ノート:小川とわ

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出典について[編集]

本記事は初版の時点で、記事冒頭に「トンボ鉛筆の会長を務めた」と書かれています。しかし、小川とわ氏が会長を務めていた1957年から1964年までの間、まだ「株式会社トンボ鉛筆」は存在しません。とわ氏が死去したのは1964年5月であるのに対して、「株式会社トンボ鉛筆製作所」が「株式会社トンボ鉛筆」となるのはとわ氏死去後の1964年6月のことであり、「トンボ鉛筆の会長」との記述は明らかに不正確であるため修正しました。初版執筆者(miya氏)が出典などをきちんと確認しておれば、このような初歩的な誤りは回避できたでしょう。とはいえ、なんらかの意図がある可能性は否定できないので、記事冒頭の定義文は「株式会社トンボ鉛筆製作所会長(第2代)などを歴任した」と正確な記載とし、元の記述は「概要」セクションに残させていただきました。

また、「生涯」セクションにいたっては、前半部は文章が長々と書かれていますが出典ゼロです。後半部は出典提示されていますが、前半部はこれほど長々と文章書いておきながら全く出典ないというのは明らかにおかしいと思います。初版執筆者(miya氏)がすべて無出典の状態でなにも参考にせずこんなに長々と文章書けるとは到底思えませんし、そのような状態で書いた文章は信用されないでしょう。それとも、本当は何かを参考にしたものの、出典を敢えて明かしていないということでしょうか。後半部は出典提示されていることから見て、執筆者が出典の提示方法や必要性を知らなかったとは考えにくく、なんらかの意図があるものと思います。--126.213.110.188 2020年9月26日 (土) 13:31 (UTC)[返信]

