中世史研究入門 増補改訂版 2005 イベリアのムスリム政権について「後ウマイヤ朝」、アミール・カリフ位による区分は行わない 英独仏中心に書かれていてイベリアの記述は解像度が低い
D・W・ローマックス レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動 1996 756年以降「後ウマイヤ朝スペイン」など。文脈により「アンダルス」など。またアミール時代とカリフ時代で特に時代区分は行わない 戦争が主題の書籍。
厳密な名称を与えない
柴修身 古都トレド 異教徒・異民族共存の街 2016 後ウマイヤ朝時代以前は対象外。11世紀以前のムスリム権力・社会に触れる際は「アル=アンダルス」等と呼称。
永川玲二 アンダルシーア風土記 1999 イベリアのムスリム政権は一貫して「アル=アンダルース」。王家に触れる場合には「ウマイヤ朝」。「後ウマイヤ朝」という呼称を使用しない。 2014年オンデマンド版で確認
余部福三 イスラーム全史 1991 イベリアのムスリム政権は「アンダルス」、王家に触れる場合には「ウマイヤ朝」
余部福三 アラブとしてのスペイン 1992 イベリアのムスリム政権は「アンダルス」、王家に触れる場合には「ウマイヤ朝」
シドファル アンダルシア文学史 1983 イベリア半島のムスリム権力に固有の名称を与えず、厳密な時代区分もしない。必要がある時は「アミール体制」などと呼称 政治史や社会史を対象にした書籍ではない。
Ch-E・デュフルク イスラーム治下のヨーロッパ 衝突と共存の歴史 1997 イベリア半島のムスリム権力に固有の名称を与えず、厳密な時代区分もしない。必要がある時は「ムスリム」などと呼称
C・サンチェス・アルボルノス スペインとイスラム あるヨーロッパの中世 1988 イベリア半島のムスリム権力に固有の名称を与えず、必要がある時は「アンダルス」「独立アミール領」などと呼称 人名表記が恐らくスペイン語訛カナ転写(アブド・アッラフマーン⇒アブデラマン)
W・M・ワット イスラーム・スペイン史 1976 756年以降「ウマイヤ朝アミール領」、912年以降「ウマイヤ朝カリフ」
フィリップ・K・ヒッティ アラブの歴史(下) 1983 イベリアのムスリム政権は本文中では明確な名前を与えられず「アミール権」「カリフ権」等の用語で言及。節名は「スペインのウマイヤ家アミール領」「コルドヴァのウマイヤ朝カリフ権」
その他、参考にあまりならないもの。
本田寛信 イスラム世界の発展(ビジュアル版世界の歴史6) 1985 756年に「いわゆる後ウマイヤ朝を開き~」という記述がある。 イベリア半島の記述は貧弱であまり参考にならない。
板垣雄三 図説世界文化地理大百科 イスラム世界 1988 「スペインのウマイヤ朝」という言及があり。 イベリア半島の記述は貧弱であまり参考にならない。

返信 (ねをなふみそねさん宛) 佐藤次高氏による「歴史の中のイスラーム教徒」とのことですが、『新イスラム事典』2002年3月11日 初版第1刷発行、ISBN 4-582-12633-2、21頁。総説「歴史の中のイスラム教徒」のなかの「イスラム帝国の分裂―カリフの鼎立」(この箇所は、佐藤さんではなくて嶋田襄平さんが書いているのではないかと思われます)には、「しかし756年にはウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に逃れ、コルドバに自立してウマイヤ朝を再興した。これを後ウマイヤ朝と呼ぶのは、日本だけの慣用である。コルドバのウマイヤ朝は、、、」とあります。後ウマイヤ朝にソースとして添付しておいたほうがよいかもしれません。それと、かつてノート:後ウマイヤ朝でも議論があったようです。--Takabeg会話2019年5月28日 (火) 12:04 (UTC)[返信]

