ノート:四式戦闘機

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ご提案[編集]

四式戦闘機疾風が保護になっているので参じました。papamaruchan22と申します。本機は、16年12月に中島に内示あったと承知致しております、(ホ-103の12.7mm×2とホ-5の20㎜×2)同時期雷電の原型14試局地戦闘機は、7.7mm×2と20mm×2で発注されてます。同一一型も同武装で、かつ紫電一一型も同武装でした。空戦性能についての論議を加えていただきたいぞんじます。武装については、火薬量とか弾道性能とかで論議が困窮してますのでこの際海軍機のところを削って外国機との比較だけを記述しておくのはいかがでしょうか。要は、決戦機として多大な期待を担っていたのでしたが機銃よりもなによりもエンジンの問題が一番大きかったのは誰しもお認めいただける論点だと思料します。保護をといてより完全な記事にしようではありませんか。papamaruchan22 2007年1月8日 (月) 12:04 (UTC)[返信]

昭和14年末の十四試局戦要求書とそれから2年後に出されたキ八四の要求性能を比較するのは、九七戦と零戦の要求性能を比べるのと同じ様なもので無理があります。因みに雷電、紫電とも昭和17年初めには20mm機銃4挺の装備が決定しています。また九九式一号と二号の初速に大きな差があるのは確かですが、であるなら30mm機関砲を搭載したがために機関銃/砲の初速がばらついたBf109K-4やTa152H-1が、比較的初速の揃っていたそれ以前のBf109G-6(ガンポットなし)やFw190D-9より火力が下がったということになりますが、そんな評論は見たことがありません。また弾道の違いによる命中率の高低を火力の考慮に入れていいのであれば、初速がバラバラのFw190A-4の20mm4挺装備型なんかはさして火力が上がらなかったことになります。計算上、1発当たりの威力も時間当たりの投射量も(ホ一〇三のプロペラ同調による発射速度の低下が無いとしても)九九式一号の方が倍近く上で、弾頭炸薬量は数倍の差があります。この差を埋めるには「機首装備のホ一〇三は翼内装備の九九式一号の倍以上の命中率がある」ことを数値で示す(数値で示さなければただの想像と言わざるを得ません)必要があるかと思います。2007年1月10日 (水))--以上の署名のないコメントは、220.104.242.90会話/Whois)さんが 2007年1月10日 (水) 00:13(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。
ip様へ、機銃について深い造詣と思い入れが文面から読み取れます。ただ他のipさんと一歩も引かない意見のぶつかり合いで保護となっているのは、あまりいいことではありませんね、機銃の選定にはいろいろ考慮すべきことがあり、12.7ミリと20ミリの間で装着弾数なんかも関係あるんでしょうね。疾風乙型はホ-5の20㎜×4だといいますし。丙型は、30ミリ砲装備といいます。命中率は空戦性能や、照準器・無線機・巴戦か、一撃離脱戦かで大きく変わり、総合的に判断すべきであると思います。火薬量とか炸薬量とか数値を戦後の今となっては示すのは大変でしょうね、で、火力の優劣は(私は日本機同士あまり差があったとは思わないです。)、おいといて編集しょうではないですかと申しあげてるのです。何度も申しあげますがより良い辞書を作りましょう。熱意は十二分に伝わってます。papamaruchan22 2007年1月10日 (水) 10:04 (UTC)[返信]
蛇足ですが、17年10月初号完成の雷電11型は、7.7×2と20×2でした。一方6ヶ月後(18年4月)の初号完成の疾風は、12.7×2と20×2でした。更に20ミリ4門の雷電21型は18年10月初号完成です、従がって運用上あまり差がないとぞんじます。このように直してはいかがでしょう、同世代の海軍機(雷電紫電)やを抹消するだけでよろしいかと。papamaruchan22 2007年1月10日 (水) 10:59 (UTC)参考図書「日本軍用機三面図集」1962年鳳文書林刊[返信]