126.213.110.188さん、ご指摘ありがとうございます。
  • 「生涯」の第一段落は主として『蜻蛉日記(せいれいにっき)』が出典です。抜けていたのは私のミスです。あとでつけておきます。
  • "「株式会社トンボ鉛筆製作所」が「株式会社トンボ鉛筆」となるのはとわ氏死去後の1964年6月のことであり" ・・・ご修正ありがとうございます。社名変更の記載を見落としていました。
  • ただ、「歴任」というには、会長の前にどんなポストを「歴任」していたのか確認できていないので、現時点では「務めた」のほうが良いのではないかと思います。
  • 特別:差分/79709300でつけてくださった「Succession box」なのですが、「廃止」というのはどちらの出典でしょうか?--miya会話2020年9月26日 (土) 14:46 (UTC)[返信]
初版執筆者(miya氏)よりコメントを戴きました。ありがとうございます。しかし不可解な点が解決されていません。「『蜻蛉日記(せいれいにっき)』が出典です。抜けていたのは私のミスです。あとでつけておきます」とおっしゃってから既に24時間以上が経過していますが、出典を提示するのはいつごろになりそうでしょうか。まあたしかに2020年9月26日 (土) 15:12にrefタグが追記されましたが、この出典と称する書籍についてページ番号を一切明かしていませんよね。たとえば当該版の記事本文内に「1895年(明治28年)10月10日、東京芝に生まれる」との記述がありますが、この一文を記載するために書籍一冊まるまる全体を出典としているのですか。そんなわけありませんよね。実際にはその書籍内の特定のページのはずですよね。本当にその書籍を参考にしたならページ番号も挙げられるはずですが、なぜ記載しないのでしょうか。そのようなことをされると、ただ単にネットで検索してヒットした書名を、読んでもいないのに出典と偽って提示しただけなのではないかと疑わしく思えてしまいます。一方で、後半部はページ番号含めてきちんと出典提示されていることから見て執筆者が出典の提示方法や必要性を知らなかったとは考えにくく、なんらかの意図があるのではと疑問に感じるのは仕方がないと思います。もちろん、初版執筆者(miya氏)にそんなつもりはないのだろうとは思います、が、不可解に感じる読者の方もいらっしゃると思いますので、そのような疑念を払しょくする意味も含め、きちんとページ番号も出典として提示するべきかと存じます。--126.213.57.123 2020年9月28日 (月) 08:33 (UTC)[返信]
『蜻蛉日記』はデジタル化されたもの(NDLJP:2503676)を図書館で閲覧しながらその段落を執筆したもので、時間内に読み切ろうと急いでいたため、ページ数を控えていませんでした。ページ数は次に図書館に行ったときに確認しますのでそれまでご容赦ください。--miya会話2020年9月28日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
なるほど、状況はわかりました。急いでいたので出典について詳細な記録をしていなかったので、そのまま記事を立ち上げてしまったということですね。しかし、初版執筆者(miya氏)は「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:独自研究は載せない」あるいは「Wikipedia:出典を明記する」といったページがあるのはご存じでしょうか? これらはウィキペディアにおける大切なきまりごとです。出典が提示されていなければ、執筆者個人の独自研究の疑いを拭い去ることはできませんし、他者が検証することすらできません。また、なぜ特筆性を有するのかも判断できないでしょう。まして、この記事の場合、「生涯」セクションにいたっては前半部に文章が長々と書かれていましたが出典ゼロだったのですよ? 「急いでいたから、出典を明記せずに記事を立ち上げる」のではなく「急いでいたから、別の機会にあらためて出典きちんと確認し明記したうえで記事を立ち上げる」のが筋だと思いますが、なぜそのようにしなかったのか、理由をお聞かせ願えますか? miya氏に限っては「忙しいときは出典を明記しなくても許される」という特権でも有しているのでしょうか。そんなわけはありませんよね。少なくとも当記事については、慌てて早急に記事を作成しなくてはならない必然性は皆無でしょうし、順序としては出典を明記できる状態にしたうえで記事を作成するのが筋だと思いますが、いかがお考えでしょうか。ウィキペディアにおける大切なきまりごとに関することでもありますし、はっきりとご回答願います。--126.188.37.26 2020年9月30日 (水) 03:34 (UTC)[返信]
編集者個人へのご意見は記事のノートではなく会話ページにお願いします。--miya会話2020年9月30日 (水) 06:31 (UTC)[返信]
記事のノートではなく会話ページにお願いします」とのことですが、初版執筆者(miya氏)と同様に本記事にて方針やガイドラインに反する行為に及ぶ方が出ないとも限りませんので、ノートでご質問させていただきました。他の方に対する注意喚起にもなろうと考えています。また、初版執筆者(miya氏)から「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」とのお言葉がありましたが、具体的に何月何日頃に提示可能となる予定でしょうか。既に本記事の初版が投稿されてから一週間近くが経過しております。その間、出典がきちんと提示されない状態が継続しており、方針やガイドラインに反する状態が続いてしまっていることになります。他の方が出典等を保管してくださるかもしれませんが、少なくとも初版執筆者(miya氏)が初版投稿時の出典を明示するのは当然の話だと思います。方針やガイドラインを無視していたという前歴が消えることはありませんが、少なくとも反省し改善しようとしているという姿勢を示すことにはなると思います。「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」とのことですが、せめて目途感だけでもお伝えいただければと思います。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 11:56 (UTC)[返信]
念のため、 初版執筆者(miya氏)の会話ページに「具体的に何月何日頃に提示可能となる予定でしょうか。せめて目途感だけでも「ノート:小川とわ」にてお答えいただければ幸いです」「具体的にいつ提示可能となる予定なのか、せめて目途感だけでもお答えいただくことはできないのでしょうか」とメッセージを投稿しておきました。--126.146.235.92 2020年10月3日 (土) 08:40 (UTC)[返信]
2020年10月3日 (土) 14:14に、初版執筆者(miya氏)から「ページ数は2020-09-29T09:02に特別:差分/79752058で書きました」とのコメントがあり、非常に困惑しています。