返信 (TENさん宛)マムルーク朝の記事とバフリー朝チェルケス朝の記事を併存させるような違和感を感じます。」とのことですが、日本語では「○○朝」を使いすぎなんです。マムルーク朝は「国家」「ダウラ」で、バフリー朝とかブルジー朝とかは (血族ではないですけど)、「王朝」「スラーレ」です。ザックリ言うと、イングランド王国に、ノルマン朝プランタジネット朝テューダー朝などがあったのと似たようなものです。ただ、バフリー朝ブルジー朝に分ける問題と「アミール時代」と「カリフ時代」とに分ける問題とでは、少し次元が違うお話だと思います。--Takabeg会話2019年5月28日 (火) 12:04 (UTC)[返信]

返信 マムルーク朝の例が歴史学的には次元の違う話だということはもちろんその通りだと思います。ここで私が感じる違和感は、Wikipediaの記事として両者を並立させた場合、そのままでは内容がほとんど同じ(あるいは部分の抽出)になる点です。また、日本語でほとんど用例のない「コルドバ首長国」(またはそれと同一概念を示す何等かの名前)の記事と、欧米における慣用的な理解と一致しないものの日本語では普及している「後ウマイヤ朝」という記事が併存するのはいろいろとわかりづらく、また記事ごとの記述範囲分担も困難と思います。なので、政治勢力としての「コルドバのムスリム政権」の記述は後ウマイヤ朝の記事に集約してしまい、日本と欧米での理解の差などは、ねをなふみそねさんの最初の提案にあるように本記事の改名後の記事で「日本と世界の歴史学界の研究史に軽く触れる」という形が綺麗かなと思う次第です(もっともここは私は貢献できないかもしれませんが^^;)。
あるいは、無理に「コルドバのムスリム政権」の記事を作らずに、そうした説明は「アンダルス」に置くのもありかもしれないとも思います。この場合、最初に指摘されているように、wikidata:Q1337854に対応する日本語版の記事が無くなる、という問題はあるので、やや強引ですがコルドバ首長国をリダイレクトではなく曖昧さ回避にしてアンダルス後ウマイヤ朝に分岐させる、というような形式も取り得るかもしれないと思います。
端的に言って「Emirate of Córdoba」の記事が存在するのであれば、対応する「Caliphate of Córdoba」の記事が必要で、それは「後ウマイヤ朝」とは違う、という考えです。故に「コルドバ首長国」と「後ウマイヤ朝」の記事は併存させるのに相応しくないと思います。しかし、「Emirate of Córdoba」「Caliphate of Córdoba」・・・(例えば「アンダルスのアミール領」「西カリフ国」というような感じになるでしょうか・・)という記事構成にするのは、日本語の出典による限り「Wikipedia独特の書き方」という感が強くなるのではないかと思います。--TEN会話2019年5月28日 (火) 15:49 (UTC)[返信]
話が発散しますが、私の理解では、マムルーク朝は「マムルーク国家体制」とも言うべきもので、何々朝イングランド王国、何々朝ビザンツ帝国とはまたちょっと違う(そして、コルドバのエミレイト、コルドバのカリファットとも違う)かなという感覚です。あくまでも個人の感覚です。ところで、日本語でこの時期、この地域の歴史を語っている研究者の意識としては「コルドバのエミレイトとカリファットの何が違うの?」というのがあるようです。アブド・アッラフマーン3世がハリーファを宣言したのも、シーア派のファーティマ朝がハリーファを宣言したことに対抗してなので、受身ですよね。政治勢力としての同一性も保ったままです。これに対してヨーロッパのイベリア半島史研究はそれなりの歴史の重みがあって、エミレイトとカリファットで分割する語り方を採用し続けるしかないのではないでしょうか。後発ゆえに身軽な日本の歴史学は、「アンダルスのウマイヤ家のダウラ」に相当する概念に「後ウマイヤ朝」という述語を用い、歴史を記述している。このことについて、「ガラパゴス化が!」とか「欧米では!」と批判するのは少し安直ではないか、と思います。そもそもウィキペディアはオピニオン・サイトではないので、まあ、現実の歴史研究がそうなっているならばそうなっていることを記述するのみです。ところで、「Caliphate of Córdoba」と「後ウマイヤ朝」は異なる概念だ、ということについてですが、私も同意見です。本来ならば、 emirate of Córdoba (Q1337854) , Caliphate of Córdoba (Q171740) とも異なる wikidata ID QXXXXXX が、ja:後ウマイヤ朝, ko:후우마이야 왕조 , zh:后倭马亚王朝, ar:الدولة الأموية في الأندلس には割り振られるべきでしょう。