ノート:帰化

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編集合戦について[編集]

今般巻き起こった編集合戦について、当方は一点を除いて、あまり差がないように思えるので、どちらも支持も否定もしません。一点だけ、わたあめひみつ氏を支持できない部分がありますので、申し上げます。

日本史歴史用語としては、過去に「帰化人」という呼称が使われた。しかし、「帰化人」には、日本中心的な意味合いを含むこと、全ての人が自らの意思で海を渡って日本に来たかどうかは不明確なこと、などから、現在では「渡来人」とするのが主流な学説となっている。

この最後の部分に「学説」の文言を挿入するのは誤りだと思います。

  1. 大陸・半島からの帰化(渡来)人が来ていた当時の社会で、彼らが自身を、あるいは他者が彼らの態様を指して「帰化」と呼んでいたのか「渡来」と呼んでいたのか・・・これについての論争は「学説」だと思う。
  2. しかし、この「当時どう呼んでいたか」という学説とは別に「現代の学会・学者が、現代の社会情勢・倫理観・国語常識等を考慮して当時の様態を帰化・渡来のどちらで表現するか」というのは「過去の事実に関する学説」でなくまさに「現代の慣行・慣例」に当たると思います。過去・帰化で現代・帰化、過去・帰化で現代・渡来、過去・渡来で現代・帰化、過去・渡来で現代・渡来、と4種類の可能性があり、要するに、過去の呼称事実と現代の呼称慣行は別個に規定され得るからです。

上に引用した現状の記事部分は、ちょっと言葉足らずな感じを受けます。次のように過去と現代を明確に分けるべきではないでしょうか。

  • 『現代では当時の呼称にかかわらず「渡来人」と呼ぶのが主流となっている』
  • 『現代の学会の主流な学説では「当時は帰化人でなく渡来人と表現していた」とされている』

のように、上記の1.(学説)と2.(慣行)の区別をきちんとしないと読み手に誤解を与えるおそれが大きいと考えます。現状の文章では、慣行について述べた感じが若干強い(つまり2.である)ように思われるので、現状の文章表現を変えないまま「学説」の文言を挿入すること(つまり1.の視点の加筆)には反対します。--無言雀師 2007年1月29日 (月) 09:05 (UTC)[返信]

歴史用語は、その多くが後付け(当時としては、同時代では、そのような用語用例は存在しない)であることが多いものです。利用者:無言雀師さんが指摘する問題は、動植物の和名学名、慣用的な病名と正式な病名との違い、などでも存在するでしょう。学説というものは、その事象の定義だけではなく、用語やその用例をも含むように思うのですが、いかがでしょうか。まずは、取り急ぎ記します。--わたあめひみつ 2007年1月30日 (火) 03:41 (UTC)[返信]
当方が指摘させていただいた部分については、わたあめひみつ氏にもご理解が得られたようで、この点は感謝申し上げます。別の例でたとえます。当時、徳川光圀公が(正式な場面でなく)一般に「中納言」と「黄門」のどちらで呼ばれていたか、これについての主張・論争はまさに過去の事実に関する「学説」ですが、現代の月曜夜8時のテレビドラマでその名乗りの台詞を初期の部のように「畏れ多くも前(さき)の中納言」とするか現在のように「畏れ多くも前の副将軍」とするか、これはもう「慣行・慣習・慣例」であって「学説」ではない、と考えます。現代の学会で現代の学者が光圀公をどう呼んでいるか(あるいはどちらが学会総会で採択されたか)、についても当然後者(慣行等)のほうに属すると思われ、この現代に生きる者の態度・対応を「学説に含む」というのは日本語の通念として少し無理があるように思います。--無言雀師 2007年1月30日 (火) 07:18 (UTC)[返信]
もう少し細かく。もし、「当時も帰化でなく渡来と言い習わしていたからそのまま現代でも渡来とすべきだ」という主張のように過去の状況と現代の対応を直接リンクさせるのであれば、わたあめひみつ氏の言われるように現代の対応の部分も「学説」に含める、という考え方はありだと思います。しかし、この「帰化」と「渡来」の言換え問題については、当時どう呼んでいたか、でなく「現代の言語感覚では帰化は好ましくないので渡来に言い換える」ような姿勢が感じられ、つまりは現代に生きる者が現代の事情で勝手に言い換えることを争っているようにも思えるのです。現代感覚のみを優先した論争である以上、それを含めて学説だ、とするのは少し拡大解釈すぎると考えます。--無言雀師 2007年1月30日 (火) 07:31 (UTC)[返信]