試作機完成で比較すると確かにそうですが、試作開始時期で比較すると雷電二一型と四式戦はほぼ同時期であり、また量産開始時で比較した場合、雷電二一型は四式戦のそれより早く、四式戦の第一次増加試作機が作られていた時期です。また機銃のスペックについてはかなりの部分が残されています。スペック上、ホ一〇三と九九式一号の違いは日本海軍の重巡の20.3cm砲と駆逐艦の12.7cm砲の違いに近いのですが、前者の火力が同じであるなら後者の火力も同じと言うことにもなりかねません。たいした理由も記述せずに口径が一回り違う砲の火力が同じという一般的な物理法則に反した記述を「辞書」に載せるのはどうかと思いますが、いかがでしょうか。2007年1月10日 (水)a
提案、二文目を「20mm機関砲と12.7mm機関砲の初速と発射速度が比較的近いため、命中率の面では有利であったが、どちらも軽い弾頭を用いたことから威力の面では同世代の海軍機(雷電紫電)や欧米の機体と比較すると見劣りする面があるのは否めず、開発の比較的初期段階から武装強化型の乙型や丙型の開発が始まっている。」としては如何でしょうか。2007年1月10日 (水)
単位時間あたりの投射質量だけで比較するなら、99式1号銃は、124g×600発/分で、62000g/分、99式2号(ドラム給弾)では、128g×450~480発/分ですから、57600~61440g/分となり、初期の2号銃は1号銃より劣ると言う、おかしなことになります。それより、初速150m/sの差の方が、機銃の威力を左右する大きな要素であったということになるかと思います。この事実を無視して、投射質量だけで99式1号>ホ-103と断定することは、空想に過ぎません。それ以外に「見たことがない」とか、「決定していた」等の御意見を出されているようですが、いずれも主観に過ぎないようです。結局、どちらが強力と断定できない以上は、問題の記述を、削除するのが、辞典としては妥当であるかと存じます。(携行弾数で比較するなら、間違いなく海軍>陸軍となるようですが)2007年1月10日(水)--以上の署名のないコメントは、221.119.124.233会話/Whois)さんが 2007年1月10日 (水) 20:27(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。
評論については、主観と言われるなら確かにそうかもしれません。そのような評論をご存じのようですので、是非ご教授下さい。また昭和17年初めに雷電の武装強化(20mm4挺装備)の要求が出ており、この時点で紫電では20mm4挺装備の設計作業が進んでいたのは事実です(碇義朗氏の「迎撃戦闘機雷電」参照)。投射質量だけで断定するのは仰る通り空想ですが、初速と弾頭重量から導かれる弾丸の運動エネルギーでも比較しています。繰り返しになりますが、どちらもホ一〇三が九九式一号の半分以下であり、炸薬量は数分の一、つまりホ一〇三は九九式一号より一発の威力で劣り、その差を発射速度の差でも補い切れません。それなのに「同等の火力」とする方が無理があります。因みに九九式20mmの弾頭は一号も二号も同じですので弾頭重量はどちらも128gです。また九九式一号の発射速度を600発/分とするのは初めて目にしました。私の知る限り九九式一号は最速の四型でも550発/分ですが。2007年1月10日 (水)a
運動エネルギの計算方法間違っていません?どうやったら99式1号の運動エネルギが、ホ-103の2倍になるんでしょうか。私は運動エネルギ=1/2mv^2と覚えていました。ホ-103が、m=0.038kg×800発、v=780m/s、99式1号がm=0.124kg×500発、v=500m/sですので、計算はお任せします。多分、2倍にはならないでしょう。あと、初速の話は、運動エネルギだけでなく、命中精度にも影響する事をお忘れなく。b
公式はその通りですが、普通vは初速、mは質量ですので、質量に発射速度をかけた数値をmに代入するのはまずいですね。a
なんでまずいのですか?もし、あなたが弾1発あたりの破壊力の比較をして、99式1号銃は、ホ-103の2倍の威力があると思っていたのなら、相当、無知な方ですね。その程度の知識でしたら、もう議論などなさらぬ方がいいと思いますよ。b
公式が想定しているのと違う数値を代入してまずくないとしとら、なんでもありの空想の話ですね。あと上の文をよく読まれた方がよろしいかと思います。--以上の署名のないコメントは、58.90.202.248会話/Whois)さんが 2007年1月12日 (金) 21:37(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。