しかしまあ、中文版やアラビア語版の読者までをも含めて、一般読者の便宜を考慮すると、さし当たっては現状維持と思います。実際的にQ171740に対応するよく知られた日本語がないというのも現状維持の根拠の一つです。この問題よりも、ウィキペディアを媒介にした「首長国」概念の拡大化が危険と思われます。これが本件提案の直接の目的です。いま、Takabeg さんと TEN さんの相当量の入念な調査により「コルドバ首長国」は1例あることが確認されましたが、これを根拠に「コルドバ首長国」を<あり>とするか、はたまた、東洋史プロパーは絶対に使わないことを根拠に<なし>とするか。どちらがよいでしょうか。皆さんの意見をお聞かせください。--ねをなふみそね会話2019年5月29日 (水) 10:05 (UTC)[返信]
とりあえず、Umayyad state in al-Andalus (Q64153511)をつくっておきました。--Takabeg会話2019年5月29日 (水) 13:40 (UTC)[返信]
コメント 上記については、私としては既に述べた通りで、絶対の自信を持つものではないですが、単純に記事名として「コルドバ首長国」は適切ではない(また、その概念を示す記事を置くよりは、後ウマイヤ朝に集約した方が理解しやすく優れている)という考えです。
ついでにちょっと調べてみたのですが、私の確認した和訳書で原文がどのように翻訳されているかGoogle Booksで確認できる目次から簡単に対応を取ってみました。
  • W.M.Watt:The Independent Umayyad Emirate ⇒ 独立ウマイヤ朝アミール領(黒田壽郎、柏木英彦訳)
  • W.M.Watt:The Grandeur of the Umayyad Caliphate ⇒ ウマイヤ朝カリフの隆盛
  • Ph.K.Hitti:The Umayyad Amirate in Spain ⇒ スペインのウマイヤ家アミール領(岩永博訳)
  • Ph.K.Hitti:The Umayyad Caliphate of Cordova ⇒ コルドヴァのウマイヤ朝カリフ権
  • D.W.Lomax:The creation of Ummayad Spain ⇒ 後ウマイヤ朝スペインの創設(林邦夫訳)
何となく、Google Booksで見ているとEmirate of Cordoba よりも Umayyad Emirate の方がたくさんみつかるような感じですが、とりあえず英語から日本語に翻訳する際、専門家はEmirateを「首長国」と訳すことはまずなく、またEmirate、Caliphateを「国」とも言わない、とは言えると思います。これも「コルドバ首長国」があまり適切でないと考える理由に加える点です。ただ、Emirate⇒「アミール領」は割と良くある訳し方ではあるように見えます。(多分「独立アミール領」とかも原文はEmirateだと思います。調査件数の少なさは問題ですが・・)--TEN会話2019年5月29日 (水) 13:48 (UTC)[返信]
返信 (Takabegさん宛) Umayyad state in al-Andalus、が本来的には独立した概念としてWikidataをふられるべきだとは私も思うのですが、大半の言語に該当する記事が無い状態なので、こう変更してしまうと日本語版やアラビア語版から、概ね対応する記述があるemirate of CórdobaやCaliphate of Córdobaの記事へ到達するのが結構大変であり(事前知識がない人ならなおさらそうだと思います)、この辺の処置はもう少し慎重にやった方がいいのではないでしょうか。「後ウマイヤ朝」の記事からen:emirate of Córdobaにもen:Caliphate of Córdobaにも跳べないのは個人的にはかなり不便に感じます。正直なところ、この改名・統合議論を通じてwikidataの再編までは手を付けない方が良いのではないかと思います。--TEN会話2019年5月29日 (水) 14:07 (UTC)[返信]