この記事の初版には出典未提示の箇所が多数あり、特に「生涯」セクションにいたっては前半部に長々と文章が書かれていますが出典ゼロという惨状でした。その点を指摘されると、2020年9月26日 (土) 14:46に初版執筆者(miya氏)は「私のミスです。あとでつけておきます」と釈明しました。しかし、初版執筆者(miya氏)が2020年9月26日 (土) 15:12に提示した出典はあまりにも漠然としており、たとえば「1895年(明治28年)10月10日、東京芝に生まれる。」と記述された一文に対して書籍まるまる一冊全体を出典として提示するなど、極めていい加減なものでした。この程度の一文であれば書籍内の特定のページのみを出典としているはずであり、本当にその書籍を参考にしたならページ番号も挙げられるはずですが、一切明かそうとしません。一方で、後半部はページ番号含めきちんと出典提示されており、初版執筆者(miya氏)が出典の提示方法や必要性を知らなかったとは考えにくい。これではネット検索してヒットした書籍を、未読にもかかわらず出典と偽って提示しただけでは疑われても仕方ないと指摘されたところ、こんどは2020年9月28日 (月) 14:07になって初版執筆者(miya氏)から「急いでいたため、ページ数を控えていませんでした」と事情について説明があり「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」と釈明がありました。
このような経緯があったうえで、2020年10月3日 (土) 14:14に初版執筆者(miya氏)は「ページ数は2020-09-29T09:02に特別:差分/79752058で書きました」と強弁しているのですが、残念ながら前述の問題点は全く解決されていません。前述の「1895年(明治28年)10月10日、東京芝に生まれる。」という一文に対しては、なんとその書籍の27頁から36頁まで計10ページ分が出典として提示されています。27頁から36頁までというのは、書籍内の章「残された若夫婦」まるまる一つ分に該当しており、どうやらこの一文に対し章まるまる一つ分を出典として提示しているようです。この程度の一文であれば書籍内の特定のページのみを出典としているはずであり、本当にその書籍を参考にしたなら具体的にページ番号を挙げられるはずですが、一切明かそうとせず「残された若夫婦」まるごと全体が出典だと強弁しているのです。初版執筆者(miya氏)は「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」と約束したはずですね? なぜいつまでたっても具体的なページ番号を出典として挙げられないのでしょうか。
ちなみに、この書籍の本文はネット非公開ですが章のタイトルと章ごとのページ数だけは国立国会図書館のサイトに掲載されており[1]、初版執筆者(miya氏)もこのサイトの存在を知っています。これではネット検索してヒットしたこのサイトから章ごとのページ数を丸写しし、未読にもかかわらず出典と偽って提示しただけではと疑われても仕方ないと思います。本当に図書館に行って確認したのですか? 到底そうは思えませんが、きちんと明確にご回答いただきたいと思います。むろん、初版執筆者(miya氏)に悪意はないとは思うのですが、「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」と宣言しておいてこの始末では、他の利用者を騙していたのではと邪推する人が出てきても仕方ないと思います。--126.183.224.219 2020年10月8日 (木) 09:16 (UTC)[返信]
社名変更の記載を見落としていました」とのこと、状況について承知いたしました。意図的にではなく、うっかりミスということですね。また、「「歴任」というには、会長の前にどんなポストを「歴任」していたのか確認できていない」とのことですが、初版執筆者(miya氏)が出典として提示している資料内に、会長就任する前のとわ氏が社内でどのような役割を果たしていたかについて記述されている箇所があるのですが……。--126.213.57.123 2020年9月28日 (月) 08:33 (UTC)[返信]
直前は「常務」という記載があったものの、それがいつからか、その前はどうだったのか、は無かったと記憶しています。「歴任」とするには少なくとも3つくらいはポストが提示できないと日本語として座りが悪くないですか?--miya会話2020年9月28日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
なるほどつまり、会長の前に常務というポストに就いていたことは知っていた、ということですね。にもかかわらず「会長の前にどんなポストを「歴任」していたのか確認できていない」などと発言していたというわけですか……。しかも、常務以外にも、具体的に社内でどんな役割を果たしていたか記述されている箇所もありましたよね。お読みになっていなかったということでしょうか。--126.188.37.26 2020年9月30日 (水) 03:34 (UTC)[返信]
「どんな役割」といえば「経営面」「帳場」「経理」「どんぶり勘定」という言葉があったとメモしていましたが、「役割」と「ポスト/役職」は同列にはできません。やっぱり「歴任」は変だと思います。--miya会話2020年9月30日 (水) 06:31 (UTC)[返信]
やっぱり「歴任」は変だと思います」とのことですが、常務と会長の2つを列挙したのでは不十分だということですか? 当初「少なくとも3つくらいはポストが提示できないと」とおっしゃっていましたが、つまり2個以下はアウト、3個以上ならセーフ、ということでしょうか。その閾値は単に初版執筆者(miya氏)の個人的な感覚ではないでしょうか。2個列挙しただけでも「歴任」と表記してもかまわないと思いますよ。ただ、本当は会長の前に常務というポストに就いていたことを知っていたにもかかわらず、「会長の前にどんなポストを「歴任」していたのか確認できていない」と当初主張していたのもいただけません。どういうつもりでしょうか。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 11:56 (UTC)[返信]
「廃止」というのはどちらの出典でしょうか?」とのことですが、「株式会社トンボ鉛筆製作所の会長」に就いたのはとわ氏が最後です。次の坂本喜代志氏が会長に就任した1976年は既に「株式会社トンボ鉛筆」となっています。むろん同じ会社じゃアないかィナという指摘もあろうかと思いますが、坂本氏が会長となった時点で既に「株式会社トンボ鉛筆」に移行してから10年以上が経過しております。坂本氏が会長在任中に「トンボ鉛筆製作所会長」と呼ばれたことは一度もないはずです。他方、前の会長であるとわ氏は「株式会社トンボ鉛筆」に移行する前に既に亡くなっています。したがって、とわ氏が「トンボ鉛筆会長」と正式に呼ばれたことは(俗に略して呼ばれたことはあったかもしれませんが)一度もなかったはずです。「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」というポストはもはや存在しませんゆえに廃止と書きました。--126.213.57.123 2020年9月28日 (月) 08:33 (UTC)[返信]