独自の発表はよしましょう。わたあめひみつ氏を支持できません。Poor man 2007年1月30日 (火) 04:51 (UTC)[返信]

学説提示が必要とのコメントがあったので提示。
  • 田中史生『倭国と渡来人 交錯する「内」と「外」』(吉川弘文館、2005)
  • 上田正昭ほか「座談会 歴史のなかの「在日」 (特集 歴史のなかの「在日」--「在日」の意味を東アジアの過去・現在・未来のなかで考える。)」 (『環』11 、2002 )
まともな歴史学者なら用語の選択には慎重です。『旧唐書』を「くとうじょ」と呼ぶのは単なる慣行だけど、「支那」と呼ぶか「中国」と呼ぶかにはそれなりの考えが背景にあります。上記の研究を読む限り、後者ですよ。--218.221.146.189 2007年1月31日 (水) 07:22 (UTC)[返信]
学者個人のウェブサイトでなら「それなりの考えが背景にあります」ということで統一的に「渡来」なり「帰化」の一方だけを用いた記述でもいいですけど、百科事典では「当時どう呼んでいたか」という事実部分と「現代の用語としてどれを使うか」という慣行部分は別にして記述していただかないと、適切じゃないと思います。「当時どう呼んでいたか」を論じるについては、現代の学者個人の主義主張・思想など申し訳ないが「糞喰らえ」です。そんな個人的思想を過去の事実認定に持ち込んでいただきたくない。その両者をはっきり分けてください、と申し上げているのです。--無言雀師 2007年1月31日 (水) 14:00 (UTC)[返信]
どうも認識にずれがあるようですが、「過去に「帰化人」という呼称が使われた」という箇所における「過去」とは渡来人が渡ってきた時代を指すのではなく、長くとも高々数十年前の学会や一般社会での呼び方を指して言っているのですよ。近年研究が進んで、帰化人というのは、渡来人のなかの一部だという認識が広まってきたのです。上記はそれについて触れた学説です。ですので全く問題ありません。むしろそういう学術研究を「個人的思想を過去の事実認定に持ち込んでいただきたくない」と言う場合こそ、失礼ながら検証不可能な考えを挿入させているとしか思えません。否定されるのであれば、それにポイントを絞った学術的な対抗言説を提示していただかないと、検証可能性を満たしているとは言えません。--218.221.146.189 2007年1月31日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
確かにズレがあるようです。(1)「当時、帰化なり渡来なりを使っていたのか他の用語を使っていたのかについての史実」、(2)「ここ数十年前の帰化人多用という事実」、(3)「最近の渡来人主流という事実」の区別をはっりとさせ、読み手に誤解を与えないようにすることが肝要です。「日本史の歴史用語としては」という冒頭の断り書きがあるから「当然後世における用語の扱いを示している。渡来全盛当時の用語の状況は元々含まない」としても、そこに続けて何の修飾・限定もなしにただ「過去に」という漠然とした相対的文言を用いている現状では、結局(1)も含んで解釈してしまう人が出るおそれがあると思います。当方は個人的にはなんとなく「渡来」でなく「帰化」を使うべきじゃないかと思っていますが、しかしそんな「なんとなく」を理由に百科事典の編集をすべきでないし、学会の趨勢にいたずらに抗うつもりもない。そこで当方は当該部分の編集は控え、ここノートで「(1)を混同させないでくれ」とお願いしているのです。(2)や(3)の状況・主張に異論がないことは、このノートの一番最初の発言の最初の行で表明しました。(1)について明確にする、あるいはそれができなくとも(1)は(2)・(3)とは明確に分ける、それだけをお願いしております。「否定されるのであれば」・・・ですから(2)と(3)を否定してはおりません。--無言雀師 2007年1月31日 (水) 15:07 (UTC)[返信]
歴史的な背景は「帰化」という用語については必要だが、歴史上で帰化人と呼ばれていたかどうかや、現在渡来人かどうか、などは歴史項目でやればよいとおもう。関連項目に「帰化人」もしくは「渡来人」のリンクを張るだけでよく(あるいは、帰化人も参照のこと みたいでもよい)、この記事は現在生きている「帰化」という用語と法律、手続き等に特化して問題ないと思う。--221.191.22.252 2008年2月5日 (火) 03:03 (UTC)[返信]

