ノート:加護亜依/過去ログ1
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61.115.109.20氏、61.115.98.73氏の追記について
Wikipediaは芸能雑誌や芸能ニュースではありません。また、テレビやラジオでの発言をすべて記述するものでもありません。
交友関係の情報としても2chに1スレあるだけで「特徴」に値しません。
2005年11月2日 (水) 22:04、2005年11月3日 (木) 02:33に追加した記事を削除しました。
なお、両氏はwakwak.ne.jpのppp接続であり、同一人物と思われます。ログインしての編集をお願いします。--Paripori 2005年11月3日 (木) 01:41 (UTC)
2月10日付けのフライデーに写真が掲載される件について
- 上の件で2月9日に悪戯があり,保護を依頼しましたYuchy 2006年2月9日 (木) 09:34 (UTC)
- 謹慎処分という報道が各新聞でなされているので、喫煙は事実。よって更新して良いだろうということで解除希望します。--以上の署名のないコメントは、61.193.139.162(会話/Whois)さんが 2006年2月9日 (木) 17:05 に投稿したものです。
- 確かに事実なんですけど、保護した理由はあくまで編集合戦(喫煙に関する記述の削除と追加が繰り返された為)なので、事実だからといって保護解除というわけにはなりません。当分の間様子を見て、それからの話ですね。その前に記すべきかという問題がありますが。--零式人間 2006年2月9日 (木) 17:53 (UTC)
- ココは芸能速報じゃないのだから沈静化してからでもいい気がしますがね。--以上の署名のないコメントは、220.148.208.147(会話/Whois)さんが 2006年2月9日 (木) 23:08 に投稿したものです。
- 今は様子を見るのが一番でしょう。ただし、落ち着いてからきちんと事実を載せること。噂レベルならともかく、きちんと報道されて謝罪文章も出ていることをまるでなかったかのようにするのはおかしいですね。--以上の署名のないコメントは、61.125.215.5(会話/Whois)さんが 2006年2月10日 (金) 09:00 に投稿したものです。
- 2月9日にインターネットで記事が出た時点で,まったく悪戯としか思えない編集がされていたため保護依頼を出しました。報道によると今後家族とも話し合うということらしいので必要があればその事実のみを適当な時期(多くの人に関心がなくなり,編集合戦にならない時期)に記述すればいいと思います。--yuchy 2006年2月10日 (金) 09:55 (UTC)
- 最低2週間はこのままですね。--Goki 2006年2月10日 (金) 10:33 (UTC)
- とりあえず、マスコミが匿名にしているところと、実名で報道しているところと真っ二つに分かれているため、各マスコミの足並みが揃うまで待つのが妥当。--Tsunoi 2006年2月10日 (金) 11:39 (UTC)
- 事務所が認めたことだから書いてもいいと思います。--以上の署名のないコメントは、221.186.3.249(会話/Whois)さんが 2006年2月11日 (土) 03:39 に投稿したものです。
- ハロープロジェクト公式サイトに「『W 加護亜依』についてのお知らせとお詫び」というアナウンス文書が載っている(トップページからのリンクつきで)ことを附記しておきます。--210.161.184.200 2006年2月11日 (土) 15:07 (UTC)
- スキャンダルのあったタレントはいつも保護される(byマジ切れ)--以上の署名のないコメントは、61.198.198.37(会話/Whois)さんが 2006年2月11日 (土) 06:10 に投稿したものです。
- 確かにスキャンダルだけど未成年の喫煙は犯罪ではないし、一般人はこんなことで実名や顔が公開されることはない。今回の報道はかなり問題があるので沈静化まで記述は控えるべきだろう。Kaoru63 2006年3月17日 (金) 01:47 (UTC)←未成年の喫煙は犯罪です。勉強しなさい。
- 東スポは実名公表しましたし、事務所側も謹慎処分及びニューシングルの販売も延期しました。--V-SSK 2006年2月13日 (月) 17:33 (UTC)
- 2006年3月22日、加護本人がマスメディアにて「今回、私が喫煙したのは紛れもない事実です。そこで、事実上芸能界を引退することをマネージャー達と決めました。喫煙の件にい対し深い反省と共に、これまで応援してくださったファンの方達に感謝します。ありがとうございました」と発表していましたよ。--以上の署名のないコメントは、58.93.173.189(会話/Whois)さんが 2006年3月22日 (水) 10:58 に投稿したものです。
- どこがそう報じたんですか? “マスメディア”などとぼかさず社名を書いて下さい--220.157.207.172 2006年7月17日 (月) 07:26 (UTC)
- 同じく、もしそれが事実ならWは当然解散になる(辻1人ではユニットとは呼べない。極楽とんぼの例と同じ)筈ですが、現在でも辻については「Wの辻希美」と報道、表記されています。--163.139.28.86 2006年8月2日 (水) 01:24 (UTC)
- この一連の不祥事も沈静化したと思いますので、保護を解除しても良いと思います。2006年3月29日 (水) 22:59 (UTC) --以上の署名の無いコメントは、Shogo0607(会話・投稿記録)さんによるものです。
- 辻希美には、加護の喫煙について書いてあるお。--以上の署名のないコメントは、219.100.252.227(会話/Whois)さんが 2006年3月30日 (木) 07:48 に投稿したものです。
- ノートの未署名修正について追加しました。略歴に、公式発表をベースとした事実関係を記述しました。--Paripori 2006年4月11日 (火) 17:09 (UTC)
- 未成年の実名云々ということでいえばこの議論が公開されていること自体いかがなものか。--Crazy柔術 2006年7月30日 (日) 07:35 (UTC)
- 何故、半保護にしたのですか?解除して誰でも編集出来る様にしてほしいです。よろしくお願いします。--以上の署名のないコメントは、220.50.188.86(会話/Whois)さんが 2007年1月4日 (木) 12:48 (UTC) に投稿したものです(野良人による付記)。
- 時期尚早。編集可能になればヲタ連中が憶測で編集合戦を繰り返すだけ。最低2ヶ月は半保護が望ましいですね。みやっち 2007年3月27日 (火) 14:23 (UTC)
- そうですね。この手の話題は編集合戦になりやすいようですので、まだ解除はしないほうが良いでしょう。--Ohanatei 2007年4月1日 (日) 03:16 (UTC)
謹慎中にて
- 2007年1月:謹慎中であるが、モーニング娘。10周年記念コンサートツアーの最終日に久々に姿を見せた。
この情報源を教えてください。HIR 2007年2月1日 (木) 12:10 (UTC)
でしゃばってすいません。私が投稿したわけではないですが、多分28日のデイリーの記事だとおもいますよ。oonoumi2007年2月1日 (木) 22:45
- 「一部報道があった」という形に書き換えておきました。まる。 2007年2月1日 (木) 15:30 (UTC)
週刊現代
先走って追記してしまいましたが、一応撮られたということです。[1]HIR 2007年3月26日 (月) 03:49 (UTC)
- 事務所からの公式な発表があるまで正式掲載は控えた方がいいような気がするんですが?oonoumi 2007年3月26日 (月) 04:17 (UTC)
- 事務所が正式に契約解除を発表したみたいですよ。http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/ai_kago/story/20070326hochi219/--58.87.231.19 2007年3月26日 (月) 10:58 (UTC)
書き換え
- 引退なので、「日本の歌手、女優、タレント」の部分を「元日本の歌手、元女優、元タレント」と書き換えるべきだと思います。--以上の署名のないコメントは、218.221.80.130(会話/Whois)さんが 2007-03-27 07:10:45(UTC) に投稿したものです。
- 私もその意見に賛成します。--218.178.192.12 2007年3月27日 (火) 07:27 (UTC)
- 「事実上の引退」なわけですから、本人から「引退する」という宣言などがない限りそのままでいいと思います。--青子守歌 2007年3月28日 (水) 19:23 (UTC)
- 「事実上の引退」どころか、「事実上の芸能界追放」です。本人からのアナウンスの有無に関わらず、「元」をつけるべきと考えます。--Bergmann 2007年3月31日 (土) 23:41 (UTC)
- 「事実上の引退」と「事実上の芸能界追放」については、報道機関によって表現が異なっています。芸能リポーターや他の芸能人の発言に至っては、概ね「事務所との契約解除」を採用しているようですので、青子守歌さんの見解のほうが現状ではベターではないかと思います。なので、引退かどうかについては、本人からの発言が無い限り断定的な判断をすべきではないでしょう。また、あくまで客観的な事実を載せるという意味では、今のところ「元」を付けるべきでは無い思います。--Ohanatei 2007年4月1日 (日) 03:16 (UTC)