あなたが間違った公式を振りかざして、「2倍の威力だ」と主張するなら、これ以上議論の余地はありません。問題の記述は削除でよろしいでしょう。もう一度説明しますが、弾1発あたりの運動エネルギを比較しても無意味です。それだけのエネルギを持った弾を、単位時間あたり何発発射して目標に当てることができるかを比較しなければなりません。機関銃は戦艦や戦車の砲とは違うのですから。これが理解できないのなら、もう編集作業には関わられないことを希望します。兵器のスペックについて語るなら、せめて高校卒業レベルくらいの物理知識はほしいものです。--以上の署名のないコメントは、219.14.48.40会話/Whois)さんが 2007年1月13日 (土) 10:17(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。
  • キ-84-1は審査と試作が平行して行われ、増加試作も10機だけという方針をすて量産しつつ改良を加えた機体です。そして624kmの当時陸海軍機の公式最高速度を出しました。最初から甲・乙・丙型が計画され武装も違っていたのです。甲は対戦闘機用、乙と丙は対爆撃機用だったのです(出典は秋本実著「日本の戦闘機」1961年出版協同社刊)どうしても同世代の海軍機より火力が劣っていたとする記述にこだわる必要は無いと思うんですよね。本文の前段には最も火力の大きい云々と書いてありますね、すぐあとで不足と続きます、つじつま上記述に工夫が必要です。だからあまり拘泥してはいかがなものかと思うのです。このままでは、記事の改稿もままなりません。IP様におかれましては、ログインなさって機銃について心行くまで納得いくまでお互いの会話ページで議論するのもいいものですよ。それから~(チルダマーク)4っでサインお願いします。papamaruchan22 2007年1月11日 (木) 02:37 (UTC)[返信]
  • Miya.mです。IP氏お二方の議論を読ませていただきましたが、武装の強弱に関する議論についてはWikipedia:独自の調査をお読み頂きますようお願いします。そこには『ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。』と書かれています。例えば初期の一式戦闘機の火力の貧弱さや、誉エンジンの不調は色々な書物や記録からも明らかですが、今議論されている範囲での火力の強弱について書籍等で言及されていますでしょうか?Wikipediaのルールでは、参照元が明らかでない「独自の調査」は書かないことになっています。Miya.m 2007年1月21日 (日) 08:05 (UTC)[返信]
    • ホ-103と99式1号銃の威力を比較し、信頼できる結論に達した書物などないでしょう。問題の記述を存続させたい意見の方は、口径の大きい20mmの方が強力であると、子供向けの本に書いてあったようなことを鵜呑みにしているだけのようです。最初から言っているように、問題の記述は削除が妥当と思いますが。219.125.4.245 2007年1月23日 (火) 11:18 (UTC)[返信]
    • 参考意見:有識者のみなさまのご検討を希望いたします。キ-84(疾風)は米空軍から、自国の P-51, ドイツの Fw-190, とともに大戦を代表する3機としてえらばれた機種として有名です。スミソニアン博物館刊の FLIGHT 100 years of aviation (内容は英国、欧州戦中心)にも第2次大戦の戦闘機として日本から唯一、性能はヘルキャットやマスタングをしのぐ機、として紹介されていますので、この記事をたのしみに読んでいます。(同本での大戦中の最高機の扱いは Spitfire で、零戦は「大洋上の航空戦用」として米海軍機との比較で掲載されています)。
      • 旧帝国日本陸軍の航空機武装として太平洋戦線の開戦当時 13 mm 機関銃/ 20 mm 機関砲開発に著しく立ち遅れていたことは事実ですが、大戦をとおしてみて、結果的に航空銃武装としての技術開発としては高い評価がされています。
      • 20 mm 機関砲 HO-5 についての高評価は、米陸軍技術部門の個人的発言、国内の2次資料からでも伺えますが、航空機機関銃の事典、 FLYING GUNS WORLD WAR II, Anthony G. Williams and Emmanuel Gustin, AirLife社にも、HO-5 を含む記述があり、米英、独、ロシアをふくめた各国の航空機銃の技術開発実績比較で、旧帝国日本陸軍は最終的にはよい航空機銃を開発した、と高く評価されています。