私はこの手の先代/次代テンプレートに詳しくないのですが、「株式会社トンボ鉛筆」と「株式会社トンボ鉛筆製作所」は会社としては同一のはずです。対等な合併による社名変更なるならわかりますが、社名のみの変更でも切り替わるのでしょうか?少なくとも、『トンボ鉛筆100年史』85ページでは区別せず3代目を坂本氏としています。--miya会話2020年9月28日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
なるほど法人としては同一なのだから、「株式会社トンボ鉛筆会長」と「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」は同一のものとみなすという主張ですか。しかし、ポストとしての名称は変わっているわけですから先代次代のテンプレでは分けた方がいいのではないですか。あるいは、「廃止」ではなく「トンボ鉛筆に移行」をかっこがきで書いてもいいかもしれませんが。ただ、「株式会社トンボ鉛筆会長」と「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」を跨いで在任した人は一人もいませんし、間が10年以上経過しているわけですしね。そもそもトンボ鉛筆では会長は必置ポストではありませんし……。それに、もし法人として同一なのでという点にこだわるのであれば、逆さ合併等で不適切な事例が生じますし、やはりポスト名称が同一かどうかで判断するのがやはりよいのではないでしょうか。三井住友銀行などが代表的ですが。(たとえば旧三井住友銀行は2003年に法人として消滅し、現在の三井住友銀行はかつての旧わかしお銀行となります。しかし、通例「三井住友銀行頭取」といったら、2003年以前は旧「三井住友銀行頭取」を指し2003年以後も現「三井住友銀行頭取」を指すと思います。法人として同一だからといって、「三井住友銀行頭取」といったときに2003年以前までを旧「わかしお銀行頭取」と通算して2003年以後から現「三井住友銀行頭取」を指すということはないでしょう。)--126.188.37.26 2020年9月30日 (水) 03:34 (UTC)[返信]
読者にわかりやすく書くのが重要なので、「廃止」ではなく「トンボ鉛筆に移行」ならそれでも良いと思います。◇わかしお銀行の「逆さ合併」例は特殊過ぎて本件の参考にならないと思いますが・・・。三井住友銀行頭取西川善文さんの項目を見てみたら、三井住友銀行頭取に「旧法人初代」「現法人初代」という表記がありました。臨機応変に書いてよさそうですね。◇なお、100年史は歴代会長に6人並べています。一方『蜻蛉日記』には「初めて会長制をしいて」「私が初代会長の席についた」という表現がありました(走り書きのメモなので表記は一部違っているかもしれませんが)。「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」では小川とわさんが「初代」で唯一だし、100年史的に(株式会社ぬきの)「トンボ鉛筆会長」的なポジションとしては小川作太郎さんが初代、坂本さんが3代となるでしょう。少なくとも「第2代」+「(廃止)」と書くと独自研究になってしまいそうです。空位と廃止はイコールではないですよね?100年史に倣って、「トンボ鉛筆会長」とし、先代に作太郎さんを置き、次代に「1976年から坂本喜代志」としませんか? --miya会話2020年9月30日 (水) 06:31 (UTC)[返信]
すみません、ちょっと待ってください。「「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」では小川とわさんが「初代」で唯一」とのことですが、少なくとも小川作太郎氏は株式会社トンボ鉛筆製作所が1939年に設立されたときに会長に就任していますので、「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」という名のポストに就いているのは小川とわ氏よりも先ですよ。したがって小川作太郎氏に「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」となった前歴があるのは明らかであり、「「株式会社トンボ鉛筆製作所会長」では小川とわさんが「初代」で唯一」とはならないでしょう。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
残念ながら初版執筆者(miya氏)は何を参考にして執筆したのか詳細を明かすつもりはないようですので、やむなく他の方々より出典に関する情報を広く募るべくテンプレートを付けました。--126.164.170.191 2020年9月28日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
お手数をおかけして申し訳ありません。--miya会話2020年9月28日 (月) 14:07 (UTC)[返信]
上記コメントにて「残念ながら初版執筆者(miya氏)は何を参考にして執筆したのか詳細を明かすつもりはないようです」と申し上げましたが、その後、初版執筆者(miya氏)より、急いでいたので出典について詳細な記録をしていなかったにもかかわらず、記事を立ち上げてしまったとの説明がありました。つまり、故意に「詳細を明かすつもりはない」のではなく、そもそも記録すらとっておらず詳細を明かすこと自体不可能ということでしたので、念のため書き添えておきます。少なくとも初版執筆者(miya氏)が悪意を持ってわざと出典を隠しているような悪質な状況ではなかったということがはっきりとわかりましたので、初版執筆者(miya氏)の名誉のためにもここに記しておきます。--126.188.37.26 2020年9月30日 (水) 03:34 (UTC)[返信]
上にも書きましたが、ここにも念のため記しておきます。初版執筆者(miya氏)は「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」とおっしゃっていますが、具体的にいつころ提示可能となる予定かご回答いただけますとありがたいです。既に本記事の初版が投稿されてから一週間近くが経過しております。その間、出典がきちんと提示されない状態が継続しており、方針やガイドラインに反する状態が続いてしまっていることになります。他の方が出典等を補ってくれているようですが、それはそれとして、少なくとも初版執筆者(miya氏)が初版投稿時に提示を怠っていた出典を明示するのは当然の話だと思います。ですので、初版執筆者(miya氏)におかれては、まずいつころ提示できそうなのか目途をご回答いただけないでしょうか。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:11 (UTC)[返信]
念のため、 初版執筆者(miya氏)の会話ページに「具体的に何月何日頃に提示可能となる予定でしょうか。せめて目途感だけでも「ノート:小川とわ」にてお答えいただければ幸いです」「具体的にいつ提示可能となる予定なのか、せめて目途感だけでもお答えいただくことはできないのでしょうか」とメッセージを投稿しておきました。--126.146.235.92 2020年10月3日 (土) 08:40 (UTC)[返信]