もし統合しないで単独立項で行く場合またはリダイレクト用タイトルとして残す場合、「アミール領」というのも選択肢の一つとしてアリですね。ブハラ・アミール国というのもあるので、「アミール国」といのにも (個人の感想になってしまいますが)抵抗感はありません。ただ、「ガラパゴス化」といっても、実は「ガラパゴス仲間」も少なくないようなので、 現時点ではかなり貧弱な後ウマイヤ朝に統合して、将来的に、そちらが肥大化したら「アミール領」ないしは「アミール国」に再分割する、というのもアリかと思います。wikidataの件は、wikidataのほうで議論が起きたら対応してみます。--Takabeg会話2019年5月29日 (水) 14:11 (UTC)[返信]
横から失礼します。WP:NCには記事名をつけるにあたって「専門家よりも一般的な利用者の関心を重視」すべきとあります。 ねをなふみそね さんが仰るように「首長国」という概念がウィキペディアをもとに独り歩きして拡大化するのは避けるべきことだと思います。(ウィキペディア発祥の造語が世間で使われるのを考慮に入れると一層避けるべきです。) TEN さんが懸念されている英語版の2つの記事に飛べないという問題は日本語版記事内にリンクを貼ることで解決できないでしょうか。言語間では必ずしも単語や用語が1対1で存在するわけではないです。英語版でそれぞれが独立記事になっていてもそれは日本語においてそれに相当する言葉が存在しないわけですから「首長国」という表現は危険だと思います。
以上の二点を踏まえて、私はこの記事を「後ウマイヤ朝」へのリダイレクトとし、記事内容は「後ウマイヤ朝」に加筆する形がいいと思います。ですが、多言語版との兼ね合いを考えると現状維持でも問題がないような気もします(「コルドバ首長国」という記述のなされた書籍もあるようですし)。ただ、ここまでの議論全てに目を通したうえで言わせてもらいますと「アミール国」という表現もウィキペディア独自の表現になってしまうのではないかと懸念します。--圓成会話2019年5月29日 (水) 14:43 (UTC)[返信]
  • コメント インデント戻します。追加の意見もないですし、「コルドバ首長国」を<あり>とするか、<なし>とするか、という1点については現状出てる意見からは無し、ということでとりあえず良いではないかと思いますがいかがでしょうか。
  • 話を最初に戻して、改名または統合後の跡地をどうするかという点は何とも言えないですが、一番最初の提案にあるように「コルドバ首長国」を「後ウマイヤ朝」に統合、⇒「コルドバ首長国」を何か、問題のない記事名に改名する、というあたりが穏当なのではないかと個人的には思います。その後の「改名後の記事には日本と世界の歴史学界の研究史について軽く触れる。」については、自分の方では具体的な構想がないので、そうすべきだとは言いづらいですが、案としては適切であると思います。Takabegさんから「時間をかけて検討したほうがいい」と言う指摘がありましたが、それからそこそこの時間が経過して、最初のねをなふみそねさんの提案自体には反対意見は出ていない認識です。
  • ただ、本記事も後ウマイヤ朝の記事もはっきり言ってほとんど完全に無出典の状態で、記述も充実してるとは言い難いので、一通りの(統合または改名)処理が済んだら後ウマイヤ朝の記事は統合というよりも加筆整備してしまった方が良さそうだと思っています。--TEN会話2019年6月11日 (火) 16:29 (UTC)[返信]
  • コメント ご意見ありがとうございます。「首長国」を放置するのはあらためて危険だと思いますので、改名作業を進めたいと思います。改名先についてはあまりこだわりがありませんが、TENさんの5月27~29日の調査に依拠すると、「後ウマイヤ朝アミール領」(ワットの黒田壽郎、柏木英彦訳に基づく)への改名がよさそうに思われました。「後ウマイヤ朝」は「独立ウマイヤ朝」より定着しているため一部変更しました。次点で「コルドバのアミール時代」(『前嶋信次著作選 2』における)を挙げたいです。特に反対がなければ、「後ウマイヤ朝アミール領」に決めます。
  • なお、いまさらですが、基本中の基本、 IE2(『イスラーム百科事典』第2版、ライデン大学、Brill)のA巻、al-ANDALUSの項、pp.493-494 あたりを確認しました。IE2 では、The Marwānid Kingdom of Cordova (138-300/756-912)(マルワーン朝コルドバ王国)になっており、The Naṣrid Kingdom of Granada (ナスル朝グラナダ王国)と同様の nomenclature になっていました。執筆者はレヴィ=プロヴァンサルです。この場合のマルワーンはマルワーン・ブヌル・ハカム・アルウマウィー(マルワーン1世)です。--ねをなふみそね会話2019年6月18日 (火) 05:45 (UTC)[返信]

