ノート:富野由悠季

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過去の論議は以下を参照ください[編集]

スタイル改稿後の方針修正など[編集]

まず、概ね上記方針に従い「再配置」、その際に体裁のつかない項を若干補筆しました。アニメと書籍では使っているマークアップが違います。これは議論が終結してから思いついたもので、目次に小説各巻のタイトルが並んでも誰も嬉しくないだろうという事から、データリスト形式にしたものです。ドラマCDの類は素材が出揃わないので、どなたかナカミを出してくだされば、統一スタイルらしきものには致します。

次の仕事は、作品評から富野氏の評価でないものを各々の作品記事のほうに移すことで(その際はまた「工事中」を掲げて作業します)、ここまでが体裁改変請負の仕事だろうと自認しています。で、その次に、それ以後は1ウィキペディアンとして、POVの排除と中和にあたります。ここまでの作業で、「話が、イメージが、約束が違う」という点がございましたら、ご意見ください。2005年12月1日 (木) 03:53 (UTC)

LRさん、再配置及び補筆お疲れ様でした。かなり見やすい記事になったと思います。
今後の作業の方針に関しては、LRさんが上記で書かれている内容で問題ないと認識しています。冨野氏評価以外の移動など、手伝えるものであれば作業時間はかなり短縮できるとは思うのですが、複数の観点で作業を行なうとレベルの差が出てしまう事を憂慮しますので、お手数ですがお任せしたいと思っています。
あと、ドラマCDの件は私の方では現状確認できる資料が見当たらない状況で、お手伝いできず申し訳なく思っています。 Schwarz(/)2005年12月1日 (木) 05:04 (UTC)[返信]
LR様 再配置作業お疲れさまでした。早速ですが序段の部分、少し書き換えさせていただきました。もうずっと気がかりでしたので。(笑) 作品評の部分にもまだ明らかな間違いがありますが、こちらは取りあえずLR様の作業が終了するまで私は手を出さないことにします。多分わかっていらっしゃると思いますので。
ドラマCDに関しては私も力になれません。Seeds様辺りに声だけはかけてみます。(Seeds様はガンダムのファンと言うより鈴置氏のファンなのかもしれませんが。)
それでは残りの部分もよろしくお願いいたします。Niki 2005年12月1日 (木) 13:49 (UTC)[返信]
作品評の誤り、私は気づけませんでした。ザブングルからの後ろの評論は比較的富野中心になっているので、本日あからさまなPOVだけ削ってそのままにしてあります。で、実は最初の二日でするべきことはおおむね終わらせたつもりになっていましたが、完了宣言を出さないばかりに執筆を遠慮していた方々が「他にも」いらっしゃいましたら申し訳ありませんでした。どうぞご参加ください。私も引き続き一アニヲタとして参加し続けます。LR 2005年12月22日 (木) 15:47 (UTC)[返信]
お声を掛けていただいていましたのにお返事せずにすいませんでした。……私の所蔵していましたドラマCDが実家の引っ越し後行方がわからないので、正確なデータが提供できなく申し訳ありません。とりあえず、解る部分だけ追加しておきます。あと、『銀色ドレス』(Zガンダム挿入歌)も、TVシリーズ放映時に既に挿入歌として存在しましたので、移動しておきます。よろしくお願いします。Seeds 2006年2月13日 (月) 08:25 (UTC)[返信]

ノート再編提案[編集]

前回の保護解除後のLRさんによる全面再構成に向けた論議を行ないました結果、基本合意事項が出来上がったのは良かったのですが、ノートが非常に長くて煩雑になってきています。その為、合意事項による富野由悠季編集方針をノート先頭に持ってきて、過去の論議をサブページに移したいと思います。これから合意事項と思われる内容を列挙して行きたいと思いますので、不足分、認識違いがありましたらご指摘頂ければと思います。 Schwarz (/) 2005年12月26日 (月) 00:48 (UTC)[返信]


加筆がすっかり遅くなりまして申し訳ありません。現時点では論議は終了していますので、認識違いがありましたらガイドライン作成のための論議を参考に下記を記載変更して行ってください。Schwarz (/) 2006年1月11日 (水) 05:02 (UTC)[返信]

経歴に関して[編集]

  • 富野氏本人の転機となる事象を事象のみ記載。移籍、初担当、など。受賞歴があればここで記載します。
  • 上記に該当しない作品は、アニメ界に劇的な変化をもたらした作品でも経歴には記載しないこととします。
    • 個別の解説において触れるか、該当作品の記事に記載するべきでしょう。

作品リストの構成[編集]