- 客観的な判断をするのであれば、事務所との契約解除という事で芸能界で働くための職を失っている事になっています。たとえ本人が辞めたくないから「引退していない」と言ったところで芸能活動は現時点では出来ない状態です。その状態で「タレント」という肩書きを与えるのはいかがなものでしょうか。これこそ客観的にみておかしいと考えます。「元…」をつけるべきでしょう。--篠岡 2007年4月1日 (日) 11:40 (UTC)
- あまりに「元~」という表現が続くのは表現がくどくなるので、ちょっとシンプルにしました。--篠岡 2007年4月1日 (日) 13:06 (UTC)
- 合意の形成前の編集であるため差戻しました。タレントに集約する篠岡氏の編集では、歌手・女優活動もしていた情報が抜け落ちます。編集合戦としないために;
- 第1に、冒頭部全般に「元」という表記をするか否か、合意をえることが必要です。どちらの結論となるにしても、合意の形成が必要です。
- 第2に、冒頭部としての情報を欠落させない表現が必要です。情報を削る理由として「くどくなる」は不十分と考えます。例えば、時期を明示しての活動状況を示す表記も考えられます。編集者には既知ですが、「『加護亜依』を良く知らない読者の調べものに役立つ情報である」ことを意識する必要があります。--Paripori 2007年4月1日 (日) 17:10 (UTC)
- 極楽とんぼの山本圭一は、不祥事の結果事務所から契約解除を発表されて事実上の芸能界追放となりました。「引退する」などと本人が宣言したわけではないですが、2007年4月現在「元お笑いタレント」として編集されています。『加護亜依』とは多少なりとも事情は変わってくるのでしょうが、境遇は似ているわけですし、私も「元日本の歌手、元女優、元タレント」などと書き換えるべきだと思います。--218.178.192.12 2007年4月1日 (日) 17:34 (UTC)
- 個人事務所を設立して、芸能活動するというのが(名目上)残っているけど。ただ、今の加護が置かれている境遇から見れば、芸能界で活動することが極めて難しく、再開のメドが立っていないのは事実でしょう。--経済準学士 2007年4月1日 (日) 17:38 (UTC)
- 合意を形成する以前に所属事務所から契約解除された状態で加護亜依がタレントである事はないわけですし、「タレント」という表記があるのは明らかな誤りではないでしょうか?客観的に見ても誤りである状態にも関わらず、タレントという表記を改めるのに合意が必要でしょうか?冷静に考えてください。何でも合意がないといけない事はありません。あと第2についてですが、情報を欠落させているとは思えません。元タレントでモーニング娘。4期、ハロプロのW、あとの経歴については後述しておけば欠落とは言わないでしょう。もし全て必要というのなら全てに「元~」をつけるべきですね。「元~」のない情報は明らかに誤りであり、それこそ情報が欠落しています。よってここは合意無しでも「元~」はつけなければなりません。、「『加護亜依』を良く知らない読者の調べものに役立つ情報である」のならば、嘘の情報を書く事はまずいですよ。現状を客観的に嘘の内容を書かないように編集する事を心がけてください。
- また経済準学士様のご指摘の通り、個人事務所やインディーズでの活躍があれば、その時点で編集すればいいと思います。--篠岡 2007年4月1日 (日) 21:00 (UTC)
- たしかに、少なくとも短期での復帰は、ほぼ100%無理でしょう。また、長期的に見た場合は分かりませんが非常に難しいことに変わりは無いと思います。ただし、これはあくまで『現状は』という意味なので、ここで完全な『引退』と断定してしまうのも百科事典としてはいささか乱暴な気がします。
- 上の篠岡氏の書込についてもそうなんですが、事務所を解雇されることとタレントを引退するということは実際には別物です。よくここを混同しがちなんですが、プロダクションとの契約というのは、あくまで芸能人活動のマネージメントに対する依頼するための契約です。したがって、芸能人として活動することとプロダクションに所属・契約することはまったく関係がありません。なので、「事実上の引退」という意味での編集は出来たとしても、本人もしくは代理人の表明以外での完全な『引退』という意味での編集は、やはり避けておくべきだと思います。
- 個人的には、先の極楽トンボについてもマスコミ各誌の記事や本人へのインタビューなどから見て「現在事実上の引退状態である」に止める方が今のところはベターだろうと思います(事実、太平シローのようにスタッフとして芸能界に復帰するパターンもありますしね。)。もっとも数年(どの程度かは意見の分かれるところですが)しても動きが見られないのなら、とりあえず『引退した』ってことにしても問題はないと思います。
- ちなみに、プロ野球等と違い『(事実上の)芸能界追放』については、誰かが明示的に決めるとかいうものでもありませんので、「そう書いた記事もある」という程度で百科事典に載せる文言としては、かなり乱暴過ぎるように思います。そもそも『事実上の引退』という文言の比べると『(事実上の)芸能界追放』は、特に今回の場合、客観的表現というよりも記事に対する食いつき狙い的な意味合いが強いものと思います。実際、『(事実上の)芸能界追放』と明記しているのは、分かる限りゲンダイかZAKZAKくらいです。ZAKZAKと同じサンケイグループのサンスポでも『芸能界追放』という書き方はしていません(『このまま引退に追い込まれる』という表現はありましたが)。
- あとこれは、この項に限ったことではありませんが「世間の認識」と「客観的な事実」は必ずしもイコールしないことは、往々にしてあることであり、こういった文章を書く上では十分に考える必要があると思っています。--Ohanatei 2007年4月1日 (日) 21:45 (UTC)
- 追加でもう一つ。上の篠岡氏の発言に「客観的に見ても誤りである状態にも関わらず、タレントという表記を改めるのに合意が必要でしょうか?」と、あります。たしかに「誤字脱字」、「公式な場での発表や発言に則った記事の作成・訂正」なら分かりますが、対称となる記事の肩書きや経歴の変更を公式な発表などで明示されていない状況で、断定的な判断を下すか下さないかの議論無しに進めてしまうのは問題が有るでしょう。一人でやってるならまだしも不特定多数の人間が編集に参加するわけですし、ましてやこれだけ世間に認知されている人物に関する記事の其れもノートで議論している最中の内容をいきなり現れて編集するのは、編集合戦を招きかねない行動に思います。また、「客観的」という捉え方も見る人によって千差万別です。なにせ、編集しているのはあくまで人間ですから。そういった意味でも編集合戦の回避やより有益な百科事典の作成のためには、合意の形成が必要だと思います。--Ohanatei 2007年4月1日 (日) 22:05 (UTC)
- えと笹岡ではなく篠岡です。上で書かれている名前は私の事でいいですよね?
- まず決定的にスタンスの違いを明記しておきます。私は「引退した」という表現は一度も使っておりません。契約を解除されたので「タレント」という肩書きをはずしただけです。芸能人活動のマネージメントに対する依頼するための契約が解かれて、そこから個人事務所やセルフマネジメントを行ったという事実及び発表が一切ないので、現時点では「元~」とつける事が客観的に正しいと判断できるのではないでしょうか?「事実上の引退」とか「正式に引退表明した」とかそういった表現は私は一切使っておらず、契約解除の正式発表があってセルフマネジメントがない状態なので「今はタレントではありません」という客観的情報をに書く事が何故いけないのでしょうか?年数の事も最初の喫煙問題でそこから1年以上芸能活動が出来ない状態があり、それからこの契約解除となっている事からして、全く問題はないでしょう。いいですか、よく考え直してくださいよ。「引退した」と書いたのではなく、「契約解除されタレントでなくなった」と書いているのですよ。そこをよくご理解いただきたい。
- あと公式な発表は事務所からの契約解除のおしらせがプレスリリースや報道発表で公式に行われており、私の編集は「公式な場での発表や発言に則った記事の作成・訂正」です。明らかな事実誤認(この場合はタレント活動を行っていない者へ「タレント」の肩書きが与えられていた事)は誰でも編集加筆できるのがWikipediaです。合意の有無に関わらず明らかな誤りは訂正されて当然です。あと「客観的」は千差万別ではありますが、見る人によって変わる事は「客観的」ではなく「主観的」だからです。そこをもっとよく理解されたほうがいいと思います。
- さらにもうひとつ、「世間の認識」と「客観的な事実」は必ずしもイコールしない事はWikipediaを編集する事には何の意味もありません。主観を入れずに「客観的事実」を書くべきであり、それが世間にどう認識されるのかはWikipediaで説くべき問題ではありません(もっとも明らかに事実と違う内容であれば世間との認識が大きく外れてしまう事もありますが、そういった明らかな間違いはすぐに訂正されるべきですよね)。--篠岡 2007年4月2日 (月) 00:17 (UTC)
- 差戻しを実施しましたが、私も篠岡氏の編集方針(「元」を付けること)に賛成です。しかしながら、編集の前にノートでのOhanatei氏が「元」を付けることに反対する旨の意見に対応する必要があります。現状の冒頭部は暫定(議論中)であることがテンプレートで示されますので、「元」を付ける編集を急がなくても良いと思います。(反対意見が無いことを1週間以上待っても良いでしょう。)
- 「元」を付ける編集の根拠として、2007年4月2日に報道されたつんく♂のコメントがあげられます。「芸能界に復帰」という文言より、「芸能界から離れている」状態が示されています。
- この状態が今後どうなるかは分かりませんが、2007年4月時点で芸能(歌手・女優・タレント)活動から(実活動としても、事務所への所属状況としても)離れている状態を示すべきと考えます。今後については、加護亜依が芸能活動を開始した時点で「元」を外すことで対応できるでしょう。
- 表記としては、山口百恵にならって「日本の元歌手・女優・タレント」は如何でしょうか?