最近の編集合戦について[編集]

帰化という語について[編集]

  1. 『報道では「国籍取得」と表現することが多い』という文言と
  2. 『日常社会においては単に「帰化」という言葉が使われる。』の文言をどうするか?

とりあえずどちらも正しいが、検証は出来ないように思います。両方削除か両方併記のどちらかでいかがですか?

  • 両方併記に賛成です。日常会話で表現する場合「帰化」が一般的なので、{報道では「国籍取得」と表現することが多いが、日常社会においては単に「帰化」という言葉が使われる。}がすっきりしていて良いと思います。Youin 2007年2月3日 (土) 08:33 (UTC)[返信]

関連項目[編集]

  1. 在日朝鮮人の言語状況
  2. 在日朝鮮語
  3. 市民権
  4. アメリカ合衆国名誉市民どうするか
(理解を助けるために内部リンク追記--マチーン 2007年2月10日 (土) 12:50 (UTC)[返信]

イマイチ全て関連が薄いような気がしますが、載せたい人は関連についてノートで述べてもらうということでいかがですか?

  • 私の意見)とりあえず関連がありそうなのは3.ぐらいだと思いますが・・・まあ、載せたい人はコメントいただいて皆が納得したら載せればいいと思います。--218.227.228.102 2007年2月2日 (金) 16:46 (UTC)[返信]
  • 3.「市民権」については、永住するにあたっての他の選択肢、でもあります。4.「アメリカ合衆国名誉市民」については、記事本文中の「大帰化」に類似の概念です。この2つは、記述するのが適切です。--わたあめひみつ 2007年2月6日 (火) 08:48 (UTC)[返信]

日本政府を暴力で破壊について[編集]

  1. クーデター
  2. 革命

両方同じような内容ですし、編集合戦にするほどのことですか?いっそリンク貼るのやめませんか?

クーデター革命、共に項目になってますが、意味するところは若干違うようですね。--121.1.162.38 2007年2月4日 (日) 05:14 (UTC)219.105.4.117が下から移動しました。--219.105.4.117 2007年2月4日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
確かに革命で政権が代わったら革命当事者は帰化する必要はなさそうですね。--219.105.4.117 2007年2月4日 (日) 13:24 (UTC)[返信]

こんなとこでしょうか--218.227.228.102 2007年2月2日 (金) 16:31 (UTC)[返信]

とりあえず、現在は両論削除しています。両者とも結論がでるまで本文に反映するのはやめてください。もし強行するなら荒らしと看做させて頂きます。--218.227.228.102 2007年2月2日 (金) 16:34 (UTC)[返信]

編集合戦を止めるためにノートに書き出しましたが、残念ながら結局保護されてしまいました。ただ解除に向けて合意は必要ですので上記項目の議論は続けましょう。--218.227.228.102 2007年2月2日 (金) 17:23 (UTC)[返信]

帰化の費用[編集]

外国人参政権の問題で、よく、参政権がほしければ帰化すれば?との意見が出ますが、帰化の費用が高く・手間がかかるため帰化出来ないとの声も聞きます。帰化にかかる費用について、どなたか詳しい人に追記してもらいたいのですが。 --Mathryo 2007年3月25日 (金) 11:50 (UTC)[返信]