作品リストは、以下の分類により構成することとします。

  • アニメーション(TV、劇場版、OVA、その他含む)
    • アニメ附随の作詞は作品の中で補記。
  • 小説
  • 自伝・回顧録
  • 漫画原作、派生オリジナルのドラマCD等その他作品
    • 現在は未記載(2006年1月11日 (水) 05:02 (UTC)時点)

作品に対する解説内容[編集]

  • 事実及び富野氏本人並びに周辺の事象を中心に、なるべく簡潔に記載します。
  • 作品そのものの世間的評価は作品の記事へ。
  • 憶測、類推の類は消去の可能性がありますのでご注意ください。

雑談[編集]

カテゴリーにするには少し大仰でも 記事を書くには必要な雑多な話はこちらに。 愛称なんだけど 敬愛の念でキチガイ富野って言う人もいたりする。 ファンで好きなんだけどそう呼ぶらしい。 何故そう呼ぶかはよく分からないけど。

220.97.69.240氏へご連絡[編集]

先ほど各作品に対するご意見を記事内にコメントアウトの形式で記載されておりますが、記事に対する内容の論議は本ノートで行う事になっております。

記事内にコメントアウトでコメントを挿入する事は成形上の問題が置きやすく、また本文でない為非常に見づらく、あまり好ましい方法ではありません。

ご意見に関してこのノートを利用して論議し、記事をよりよいものにすると言うのは非常に好ましい事ですので、お手数ですがこちらのノートでご意見をお願いします。 Schwarz (/) 2006年4月10日 (月) 06:43 (UTC)[返信]

「エピソード」のコメントアウトについて[編集]

4月11日に書き加えられた「エピソード」を一時的にコメントアウトしました。理由は「記事に書き加える価値があるように思えない」ためです。もちろんこれは私の個人的感想なので、そう思われない方もいらっしゃるかと思います。必要だと思われる方はぜひご意見をお願いいたします。Niki 2006年4月23日 (日) 13:15 (UTC)[返信]

「禿」について[編集]

一部のファンが富野監督を指す言葉として禿という表現を使うのは事実であり、実用的な側面としてガンダムのファンサイトなどでの会話を理解するために「禿=富野監督」という認識を持っておくことはプラスになると思います。同様に「御大」という呼び方も知っていた方が便利です。そこで

  • ファンが尊敬を込めて「御大」、愛情や親しみを込めて「禿」「ハゲ」と呼ぶ場合がある。

などの表現で復活させてはどうでしょうか。ファンの中に禿という言葉を悪いニュアンスで使ってる人がほとんどいないのもまた事実ですので。(荒らし等が悪意を持って使う場合も稀にはありますが)Bit 2006年7月9日 (日) 15:13 (UTC)[返信]

私も、細心の配慮の上で記載しておいたほうがいい情報だと思いますね、「禿」は(宮崎の「髭」も同様)。「御大」は、まあほっといても敬称ですから問題ないでしょうが、これが富野を指すのはガンダム話してる時だけでしょうから、これも記述に工夫が必要です。宇宙戦艦ヤマトの話してる時に出てくる「御大」は松本零士ですし。(宮崎は実はコアアニメファンの心象があまりよくなくて、ほとんど「御大」と呼ばれない。)LR 2006年7月10日 (月) 07:31 (UTC)[返信]
同意見です。そこで推敲して見たのですが、

一部の富野ファンは、(蔑称ではなく)尊敬を込めて「御大」、さらにその外見から愛情や親しみを込めて「禿」や「ハゲ」、双方の意味合いとして「禿御大」と呼ぶ場合がある。