--Paripori 2007年4月3日 (火) 14:42 (UTC)
- お待たせしました。篠岡様、お名前を間違えたこと誠に申し訳ありませんでした。
- 私も先のつんく♂氏の発言を確認しました。今のところ全く(長期的にも)芸能界復帰は出来ない(または、考えていない)ことが十分に推察されると思いますので、「元」を付ける編集方針に賛成します。また、表記の方法はparipori氏のご提案どおりで問題ないと思います。--Ohanatei 2007年4月3日 (火) 18:29 (UTC)
- 急いで、元をつけるよりも本人の意思が確認できない段階では、「今後の芸能活動については不明であるが、プロダクションに所属していないため事実上、芸能活動はできない状態である。」が、妥当ではないでしょうか。山口百恵の場合は本人の意思が明確ですから。森昌子の場合はプロダクションに所属していない期間もも芸能人扱いでしたし。Miritaro 2007年4月6日 (金) 16:35 (UTC)
(インデント戻し ならびに 発言順序の変更)Miritaro様の発言が一番下についていなかったために、配置を変更させていただきました。こうしないと下にお返事が書けず、読みにくくなってしまうためです。ご容赦下さい。
森昌子の場合は一度正式に引退しましたが、2001年にじゃがいもの会や夫婦ジョイントコンサートなどで限定的ですが復帰いたしました。記事の初版が2004-05-28 11:02:23(UTC)なので、この時点であれば事務所に所属していなくとも歌手活動をしていたので(もしかしたら森音楽事務所所属扱いだった可能性もありますが)特に問題はないと考えます。加護亜依の場合とは全く違います。また今後の活動などについては活動があった時点で加筆すればよい事ですので、もっと簡素でいいと思います。--篠岡 2007年4月6日 (金) 17:19 (UTC)
- そういう意味ではなくて、本人の意思が不明な段階で、「元」をつけるのはまずいという趣旨です。実際に、芸能プロダクションに所属していなくても本人が芸能活動の意志があれば芸能人は芸能人というしかないです。そのいみで、勝手に、決めつけるのは妥当ではないでしょう。あいまいに記述するべきです。Miritaro 2007年4月6日 (金) 17:31 (UTC)
- そのご意見には賛同いたしかねます。Wikipedia:中立的な観点から記事の中心である本人の意思は記事に反映させるべきではありません。それであれば「自分は芸能人です。」と宣言した人は全員芸能人という肩書きになってしまいます。こういう形式を百科事典で認めてはいけません。客観的に見て所属事務所が契約を解除したという事実は不変であり、一所属タレントであった加護亜依はインディーズなど個人での活動がない限り芸能人とは認められません。芸能活動の意思があれば芸能人と決めつけるのは中立的観点からしても不適です。また曖昧な記述は最初から記事として書いてはいけません。確定した事実を書く必要があります。そうでないとWikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事にあるように、内容の正しさや不正確さを検証できない記事として削除の対象になってしまいますのでご注意下さい。--篠岡 2007年4月6日 (金) 18:09 (UTC)
- 客観的にみて、芸能人であるかどうかと事務所が契約を解除したかどうかは、関係がないという意味です。芸能人であるかどうかは、本人の意思に関わります。このケースでは、本人が非常に有名であるために、契約を解除しても芸能人であるポテンシャルは残っていると考えられます。だれにたいしても、同じで、自称の問題ではありません。ただし、本人が引退を表明した場合は、芸能人でないとするのが妥当でしょう。いずれにしろ、まったくその後の本人の意思が確認できないので、その通りに書くべきです。それから、内容の正しいかどうかとあいまいとを混同しています。あいまいなのが事実ならそれはただしいのです。このケースで言えば、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事で検証可能なのは、本人がその後の意思を表明していないという事実です。Miritaro 2007年4月6日 (金) 18:34 (UTC)
- 芸能人が芸能人であると認められる客観的な要素としては、事務所の所属があっての活動もしくは所属していない時の活動の記録があってはじめて芸能人としての活動が認知されるのです。どんな人であろうと「私は芸能人です」と意思を伝えたら芸能人というのは暴論です。芸能人であるかどうかと事務所が契約を解除したかどうかは関係がないとか、契約を解除してもポテンシャルが残っているというのは客観的な意見ではなく、Miritaro様の主観的なご意見です。そのような主観的観点での意見は反映させてはいけません。そして「あいまいに記述するべき」というのはMiritaro様のほうが言葉が足りていません。そしてあいまいなのが正しいという根拠もわかりません。あいまいなものは全部が間違いではないものの全部が正しいわけではありません。さらにもう一つ、加護亜依は謹慎により1年以上芸能活動を停止させられており、しかも自分の意思での活動停止ではなく不祥事による活動停止であれば、本人に意思を表明する機会を与えられていない情況です。しかも未成年の喫煙問題という事で、顔を出しての意思表明が出来ない状態でもあり、本人の意思を待つ必要はありません。もし意思表明すればその時点で編集すればよいのであって、現時点ではタレント・芸能人というカテゴリを与えるのは明らかに誤りです。この事を覆すのならば客観的な出典を基に説明をしてください。--篠岡 2007年4月6日 (金) 19:54 (UTC)
- あなたは、一般論と特定の個人との議論を意図的に混ぜています。加護亜依は芸能人としての活動歴があり、かつ、謹慎中だったとしても非常に有名な人間です。したがって、一般人の自称芸能人ではないのです。また、これから、活動するかどうかも不可知ですが、少なくとも引退するとか芸能活動をしないとの意思表明もありません。したがって、今後の活動は未定であるということ以外に、、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事で検証可能なことはありません。芸能人かどうかは芸能プロダクションに帰属しているかどうかでも決まりませんし、たぶん帰属してないでしょうが、帰属しているかどうかも分かりません。一般人に検証可能な事実として分からないことはわからないと書くのが検証可能性の趣旨です。元という言葉を使うべき時は、芸能活動をしないのが長期にわたり、一般人も名前を忘れるくらいになったばあい、本人が芸能活動をしないと宣言した場合などです。そして、これらはそれぞれが検証可能です。Miritaro 2007年4月6日 (金) 20:43 (UTC)
(インデント戻します)
>あなたは、一般論と特定の個人との議論を意図的に混ぜています。
まずこの意味がよくわかりません。私はWikipediaにおいては中立的な立場で客観的な事実を出典つきで執筆しなければならないという事を主張しているだけです。現時点で加護亜依が芸能人であるという定義を正しいものとするのであれば、所属事務所マネジメントでの活動内容(現時点で活動がない場合は所属しているという事実)とインディーズなどセルフマネジメントでの活動記録が示されなければなりません。いくら過去に活動があろうと、知ってる人たちには有名であろうと、日本中が必ず知っているという根拠はどこにも無く、(現時点では芸能事務所に所属しておらずマネジメントが受けられない)という事実と(セルフマネジメントでの活動はない)という事実があれば、その時点で(過去は芸能人であっても現在は芸能活動しない人物)というのが客観的な事実に基づく理論です。謹慎期間など活動出来ない時期が1年3ヶ月あり、これは長期にわたる活動停止といえます。このあたりも1年は短いという考えもあるでしょうが、社会的には年次が変われば長期間という認識があります。いかがですか?Miritaroさまのおっしゃった内容は全てにおいて「今は芸能人ではない」もしくは「過去は芸能人だった」という検証は出来るものの、「今も芸能人である」という検証は何一つ出来ていません。わからないというのが検証結果というのはそれは検証にはなりません。セルフマネジメントしていない所属タレントが芸能事務所のマネジメント契約をはずされれば、その時点で芸能活動が出来ない事の検証となります。もし今でも芸能人であるという検証がなされるとすれば、芸能活動を継続するという客観的事実と出典が必要です。あとMiritaro様はWikipediaについての理解度がかなり低いようですね。主観的と客観的、あるいはWikipediaとは何であるのかをもう少し学習されてから執筆されたほうがよろしいかと思います。--篠岡 2007年4月6日 (金) 21:38 (UTC)
- あなたは、そもそもセルフマネージメントの意志がないことを確認していないではないですか。それが、すなわち、引退するかどうかの意志の問題と表裏です。Wikipediaとは何であるのかをもう少し学習されてから執筆されたほうがよろしいかと思います。あなたは、検証可能性が何であるかが全く分かっておられません。そもそも、芸能人という定義自体が社会的なポテンシャルの認知と本人の意思の双方をみたしたものです。活動停止をしていようと、所属事務所がなかろうと芸能人でないとはいえないのです。たとえば、過去に何本か映画にでていて活動をしていた芸能人を現在芸能人ではないとは書きません。所属事務所を離れていようとです。問題は、芸能活動を引退したか、あるいは社会的にそうと考えられる状態になったかどうかです。謹慎期間は芸能人として考えられるわけですから、その後、所属事務所を解雇されても、芸能活動をやめるという意思が確認できず、かつ社会的に芸能人じゃないと認識される期間が経過していない場合に、芸能人じゃないと判断するのは無理があります。解雇直後で本人の意思も確認できないうちから、元というのは無理だということです。すべてのケースについて同じに考えるべきで、このケースについて特別な対応をするべきではありません。アイドルでは所属事務所をうつったりした例として鈴木亜美の例がありますが、彼女は所属事務所をやめたあと活動停止状態でした。しかし、活動を再開する意志がある限り、だれも元アイドルとは言いませんでした。その例も参考になるでしょう。Miritaro 2007年4月6日 (金) 22:21 (UTC)
