ノート:吐蕃

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IP氏との間で編集方針の対立が生じている「典拠つきで提示されたツェンポ名」[編集]

以下は、IP氏との間で編集方針が対立している「ツェンポ名の表記」のサンプルです。

現行のツェンポ名の表記(典拠付き)の例 IP氏が繰り返し強行している書き換え
ナムリ・ロンツェン王(ティ・ルンツェン)<ref>山口瑞鳳,1988,p.17</ref>> ナムリロンツェン王
[[ソンツェン・ガンポ]]<ref>山口,1988,27表</ref> [[ソンツェンガンポ]]
グンソン・グンツェン<ref>山口,1988,p.27</ref> グンソングンツェン
マンルン・マンツェン<ref>山口,1988,p.27</ref> マンソンマンツェン<ref>岩尾,2010,p.19</ref>
[[ティ・ドゥーソン]]<ref>山口,1988,p.27</ref> [[ティドゥソンツェンポ]](འདུས་རོང་མང་པོ་རྗེ་)<ref>吐蕃史稿,p197</ref>

上記の表の「現行の表記」を私が初めて投稿したのは2012年5月26日 (土) 10:55における編修においてです。この編修について、前節でIP氏は、「わたしが典拠つきで記述したツェンポ名の表記を、合意の成立前に自分好みの山口本に拠った表記で書き換える行為」と主張していますが、ソースをごらんいただければ明らかなように、この編修以前の版には、「典拠つきで記述されたツェンポ名の表記」はひとつも存在しません。

  • 「典拠つきで記述されたツェンポ名の表記を、合意の成立前に自分ごのみの表記で書き換える行為」
  • 自分に対する質問に返答せず、オウム返しの質問を繰り返している

のはIP氏ご自身の行いです。使い捨てのログイン・アカウントとIPを駆使するIP氏には、以上のような編集を強行するのをやめ、合意形成をよびかけていますが、ちっとも応じてくれません。いつの日か、IP氏が態度を変更して合意形成を目指してくれる日がくるのを願ってやみません。--Dalaibaatur会話2012年7月7日 (土) 20:51 (UTC)[返信]

  • 参照項目
  1. 合意形成
  2. 腕ずくで解決しようとしない

追記:7月7日に「編集保護」が解除されたとたん、IP氏は112.139.0.1ステイキープ、[42.124.28.22]の名義で「典拠付きので記述したツェンポ名の表記を合意の形成を経ずに自分ごのみの表記に書き換える編集」を強行しました。このうちステイキープというアカウントは「sockpuppet」という理由で「無期限ブロック」となっています。いつの日にか、IP氏がこのような編集姿勢を改めて、IP氏との間に合意が形成できる日が来ることを願ってやみません。--Dalaibaatur会話2012年7月8日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

Dalaibaaturくんの錯誤一覧[編集]

Dalaibaaturは、山口本表記への偏執が故に、大原は「チ・ドゥソン」、「チ・デツクツェン」、「チ・ソンデツェン」としているとするが、実際は年代の新しい大原の出版物は「チドゥソン」、「チデツクツェン」、「チソンデツェン」などのように王名を一体として扱っている。
大原良通『八世紀における吐蕃の対南詔国政策』(2002)より
  1. 「チドゥソン」(P10)
  2. 「チデツクツェン」(P11)
  3. 「チソンデツェン」(P14)
Dalaibaaturは、『吐蕃史稿』は中国語文献であってカタカナ表記は実在しないと主張するが、チドゥソンは前述の大原も用いる表記である王の幼名であり、ツェンポは吐蕃王の一般的な敬称であるから、この2つが組み合わさった名称がチドゥソンツェンポであるのは自明であって何ら疑いを挟むは無く、Dalaibaaturの主張は難言い掛かりでしかない。
Dalaibaaturは、「チドゥソンツェンポ」の蔵文表記が架空であると主張するが、正当に荒らしから全保護されている最新版にある「ཁྲི༌འདུསསྲོང༌བཙན།་」という表記は、日本語表記では「チドゥソンツェンポ」となりこの言い掛かりも成立しない、そもそも人がノートに書いた内容を消すDalaibaaturの行為は品性を疑う。--112.139.3.68 2012年8月20日 (月) 18:31 (UTC)[返信]
このようにノートに投稿した自分の文章が書き換えられていたら、もとに戻すのは当然のことです。--Dalaibaatur会話2015年1月25日 (日) 08:50 (UTC)[返信]