としてみたのですが、いかがでしょうか。ただ、こう呼ぶ時に割合的にはガンダムの話が多いのは確かですが、意外とそのほかの話題でも出てくるので、工夫がいりますね--Mercurius 2006年7月25日 (火) 16:44 (UTC)[返信]
「ハゲ」というのは、「めくら」とか「ビッコ」だとかいったあからさまな差別用語ではないので、割と気楽に使われがちですが、本人にとっては非常に深刻な場合もあり、Wikipediaのような公共の場で「(愛情がこもっていればいいじゃないかと)推奨した」と受け取られかねない記述をするのは避けるべきであるように思います。
表立って大っぴらにではなく、気の置けない仲間内で話す時だけこっそりと、というのは理解できないことではないのですが、お行儀の良いことではありませんね。本人の前で言えないことは、やはり「陰口」だと思いますがいかがでしょうか?Niki 2006年7月26日 (水) 18:14 (UTC)[返信]
一部の富野ファンは」「と呼ぶ場合がある」という単なる事実の羅列、それも誤解を招きづらいように配慮した文章を、「推奨と受け取る人がいるかもしれない」という考えは私には到底理解の及ばないものですが、そうだとしても
  • (ただし、このような呼び方をWikipediaが推奨するものではない)
とでも書き加えておけば済む話なのではないでしょうか。陰口だろうが行儀が悪いことだろうがそう呼ぶ人がいるのは事実であり、その行儀の悪い呼び方を知っている(自ら使うかどうかとは全く関係ない)方がインターネットでの情報収集に役立つのも事実なのですから。Bit 2006年9月3日 (日) 15:44 (UTC)[返信]
Bitさん、私はこのノート、【「禿」について】の項目において、【愛情や親しみを込めて「禿」「ハゲ」と呼ぶ場合がある】との表記が良いんじゃないか?という話になっているようなので、それでは誤解を招きませんか?というつもりで意見を書き込んだのですが。それに、【インターネットでの情報収集に役立つ】とおっしゃいますが、それは本当ですか? 「禿」のキーワードで検索をかけるんですか? カツラ屋の宣伝ばかり出て来ませんか? 「ガンダム」とか、他のキーワードと合わせて検索すればそれなりのものが出て来るでしょうが、それも2ちゃんねるとか特定のブログに偏りませんか? 私は「悪意なき人」の役には立ちそうもないと思うのですが。私は、どうせ書くなら、【富野は50代の頃、「半端に禿げるのは嫌だ」という理由から、自ら頭を剃ってしまった。以来、口さがないファンの一部は、富野を指して「監督」「御大」と並んで「禿(ハゲ)」とも呼ぶようになった】くらい堂々と書いてしまえばいいと思いますよ。半端に【愛情込めて】なんて言い訳がましい表記にするとかえって嫌らしくなるんじゃありませんか? その辺りはいかがお考えでしょうか?Niki 2006年9月4日 (月) 18:08 (UTC)[返信]
富野を指す「禿」に侮蔑がこもっていることはありますが、親しみがこもっていることはまず無いです。その意味ではNikiさんの指摘は的確ですね。
それでは侮蔑がこもってない時の「禿」には代わりになにがこもっているかといえば、「私は富野の名だけではなく風貌も知っている、しかも同風貌の人物が業界の同クラスには存在しないので、その語で個人が特定出来ることも知っている業界通である」というヲタ知識自慢であり、それが「特定範囲にだけ通じる語を用いることによる帰属意識の強化」という符牒効果で広まったのであって、富野への正の評価はまったく含まれていません。ですので「禿」という呼称が存在すること、侮蔑的用法とは限らないこと(これがかつて述べた細心の注意)は記載されるべきですが、妙な関係美化は事実に反すると思います。LR 2006年9月5日 (火) 00:21 (UTC)[返信]

情報収集に役立つというのは、必ずしも検索キーワードとして有用であるという意味ではありません。ガンダムの関連サイトで唐突に、例えば「種より禿の作品の方が素晴らしい」とか出てきたときに言っている意味を理解できるかできないかという意味で役に立つということです。

  • 富野は50代の頃、「半端に禿げるのは嫌だ」という理由から、自ら頭を剃ってしまった。

これがいづれかのメディアか著書で公開された事実であれば、Nikiさんの提案された記述でも特に異論はありません。私が愛情と言い出したのはそもそも「禿という単語は差別に繋がる表現である」として削除されてしまったことに対し、「禿と呼んではいるものの、そこに(髪がない事への)蔑視の意図はないだろうに。むしろ親しみをもって呼ぶ場合の方が多く見かけるのに」と感じたためです。ですので別に言い訳でもなければ、どうしても入れたい文言でもありません。「差別」よりは「親愛」の方がよほど事実に近いと思ってはいますが、言い訳がましく・嫌らしく感じられる可能性があるなら記述からは外しても良いと思います。Bit 2006年9月5日 (火) 00:47 (UTC)[返信]