微調整?[編集]

特別:差分/73236915で「改名に伴う微調整。」と要約欄でコメントして編集されていますが、ぜんぜん微調整じゃないですよ。出典付の情報を消してしまうのもいかがなものかと思いますし、歴代アミールを吹き消してしまうのも正しいとは思えません。それでは。--Takabeg会話2019年6月25日 (火) 12:48 (UTC)[返信]

  • コメント 記事名の変更で体裁の調整が必要なのは間違いないので、要約欄の文言程度の些事にこだわる必要は無いかと思います。出典付の情報と言っても極僅かですしその程度の自由度もないのでは調整が窮屈になります。
  • 削除対象になった出典付情報は「(前略)アブド・アッラフマーン1世はイベリア半島に上陸し、半独立状態だったアンダルスのユースフ・イブン・アブド・アッラフマーン・アッ=フィーリを破り、コルドバのアミールとなって半島内の数々のレーエンを首長国にまとめ上げた。」というものですが、正直なところこれは調整を要する一文であり削除した方がむしろ良いであろうと思います。半島内の数々のレーエンというのは要するに半独立的な諸侯のことだろうと思いますが、「レーエン」という用語はフランク王国や「神聖ローマ帝国」と密接に絡んで成立して来た歴史用語であり、日本語において説明なしにスペインの諸侯に用いるのはあまり適当でないように思います。簡単に確認する限り日本語の書籍でスペインの諸侯を指してレーエンと言う用語で説明されているものは見出せません。大きく編集を加えるとしたら私もこの記述を消すことにあまり躊躇はしないです。
  • 本記事は元々6,000バイト程度の規模で出典の面でも内容面でも改善の余地が大きいものであり、その内容の変更に時間をかけて議論をしても建設的とは言えず、あまり既存の状況に縛られず大胆に変更すべきと思います。--TEN会話2019年6月25日 (火) 17:56 (UTC)[返信]
  • TENさんへ。そういう考え方もあるかもしれませんが、アミールの情報がないのはおかしいですし、ウィキペディアの記事としては余りにも特異な形になってしまったことは間違いないのではないのでしょうか? また、"後ウマイヤ朝アミール領"というのは、合成ですから、google でもこの記事しかヒットしません。"コルドバ首長国"という「独自研究」から"後ウマイヤ朝アミール領"という新たな「独自研究」に変わっただけじゃないか、と残念に思いました。--Takabeg会話2019年6月25日 (火) 20:34 (UTC)[返信]
返信 私に対するコメントではない部分にも返信を加えるので微妙なところですが、さすがにクレームの内容がおかしいと思います。ちょっと長くなりますが、、
  • 記事名の独自研究について:以前の書き込みでも少し述べましたが、本記事を考える上で重要な点はEmirate of Córdobaに対応する「日本語の記事」を置くということ自体が非常にWikipedia独自要素の強いものである点です。Takabegさん紹介の花田宇秋の区分でもアミール期とカリフ期の区分がされていないように、一般的に日本語圏ではこの期間を独立した時代として扱う観念自体が発達していません。この点は訳書においてUmayyad EmirateやEmirate of Córdobaに相当する訳語が訳者によって一定していない(つまり専門家たちもこれに対応する用語を知らない)ことからも明らかです。