      • FLYING GUNS では、旧帝国日本海軍側の99式1号銃と2号銃についても高い評価がされ、戦場実績のないエリコン式機関砲の導入挑戦と、世界初の航空機への搭載実用化を高く評価してあり、APIブローバック式の他方式では考えられない軽量構造の長所と、その方式ゆえに他方式では可能なプロペラ圏内同期式搭載の機関砲としては使えない欠点も書いてあります。
      • 炸裂弾が空戦で効果あり、陸軍側、海軍側がともに炸裂弾を使うことにこだわったことについては、鋼板実射で 20 mm 炸裂弾は 7.7 mm 通常弾の20倍の効果があり、大戦後半に、空気信管(海軍名称:無撃針信管)がまず陸軍 12.7 mm 弾に、次に海軍も 20 mm 遅延炸裂弾に、つづいて 13.2 mm 弾の炸裂弾化に使われ、13.2 mm 弾が炸裂弾になって数倍の威力になって実務部隊で空戦で効果経験したことも、専門家および当時戦った戦闘員の刊行書物に記載されています。例えば、『紫電改』学研、零戦搭乗員会著;『海軍戦闘機隊史』など
      • また命中性能での 99式1号 20 mm 機銃の性能不足とカバーする戦闘方法については、99式1号 20 mm 機銃が大戦中期までの『旧型零戦の主翼』に搭載された状態では、実戦で使われる射程 200 m 先で計測して日本の 7.7 mm 機銃や米 Browning 12.7 mm 機関銃の 26cm より 11 cm 多く落下するレベル(肉眼で気付かない差、日本の Wikipedia の零戦の弾道図は心象的な労作と思いますが事典としては間違っています)だったのに、実戦での弾道には目にみえるほどの違い(岡嶋清熊少佐など)がありました。しかし、主翼問題で空戦では注意しながら使う必要あったことは、実務部隊の加賀戦闘機隊で零戦導入の空戦テストした際に、主翼搭載機銃にGがかかるとよく詰まり、弾道もはずれ、空戦では 7.7 mm のようには使えないが我々熟練者は「Gをかけない戦い方をすれば使え、使いこなせる」と海軍内部で最初から報告されています。零戦21型初期型は軽量化で主翼強度に問題があり真珠湾出撃前の 1941 年になっても実務部隊の空母部隊現場で外板張替え補強改修され、翌年早々の基地航空隊や小型空母部隊では96式艦戦を使い続けていたころに零戦を新機材に交換していたことが知られています。
      • 十分に防弾された欧米軍用機の一流機種との空戦での主武器は 20 mm 炸裂弾でなければならず、その効果と見え方については、99式2号機銃になって 7.7 mm 機銃とおなじくよくあたるようになったこと、エースとして旧海軍に知られた斉藤三朗(みつお)少尉は、20 mm 炸裂弾は空戦時に機体にあたるとき未熟者には機体表面で弾かれているように見える状態が、実際にそこで炸裂して致命傷を与えている状態だということが説明されています。斉藤三朗;『零戦虎徹』
      • 日本陸軍航空機が防弾武装を重視していたことについては、12.7 mm に対応できた防漏タンクとして、外袋式でも天然ゴムの低硫黄化の工夫をして漏れたガソリンに触れて溶けて穴を塞ぐ防弾タンクゴムを開発し、17年末からの陸軍での実用化と川崎99式双発軽爆撃機の実戦部隊からの感謝レポート(渡辺洋二;『陸軍実験戦闘機隊』)、キ-84 疾風と同じ仕様を備えたキ-43 隼の操縦席後方と床面の防弾鋼板厚 13mm は、P-51 の操縦席後方だけの防弾鋼板厚 1/4 インチ(約 7.5 mm 弱)より強力であるという、ビルマ米陸軍の現地調査レポート(p.79, 下田隆一 著, 野原茂 図; 太平洋戦線でのムスタング戦闘機録 -『ミリタリー・エアクラフト』 1997年 9月号, デルタ出版)があります。
      • 以上のことは正式な専門研究機関の専門家の航空研究者の方々の調査資料のほかにも、比較的に発言に責任を問われない立場のはずながら専門家顔負けの真摯に詳細調査されている民間の「航空研究家」の方々の著作、空戦を戦って体験した方々の著作刊行物に書かれていますので、事典として、理由をそえて事実として記述、採用なされてはいかがでしょう、と考えております。有識者のみなさまのご検討を希望いたします。--Shun Zero 2008年8月9日 (土) 19:17 (UTC)[返信]