私が富野氏の禿頭を最初に見たのは、『月刊ニュータイプ』1998年6月号別冊「まるごと富野」の表紙だと記憶します。友人に一見の価値があると言われて本屋に飛んで行き、見るなり吹き出してしまいました。あの歳でちょっと身を縮めるようにして拗ねたような目を向ける富野氏は「可愛」かったですよ。だから「必ずしも悪意がある訳ではない」というのは理解できないことではありません。(それでも私自身は富野氏のことを「禿」と呼びたいとは思いませんけれどね。私は、犬や猫ならともかく、人間に向かって「禿」だの「デブ」だの「チビ」だのという言葉を「親愛の情を込めて」使うと言う人間を信用しません。動物は言葉を介しませんから言葉をかけられた時の相手の様子で自分が好かれているか嫌われているか判断します。しかし、人間は言葉を介します。その言葉が「負」の性質を帯びていれば、発する側の心情がどうであれ、受け取る相手は傷つくのです。イジメの大半はこの心情的ギャップに端を発していると思います。)
私が差別を助長する恐れがあるとして「禿」の記載を削除したのは、【なお、ガンダムシリーズのファンからは頭部の毛髪が少ない事から禿と言うあだ名で呼ばれることがある。】という表記になっていたからです。富野氏を指して言う言葉に「総監督」「監督」「(一部ファンの間で)御大」「(若かりし頃は同業者うちで)おトミさん」「(アンチファンの間で)トミノ」といったものがありますが、それらを一切無視してここ数年だけごく一部で使われるようになった「禿」だけが書き込まれた点から見て、これは自身の情報通ぶりを自慢したい気分と、「禿」という一般的には絶対に褒め言葉とは受け取られることのない呼び名を強調したい意図があると判断したためです。また、私は「禿」という言葉が情報収集の役に立つとの発想も持ち合わせませんでしたので、そこに別の情報を付加して書き込みを生かすということも思いつきませんでした。(たとえそれが悪戯心程度のものであったとしても)悪意を感じさせる文章を記事中に残すことに抵抗を覚えて削除に踏み切りました。しかし、どうしてもあった方が良いと言うのであれば、
ファンが富野を指して言う言葉に、一般的には「監督」「総監督」、コアなファンの間では「御大」、アンチファンの間では「トミノ」などがある。なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、「トミノ」は「禿(ハゲ)」に取って代わられつつある。
くらいの文章にしたらどうでしょうか? 「半端に禿げるのは嫌だ」っていうのはネット上のどこかで読んで富野氏らしいと思って記憶しているのですが、どこで読んだかは残念ながらすでに覚えておりません。出典に心当たりのある方のご協力を待ちたいと思います。Niki 2006年9月6日 (水) 16:30 (UTC)[返信]
「おトミさん」「トミノ」が書かれていなかったのは別に無視していたわけではなく書いた人が知らなかっただけということもあり得るのでは?(富野ファンは、ファースト世代より若い世代にもかなり多く分布していますし) とはいえ、「毛髪が少ないことから」は問題ですね。禿、ハゲが広まったのは髪を剃ってからでしょうし。Nikiさんが削除された理由は把握致しました。反論は既に書きましたが、少なくともその時点で削除の判断をされたことに関しては納得しました。それで記述なのですが、「トミノ」が「禿(ハゲ)」に取って代わられつつあると書いてしまうと「禿」と呼んでいるのはアンチファンのみと受け取られかねません。
私は自分自身が見てきた色々なやり取りから、アンチファンではなくファンが親しみを込めてハゲと呼んでいる場合があると確信しています。奇しくもNikiさんが例に挙げられた「チビ」ですが、児童文学や童話などでも「おチビさん」「チビちゃん」などという形で、とても優しい文脈で使われている事がよくあるかと思います。(デブは滅多に見ないですが…ムーミンシリーズの日本語版で一、二度見たことがあるようなないような…)これは小さいもの弱いものを愛おしく感じる日本人のメンタリティに起因しているのではないかと考えるのですが、富野監督をハゲという人の場合もこれに少し似ていて、敢えて肉体的欠陥を示す言葉を使うことによって「あれだけの作品を作ってきた偉大な富野監督にも欠点はあるんだ、自分たちと同じ人間なんだ」ということを無意識に感じ、そこに共感して仲間意識に近い親近感を得ている面があるのではないかと見ています。(単に他の人がそう言ってるから、とか純粋に悪口だったりとか、はたまた全く別の理由の場合も当然あるのでしょうけど)
LRさんの意見では、私が観察するこういった親近感は美化された幻想なのかも知れませんが、それだとしても富野監督をハゲと言っていながらそこに侮蔑を込めていない人は確かにいるようです。なので、アンチファンだけでなくファンの一部もそう呼ぶことを明記すべきだと思います。Nikiさんの案の後半だけを差し替えるとして、
  • なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、アンチファンと一部のファンの間で「禿」「ハゲ」が広まりつつある。
  • なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、アンチファンと一部のファンの間で「禿」「ハゲ」が広まると共に「トミノ」が廃れつつある。
などが良いのではないでしょうか。剃った経緯の出典については誰かから提供されたらその際に加筆するということで良いでしょう。あと「おトミさん」はどうしましょうか?Bit 2006年9月6日 (水) 23:05 (UTC)[返信]
私から見れば、「おチビさん」「チビちゃん」は相手が幼児で言葉を十分理解していない、動物に近い時期にだけ許される、絶対優位者の大人が相手に安心感を与えようとして示す「過剰な馴れ馴れしさ」でしかありませんが、まあ、それはここで議論すべきことでもないので取りあえず棚上げしておきましょう。
「トミノ」や『禿(ハゲ)」が、富野由悠季という有名な年長者を自分たちと同レベルに引きずり下ろそうとする試みであることは同感です。男は、中学生にもなれば、父親のことを「親父」と呼ぶことで自分はもう一人前だと示そうとする生き物ですからね。でもそれは、後から考えると、2ちゃんねる言葉で「厨房(=中坊)」と呼ばれてしまうような、浅はかなツッパリに過ぎなかったりする訳ですが。(笑)良い方に考えれば「自分も同等の仲間としてつきあってほしい」気持ちの表われですし、悪い方に取れば「他人を貶めることで優越感に浸りたい」だけってことになります。アンチファンとして括ると前者を取りこぼすんじゃないかという心配は分かりますが、両者を区別することは難しいですね。両者に共通していることは、「富野監督の作品作りに一言もの申したい」気持ちがあることと、「どうしようもない甘え」があることです。リング上のボクサーやレスラーに無責任な野次を飛ばしながら「選手との一体感を楽しんでいる」と言う観客と一緒です。これ、何ファンと表現したら相応しいんでしょうね。一言で言い表わす言葉があるといいんですが。
現状のままで行くしかないのであれば、後者の「なお、富野が50代になって頭を剃ってしまってからは、アンチファンと一部のファンの間で「禿」「ハゲ」が広まると共に「トミノ」が廃れつつある。」のほうが状況に即している気がします。
なお、「おトミさん」は、『リーンの翼』公式HPの「裏トミノブログ」などを見る限り、制作スタッフの方も富野氏より歳下の人間が多くなって、皆さん普通に「監督(カントク)」と呼んでいるようなので、今日的にはすでに使われなくなったと考えても良いようです。高橋良輔氏のような昔馴染みがプライベートで何と呼んでいるのかは分かりませんが。Niki 2006年9月7日 (木) 16:19 (UTC)[返信]
では『「トミノ」が廃れつつある』の方で復活します。おトミさんについてはほぼ使われなくなったということですが、昔使われていたことを書く必要はありますかね?
あと「そういう」ファンは…幼稚なファン、無神経なファン、無邪気なファン、という感じでしょうか。甘えがある精神構造による行動を理屈で以て自己正当化しようとするファン、辺りが正確なところなんでしょうけど長いし(笑)Bit 2006年9月7日 (木) 17:39 (UTC)[返信]