費用というより、手続き自体の手間隙が結構かかるのではないでしょうか。高見山大五郎年寄株を購入するために、奥方の苗字である「渡辺大五郎」に帰化したのは有名な話ですが、それでもかなり手数を要したと当時、報じられていたのを覚えています。角界と異なり、特に日本国籍でないと困るという理由の薄い、日本で活躍する外国人タレントが帰化を検討しているなどといった話は聞きません。Starbacks 2007年4月14日 (土) 14:54 (UTC)[返信]

保護解除依頼について[編集]

この記事の主な保護理由は、当時既に荒らしとされていたPeace系と、その後荒らし化したわたあめひみつ系(Wikipediasherpaも同じ)との編集合戦によるものです。別記事などを参照すると、Peace系によるわたあめひみつ系への攻撃的行為が特徴で、今後わたあめひみつ系の登場が無ければ、編集合戦は起き難いと考えれます。それらの事から、保護解除依頼を提出して良いかのご意見を募集します、よろしくお願いします。なおご意見無き場合は、一週間後に保護解除依頼を提出します。--KJ達磨 2007年4月29日 (日) 19:18 (UTC)[返信]

意見も出ず、わたあめひみつ系の活動も確認出来ません。再び、解除依頼を提出します。--KJ達磨 2007年6月30日 (土) 23:41 (UTC)[返信]

帰化の概念について[編集]

帰化の概念について編集記述しました。すでに編集合戦は遠い過去の話のようですが、私見では、合戦のわりに記述が進展・深化しているようには見えませんでした。

特に、「帰化人」は「差別的」だから「渡来人」を使用すべきとはたしかに一般に聞かれることではありますが、「帰化」の意味について1980年の時点で議論を展開した平野論文(引用したものと同じ内容のものです)を読むと、むしろ、逆で、「帰化」に、たとえば「捕虜」のような意味はない、という議論です。ですから、「帰化人」が「差別的」というのは、単に、これらの学術的な議論が普及される過程で、誤解されまたは歪曲した結果のように思われる。たしかに私も「帰化人」は差別的なニュアンスがあるとは、「聞いた」ことはありますが、「それゆえ、渡来人という言い方が好ましい」ことをを厳密に検討した論文またはその問題を記した信頼性の高い論考を知りません。もしご存じの方がいれば、出典を明示お願いします。その際、できれば頁数の表記も、後日の確認のため、あらかじめお願いします。

もし明確な出典ない場合は、これは記述に値しない、その意味で、ある時期に流布した政治イデオロギー的な判断にすぎない。つまりその意味で「言葉狩り」とはいえるかと思います。--西方 2010年2月13日 (土) 17:15 (UTC)[返信]

すみません、前掲平野本の解説にありましたので、出典を明記しました。--西方 2010年2月13日 (土) 17:47 (UTC)[返信]

代表的文献があるなら出典として挙げておいてもいいでしょうが、詳細は渡来人でやるべきです。渡来人のノートで議論して記事を並立させるべきだという合意が出来ればそうすればいいでしょう。johncapistrano 2010年2月14日 (日) 10:03 (UTC)[返信]

わたしはそうは思いません。「帰化」という語は意味が若干異なるとはいえ、古来より使用されている語ですし、その意味の歴史は生きたものです。「帰化人」と「渡来人」については、それぞれの項目で記述されればよいのです。私は本項目「帰化」にも、概念の意味内容をより正確を期するためにも、古代における用法、つまり「歴史的な用法」は必須だと思います(古代のみならず中世近世を通じても記述はあった方が良いと思いますが)。

これがたとえばまったく新しい語、たとえば「インターネット」であれば、古代にそのような語がないのだから、記述される必要もないでしょう。しかし、その場合でも、語源などを記述することだってありでしょう。