- またまたohanateiでございます。上のMiritaro氏のご意見を読みまして考え直したところがありましたので、もう一度意見を述べさせていただきます。
- まず、ここが一番の混乱の元ではないかと思うのですが、そもそも篠岡氏が「事務所契約を解除した」と「芸能人ではなくなった」ということを直結して意見を述べておられるから話がおかしくなるのではないでしょうか。篠岡氏もお分かりだと思いますが、芸能人は個人商売です。そして、(これは先にも述べましたが)事務所契約とは、あくまでマネージメントを依頼する契約です。当然「事務所契約を解除した」と「芸能人ではなくなった」ということは、異なる事象になります。また、いわゆる準備期間的な場合もありますから、短期的(2~3年程度?)には「芸能活動出来ない状態である」と「芸能人ではなくなった」も異なる事象として扱うべきでしょう(ただし、芸能活動出来ない状態が相当長期に及べば、演繹的解釈として「芸能人ではなくなった」とすることは可能ではないかとも思います)。活動していない期間は一般社会人と一緒にして考えてしまうとおかしくなるのではないかと思います。スポーツマンにしても1年2年活動が無かったって引退したと見なすかといえば意見の分かれるところです。 例えば、バンドなどのグループの解散や活動休止の扱いに近いかもしれません(ラッツ&スターなどが良い例でしょう。)
- 今回の場合において客観的な事実とは「事務所契約を解除した」、「(短期的に)芸能活動出来ない状態」であり、「(長期的に)芸能活動出来ない状態」や「芸能人ではなくなった」というのは、あくまで「客観的事実からの推察(による断定)」、悪い言い方をすれば詰まる所の「決め付け」です。もちろん、私やparipori氏の先日のつんく♂ 氏の発言を基にした意見も「客観的事実からの推察(による断定)」になります。従って篠岡氏のように、それぞれ異なった事象である「事務所契約を解除した」と「芸能人ではなくなった」をイコールで結んで「客観的事実である」とされても、客観的事実とは取れなくなります。従ってそこは、分けて考えるべきでしょう。
- 先の篠岡氏がご意見に「「客観的」は千差万別ではありますが、見る人によって変わる事は「客観的」ではなく「主観的」だからです。」とありますが、これは「客観的事実」に対しては、確かにその通りです。しかし、「客観的事実からの推察」については、その限りではありません。「客観的」が人によって違ってくる限り、いくら個人個人が客観的に「推察」したとしても、多くの場合において大小問わず意見が分かれます(もちろん意見が分かれないものもありますが)。なぜならば「推察」には、多かれ少なかれ個人の価値観が反映されるからであり、そうである以上は客観的事実と分離して議論されなければなりません。
- また、この点は私も反省しなければならないのですがMiritaro氏の仰るように「あいまいなのが事実ならそれはただしいのです。」とは全くその通りであると思います。客観的事実を記載することは、白黒を断定することでは無く、記載の対象について、状況があいまいであるならば「あいまいである」とするのが百科事典としても客観的事実としても正しいのであり、そう考え直すならばMiritaro氏が示された記載例を元にすべきなのだと思います。あと、百科事典である以上簡潔な記載は必要ですが「あいまいな状態である」という事実の記載を端折って断定するような編集は、やはりWikipediaとして良くないのだ、と改めて考え直しています。
- それと、これは前回の投稿時に話せばよかったのですが・・・。前に「世間の認識」と「客観的な事実」は必ずしもイコールしないと発言させていただいたのは、他の項目を見てもこの部分を混同して編集しようとされている方が多いように感じたためであり、Wikipediaの編集において「混同すべきではない」という意味で書いたものです。編集時に注意するべきこととしては意味のあることではないかと思います。
- あと、お二人ともちょっと冷静になりましょう。(何かヒートアップしそうな感じに見えたので・・・)
- 最後に、色々と書いた上に編集方針に対する意見まで変わってしまい申し訳ありません--Ohanatei 2007年4月6日 (金) 22:41 (UTC)
- だいたい同意です。つまり、社会的に芸能人の能力があると考えられる人が芸能人じゃなくなるのは、本人の意思か、あるいは時の経過によりそれが推察されるようになったかのどちらかが必要だと言うことです。解雇だけではちょっと、判断できません。したがって、「今後の芸能活動については不明であるが、プロダクションに所属していないため事実上、芸能活動はできない状態である。」というのが妥当な記述でしょう。本人が復帰する意志があるなら、普通の意味で芸能人としてあつかっていいでしょうし、今の段階では意志がわからないのでこの程度の記述でいいと思います。Miritaro 2007年4月6日 (金) 22:50 (UTC)
- まずはMiritaro様の先のご意見に対しまして…。
- 定義自体が確定的でないのなら芸能人でないとはいえないという事も確定的ではありません。過去に出演していようと現在芸能人で無い人は元芸能人です。書くか書かないかという事はあなたの主観です。社会的にそうと考えられるかということであれば、事実上の引退という記事が出ている以上社会的に引退という認識のほうが強いと思われます。またそれはゴシップ的であるので認められないといっても、(現時点では芸能事務所に所属しておらずマネジメントが受けられない)という事実と(セルフマネジメントでの活動はない)という事実は現時点での確定事項であり、この時点ですでに社会的に芸能人ではありません。この事実と新聞報道などを加味した状況では社会的に芸能界からはずれていったという認識のほうが圧倒的に強く感じます。そうは思わないという人たちはファンの方々ぐらいでしょう。また前に述べている通り、本人の不祥事による懲戒解雇ですから、「会社としては今後加護亜依を芸能界では活動させず、セルフマネジメントしない限りあなたは今後タレントとしての活動は認めません。」という元所属事務所としての立場を示しています。この時点でセルフマネジメントの術を持たない(というよりはインディーズで活動する下地が一切無い)加護亜依を現在もタレントとして百科事典が掲載する事は明らかな誤りを記載する事になります。これはどのタレントの時も同じです。元極楽とんぼの山本圭一がいい例です。その他犯罪や不祥事により懲戒解雇された元タレントには本人の意思に関わらず「元~」としなければなりません。なお例に挙げていた鈴木亜美は元の所属事務所を独立して実父の設立する芸能事務所で活動する事を明言しており、インディーズでのリリースも視野に入れての期間および契約上の問題による裁判などのための活動休止という事で、セルフマネジメントもしくは別事務所で活動する事を宣言しています。加護亜依とは全然違いますので全く参考になりません。
- そしてOhanatei様のご意見ですが…。
- :(現時点では芸能事務所に所属しておらずマネジメントが受けられない)という事実と(セルフマネジメントでの活動はない)という事実があれば社会的に見れば失業した事になります。この状態で「私は芸能人です。」と公に経歴を伝えなければならない一般社会では立派な経歴詐称です。Ohanatei様もMiritaro様も、全てが主観的な内容でこういった客観的事実を受け止められていないのではないでしょうか。お二人ともWikipedia:中立的な観点をもう一度よく見てください。芸能人がどういうものであるという事は正しい定義がない限り決められるものではありませんが、一般的な世の中での扱いであれば加護亜依は現時点では失業した元タレントであり、客観的事実に基づく出典を要する内容でない限りは百科事典として記述してはいけません。また「あいまいなのが事実…」という点はMiritaro様の主観であり、百科事典にはあいまいな記述やあやふやな事項は記載してはいけません。そこをもう一度よく理解していただく必要があります。 --篠岡 2007年4月6日 (金) 23:18 (UTC)
- あともうひとつ、そもそもセルフマネジメントは活動する側がプロモーションする事で始めて認識されるものですので、そういった出典がない限りはセルフマネジメントの意志がないことと同意です。わざわざオーディエンスが確認する事項ではありませんし、こうしたプロモーションなどで公式に知りえた時点でしか検証可能性がありません。--篠岡 2007年4月6日 (金) 23:24 (UTC)
- いいかげんに、わかってほしいんですが、解雇直後にセルフマネージメントの経歴などあるわけないでしょ。それなりの準備期間がいるでしょうに。鈴木あみの例でも何年かかってますか?とりあえず、あなたのいってることは不合理だだということは、自覚してください。本人の意思がはっきり分かるか、それなりの期間が経過して、引退したと判断できるまでは、不明で行くべきだと考えます。以上です。Miritaro 2007年4月6日 (金) 23:33 (UTC)