インデント戻します。 記事の編集、ありがとうございました。「おトミさん」は限られた業界内のことですし、どれほどの普及率だったのか分かりませんので、無視でいいんじゃないでしょうか? 「そういうファン」のほうは、なるべくスマートに当たり障りなくと考えると、やはり「口さがない」辺りが無難な気がしますね。「知識はあるが経験・行動・責任感が伴わない」という意味では「頭でっかち」も結構似合っていそうな気がしますが、記事のほうに書いたら十中八九「主観的すぎる」と怒られるでしょうね。(笑)まあ、いずれにしても、当面は現状のままで様子を見ましょう。お疲れさまでした。Niki 2006年9月9日 (土) 15:06 (UTC)[返信]


頭髪ネタは「富野に訊け」で本人のコメントがありました。20代から進行が始まっていたとか… 剃髪の経緯についても記載されていました。ウィナ・ツァハル 2007年6月26日 (火) 01:32 (UTC)[返信]

初回放送時の視聴率について[編集]

219.184.55.102さんが「ガンダムが打ち切られた理由は視聴率の低迷ではない」と書き込まれていましたが、初回放送時に視聴率が良くなかったというのは広く認知されていることです。キー局となった名古屋地区でも平均9.1%、関東地区で5.3%、全国平均5.6%だそうです。(因みに、視聴率は後になるにつれ、上がって行ったようです。なだらかな右肩上がりの上昇ではなく、打ち切りが決まった辺りからの急上昇。) 打ち切りになった事情は、確かにスポンサーの作ったおもちゃが期待したほど売れなかったためですが、視聴率は良かったということでもありません。後になって視聴率を引き上げた年齢層は、スタート時はあまり見ていませんでした。

