ノート:大衆

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大衆の読みについて:  普通は「たいしゅう」と読みますが、「だいしゅう」の様に濁った読み方もあるそうです。どちらの読み方でも大体同じような意味だそうですが、少しニュアンスが違うようです。その違いについて、知見がございましたら、ご教授をお願いいたします。  

気になって辞書見たら「だいしゅ:多くの僧」という項目がありました(キラキラ輝く頭の坊さんが集団でザムザム歩いている様を妄想して漏電悶絶中)。ただ小生手持ちの簡易電子辞書アプリケーションソフトでは余り詳しく載ってないので、どうしたものか。--夜飛/ 2007年9月13日 (木) 15:52 (UTC)[返信]

群衆警備[編集]

NORだのWPだのNPOVだの頂きましたが、群衆警備という術語は存在すると思いますが。もっともググってみたところ雑踏警備というのがより制式なようですが[www.police.pref.hyogo.jp/kunrei/data/M8683025.pdf]。大衆の項目に群衆や雑踏警備の事項を記述するのは可笑しいですか?--121.112.179.28 2007年10月27日 (土) 04:24 (UTC)[返信]

冒頭に書く内容ではありませんね。大衆は、方向性を含みませんが、群集は方向性を含みます。下のほうに引越しときました。--夜飛/ 2007年10月27日 (土) 05:04 (UTC)[返信]

承拝。編集作業有り難う御座います。--121.112.179.28 2007年10月27日 (土) 05:09 (UTC)[返信]

群衆は、大衆とは全く関連がない概念と思います。本文から外し、関連項目に入れた方がよいのではないでしょうか。--Earthling 2011年4月12日 (火) 17:57 (UTC)[返信]

  • 社会学ではふつう、群衆や大衆など一時的で偶発的な集団(組織的な集団と区別してとくに「集合体」ともいう)が、予期しない突発的な危険から逃れようとして行う逃避行動を「パニック」と定義します。大衆論から群衆行動を除去するなんてとんでもない。--大和屋敷 2011年4月12日 (火) 20:36 (UTC)当Wikipedia記事を読んだだけでは「なんだか関係ないんじゃないの?」という印象になっているかもしれませんが、それは単にWikipedia記事の内容が不十分なだけでありまして、要は執筆者がいないだけだとオモイマス(´Д`)--大和屋敷 2011年4月12日 (火) 20:41 (UTC)[返信]

大和屋敷さま、 大衆を群衆と共に一時的で偶発的な集合体としてくくるのには無理があるのではないでしょうか。社会学ではふつうそうだとありますが、参照を提示していただければ、関連が理解できるかもしれません。大衆は潜在的で客体的な存在であり、群衆は一時的で偶発的な集合体であるとともに、顕在的でもあり、主体的にもなり得る存在と思います。組織的集団である兵隊が戦闘中にパニックを起こし群衆化する(烏合の衆と化す)こともあります。大衆の説明に群衆の説明が必要とは思えないので、やはり、関連項目に移し、既に存在する群衆のページを膨らまして記述なさったらよいかと思います。関連項目に記載される程度(衆という字が使われている、人々の集合体をさす)の関連はあると思います。しかし、概念的な関連が見えません。ページ全体では、大衆でないもの、大衆と混同されるものの記載が中心になっているように思えます。また、群衆とは別の案件ですが、大衆の対称としての前衛(アバンガルド)という概念をいかがお考えでしょうか。 --Earthling 2011年4月14日 (木) 21:43 (UTC)[返信]

  • えええっと(;´Д`)すみませんが他のWikipedianの方と討論するつもりでResつけたつもりではなかったので討論のほうはご容赦のほどを(詳しくない・・)。googleったかぎりいろいろ文献おいておきますので[1][2][3][4][5][6][7]Wikipediaの記述的には「つながっていない」感じはあるのですが、執筆は可能なような気がしただけ(程度ですので)ご容赦ください(´Д`;)。そのほかに
    • 「資本の限界効率を高度に不安定にしているのは、企業者の真性の期待ではなく、むしろ株式市場における無知な大衆の群集心理にほかならない」「大衆資本主義社会においては、投資するのは実際に経営に参加することの無い一般大衆」であり「一般大衆は予想収益に基づいて行動するのではなく慣行」に従い行動する。この不安定さの原因の「一つは大衆の行う投資物件の評価の中には実情にそくした知識の要素が著しく少ない」「二つは、機関投資家の関心が投資物件の将来の予想収益にではなく、群集心理に影響する情報や雰囲気の差し迫った変化を先んじて予想することにある」「なぜなら、彼らは長期的な将来収益よりは短期的な株式資本の価値騰貴に賭ける投機家にすぎないからである」『ジョン・メイナード・ケインズ』美濃口武雄(一橋論叢1990-04-01一橋大学機関リポジトリ)[8]PDF-P.12
    • C.W.ミルズ「マス・メディアによる心理的凌辱は、激烈な煽動によって補完される。そして、群集のなかの人々は、再び散ってゆき、原子化され隷属的な大衆となる」(鵜飼信成・綿貫譲治訳パワー・エリート(下) 東京大学出版会年頁))
    • デヴィッド・リースマン「もしも他人指向的な人間が、自分が如何に不必要な事をしているか、そして自分自身の考えや生活が、他人のものと同じように面白いかを発見すれば、もう同時代仲間の群衆の中で孤独をしのごうとする―まるで海の水でのどの乾きを癒そうとするように―こともなくなり、自分自身の感じ方や本当の希望に、より注意を払えるようになるだろう。」(『孤独な群集』The Lonely Crowd加藤秀俊訳)--大和屋敷 2011年4月15日 (金) 00:12 (UTC)[返信]

2009年7月22日(水)10:46版編集について[編集]

大衆といわゆる「小市民」を混同なさっているのではないでしょうか。大衆の中には勇敢で何か特別なことを成し遂げたいと志向し、普通でないものを応援し、独自性を重視したがる性向・性癖をもつ人物がいてもおかしくありません。そういった人物を含めた上で総体として没個性的であり単なる「社会の大多数を占める大勢の人々」といった程度の人々を指して大衆と扱うのではないですか?ちょっと表現の正確性に疑問がありましたのでリバートしました。--大和屋敷 2009年7月22日 (水) 12:04 (UTC)麻生太郎孫正義バラク・オバマも匿名(「名無しさん」)でWikipediaに投稿している限り、大衆ですよ。--大和屋敷 2009年7月22日 (水) 12:17 (UTC)[返信]