- だからそれは元タレントであるかどうかは一切関係がありませんよ。それに解雇直後にセルフマネージメントの経歴などあるわけないとするのはあなたの主観です。鈴木亜美の場合は受け皿はすでに独立前から出来ておりました。記者会見で独立移籍の発表があって、その後に契約などを裁判で争う事になったんです。だから何度も言ってますが加護亜依とは全く事例が違います。では準備期間が必要という出典はどこにあるのでしょうか?また不合理というのは何が不合理なのでしょうか?(現時点では芸能事務所に所属しておらずマネジメントが受けられない)という事実と(セルフマネジメントでの活動はない)という事実によって、第3者からしたら(今は芸能人ではない)という事象のどこが不合理なんでしょうか?一般社会からすれば契約解除された人物がその職を失ったという事が事実なのはごくごく自然な事柄ではないですか?現時点では「不明」なのかどうかよりも「契約を解除されてタレント業という職を失っている」事の方が正確に検証されていますよ。もう少し冷静に理論立ててお話されたほうがよろしいのではないでしょうか。--篠岡 2007年4月6日 (金) 23:50 (UTC)
- そもそも、芸能人とは、会社員とかと違って個人の能力に依拠してます。したがって、解雇されたかどうかは本来無関係です。それから、セルフマネージメントの経歴というのは芸能活動を意味するんですよね。解雇直後にそんなものできると思いますか?それから、あなたは今、契約してないとどうやって確認したんですか?それは検証可能性がありますか?そもそも、検証可能性が分かってます?分からないことはわからないというのが検証可能性の意味ですよ。一般人にわからないなら、わからないのです。いい加減に理解してください。Miritaro 2007年4月6日 (金) 23:58 (UTC)
(インデント戻し)
論点がずれそうですが、会社員だって個人の能力が大事です。能力のない人材はすぐに解雇されます。何度も言いますが解雇直後にセルフマネジメントが出来るかどうかの可能性についてはこの件には全く関係ありません。まず契約していないという事実ですが、セルフマネジメント契約での活動は現時点で一切確認できません。本人のコメントもないので解雇後の芸能活動については現時点で一切ありません。この事実こそが検証可能性を満たす現時点では唯一のものです。本人の意思を確認という事ですが、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの「未来を予想する場ではありません。」という内容から、将来的にセルフマネジメント、もしくは別事務所での活動が見込めるかどうかはWikipediaの記事として書くべき内容ではありません。未来の事象を検証する意味は全くありません。百科事典であればわからない事はわからないと書くのではなく、書かないことです。もしくは現時点で確定している客観的な事実に基づいた出展付の記事を執筆する事です。この点をよく理解してください。--篠岡 2007年4月7日 (土) 00:20 (UTC)
えーっと、恐らくこの辺りがご理解いただけていないのかと思うのですが・・・。
まず、「あいまいな状態」ということと「あいまいな事実」とは、全く持って違います。私が言っているのは、「あいまいな状態」という客観的な事実があるということであり、ここを無視して断定した編集をすること自体が問題があるとしているのです。この「あいまいな状態」という客観的な事実を無視すると言うのは、その時点で当該事象における事実の無視という事態に陥るわけで、「あいまいな状態」もやはり事象に対するその時点での客観的事実として認識しなければなりません。それこそ、篠岡氏が仰るような「「あいまいなのが事実…」という点はMiritaro様の主観であり」という主張が通ってしまうと、量子論やカオス理論は元より近代科学なんてものは消し飛んでしまうわけで(有る意味では、経済学やら心理学やらマクロ的な視点で研究するもの、下手をすると数学なんかも初めから無いようなものになる)、はっきり言えばそれ自体があやふやな記事になるわけです(関係ないと仰るかもしれませんが、多少なりこの辺りを囓ったことのある方であればご理解いただけるかと思います)。
また、篠岡氏の百科事典であればわからない事はわからないと書くのではなく、書かないこと自体が篠岡氏の主観的な百科事典に対する定義ではないでしょうか?
あと、サラリーマン(私もそうですが)やOLのような雇用型の職業と個人業の扱いを十把ひとからげにすることも問題があると感じます。理由としては、Miritaro氏の「芸能人とは、会社員とかと違って個人の能力に依拠してます」と同じであり、尚且つ職業としての形態が大きく違うということになります。ましてや元々事務所を離れるなどの動きがない中での解雇なのに半月もしないうちにセルフマネジメント活動や移籍などの事実が表に出ること自体おかしな話でしょう。そもそも、篠岡氏自身も「セルフマネジメント活動や移籍などの動きがない」という事実をどうやって検証可能な形で断定されているのでしょうか?はっきりと言っておきますが、貴方の仰っている「セルフマネジメントでの活動や移籍などによる動きがない」というのは、現在の状態から推察される状況であって、検証可能な事実ではありません。あくまで「貴方はそう認識している」というだけです。それと、こんなに短期間で演繹的に証明できるというのも納得できません。その辺りもう一度ご意見を頂きたく思います。----Ohanatei 2007年4月7日 (土) 00:40 (UTC)
- たとえば「あいまいな事実」として記載してもよいものは諸説様々あり、どの説も出典や検証可能性がある場合のみです。「あいまいなものは書かない」としたのはWikipediaの方針から基づいた私の主観でもありますが、今回の場合はそもそも「あいまい」と判断したのはMiritaro様が客観的事実を認めずに判断したもので、私はこれをあいまいとするには客観的事実が多く賛同できないとしたのです。また芸能界という一般からすると特殊な世界でも一般社会からすれば一職種に過ぎません。雇用形態などの違いこそあるものの(現時点では芸能事務所に所属しておらずマネジメントが受けられない)という事実と(セルフマネジメントでの活動はない)という事実は不変です。「セルフマネジメントでの活動や移籍などによる動きがない」というのは、推察される状況ではなく実際にそういった事実がありません。タレントであるというのなら解雇後のタレント活動が検証され、出展付で説明される必要があります。特に芸能界であればプロモーション活動の有無などによってはじめて世間に認識されるものであり、元事務所を解雇された時点でその活動が見えない、つまり活動している事が検証できないため、現時点ではタレントではなく肩書きとしては一般人と同等であると客観的事実からこういう視点は正しいと考えられます。それでもまだ「タレントである」と主張されるなら、そういった活動があった事を説明する必要があります。あと前回の発言でも申しましたが、解雇直後のセルフマネジメント、及び移籍が出来る出来ないは一切関係ありません。必要なのは解雇後に活動があったかなかったか、です。半月では出来ないとかそういった希望的観測は未来予報ではありませんので、「現時点ではタレントにあらず」という姿勢で問題はないと考えます。--篠岡 2007年4月7日 (土) 01:17 (UTC)
「客観的な事実」というのはWikipediaではメディア媒体に出典を求めることが可能である事項です。元「芸能人」ではなく現在も「芸能人」であると判断可能なメディア媒体の出典を明示しない限り、元「芸能人」であると判断可能なメディア媒体の出典を明示がされているものの反証には成り得ないと思いますが。Miritaro氏のいう「芸能人であるポテンシャルが残っている」ことが「芸能人」かどうかの判断材料であることの出典はありますか。--Mikipedia 2007年4月7日 (土) 01:56 (UTC)
事務所が契約を解除するとは言っていても「契約を解除した」とは言っておらず(もちろん近日中に解除になるでしょうが)、現時点では契約は残っていると思われるので契約解除日までは依然タレントではないでしょうか。もちろん契約解除日以降は芸能人ではなく「ただの人」なのでタレント表記は不適切ですが。 ダイダロス2000
- 堂々巡りになってますが、最初に書かれているように事務所の契約解除と、芸能界の引退はイコールでありませんし、契約していないかもわかりません。ダイダロス2000さんの言うとおり、現在のところは不明であるこはおさえるべきです。分からないことはわからないというのがウィキペディア検証可能性の意味です。また、契約解除を事実上の引退とは書けますが、本人が引退すると宣言しない限り引退とはいえませんし、「元」とも書けないと思います。そもそも、事件直後で今後の動きがわからない段階で、篠岡拳さんのおっしゃるような断定はできないでしょう。時間の経過とともに分かるとは思いますが、分からないことを、自己判断で断定するのはオリジナルリサーチです。Miritaro 2007年4月7日 (土) 14:20 (UTC)
- 何度も言いますが、契約解除の事実と今現在の活動がない事は紛れもない事実です。どうもMiritaro様は検証可能性について全く理解できないようですので、Wikipedia:検証可能性の一文を記載しておきます。
- ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。あらかじめ信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録してください。記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます。
