ノート:天白川 (愛知県)

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「明治時代になってから名づけられたもの」について[編集]

出典の提示ありがとうございます。書籍『天白区の歴史』を参考に書かれた「天白川の歴史」の記載、および2つの古地図から判断するに、江戸時代以前は

  • 当時は米野木川と高針川(社川)が合流して「天白川」が生じていた。
  • 米野木川は、合流点より上流側の現在は天白川となっている川筋。
  • 高針川(社川)は、現在は植田川となっている川筋。

という状況で、明治時代に旧来の天白川筋から米野木川へと至る川筋を「天白川」と定めた、というのが正確なようですね。この時に元々米野木川であった区間は新たに「天白川」と名前が変わっているわけですが、誰かがどこかの段階で勘違いして『明治時代に名付けられた』となったと考えるのが妥当そうです。

『天白川という名称は明治時代になってから名づけられたものである』という説がある

の出典として挙げて頂いたサイトですが、2・3つ目については「Wikipediaを参考に書いている」可能性もありそうですし、出典として適したものとは言い難いように思います。1つ目は書籍「天白の歴史」を参考に書かれているようなので、書かれている内容はある程度信頼しても良いのかもしれません。4つ目に関しては、誰が書いたものなのかも不明瞭ですね。いずれにせよ、少なくとも2・3・4は出典としては難しいと考えます。

ここで提案なのですが、1つ目の「天白川の歴史」と古地図を出典として、

江戸時代以前は、現在の植田川との合流点以下が「天白川」と呼ばれており、植田川合流点より上流側は「米野木川」と呼ばれていた。当時は植田川も「高針川」「社川」などと呼ばれており、合流点付近の植田村では米野木川・高針川ともに「植田川」と呼ばれていた。明治に入り旧天白川から米野木川に至る川筋が本流の天白川として定められ、高針川は支流の植田川となったものである。

といった文面に書き換えるのはどうでしょうか。--アセルス会話2023年12月19日 (火) 08:15 (UTC)[返信]