そもそもあの当時、ロボットアニメはスポンサーの商品を売るためのCMみたいなもので、スポンサーは作品を見てくれる(おもちゃを買ってくれる)年齢層をうんと下に見積もっていました。(放送時間が夕方ということは、お母さんが夕飯の支度をしている時、子守りをするといったニュアンスが含まれていました。)子供相手のおもちゃは、頑丈さが第一義でした。ところが制作側がターゲットにした年齢層は、「子供は切り捨てた」と言ってはばからないくらい高かったので、スポンサーの目論みは全く外れてしまったわけです。スポンサーはやむなく撤退(打ち切り)を決めました。そして皮肉なことに、その頃から制作側がターゲットにした年齢層のファンがつき出したのです。

ですから、「不出来な商品を作るから売れなくて、せっかくの人気番組を打ち切りにした」と受け取られかねない記述はフェアではないと考え、削除させていただきました。この件に関してご意見のある方はお願いいたします。Niki 2006年7月26日 (水) 19:56 (UTC)[返信]

ガンダムは中盤から視聴率が盛り返し、次第に人気を得てそれなりに10%強の視聴率を得ていった。と近年のNHKBSの番組や氷川竜介等アニメ評論家の文献で記されているのですがどうなんでしょうか。視聴率が原因の打ち切りという分析は誤りであるというのが今日のアニメーション歴分析における通説のようですが。「不出来な商品を作るから売れなくて、せっかくの人気番組を打ち切りにした」これも私の感想ではなくて上記の打ち切り分析で何故人気番組でも打ち切られるのか云々の考察で述べられたことです。LDのブックレットや近年のガンダム分析本にも写真掲載の基、これじゃ売れないだろうとコメント付で数多く記載されるのを見ます。--219.184.55.102 2006年8月3日 (木) 01:21 (UTC)[返信]