- 私が出した論点は全て事実からのものでしかも公式に発表された事実です。そして契約解除後の活動について情報は一つもありません。加護亜依側のコメントがないということでわからないという事ではなく情報はないという事です。つまり契約解除後の活動は現時点でないことの検証になります。わからないというのは引退とは認めないという人の感情が入った主観に過ぎません。だいいち本人のコメントがないのに芸能界復帰の意思がある事がわかるはずがありません。つまり「わからない」事の検証にはなりません。Miritaro様にはそういった正確な情報を出す出典がありません。出典が出せないものは検証できません。つまり「現時点では元タレント」という検証はいくらでも可能ですが、「今もタレント」という検証は何一つ出来ていません。「元タレント」という事実は検証可能な事象ですが、「わからない」という判断は認識の甘い自己リサーチです。ちゃんとした出典が出せるのならそれを出してから議論してください。--篠岡 2007年4月7日 (土) 15:16 (UTC)
- 基本的に、分からないことはわからないと書くのがウィキペディア検証可能性の趣旨です。現時点で加護亜依の意志も、これからの方針もわからないので、そう書くべきだというはなしです。あなたは、契約終了後から1週間程度で、なんか新しい仕事をしていることが必要だとかおっしゃってますが、そもそも、そんなことは不可能でしょう。だいたい、謹慎していたんですよね。立証責任はあなたの側にあるんですよ。タレント活動継続の意志がないなら、元タレントとしていいとおもいますし、そうじゃなくても、時間の経過でそう推察されるようになったら元タレントでいいと思いますが、今のところ全く情報がでてないので、そう書くしかありません。オリジナルリサーチとはマスコミでも判断が分かれている今後の彼女の身の振り方についてあなたが判断を下すことそのものです。正直、あきれてます。Miritaro 2007年4月7日 (土) 16:55 (UTC)
- ダイダロス2000さん
- 事務所の公式発表より引用『今回に関しては二度目ということもあり、復帰については断念することにしました。また、未成年であるため御家族と相談の上了承を頂き、契約についても解除することとなりました。』
- この文章の「契約についても解除すること」を予定ととると「復帰については断念すること」も予定となりますので、その解釈は無理があると思います。なお、契約文では普通「解雇する」であり、「解雇した」とは表しません。
- 事務所との契約解除=事務所による芸能活動の終了と考えると契約が残っているというのは推測の域を出ないと思います。ロイヤリティその他既存の活動実績に伴う金銭授受の取り決め等は残ってることは考えられますが(あくまで推測ですが)、それらも含めて契約が残ってるとするのは百科事典的な基準(メディア媒体に拠った情報の範疇で記述する)には適合しないと思います。
--Mikipedia 2007年4月7日 (土) 15:22 (UTC)
- Miritaroさん
- 「芸能人であるポテンシャルが残っている」ことが「芸能人」かどうかの判断材料であることの出典は無いと判断してよいですか?
--Mikipedia 2007年4月7日 (土) 15:22 (UTC)
- 芸能人であることというのはすなわち、実際に、いつから芸能人じゃなくなるのかは微妙ですが、基本的はその個人の意志とメディア側の露出がなくなったつまり芸能人扱いしなくなったことの二つが必要だろうと自分では思いますが、はっきりと判断できるのはその個人の意志でしょう。その意味で、加護亜依の側の意志がわからない段階では判断が付きかねます。どちらにしろ、分からないならわからないとかくのが当然でしょう。メディアについても時間の経過とともにどう扱うかがはっきりしてくると思います。いずれにしても、どちらも10日くらいで判断するのは無理ですし情報もありません。立証責任は断定的に書く側にあるのでそちらにあるんですよ。>Mikipediaさん。Miritaro 2007年4月7日 (土) 16:55 (UTC)
- 2度確認して明確な回答が無かったことから「芸能人であるポテンシャルが残っている」ことが「芸能人」かどうかの判断材料であることの出典は無いと判断します。
- 自分に対して『立証責任は断定的に書く側にあるのでそちらにあるんですよ。』とご意見されるのか不明ですが、自分は議論がループしてるのを見ていられなくなって収束を試みているだけです。『元』を付け加えたい側に寄せたいなら、そういう論を展開しても一向に構いませんが。--Mikipedia 2007年4月7日 (土) 17:34 (UTC)
- 芸能人であることというのはすなわち、実際に、いつから芸能人じゃなくなるのかは微妙ですが、基本的はその個人の意志とメディア側の露出がなくなったつまり芸能人扱いしなくなったことの二つが必要だろうと自分では思いますが、はっきりと判断できるのはその個人の意志でしょう。その意味で、加護亜依の側の意志がわからない段階では判断が付きかねます。どちらにしろ、分からないならわからないとかくのが当然でしょう。メディアについても時間の経過とともにどう扱うかがはっきりしてくると思います。いずれにしても、どちらも10日くらいで判断するのは無理ですし情報もありません。立証責任は断定的に書く側にあるのでそちらにあるんですよ。>Mikipediaさん。Miritaro 2007年4月7日 (土) 16:55 (UTC)
- Miritaro様へ
- だから個人の意思は誰が判断するのですか?それであれば「自称芸能人」は誰でも芸能人です。加護亜依はコメントを出していません。出さないのか出せないのかはわかりませんが、コメントがないというのは意思がないのと同じです。本人が表現する意思を見せていないわけです。見せていないものをはっきりしないとする根拠はどこにあるのですか?客観的に判断すれば「解雇」、「現時点での活動なし」は全て検証可能な事実です。加護側はゼロ回答ですので「何もない」事は検証可能ですが「わからない」という事は何一つ検証出来ていません。10日では無理とかそのような事は関係ありません。現時点での話です。Miritaro様の話は希望や推測しかなくWikipediaの記事としては不適です。また「現在も芸能人であるポテンシャルが残っている」という事を言い出したのはMiritaro様ですので、Miritaro様がその事を示す根拠や出典を明らかにする必要があります。消す側ではなく書く側に責任がありますよ。--篠岡 2007年4月7日 (土) 17:38 (UTC)
(インデント戻し) 家族が元所属事務所との契約解除に合意していますので、その時点で(未成年の加護に替わる保護者の意志で)「芸能活動から外れた状態」になっています。この状態が短期間であろうと長期間であろうと、この状態を正しく示すことが百科事典には必要です。「まだ落ち着いていない」という意見については、現在進行テンプレートで示されているのではないでしょうか?--Paripori 2007年4月8日 (日) 15:01 (UTC)
Miritaro氏がゴネてるようにしか見えないのですが 再起を前提とした活動停止若しくは周囲の支援が期待出来る謹慎であれば将来を見越して「元」を付けるべきではないでしょうが、現状の加護の場合は将来の展望がまったくない契約解除状態です。 おそらく加護本人からのコメントはないでしょうから今後も「他称芸能人」状態が続き「元」の有無に関しては永遠に収束しないと思われます。 冒頭部が(揺るぎない)事実を記載するセクションなのであれば「元」に対する記述は行わず、謹慎中の再度の背反行為により契約解除の旨を記載すればよいのではないでしょうか? wikipediaで初めて加護を知る人間はまずいないと思われますので契約解除に関しても閲覧者は折り込み済みであり、現状の事実を記載することにより加護本人の意思と将来を憶測する無用な議論を回避できると思います。--以上の署名のないコメントは、220.144.167.100(会話/Whois)さんが 2007-04-10 17:55:04(UTC) に投稿したものです。
- 署名をつけさせていただきました。今後ご意見を頂ける時はぜひご自身で署名をお願いいたします。Wikipediaらしき観点からしても現時点の事実ではなく未来の展望を織り込む事自体適していませんので、「元~」をつけるかもしくは220.144.167.100様のご意見のとおりに記述するのが望ましいと思われます。ただし、「初めて加護を知る人間はまずいない」あるいは「閲覧者は折り込み済み」というお考えはあくまでも220.144.167.100様の主観です。Wikipediaでは何も知らない方々に向けて情報を提供するという前提で執筆する必要がありますし、また前はたしかに人気者でしたが日本中にはその事を知らないという方もいらっしゃいますので、既知の方にも未知の方にもわかるような中立的な立場で記事を書くということでお願いいたします。--篠岡 2007年4月10日 (火) 19:14 (UTC)
はじめまして。個人的にウィキプロジェクト人物伝に参加していることから関心を持ちました。自分はどちらでも構わないと思うのですが、ウィキペディアの合意形成のあり方のケーススタティとして関心を抱きましたので一言。 当該項目は、速報性の伴う記事として、合意の割れる文面を避けるのがベターだと思います。どういう執筆スタイルをとるかという点では、あってもよい議論だと思いますが、元とつけるか否かのニ極論で終局するとも思いませんので、それを回避する表現の方が適切だと思います(タレントか下タレントかをあえて問えば、個人的な解釈としては元タレントだと思いますが)
冒頭については現状の形でいいのではないでしょうか。いままさにニュース速報的な情報である以上、決定打がない中でレッテル貼りは無意味です。元タレントか、元某事務所在籍か、元ユニットメンバーかという線引きですが、確かにタレントそのものを廃業していることと、事実上たたれていることとは異なりますし、どうやら救済策があるとすると、状況次第でこの議論そのものが一過性なものとなる可能性もあります。執筆者の推量をいれずに書くには、芸能界復帰が事実上たたれるという報道の事実を端的に伝えるだけで済む問題です。 いずれにせよ、名実ともに絶たれるのとは別儀だとするのが、今回の判断では妥当かと。客観的に検証できるのは、事務所を解雇となった事実にあるわけで、事実上の引退とささやかれているぐらいに止めておくのが、いいかと。当該問題は何らかの明確な事象が現れてからで遅くはないと思います。--海衛士 2007年4月11日 (水) 00:10 (UTC)