歴史的な由来を持った語であれば、その語の歴史は記述されてしかるべきであって、それが「記述されるべきではない」と判断することこそ、成立しないと思います。

また、「渡来人」項目でのノートで合意をとれという要求は意味不明です。本項目における記述が問題となっているのだから、本項目ノートで合意をとればよいのではないのでしょうか。

またjohncapistranoさんは「詳細」を本項目に記載すべきではないという旨の発言をなさいますが、「より詳細な記載・記述は不要」と判断される根拠または判断基準は何ですか?私には、それはあなたの主観的な基準にすぎないのではないか、と思います。

現在の記述内容にしても、煩瑣であるとか、詳細にすぎる内容とはおもわれません。彼に「現代における用法」のみ記述されるのがよいとお考えであれば、日本史における「帰化人・渡来人」の論争に関する記述それ自体、本項目には不要、とならないでしょうか?しかし、日本史におけるそうした議論も、現代における政策・政治的社会的問題を背景としたものですし、双方は密接に関連したものです。

むろん、繰り返しになりますが「渡来人」「帰化人」の項目にも同内容の記述はあってしかるべきものだと思います。--西方 2010年3月5日 (金) 13:21 (UTC)[返信]

重複項目を立てない、議論の場を指定するというのはマナーレベルの問題だと思います。johncapistrano 2010年3月5日 (金) 14:26 (UTC)[返信]


重複については了解します。「渡来人」に記載したので、本項目の記述はある程度縮減されることには同意します。

しかし、「議論の場の指定はマナーレベルの問題」とおっしゃる点については、内容に関する議論に応じようともせず、また発言の理由と動機について尋ねられても答えようとせず、つまり説明責任を果たそうとせずに、「上から目線」で「マナー」をおしつけるあなたの言い方こそ、私にはひとを軽視した態度に思えます。--西方 2010年3月7日 (日) 12:03 (UTC)[返信]

世界的観点[編集]

この記事は、日本または東アジアとしての漢字語の「帰化」の記事にしたいのか、地域に限定せず世界的観点で外国籍人の当該国での「国籍取得」や「現地化」を描きたいのか、はっきりさせたほうが良いと思います。世界的観点であれば、帰化という言葉ではない可能性もあります。-210.139.234.170 2011年1月9日 (日) 21:52 (UTC)[返信]


国籍に国籍取得についての節がございますので、そちらへのリンクで済むかと思われます。「帰化」は東アジア、すくなくとも漢字文化圏以外ではおそらく存在しませんし、したがって、世界的観点に抵触しておりません。--西方 2011年6月23日 (木) 18:20 (UTC)[返信]

記事のレベルについて[編集]

また編集合戦の際に、「細かい議論は日本史学の項目でやればよろし」みたいな意味の発言がありましたが、私は、このような高度に政治的な話題を含む項目については、できるだけ厳密に、出典を相互に出しつつ、共同的に編集していくしかないと思います。日本国の「国号」節や日本国憲法の成立史の節などと同様、厳密な記述が求められると思われます。--西方 2010年2月13日 (土) 17:19 (UTC)[返信]

帰化に関してならここでやればいいですが、帰化人と渡来人については渡来人でやるべきでしょう。渡航・滞在と居住/永住と国籍取得は違うし、王化を受ける意味での帰化とも意味内容が違うので区別して論じるべきです。政治的と言うよりか(議論の政治利用もあるようですが)は信頼できる情報源と中立的な観点の問題でしょう。johncapistrano 2010年2月14日 (日) 10:03 (UTC)[返信]

重複になりますが、「古代における用法」はあくまで「帰化」の概念・意味に関するものです。もっとも、記述の順序を変えるとか、脚注による階層化などの編集であれば、問題はありませんが。--西方 2010年3月5日 (金) 13:24 (UTC)[返信]

「帰化人」の項目がないようですね。曖昧さ回避のページとしてのみ現在あります。しかし、「曖昧さ回避のページ」といいながら、リンク先の項目がそれぞれ記載されていないという根本的な欠陥がありますね。--西方 2010年3月5日 (金) 13:34 (UTC)[返信]