219.184.55.102さん、ご意見ありがとうございます。いろいろ調べてみたのですが、私の手元にあってはっきりと出典を示せるガンダムの視聴率に関するかなり詳細な情報が載っているものは、ダイヤモンド社出版の『ガンダム神話』(著者:猪俣謙次 発行1995年)だけでした。ビデオリサーチとニールセンのものが載っていて、それによれば(括弧内ニールセン)、第1話3.0 (5.9)、第2話4.2 (4.2)、第3話3.3 (3.3)、第4話5.7 (3.4)、第5話4.9 (4.5)、第6話3.2 (3.2)、第7話1.9 (記載なし)、第8話3.6 (3.5)、第9話4.4 (5.3)、第10話4.2 (2.7)、第11話4.2 (3.3)、第12話3.1 (2.7)、第13話4.9 (3.5)、第14話3.4 (5.4)、第15話3.4 (3.3)、第16話4.0 (5.0)、第17話4.7 (4.1)、第18話4.2 (4.4)、第19話4.1 (2.4)、第20話4.0 (2.7)、第21話5.3 (3.4)、第22話3.9 (4.5)、第23話4.9 (4.3)、第24話5.0 (3.8)、第25話4.1 (4.3)、第26話6.4 (5.2)、第27話9.2 (5.9)、第28話9.1 (4.8)、第29話9.9 (6.5)、第30話5.9 (5.3)、第31話6.9 (6.4)、第32話7.1 (6.1)、第33話5.1 (4.6)、第34話5.7 (3.6)、第35話7.7 (6.1)、第36話7.0 (4.9)、第37話8.2 (5.6)、第38話6.4 (5.5)、第39話7.8 (5.6)、第40話4.7 (6.1)、第41話5.5 (5.4)、第42話6.8 (5.9)、第43話7.8 (7.6)だそうです。
こうしてみると、私自身の記述「打ち切りが決まった辺りからの急上昇」でさえ、多分に主観的であったと感じられます。氷川竜介氏の著作は私もいくつか持っているのですが、ちょっとすぐに確認できる場所になく、そういう記載があったかな?という状態です。NHKBSは見られる環境になく、どのような発言があったのか、私には分かりません。確かに言えることは、多分私の方が古いデータを元に話をしているだろうということです。ですから、最近別のデータが発掘されたとかの理由で、見方が変わって来た可能性はないわけではありません。
しかしながら、『ガンダム神話』には、「ガンダム・プラモデルの商品化権を得ようとバンダイが動き始めたのはTV作品『機動戦士ガンダム』の放映が中盤にさしかかった頃であった。この当時、ロボットものキャラクターグッズの主流は、変形合体機構を売りにしたダイカスト(亜鉛合金)製玩具、通称「超合金モデル」だった。ガンダムもメインスポンサーの玩具メーカー(株)クローバーによって、そういった種類の玩具をメインアイテムにセオリー通りの展開が行われていた。」という記述があり、クローバーがことさらに劣悪な商品を作っていたわけではないことがお分かりいただけるかと思います。ただ、「ガンダムはプラモデル展開があってこそ開花するキャラクター」だと思っていたのはバンダイであり、実際その通りになったわけですが。(対象年齢の問題ですね。プラモデルは大人でも作りますから。)
また、「ターゲットとした子供たちに見離され視聴率は低迷し、番組スポンサーの期待を裏ぎりつつあった『機動戦士ガンダム』に対して、バンダイ模型がなぜこれほどまで執着するのか、創通エージェンシーは知る由もなかった。」という記述もあって、関係者から「視聴率が低い」と認識されていた様子がうかがえます。別に、名古屋テレビの作ったWebサイトGUNDAM HOMEPAGE PROJECTでは、「当初視聴率は上がらなかったものの、放送終了後からの反響はすさまじく、再放送では20%台の視聴率を記録するなど、多くの若者の心を捕らえました。」(http://www.nbn.co.jp/gundam/about/t_about.html )との記載があり、文化庁メディア芸術プラザのanimeister vol.3 富野由悠季 作品データでは「今でこそアニメ史に残る作品として名高いが、放送当時は視聴率不振にあえぎ、人気が高まったのは再放送以降。」(http://plaza.bunka.go.jp/museum/mediaarts/200410tomino/sakuhin/tv.html )との記載があります。
私個人の記憶としては、「諸君が愛してくれた『ガンダム』は打ち切りになった。なぜだ?」「高校生や大学生が超合金ロボットを買うわけにはいかんだろ?」という小咄のようなやり取りが巷では囁かれていたように思います。今時の人なら出来さえ良ければ超合金ロボットでも何でも買うのかもしれませんが当時は、「良い歳した人間が自分のために買うには恥ずかしすぎる」という認識であったように思います。おそらくどんなに出来が良くても売れなかったでしょう。
よって、「スポンサーの展開した関連商品が売れなかったから打ち切りになった」が正しい表現であろうと思います。視聴率はファンが思うほど高くはなかったし、(と言うよりは、放送されていない土地に住む人間が放送されている土地に住んでいた友達からビデオ(やカセットテープ)を送ってもらって見る(聞く)とか、視聴率に現れない潜在的な視聴者層があったのかもしれません。)視聴者は、年齢的に、おもちゃを買って支持を表明できる立場になかったということだと思います。Niki 2006年8月10日 (木) 17:49 (UTC)[返信]
発端になった記述そのものが富野記事の領域を越えていると思います。記載自体を作品記事に移転することを提案します。つまりその種の検証はガンダムの記事でやってください。LR 2006年9月5日 (火) 00:26 (UTC)[返信]
了解しました。けれど、この件に関しては219.184.55.102さんが納得してくださったのであればこれで終了かも。もし再燃するようであれば『機動戦士ガンダム』の記事の方へ誘導します。Niki 2006年9月6日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

この記述は必要ですか?[編集]

本文編集時にも書き添えましたが、著書『だから 僕は…』を読む限りでは、妻の名前「亜々子」は仮名のように見受けられます。また娘に関しては他分野で一定の業績のある人としての側面がありますが、知る限り無名である妻の名前までわざわざ記す必要性はあるでしょうか?瑣末かもしれませんが…。--Anexus6 2008年3月5日 (水) 01:25 (UTC)[返信]

8月24日に202.178.83.22さんが復元された文章をコメントアウトしました。この文章は、私がWikipediaに参加するようになった頃からありました。長いこと、ずっと悩んでいたのですが、思い切って削除したのは私です。
理由は、『だから 僕は…』が出版された時期があまりに古いためです。『だから 僕は…』は1981年に発行されており、当時富野氏は30代後半だったと思います。この時期までに富野氏が主導権を握って作れた作品数は高が知れており、また、若かった氏がその時期までに深くつきあった女性がヒロインのモデルになったのは不思議ではありません。しかし、今もなお同じ女性をモデルにしているか?と問われれば、これは大いに疑問が湧きます。その後に仕事や私生活上で出会った女性はかなりの数になるでしょうし、夫人に代表されるように、その女性より長くつきあうことになった女性も多くいると思います。
当時の作品に個別に「これは誰それがモデルであった」と書かれるならともかく、最近出されたエッセイやインタビュー中で「いまだにあの人をモデルにしている」とでも発言がない限りは、「1981年に出版された『だから 僕は…』の中では、当時のヒロインの多くは若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記載されている」と、時期を限定して書くしかないのではないでしょうか? と言うか、そのような記述が果たして本当に必要でしょうか? どうでもいいプライバシーのような気がするのですが。Niki 2006年8月25日 (金) 19:00 (UTC)[返信]