ニュース速報なのか現状を踏まえての改版なのかは意見が別れる所とは思いますが 事実だけを積み上げていくと
- 加護は事務所との専属契約を解除され冒頭部が記述された時点での芸能人としての属性の意味が異なる
- この状態で加護を芸能人たらしめるためには自らのコメントで芸能活動の継続を宣言する必要があるがそれもない
- 本来芸能人とは『芸能人とは観客の前に立ち、つまりステージに立って人々に芸を披露する事で報酬を受け取るもの』と定義すると加護にはその場も予定もない
- 活動停止・休止なのか引退なのか誰にも分らない
となり『それは一体何なのであるか』の情報を提供する百科事典としは、現在の加護の立ち位置は非常に中途半端(芸能人だと思われている一般人)であると思います。 また前述では加護の契約解雇は織り込み済みと書きましたが、指摘を再考すると加護に関しての知識が乏しい人が ネットで『現状』の加護の情報を得るためには公式HP、一般サイト・ブログ、ニュース報道、そしてWikipediaがあると思いますが 中立な観点から加護の現状を提供するのがWikipediaの役目と考えます。 ニュース速報という意見もありますが事務所の契約解除発表から2週間が過ぎ興味本位以外の加護に関する報道は一切ありません。 つまり事務所の契約解除発表だけがもっとも古く確実な唯一無二の事実と考えてよいのではないでしょうか? 今加護に対してもっとも着目すべき属性は『契約解除され本人意思が明確でなく活動の場も予定も無い』というこだと思います。 冒頭部は辞典の入り口であり『それは一体何なのであるか』を説明する重要属性の羅列です。そのため今の加護の現状を冒頭部に追記することは意味があると思います(ある意味これは愛称の記述より重要だと思います) ぶっちゃければそこら辺の雑魚タレントならどうでもいいような問題ですが、加護には知名度があり社会的にも大きく取り上げられた問題なので 現状を正確に記述し正確な生きた情報を発信する必要があると思います。--220.144.167.100 2007年4月12日 (木) 22:32 (UTC)
- 220.144.167.100様の事実の中に少々疑問があります。3番目の定義は執筆者の主観であり、今回の内容とそぐわないものがあります。また「報酬を受け取るもの」としていますが、チャリティコンサートなど1円も報酬を受け取らない芸能活動もありますので、定義としても矛盾します。また4番目ですが、謹慎の時期を含めれば(芸能事務所として活動させなかったと考えれば謹慎も活動停止と考えられなくもありません)1年以上芸能活動が出来ていない状態で、明確に活動をしていない事がはっきりしています。謹慎から解雇を踏まえて現在までの経緯とすれば、活動がないのは事実です。また私は引退かどうかについては一言も触れておりません。今後の再活動の可能性もないわけではないからですが、Wikipediaは未来の予測や予定などを書くべき所ではありません。そのため(前述の山本圭一のように不祥事による解雇・活動停止の場合)加護側のコメントを待って冒頭部分を変えるよりは現時点では「元~」となっているほうが適していると考えております。ただ現状は客観的事実を認めずに過敏に反応する方もいらっしゃるようですので、もうしばらくは時間を置こうかと思います。あと「加護には知名度があり…」という事情を織り交ぜる方がいらっしゃいますが、あまり過去の実績をもとにするのは中立的観点から離れてしまう可能性があります。実際「雑魚タレント」という言葉が出てくるあたり、特別視しすぎているような気がします。そこは私も含めた執筆者は注意すべきでしょう。--篠岡 2007年4月13日 (金) 14:21 (UTC)
- 3番目の定義に関してはWikipediaの芸能人の項より引用しました。尤も『古来、芸能人とは観客の前に立ち、つまりステージに立って人々に芸を披露する事で報酬を受け取るものであった。』との記述であるためトラディショナルな定義を現在に当てはめていると言う点では主観的かもしれません。また4番目の定義に関して言えば契約解除後の現在・将来の状況に関してです。過去の謹慎期間は事務所との専属契約が継続されていたため芸能人として活動休止して謹慎していたと考えています。また雑魚タレントと知名度に関してお気に触ったら申し訳ありません。篠岡さんのご指摘のとおりです。加護の知名度を拠り所に加護を特別視される方がたまにいらっしゃいますので逆説的な意味合いであえて記述いたしました。--220.144.167.100 2007年4月16日 (月) 12:35 (UTC)
ひと月経ちましたがどうします?本人は「なんとかして芸能界に戻りたい」(出典:アサヒ芸能)とのことで引退の意思はないようです。”元所属事務所とは契約解除され現在はフリー”と追記するのが妥当では?--60.236.118.213 2007年4月30日 (月) 12:37 (UTC)
さて軽く1年弱経過しておりますが、個人的には「元」がついていない現状はやや違和感を感じています。加護について詳しくないので「現在芸能人として活動中、あるいは活動の意思を示しているかどうか」はわかりませんので、もしそれらがあるようでしたら示していただきたいし、それらがないのでしたら「元」をつけるべきだと思いますがいかがでしょうか。--あんも騎士 2008年2月7日 (木) 01:40 (UTC)
編集長名の記載
- 週刊現代の記事を見れば分かりますが、編集長名の記載そのものについては何の問題もありません。
- 最初に喫煙スクープをした雑誌に事務所公認の謹慎中の記事が載った理由及びその直後に新たなスクープを同じ出版社の別雑誌が行った点を理解するには編集長の異動の事実は情報として有益だと思います。
--Mikipedia 2007年4月8日 (日) 15:35 (UTC)
- 同意します。短期間に同一人物の喫煙スクープを別雑誌が行っている理由のひとつとして編集長の異動を挙げるのは非常に分かりやすいと思います。編集長自体も公人ですからプライバシー上の問題も無いでしょう。--devicehigh 2007年4月10日 (火) 01:49 (UTC)
- 目蒲東急之介氏が2007年4月15日 (日) 11:31の版にて「冗長なのを除去。」として削除されましたが、記事中に重複する情報はありません。また、内容も上記ノート議論のように有用であるとの意見とその同意者がいます。記事内容自体に疑問がある場合、ノートに記載お願いします。--Paripori 2007年4月15日 (日) 11:52 (UTC)
出展がスポーツ新聞の記事について
ここ数日で出展がスポーツ新聞の記事について加筆とrevertが繰り返されており、いつまでもこのままではいたちごっこになってしまいます。執筆者とrevertした方で一度合意をとってみてはいかがでしょうか。--篠岡 2007年4月13日 (金) 14:31 (UTC)
- スポーツ新聞の記事を加筆する方のトークにも書きましたが、Wikipedia管理人のmiyaさんによって、スポーツ新聞のみを出典とすることは禁止されております。どうぞ、ご確認ください。--H.Nakasugi 2007年4月13日 (金) 14:38 (UTC)
- そもそも、現在脚注に提示されてあるソース源は全てスポーツ新聞のような気がするんですが、これら全ての記述にスポーツ新聞以外の出典があるのですかね?特定の記述のみの削除を繰り返す理由もお聞かせ頂きたい。--SHARU 2007年4月13日 (金) 16:50 (UTC)
- 特定の記述のみを削除しているのではなく、気づいた部分を削除しています。他の部分も気づけば削除しますし、どうぞ削除してください。--H.Nakasugi 2007年4月14日 (土) 03:07 (UTC)
- そもそも、現在脚注に提示されてあるソース源は全てスポーツ新聞のような気がするんですが、これら全ての記述にスポーツ新聞以外の出典があるのですかね?特定の記述のみの削除を繰り返す理由もお聞かせ頂きたい。--SHARU 2007年4月13日 (金) 16:50 (UTC)
>Wikipedia管理人のmiyaさんによって、スポーツ新聞のみを出典とすることは禁止されております。
これはどこで確認出来るのでしょうか。--61.192.108.177 2007年4月13日 (金) 22:45 (UTC)
- ここが該当する部分だと思われます。要約欄に「2007-04-06T10:27:26の版に差し戻し スポーツ新聞しかソースのない速報情報は書かない」とありました。しかしWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源には、
- 『ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去し--H.Nakasugi 2007年4月14日 (土) 13:40 (UTC)て下さい。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示して下さい。例えば、「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」として下さい。』
- と決められており、つまりは除去も可能ではありますが残しておいても構わない事になります。つまりここから推察するに、こういう内容はノートによる合意で決定させるのが望ましいと考えられます。管理者とはいえどもこの方針は遵守すべきであって、スポーツ新聞のみが出展であるものは禁止という事は定められておりません。管理者が間違えて指示したというのならそれは問題かもしれません。ただmiya様がH.Nakasugi様に命令したのかどうかは定かではありませんが、命令したとすれば管理者としてあるまじき行為であるし、またそうでなかったとしてもH.Nakasugi様がこの事実に気づかずに様々な記事で同様の行為を行う事も問題があります。