返信遅くなり申し訳ございません。御意見ありがとうございます。ひとまず問題の出典は削除しておきます。
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天白川の名称の歴史についてですが、古地図で名称を調べると赤池川(尾張美濃参河飛騨信濃五ケ国絵図、山崎川へと付け替えられていた時代)や平針川(愛知郡村邑全図 島田村、高針川との合流前)、天白川(元禄十四年尾張国絵図、赤池川より前の時代)等もあり、今昔マップで確認をすると岩崎川と三本木川でもどちらが本流か安定していなかったようです。(+植田村の植田川
これらをひとつの文章にまとめるのは困難だと思います。
(植田川と高針川と社川(現在植田川)や扇川と黒末川(現在扇川)、八事川と中江川と中川(現在中井用水)など、江戸時代の河川名は安定していなかったのですかね)
そこで、一つの画像に周辺の河川名の変遷をまとめるのはどうでしょうか。--NAGOYAgawa会話) 2023年12月19日 (火) 13:18 (UTC)混乱を招くため不正確な文章を一部除去しました。--NAGOYAgawa会話2024年1月4日 (木) 07:16 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。しかし、唯一残した「天白川の歴史」には『天白川という名称は明治時代になってから名づけられたものである』という内容の記述はありません。上で書いたように(要約すると)『明治時代に米野木川が天白川本流となった』という内容ですので、その辺を含めて書き換える必要がありそうです。
江戸時代以前の河川の名称ですが、「安定していなかった」のではなく「色々な呼び名があった」が正確だと思います。今まで編集に関わった河川記事の例でいうと、現在は同じ河川として定義されている河川でも江戸時代以前は流域の地方・村で異なる名前で呼ばれた例は多数ありますし、大きな支派川の合流・分岐点で名称が変わることも多かったようです。木曽川水系の河川で少し例示すると、
  • 御囲堤建造(1609年)以前の木曽川左派川の「二之枝川」には、旧木曽川本流の佐屋川に至るまでに般若川・三宅川・津島川など地域ごとに別の名前があった。(画像
  • 木曽三川分流工事(1887年)以前の木曽川河口部では、支派川全てに別の名前があった。(画像
といった具合に現在1つの河川でも、かつては複数の名前で呼ばれていた事例は多いです。こういったものを明治以降に国が主体として治水を行う中で、河川管理上の都合上名称を一本化したと考えるのが妥当かなと考えます。河川改修で名称が一本化された例としては長良川根尾川などがありますし、新境川新荒田川などは河川改修の中で既存河川を再編しています。逆に板取川では現在でも河川名に異説がある区間が存在し、文章で難しいので記事中では表形式で比較できるようにしています(参考)。こういった表形式でまとめるのは有だと思います。
ご提案の「一つの画像に周辺の河川名の変遷をまとめる」についてですが、以前私は木曽川左派川(画像)や矢作川水系(画像)で河道変遷図を作っています。こういったイメージでしょうか?--アセルス会話2023年12月20日 (水) 00:40 (UTC)[返信]
「安定していなかった」とは「一つの名称にまとまっていなかった」という意味です。誤解させるような書き方ですみませんでした。
記事の内容については、昨日急ぎで書いた部分等少し不自然なところも多いため、併せて修正・削除しておきます。(問題の個所については一旦削除、画像の追加とともに加筆するのが良いでしょう。)
「一つの画像に周辺の河川名の変遷をまとめる」についてですが、例に挙げられた様なイメージで合っていますね。(変遷というよりは古地図・史料ごと、という感じですかね。)もし周囲の河川の流路の変遷を同時にまとめるのなら、戦国以前の名称については不明なものが多いので、他の画像にまとめたほうが良いように思います。--NAGOYAgawa会話2023年12月20日 (水) 09:26 (UTC)[返信]
>「一つの名称にまとまっていなかった」という意味です
理解されていたのですね。早とちりして余計な説明をしてしまいました。すみません。
複数ある異説を1つの画像内で一覧としてまとめるということですね。板取川の例では画像で異説のある個所を示し、異説の内容は記事内で説明しましたが、これを画像内で全てやるというイメージでしょうか。異説の数によってはまとめるのが難しそうですが、理解しやすくするアイディアとしては良いと思います。--アセルス会話2023年12月20日 (水) 10:21 (UTC)[返信]
遅くなりましたがひとまず画像だけ追加しました。ご意見お待ちしています。(植田村のものに関しては文章で説明しようと思います。)--NAGOYAgawa会話2023年12月28日 (木) 08:49 (UTC)[返信]
画像も良いですが、こちらのような感じの表でまとめてみるというのはどうですか。
行に「天白川」「岩崎川」「天白川」「扇川」といった河川名、列に「尾張志」「○○絵図」といった史料名、のように。
あと、余談ながら、江戸時代後期の資料や絵地図のみならず、『寛文村々覚書』『張州府志』『尾張徇行記』のような江戸前期~中期の史料にも河川のことは触れられているので、変遷をたどるという意味ではこれらも使われるとより厚みが出ると思いますよ。--戸河美緒子会話2024年1月4日 (木) 00:46 (UTC)[返信]
確かに表の方がわかりやすいように思います。一旦サンドボックスで作っておきます。
『寛文村々覚書』『張州府志』『尾張徇行記』などについても、教えていただきありがとうございます。--NAGOYAgawa会話2024年1月4日 (木) 03:07 (UTC)[返信]
表をつくるのにあたってお尋ねしたいことが幾つかあります。何か知っていれば教えていただけるとありがたいです。
  • 『愛知郡村邑全図』の鳴海村では明らかに『白川』と記されていますが、これは『』を略したものなのでしょうか。
  • 同じく藤島村のものは『三本木川』で合っているのでしょうか。
  • 同じく牛毛荒井村野方村では何と書いてあるのか全く分かりません。
--NAGOYAgawa会話2024年1月4日 (木) 03:26 (UTC)[返信]
そうですね、私もくずし字に特別詳しいわけではないですけど、あくまで私見としてお答えします。ご参考になれば。
  • 鳴海村の絵図では、確かに「大白川」と読めますね。ただしそのすぐ北にちゃんと「天白橋」とあるので、略字としてもヘンですし、単純ミスだろうと思えます。ただしどこまでいっても推測なので、「大白川(ママ)」のようにしておくのが無難かと。
  • 藤島村の絵図にあるのは、「くろ末川」ではないでしょうか。黒末川は『信長公記』以来扇川を指すことが多いようですが、天白川本流を「くろす江川」と呼んだ事例もあるようです(『友千鳥』)。
  • 牛毛荒井村の川名については、だいたい今の地形と同じで、上流より「天白川」と「扇川」が中堤に仕切られて併走し、絵図下のほうで「大高川」が合わさっていますね。絵図左下の、中堤が無くなって以降は「一名黒末川」ではないでしょうか。上記の藤島村の例に似て、天白川と扇川が合わさった下流部を黒末川と呼んだ場合もあるとのことで(『緑区史跡巡り』)、まさにそのことを言っているのかと思います。
  • 野方村の川名については、絵図左よりの天白川上流付近にある文字は「本郷川」だと思います(「々」のように見えるのは「郷」のくずし字です)。野方村から見て上流の本郷村から流れてくるので、そういう命名にした感じですね。岩崎川に相当するのは「岩崎川■」とあるようですが、■の部分が分からないですね。
--戸河美緒子会話2024年1月4日 (木) 10:29 (UTC)[返信]
詳しい解説ありがとうございます。
『岩崎川■』は『岩崎川筋』ではないでしょうか。--NAGOYAgawa会話2024年1月4日 (木) 11:13 (UTC)[返信]
「筋」なら【たけかんむり】の要素があって欲しいですが、このくずし字には【たけかんむり】っぽいところが無さそうですよね。「筋」の異体字に「觔」という字があるみたいですが、どうやらこれでもなさそうですし…。とりあえず、これについては私はお手上げです(苦笑--戸河美緒子会話2024年1月4日 (木) 11:56 (UTC)[返信]
『筋 崩し字』で検索するとそれらしき字が出てきますよ。--NAGOYAgawa会話2024年1月4日 (木) 12:21 (UTC)[返信]
まだ修正や整理等が必要ですが、一旦が完成しました。--NAGOYAgawa会話2024年1月4日 (木) 13:20 (UTC)[返信]
ものすごく詳しく調べられていますね。本文に記述されているものも確認いたしました。これからの精査を経て、より洗練されていくと良いですね。--戸河美緒子会話2024年1月6日 (土) 10:27 (UTC)[返信]
それと、テンプレートに邪魔されてどうしても画像が下に移動してしまうのですが、これは直せるのでしょうか?--NAGOYAgawa会話2023年12月28日 (木) 08:49 (UTC)[返信]