賞罰[編集]

子孫の犯罪歴が書いてあったんですが。jawikiのルールに反してませんか?本人の犯罪歴すら載らない項目があるというのに。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 08:43 (UTC)[返信]

子孫」というかお孫さんだと思いますが、お孫さんは著名な企業の代表取締役だった方であり、かつ、お孫さんご自身の業績に大きく影響を与えた事柄だと思われますので、指定版削除までは不要かと思います。ただ、祖母の記事に書く必要はなく本人の記事のみに書くべきだというご意見は一考の余地があると思います。たとえばノートで議論して合意を得てから除去するのはいかがでしょうか。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:20 (UTC)[返信]

ページ数[編集]

この改訂なら、特段問題はないでしょう。ページ数の指定がこんなに不明瞭な項目は初めて見ました。みずからには甘いということでしょうか。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 09:14 (UTC)[返信]

初版執筆者(miya氏)から「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」とのコメントがありましたので、もう少し待てばきちんとした出典情報が提示されるものと思います。既に他の方が出典等を補ってくれているようですが、だからと言ってそれで良しという話ではありませんので、いずれ初版執筆者(miya氏)からきちんとした出典情報を明かされるかと思います。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:20 (UTC)[返信]
念のため、 初版執筆者(miya氏)の会話ページに「具体的に何月何日頃に提示可能となる予定でしょうか。せめて目途感だけでも「ノート:小川とわ」にてお答えいただければ幸いです」「具体的にいつ提示可能となる予定なのか、せめて目途感だけでもお答えいただくことはできないのでしょうか」とメッセージを投稿しておきました。--126.146.235.92 2020年10月3日 (土) 08:40 (UTC)[返信]
ページ数は2020-09-29T09:02に特別:差分/79752058で書きました。そのあと、2020-10-02T09:12の版で162.211.81.140 さんにより「ぜんぶだめだこれは。」という要約とともに除去されたようです。書き方が悪かったということでしょうか?--miya会話2020年10月3日 (土) 14:14 (UTC)[返信]
書き方が悪かったということでしょうか?ですか。2007年当時とは別人のようなこの語り口。ほんとに同一人物が投稿しているのでしょうか?かつてはてなグループでなんて言ってましたか?--162.211.81.140 2020年10月4日 (日) 03:49 (UTC)[返信]
前述のとおりですが、初版執筆者miya氏)2020年9月28日 (月) 14:07に「急いでいたため、ページ数を控えていませんでした」と釈明したうえでページ数は次に図書館に行ったときに確認します」と約束したはずです。“急いでいたから、出典不完全で新規記事立ち上げでも許される”という発想そのものがおかしいと思いますが、ともかく皆の前で初版執筆者(miya氏)はページ数を出典として提示すると宣言したわけです。
ところが、その後あらためて初版執筆者(miya氏)が投稿した修正版は、「1895年(明治28年)10月10日、東京芝に生まれる。」という一文に対して、なんとその書籍の章「残された若夫婦」(27頁から36頁まで計10ページ分)まるごと全部を出典として提示しています。この程度の一文であれば書籍内の特定のページのみを出典としているはずであり、本当にその書籍を参考にしたなら具体的にページ番号を挙げられるはずですが、一切明かすつもりはないようです。この一文に関して言えば、もともと書籍一冊まるまる全体が出典として提示されており、その問題点を指摘された初版執筆者(miya氏)が「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」と約束したことに端を発しています。もともとに比べれば改善されたと言えなくもないですが、章まるまる一つを出典として提示するのはあまりにもいい加減でしょう。また、この書籍の本文はネット非公開ですが章のタイトルと章ごとのページ数だけは国立国会図書館のサイトに掲載されており、初版執筆者(miya氏)もこのサイトの存在を知っています。したがって、本当は図書館に行っておらず、このサイトから章ごとのページ数を丸写ししそれを出典と偽って提示しただけではないかと疑問に思います。本当に図書館に行って確認したのか、きちんと明確にご回答いただきたいと思います。むろん、初版執筆者(miya氏)に悪意はないとは思うのですが、「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」と約束したにもかかわらずこの惨状では、他の利用者を騙していたのではと邪推する人が出てきても仕方ないと思います。--126.165.130.169 2020年10月8日 (木) 09:47 (UTC)[返信]