ヒロインと言えば、作品世界の中にあって大きな意味をしめます。1981年というと初代ガンダムとイデオンの直後なので、氏の経歴の中では興味深い時期だと思います。自分としては、すなおに知らない情報だったので面白く感じました。また偉大なクリエイターを知ろう試みる中で、彼なり彼女なりが他人につまびらかにする異性の話は、プライベートにまつわる問題ではありますが興味をそそられる材料でもあります。私は消す必要があるほど意味がない情報とは感じませんでしたが、いかがでしょうか?--Baku13 2006年8月27日 (日) 15:48 (UTC)[返信]
Baku13さん、ご意見ありがとうございます。私も『逆襲のシャア』の時に、スタッフの発言として、「監督からミライさんの髪型、毛先にウェーブをかけてほしいと言われてそうしたんですが、後になって差し入れを持って来てくれた奥様を見たら同じ髪型だった」というのをアニメ誌で読んだ時は面白いなと思いました。富野氏が、夫人との出会いについて、「ニュータイプみたいな出会いだった」と語っていたのと相まって、「多分富野氏は、初対面であっても相手を胡散臭そうに、あるいは頭の天辺から足先まで値踏みするような目で見ない、むしろさりげなく歩み寄って一瞬にして相手のすべてを包み込んでくれるような人にニュータイプの理想を置いたんだろうな」と感じて興味深かったことはあります。
でも、初代ガンダムやイデオンの頃のヒロインとなると、(富野作品は登場人物が多いので、誰をその作品のヒロインと認定するかで一悶着起きそうな気もしますが)向こうっ気が強くて行動的で、まかり間違っても男の補佐になんか回ってくれそうもない(その当時の)今時の女の子って感じで、特にモデルがいるとは思わなかった、と言うか、「今時流行りの女の子」のイメージをヒロインに投影したのかなと思っていました。卵が先か鶏が先かの議論になってしまいそうですが、「チョキ」という女性の個性を面白がってヒロインのモデルにしたというよりは、これからはこういう女性像もありだなと考えてヒロインに据えたんじゃないかという気がするのです。
恋人だったからヒロインのモデルにしたのか、時代にマッチしていたからヒロイン像に取り入れたのか。私は後者だったんじゃないのかなと思っているのですがいかがでしょうか?Niki 2006年8月28日 (月) 19:33 (UTC)[返信]
他の意見投稿みられませんが、出典と発言時期が明記されている自伝からの記述を消すに足る理由になっているとは私は思えません。この「チョキ」という女性に関してウィキ内では該当記述以外に触れられていませんが、富野氏の著作で他の場面でも影響を言及している人物のようです。異説があるならそれを含める形ででもコメントアウト部を復活させる方を望みます。--Baku13 2006年9月1日 (金) 18:30 (UTC)[返信]
了解しました。それでは復活させることにいたしましょう。記述としてはいかがでしょうか? 元の「ヒロインの多くは若かりし頃に一緒に仕事をした女性「チョキ(その女性のあだ名)」を性格的なモデルとしていると本人は述べている(著書『だから 僕は…』参照。ただし、初版は1981年)。」という書き方が良いですか? それとも「1981年に出版された『だから 僕は…』の中では、当時のヒロインの多くは若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記載されている」みたいに出典の出版時期が最初に分かった方が良いですか? あるいはもっと相応しいと思える表記の仕方がありますでしょうか?Niki 2006年9月2日 (土) 13:39 (UTC)[返信]
後者の方が良いかと思います。今回たまたま通りがかったノートだったのですが、氏のヒロイン像など面白い見方を拝見させていただき大変楽しめました。ヒロイン像などを加筆していけば、今回の部分もNikiさんにとって違和感がなくなってくるかもしれません。お疲れ様でした。謝辞失礼いたしました。--Baku13 2006年9月2日 (土) 14:45 (UTC)[返信]

コメントアウトされていた部分を、後者の記述で復活しました。Baku13さん、ご協力ありがとうございました。Niki 2006年9月3日 (日) 13:02 (UTC)[返信]

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