その上で「wikidata:Q1337854 に対応する記事が存在した方が、一般的な読者に対して親切だと思われる」ということで、改名した上で記事を残すという形で当初より提案されていて今に至っているはずです。単純にwikidata:Q1337854に独自でない日本語の記事名を当てるのは不可能で(いずれかの出典から引っ張って来たとしても一般性がないのは明らかです)、なるべく無難な名称を選ぶという形にしかならないと思います。よって「後ウマイヤ朝アミール領」であれ「コルドバのアミール時代」であれ、他の何か(私個人であれば「アンダルスのアミール」あたりを選ぶかもしれませんが)であれ、「首長国」という誤解を招く訳語からより良いものに変更される点が重要なのであって、事前より改善していることをこそ重視すべきと考えます。よりよい記事名があるならば再度提案するのが順当であると思います。名称の問題については最終的に記事本文に説明節を加えるのがベターだと考えます。
  • アミールの一覧アンダルス後ウマイヤ朝本記事、さらには日本語版に存在しないen:Caliphate of Córdobaなどは相互に重複し、しかも同一でない概念領域を取り扱っている記事で、様々な書き方、分担の仕方ができます。よって各記事の網羅すべき内容についての解は一つではないでしょう。私個人はアミールの一覧は本記事にあっても良いと思いますが、「改名後の記事には日本と世界の歴史学界の研究史について軽く触れる」という方針で記事を仕上げるのならば無くてもおかしくはないと思います。この点についてなぜそこまで攻撃的に批判されているのかわかりません。Takabegさんがアミールの一覧が必要だと思うのであれば復帰を提案するだけで済む話です。
  • 時代区分の話:下にある通りアンダルスに置くという形もあるでしょうし、別に本記事でこれを説明しても形としてまとめることはできるとも思います。そもそも現時点が完成形であるわけでもないはずなのに「日本の学者による時代区分に言及していない」というクレームは正直意味不明です。当然ながら各個人が参照する出典は完全に同一にはなりませんし、確認し終わった内容から加筆していくのは批判されるようなものではないはずです。また、現況が仮にねをなふみそねさんの加筆において完成形であったとしても、別人が「日本の学者による時代区分が必要である」と考えるならば、それは日本の学者による時代区分に言及せよという批判を行うのではなく、このように言及した方が良い、という提案をするか、あるいは自ら加筆を行うべきものです。
  • 全体として:日本語で確立していない概念の記事が、独自の用語で既に立項されており、それを改善しようというのが現状議論されていることだと思っています。これ自体そもそも「一般的な記事」とは異なりますし、きちんとした記事にすることはかなり難易度が高い話のはずです。どのような体裁にするのが最善かは現状誰にもわからず、とりあえず改善を試みて、内容について吟味して、思ったよりも良い形でないとなれば改めて内容を精査し必要なら記事間の分担を変える、という感じで進んで行けばよいはずです(多分その方が楽しいです)。故にそれなりに事前の提案を経て行われている編集に下記のようなクレームは記事の発展を遅らせるだけであると考えます。