参考文献[編集]

今気が付きましたが、この参考文献はよりにもよって「本人の著作」でしょう。本人の著作の記述をそのまんま書くのは、著作権侵害ではないでしょうか?まぁ、子供の数と名前くらいなら大丈夫だと思いますが。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 09:19 (UTC)[返信]

脚注[編集]

  1. ^ 国立国会図書館のサイトにて「目次・巻号」タブをクリックすれば、章のタイトルと章ごとのページ数がわかります。

改訂[編集]

結構調べましたが、とわについて第三者が徹底的に検証した書籍が見当たりません。単独立項には無理があったのではないでしょうか。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 09:24 (UTC)[返信]

肖像写真[編集]

肖像写真はカットするべきではないでしょうか?撮影が誰かがわかりません。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 09:26 (UTC)[返信]

コメント 明らかに奇異な主張をノートで展開しながら編集を繰り返しているため、いたずらと判断し差し戻しました。これ以上、ノートで方針を無視した主張を続けるなら、管理者伝言板への通知も避けられないでしょう。--こんなんさすがに草生えるわ会話2020年10月2日 (金) 10:36 (UTC)[返信]
差し戻すべきではありません。よく考えてください。前の版は参照ページが依然不明瞭なままです。そちらを好まれる、ということでしょうか?--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 10:44 (UTC)[返信]
肖像写真はカットするべきではないでしょうか?撮影が誰かがわかりません」とおっしゃっていますが、まずコモンズ側をみればこの画像の詳細が見えるのですが、それを確認したうえでのご発言なのでしょうか。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
写真の撮影者はコモンズには掲載されていません。どこの雑誌に載ったのかは記されてました。そもそも、この項目に撮影者が最初から記されていませんでした。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 21:20 (UTC)[返信]
著作権は既に失効してパブリックドメインとなっているため、カットの必要はないと思います。条件を満たした著作物はご本人の手を離れて社会全体の共有財産として還元されるというのは現代社会の摂理ですので、撮影者さんへの「敬意」と題したあやふやな忖度で社会の共有財産の活用を拒んでまで、記事のクオリティー維持を断念する必要はないと思います--Miraburu会話 / 投稿記録 2020年10月3日 (土) 04:47 (UTC)[返信]
162.211.81.140さんにおかれては、まずこんなんさすがに草生えるわさんやMiraburuさんなど他の方のコメントをよく読んだうえで、コモンズのアップロードの基準や著作権の考え方についてよくよく理解なさったうえで、ご発言なさるとよいかと思います。--126.146.235.92 2020年10月3日 (土) 08:57 (UTC)[返信]
理解しました。じゃあ転載します。なんて行動は、私はとりません。--162.211.81.140 2020年10月4日 (日) 03:51 (UTC)[返信]
転載は既に行われておりますので、162.211.81.140さんが行動を取られませんでも構いません。--Miraburu会話 / 投稿記録 2020年10月4日 (日) 07:48 (UTC)[返信]
162.211.81.140さん、理解したうえで同様の主張を繰り返し継続なさるのであれば、ウィキペディア(とコモンズ)の活動や趣旨とは相容れない言動と指摘されても仕方がないと思います。これで終わりならともかく、もしコモンズの他のコンテンツに対しても同様な主張を展開するのであれば、残念ながら162.211.81.140さんにはお引き取り願うしかないのではないでしょうか。--126.183.224.219 2020年10月8日 (木) 08:19 (UTC)[返信]

地名[編集]

旧版では「東京芝」という単語が連呼されていましたが、これは旧東京市芝区でしょう。この「東京芝」ってのを、執拗に主張する根拠がわかりません。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 11:07 (UTC)[返信]

「都道府県」「市区町村」程度の粒度で十分だと思うので、個人的には「東京府東京市」程度でじゅうぶんかと思います。「東京・芝」「東京・六本木」というような表記を最近見かけることが多いですが、東京都民ならともかく他の道府県民にはわかりにくいですし。そこまで細かい粒度の地名を出すくらいなら「東京都港区」とか「東京府東京市」程度で問題ないと思いますね。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

出典[編集]

出典を出すとこうなるみたいですね。--2A01:E0A:321:C060:D63D:7EFF:FE6D:BBBF 2020年10月2日 (金) 09:37 (UTC)[返信]

著作権が切れてるから自由に転載してかまわないという、盗賊の論理には同意できません」と主張していますが、適法なのにそれを「盗賊の論理」と呼ぶのはおかしいのではないでしょうか。少なくとも適法な行為と「盗賊」のような非合法な行為とを同列に論ずるのは無理があるでしょう。また、画像がアップロードされるのはコモンズの側ですから、もしコモンズの受け入れ基準に異議申し立てをしたいならそちらで議論すべきでしょう。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