英語版の記事によると、中共が1950年代まで四式戦を(たぶん接収して)使用していたらしいですね。--138.243.195.38 2007年2月3日 (土) 23:55 (UTC)[返信]

約1ヶ月間議論の進展がありませんでした。沈静化したとみなし保護解除します。Miya.m 2007年2月24日 (土) 22:33 (UTC)[返信]


写真についての確認です。 1973年帰国時の写真ならば、発表が1971年以降なので、著作権は50年となりまだ著作権が残っているのではないでしょうか

2011年9月25日の差し戻しについて[編集]

編集がネット掲示板を通じた孫引き状態であり、内容の正確性・引用の手続き性に確実とはいえない部分があるために、安全側に考え、27.135.213.130氏の投稿は全て戻しました。引用元の提示など引用の条件を明確に満たしていない箇所のみ、削除依頼に出してあります。--Los688 2011年9月24日 (土) 17:45 (UTC)[返信]

ネット掲示板の記述は原書籍から私がテキスト化したものです。原書籍の出典記述を追加するとよいと理解します--27.135.213.130 2011年9月24日 (土) 18:46 (UTC)27.135.213.130[返信]

議論を行うのも面倒なのでサックリ削除してください。表現の一致が発生しないように原典より起こし直します。--27.135.213.130 2011年9月25日 (日) 04:08 (UTC)[返信]

ネット掲示板にあなたが投稿したという証明は非常に困難ですし、今回の件の解決には直接には結び付かないので、言及されましてもなんとも言えません。さて、記事本文への参考書籍からの引用は可能ではございますが、「Wikipedia:引用のガイドライン」にしたがう必要がございます。「必然性」や「一部」であること、「主従関係」が成り立っていることが条件になります。また、出典明記もしなくてはなりません。少なくとも「戦史叢書」という書き方は厳しいです。大部の書籍ですので何巻か位は示していただく必要があります。また、別の文の書き起こしでもかまいませんが、表現の推敲が不十分な場合は翻案・転載となり、これもまた著作権問題になりますし、機体の優秀性の評価とかの場合はWikipedia:検証可能性に則り、出典・参考文献を提示する必要がございます。--Los688 2011年9月25日 (日) 00:44 (UTC)[返信]

了解です。地道に行きます。まずは手始めに可動率の件を書き直しました。こんなもんでいかがでしょう。--27.135.213.130 2011年9月25日 (日) 04:08 (UTC) 書名を入れ直しました。--27.135.213.130 2011年9月25日 (日) 04:08 (UTC) ここにマークアップを無効にするテキストを入力します[返信]