  • また、「アミール領のプロパーの情報を除去して~」以下の文言は実際にそんなことが提案されているわけでもない状況で、邪推としか言いようがありません。前回の書き込みでも書きましたが、元記事の6,000バイト程度の、しかも大部分無出典の記事の内容を残存させることに拘泥する必要はないと思います。必要そうであればあとから再度加筆すれば良いでしょう。これは記事の体裁の特異性についても同じで、随時調整すれば良いと思います。--TEN会話2019年6月26日 (水) 17:40 (UTC)[返信]
  • 利用者:ねをなふみそねさんへ。朝出かける前だったのでザックリとしたコメントしかできませんでしたので、少し具体的に指摘しておきます。アミール領に関するプロパーの情報が削ぎ落されてしまった結果、現時点で書かれている内容のほとんどは、アンダルスの時代区分にすぎません。しかも『イスラーム百科事典』の「アル・アンダルス」の項目での時代区分の解説が中心になってしまっています。「日本の学界では云々」という点を気にしているわりには、日本の学者による時代区分には言及されていません。例えば、花田宇秋は、花田宇秋「アンダルス」『世界大百科事典 2』で、1. 711年から750年、2. 756年から1031年、3. 群小王朝 (Muluk al-Tawaif) 1031年から91年、4. ベルベル人王朝時代 ムラービト朝、ムワッヒド朝 宗教的排外主義、5. ナスル朝 の5期に、佐藤健太郎はこの記事でも出典として挙げられている作品で、1. アンダルスの成立、2. 初期の後ウマイヤ朝、3. 最盛期の後ウマイヤ朝、4. ターイファの時代、5. マグリブ王朝のアンダルス支配、6. ナスル朝とアンダルスの終焉の6期に大別しています。いずれにしても、これら時代区分が記載されるのが適切な場所はアンダルスです。読者の立場から見ると、「看板に偽りあり」としか言いようがありません。アミール領のプロパーの情報を除去しておいて、しばらくしてから、「統合しましょう」とか「削除しましょう」とか言いだす利用者を昔みたことがありますが、そうならないことを祈ります。--Takabeg会話2019年6月26日 (水) 13:45 (UTC)[返信]
  • ずいぶんお怒りのようですので、とりあえず、元の記載を復帰することにします。記載の復帰や削除はいつでも誰でもできるにもかかわらず、それをしない、というのはどういう選択肢なのか、何か意図がおありだと思いますが、よくわかりませんので、ご説明ください。他の改名提案や私のトークページでもいろいろと含みのあることをお書きですし、私がまったく加筆等に関わっていない記事のトークページにおいても私を ping で呼び出したりしておられるので、一度第三者を交えて話し合ったほうがよいと考えています。場所を準備しますので、少々お待ちください。--ねをなふみそね会話2019年6月28日 (金) 09:27 (UTC)[返信]
別に怒ったわけではありません。「驚いた」というところでしょうか。まずは、Wikipedia:スタイルマニュアルあたりを読んでいただけませんでしょうか?それからWikipedia:独自研究をしないあたりも。最低限、基本ルールに従ってください。よろしくお願いします。--Takabeg会話2019年7月23日 (火) 13:56 (UTC)[返信]