適法だから何をやっても構わない、というのは人類全員が許容する思想ではありません。適法でも、実は盗み同然、というケースは全世界中にいっぱいあるのです。一番簡単なケース、出版社がつぶれた、とかね。そこで「じゃあ盗もう」って人もいるのは事実です。それに違和感は感じませんか?ということです。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 21:20 (UTC)[返信]

もちろんルールは守っているのですけれども・・・ [編集]

もちろん著作権が切れていれば、転載は可能です。誰の許可も、もちろんいりません。でもね、それってね、パクリっていうんですよ。嫌いな人もいるんですよ。--2A01:E0A:321:C060:D63D:7EFF:FE6D:BBBF 2020年10月2日 (金) 09:56 (UTC)[返信]

少々誤解を招いているみたいですね[編集]

この人みたいに、不明だから掲載不可」なんて理屈が通るわけないだろ。って人がいるのは認めます。多くの判例にもあるように、法的にも白です。国際的にも白で、掲載は当然可能です。しかし、この発言は「撮影者に対する、尊厳と敬意がない」ってやつなんです。私は人間ですので、撮影者への敬意を持ちたいです。なので、写真をどんどんアップロードしてやれ、という考え方には反対です。誰が撮影したのか、わかってからアップロードするのが筋。これは、悪意のないただの勘違いでしょう。--2A01:E0A:321:C060:D63D:7EFF:FE6D:BBBF 2020年10月2日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

多くの判例にもあるように、法的にも白です。国際的にも白で、掲載は当然可能」とおっしゃっていますが、ならばそのような適法な行為と「盗賊」のような非合法な行為とを同列に論ずるのは無理があるでしょう。また、画像がアップロードされるのはコモンズの側ですから、もしコモンズの受け入れ基準に異議申し立てをしたいならそちらで議論すべきでしょう。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

言っていないことを書くのは良くないです。[編集]

コモンズの受け入れ基準に異議申し立てをしたい ↑ そんなことは一言も言ってません。

かつてリプリントで生計を立ててた会社にカーマス社というのがありましたが、彼らですら小さな修正は入れて出版してたんです。著作権回避をする会社だって、その程度のことくらいはやったんです。

しかし、件の写真は「全くの加工抜きの生の転載」なので、いくら著作権は回避しているからと言って、そのまま使ってしまうことには違和感があります。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 18:33 (UTC)[返信]

「少々誤解を招いているみたいですね」セクションのやり取りをご覧いただければわかるように、「もしコモンズの受け入れ基準に異議申し立てをしたいならそちらで議論すべきでしょう」というコメントは、2A01:E0A:321:C060:D63D:7EFF:FE6D:BBBFさんの2020年10月2日 (金) 10:25のコメントに対する返信ですよ。2A01:E0A:321:C060:D63D:7EFF:FE6D:BBBFさんに対して「もしコモンズの受け入れ基準に異議申し立てをしたいならそちらで議論すべきでしょう」と返信差し上げたのに、なぜ別人である162.211.81.140さんが「そんなことは一言も言ってません」などと反論してくるのでしょうか? そりゃあ2020年10月2日 (金) 10:25のコメントの発言主は2A01:E0A:321:C060:D63D:7EFF:FE6D:BBBFさんなのですから、162.211.81.140さんが「一言も言って」ないのは当たり前であり、そんなこと別にわざわざ主張する必要はないと思うんですが……。さて、2A01:E0A:321:C060:D63D:7EFF:FE6D:BBBFさんは「法的にも白です。国際的にも白で、掲載は当然可能です。しかし(中略)写真をどんどんアップロードしてやれ、という考え方には反対です。誰が撮影したのか、わかってからアップロードするのが筋」と主張しています。この画像をアップロードしたことを問題視しているようですが、当該画像はコモンズにアップロードされたものです。ウィキペディアにアップロードされた画像ではありませんよ。ですので「もしコモンズの受け入れ基準に異議申し立てをしたいならそちらで議論すべきでしょう」とご意見させていただいた次第です。--126.146.235.92 2020年10月3日 (土) 08:02 (UTC)[返信]

そのほか、気になったこと[編集]

年号の横に元号を付記していることが気になりました。

これを仮に印刷するとかだと、それなりに意味があると思うのですが、オンライン百科事典にその併記が必要なのかどうかは疑問です。ここは日本版ではなくて、日本語版なので、元号の併記は本来必要ではないはずです。

これは、もともとの本文の内容が貧弱なために、文字数稼ぎをしているのではないかという疑問がありますが、皆様どうでしょうか?--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 10:01 (UTC)[返信]

元号の併記については、日本国民の記事ならあってもいいしなくても困りはしない、程度ではないでしょうか。さすがにアメリカ合衆国国民(たとえばトランプ大統領など)は当人が元号を意識することなどほぼないでしょうから、アメリカ国民の記事において元号を併記する必要性はないと思います。ただ、当該元号が使用されている国で暮らしていた人物の記事であるなら、併記してもまあいいかなとは思います。他の日本国民の記事においても、元号を併記している記事は多数見られます。特に江戸時代以前の人物については、当人は西暦を意識していないでしょうし太陰暦と太陽暦の差異もありますから。これは日本に限らず、元号を用いていた他の国の国民であっても同様です。議論してみて合意が得られたら、それを記事に反映すればよいのではないかと思います。--126.196.197.240 2020年10月2日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

なるほど。論点を理解されている方もいるんですね。一応すべての出版物の出典情報を出せました。

参考文献が関係者の手によるもので占められた状態で初版が投稿されていることにも、若干の違和感がありました。利用者:Miyaって人は、かつて関係者の手による出典の利用を厳しく批判した人じゃなかったかな?Miyaは、かつてそういう主張でしたね。そういうの、すぐ忘れて書く人っているんですね。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 18:28 (UTC)[返信]

初版執筆者(miya氏)から「ページ数は次に図書館に行ったときに確認します」とのコメントがありましたので、もう少し待てばきちんとした出典情報が提示されるものと思います。もし、162.211.81.140さんが参考文献について何かご意見がおありなら、その際に初版執筆者(miya氏)に対してご質問なさればよいかと思います。また、もし初版執筆者(miya氏)に聞きたいわけではなく、もっと広くご意見伺いたいのであれば、既にKocgsさんからご提示されている手法もあるかと思います。--126.146.235.92 2020年10月3日 (土) 08:40 (UTC)[返信]

削除、の前に一言[編集]

このようなコメントが出されていますが、これについて回答することは極めて難しいのが現実です。

現在、典拠管理が示されている項目でも、すべての言語版で削除は成立するようです。しかし、それなら「典拠を持つ人物でも掲載しない」という基準が出来上がるため、百科事典の趣旨から遠ざかります。

「気に入らなくなったから、じゃあ削除依頼出してしまおう」という思想の方はいつまでも本質から間違えるでしょう。著作権はクリアしたので転載していい、とみなす思想と同じレヴェルですね。--162.211.81.140 2020年10月2日 (金) 21:13 (UTC)[返信]

現在、典拠管理が示されている項目でも、すべての言語版で削除は成立するようです。しかし、それなら「典拠を持つ人物でも掲載しない」という基準が出来上がるため、百科事典の趣旨から遠ざかります」とのことですが、典拠管理の有無と独立記事作成の目安との間には特に何の関連性はありません。Normdatenがなくても特筆性があれば立稿されることもありますし、Normdatenがあっても特筆性がなければ削除されることもありますが、それは珍しいことではなくウィキペディアにおいては一般的なことです。失礼ながら「典拠管理」について理解なさっていないものとお見受けしました。--126.146.235.92 2020年10月3日 (土) 07:36 (UTC)[返信]

>>Normdatenがあっても特筆性がなければ削除されることもありますが、それは珍しいことではなくウィキペディアにおいては一般的なこと>>

それって、いつ一般的なことにしたんでしょうか?月まで言わなくていいので、何年にそのルールができたんでしょうか?確認は取っておきたいと思います。--162.211.81.140 2020年10月3日 (土) 20:42 (UTC)[返信]

削除対象について説明している文書「削除の方針」によれば、2008年3月4日 (火) 19時頃 に、特筆性がないと削除されるとはっきり明記されました。具体的には「人物(中略)などの記事で、百科事典に記載するほどの特筆生・著名性がないもの」は「削除の対象になる」との条項が設けられました。はっきり明記されたのは、これが初かと思います(もしもっと過去の版に当該記述あるようでしたら私の確認漏れかと思いますのでご指摘ください)。それ以来、「特筆性がなければ削除されることもありますが、それは珍しいことではなくウィキペディアにおいては一般的なこと」になっています。この文書はウィキペディアにおける方針文書ですから、原則それに従う必要があります。その後、2009年8月20日になって、日本語版でもNormdatenのテンプレが新設されましたが、それによって「削除の方針」が大きく変わることもありませんでしたので、現在でも“Normdatenがあったら削除を免れる”というような条項はないはずです。--126.183.224.219 2020年10月8日 (木) 07:29 (UTC)[返信]
また、Normdatenのうち、たとえば国立国会図書館が採番した典拠レコードID(NDL)は、単に典拠データを管理するために振られたIDです。別にIDが振られたからと言って、それ“すなわち特筆性を示す”というようなものではありません。--126.183.224.219 2020年10月8日 (木) 08:05 (UTC)[返信]