暫定記事名[編集]

Takabegさんによって暫定記事名Templateが張られましたが、現状の記事名は議論を経て設定されたものであり暫定のものではないと考えます。Template貼り付けはどのような意図のものなのでしょうか。特に新しい記事名や記事の在り方の提案がされているわけでもなく不可解であると思います。Takabegさんは本記事についてどういう記事名と構成を考えておられるのでしょうか。--TEN会話2019年7月23日 (火) 13:37 (UTC)[返信]

特別:差分/73270154の要約欄に「改名提案も継続します」とありますので、暫定記事名ということで問題ないと思います。記事名に関しては「絶対にこれだ」というものはありませんが、独自研究がウィキペディア日本語版発信でネット空間に増殖してしまうのはいけないと思っています。既存の文献から選択するべきです。構成については、いろいろ考えてみてはいますが、アンダルスを親記事としてある程度充実させ、より詳しい情報はCategory:アンダルスの王朝Category:タイファへ。アッバード朝アフタス朝ズィーリー朝 (スペイン)といった記事は統合でもいいのかもしれません。--Takabeg会話2019年7月23日 (火) 13:56 (UTC)[返信]
  • 返信 返信ありがとうございます。ですが、この記事についてTakabegさんが何を考えているのか、またこれまでの議論をどう考えているのかよくわからず、Templateの扱いにも同意しがたいものがあります。
  • 改名提案と暫定記事名:まず改名提案を継続というのはTakabegさんのクレームの結果行われた編集ですが、改名提案がされていることと記事名が暫定であることはイコールではないはずです。改名提案Templateは元々付与されており、改名提案を経て設定された記事名が突然暫定扱いされるのはおかしいです。
  • 本記事について:「後ウマイヤ朝アミール領」という記事名は少なくとも「Emirate:首長国」にまつわる問題は明確に解決しています。間違いのない最善では無論ないでしょうが、提案時の当初趣旨を満たしており、実際に改名提案が行われて実施時まで明確な反対も対案もなく実施されたものです(議論参加者が存在せずに決まったものでもありません)。それを実行後になって「クレーム」「暫定template」といったもので編集を制止したり議論を蒸し返すのはおかしいと思います。その段になって問題を感じるのであれば、より適切な名称を提案し改めて改名提案をTakabegさんから出していただきたいです。5月から始まった議論で具体的や調査や提案もなされ、なおかつ前回の書き込みからほぼ一か月経過してなお「いろいろと考えている」という状態で、記事のあり方について具体像もなく、延々と記事名の議論を継続するのは建設的ではありません。
  • 独自研究:前にも書いた通り、The Emirate of Córdobaの日本語記事を置くこと自体が非常に独自要素が強く、そこに明確な出典を持って概念を説明する日本語の記事名を割り当てるのは不可能であると思います。各出典に多数存在する一貫性のない名称から特定のものを選択して「出典付き」とするのと、とりあえず日本語においてThe Emirate of Cordobaに一般論として大体合致するであろう記事名を設定するのと、独自研究性にどの程度の差があるのでしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアルも、「文章のスタイルよりも、記事の内容の方が大事」と冒頭に書かれているものですし、またそれに沿うべきだという話であるなら「読んできて下さい」ではなく、「スタイルに沿って調整」というような編集なり提案なりを行えば良いだけのはずです。
クレーム以来発生していることは議論の進展でも記事の改善でもなく編集の停滞であり、それをさらに改名提案段階まで巻き戻すような記事名の暫定扱いには同意できないです。--TEN会話2019年7月23日 (火) 18:05 (UTC)[返信]

「名称」セクションの注釈化もしくは移動についての提案[編集]

史学史的に大変興味深いセクションですが、ウィキペディアの記事としては注釈に収めるべき内容ではないでしょうか。Encyclopedia of Islam の権威は無視し難いのは確かです。ただ、ここまで詳説すると(例えばスペインでの歴史記述における扱いなど)他にも取り上げないとバランスがよろしくない感じもします。

本文内に残すとしたら、記事の後方に配置した方が、読みやすくなると思います。--Adachika192会話2022年12月3日 (土) 20:06 (UTC)[返信]

国旗欄について提案[編集]

履歴を観察していると、「基礎情報」もしくは「Infobox」内の「先旗」「次旗」欄の差し替え/取り消しが何度も行なわれている様子です。はっきり申し上げて、この時代この地域には(前・次も含め)近代以降のような「国旗」というものは存在しません。場合によってはウィキメディア・コモンズで「この旗は…架空であるか、または提案中でまだ採択されていないもの」と注意書きのある画像が挿入されており、大変遺憾です。

これ以降、国旗の掲載は控えていただき、確信のある図像をお持ちの方がいらしたら、前以てこちらで議論していただきたいと、皆様にお願いいたします。--Adachika192会話2023年1月14日 (土) 17:32 (UTC)[返信]