- まずはこの出展を生かすのか削除するのかは、十分に議論すべきでしょう。私の意見としては当該の出展付記事の内容が必要であるかどうかについては中立的な立場とさせていただきますが、何の議論なしに出展付記事を削除してしまう事には反対いたします。--篠岡 2007年4月13日 (金) 23:40 (UTC)
- ルールが適切かどうかの議論の前に、「現在のルール」には従うべきです。「ルールがおかしい」という結論も、もちろんあると思いますが、ルールはルールです。話し合いを行う前に、編集合戦を行ってまで記述するのは、おかしいでしょう。--H.Nakasugi 2007年4月14日 (土) 03:07 (UTC)
「現在のルール」とは、「ウィキペディア日本語版の公式な方針」ということでよろしいでしょうか。「ウィキペディア日本語版の公式な方針」であるWikipedia:検証可能性には、信頼性に乏しい情報源について
- その情報があまり重要でないものならば、それを除去して下さい。
- もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示して下さい。
とあります。もし、「(情報の重要性などの点について判断することなく)スポーツ新聞しかソースのない速報情報は書かない(除去すべき)」と主張されるのであれば「ウィキペディア日本語版の公式な方針」に反する主張のように見えますがどうなんでしょう。--61.192.108.177 2007年4月14日 (土) 03:21 (UTC)
- ルールが適切かどうかは議論していません。現在のルールには従うべきというのなら、無闇に削除してはいけません。そもそも先に編集合戦を仕掛けたのは議論なしにいきなり削除したH.Nakasugi様のほうです。そして現在のルールとは私や61.192.108.177様が書きましたとおりです。H.Nakasugi様がルールに則っていないから問題があるのです。あなたの主張するルールというのはどこのルールですか?そんな根拠のないルールに従う事は出来ません。--篠岡 2007年4月14日 (土) 04:08 (UTC)
- 「芸能スポーツ誌の記述は全削除すべし」とはどこにも書いてませんからねぇ。「重要で記述する価値があるなら、出典を出したうえで残してください」と書かれてあります。復帰の可能性に関する情報は、この項目にとっては重要性は高いと考えます。ただあくまで芸能スポーツ誌発表という部分もあるので「こう書かれてはいたが、事務所側は正式に発表していない」などの注釈も入れるべきだとは思いますが。--61.196.6.211 2007年4月14日 (土) 05:34 (UTC)
- 書いてますよ。存命人物の項目についての注意をお読みください。「記事は「正確な」ものでなければいけません。特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソースしかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです」「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。 他の記事分野ではできの悪い記事でも、他の記事ではよくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです」「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません」--H.Nakasugi 2007年4月14日 (土) 06:21 (UTC)
- 「芸能スポーツ誌の記述は全削除すべし」とはどこにも書いてませんからねぇ。「重要で記述する価値があるなら、出典を出したうえで残してください」と書かれてあります。復帰の可能性に関する情報は、この項目にとっては重要性は高いと考えます。ただあくまで芸能スポーツ誌発表という部分もあるので「こう書かれてはいたが、事務所側は正式に発表していない」などの注釈も入れるべきだとは思いますが。--61.196.6.211 2007年4月14日 (土) 05:34 (UTC)
- Wikipedia:存命人物の伝記からの引用のようですが、H.Nakasugi氏が削除した内容は「否定的な情報」ではありません。削除した情報は「事務所が再教育を実施すること」と「復帰の計画があったこと」であり、「重要で記述する価値がある」と思われます。情報の信頼性については出典を明記することで「正確性」を読者が判断できます(後者の情報はスポーツ紙ながら複数ソースがあります)。--Paripori 2007年4月14日 (土) 07:28 (UTC)
- 追記です。英語版ではその後の改版[2]で「否定的:negative」とした部分が「物議をかもす/係争中の:contentious」に修正されています。このケースにも該当しない情報と思われます。--Paripori 2007年4月14日 (土) 07:39 (UTC)
- よくお読みください。「読者の判断に任せる」では無く、「信頼性の高い参考資料だけを用いるべき」と書かれています。「両論併記」とも書かれていません。存命人物の伝記については、既に信頼性が高いとされている参考資料のみに基づいて書くべきです。スポーツ新聞は「信頼性に乏しい」ソースなのですから、存命人物の伝記に関する参考資料とはなりえません。--H.Nakasugi 2007年4月14日 (土) 07:48 (UTC)
(インデント戻し)Wikipedia:存命人物の伝記はWikipedia:検証可能性厳守が前提ですが、「信頼性に乏しい」ソースでも検証可能性は存在し、審議や合意なしに一方的に削除するのは問題があります。現実にH.Nakasugi様の削除により問題になっている記事がたくさんあるのが現状です。あなたの身勝手な編集方針はWikipediaでは受け入れられていません。信頼性の乏しいといわれるソースでも検証可能な事実があり、それがゴシップ的なものでなくプライバシーも守られているものであれば、十分記事になりえるソースです。「Wikipedia:存命人物の伝記」に書かれている「あるいは貧弱なソースしかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。」というものは「誤解を招く情報や虚偽情報は無いほうが望ましい」というものから英訳されているものであり、よく精査すれば誤解を招くものでも虚偽でもない情報です。その判別なきままに削除するのはやはり問題です。
そしてこういった削除の方針で引き合いに出されたmiya様がなによりも迷惑を被っております。こういった責任逃れの姿勢にも疑問を感じます。--篠岡 2007年4月14日 (土) 11:17 (UTC)
- 「問題になっている記事がたくさんあるのが現状です{要出典}」たくさんありませんよ。非常に一部ですね。きちんとご確認されてから発言されては、どうですか?篠岡の関係している世界が全てではないのですよ。
- そして、miya氏の述べているのは「禁止する立場に無い」と言うことだけです。また、そのmiya氏によっても「喫煙をめぐる内容は「重要で残す値打ちがあるもの」、言い換えれば、本当に百科事典で記述すべき内容なのでしょうか?」と疑義が出されていることが分かるように、重要性があるかどうかは客観的に見て非常に疑わしい記述です。少なくとも「物議をかもす」記述です。つまり、検証可能性よりも存命人物の伝記のポリシーが優先される記述であり、編集合戦をしてまで残す価値のある記述ではないでしょう。--H.Nakasugi 2007年4月14日 (土) 13:40 (UTC)
- そうだとしたらなぜそういう理由を最初から言わないでmiya様の名前を出して一方的に削除したのですか?最初に「存命人物の伝記のポリシー優先のため」、と要約欄に書いていればまだスムーズにすむはずじゃないですか。あの要約欄を見て存命人物の伝記のポリシー優先のための削除とは到底思えないです。しかもRevert後に再度加筆した方にもmiya様の名前を出してますよね。これって何かの当て付けですか?「禁止する立場に無い」と言ったのは私に対する質問にお答えいただいたものですが、別の項目ではかなり苦慮してらっしゃる事も書いてらっしゃいますよ。まあこれはこの記事には関係ない事ですので、あとは当人どうしで合意していただければいいのですが、記事の編集について他人の名前を出して編集した事には問題がありますよ。この辺はちゃんと説明したほうがよろしいのではないでしょうか?
- あと「要出展」についてですが、中村中の編集方針でも名前は出しませんが加筆した方と揉めてらっしゃいますよね。あとは人物の伝記ではないですが戸塚ヨットスクールでも同じようにスポーツ新聞の出展を削除されてますね。ここも同じように再度加筆されてます。またRevertされるのかどうかわかりませんが、今度は人物の伝記でない記事でも同じように編集してらっしゃるのもどう説明されるのでしょうか。まあこれは余計なお節介ですが…。
- もうひとつ、中村中のやり取りの中で加筆した方に「テレビ・サイトで公表したかどうかのソースが必要です」という事でしたが、それであれば削除した記事に関してはすべてテレビの報道で紹介しコメントの裏づけも存在する有効なソースがありますよ。本当に必要な内容だと私が判断したら別に書いても構わないのですが、私は記事を残す事については中立の立場なのでもうしばらく様子を見る事にします。--篠岡 2007年4月14日 (土) 14:20 (UTC)
Wikipedia:存命人物の伝記を見ると、その項目は現状では翻訳中であり、「試験段階に入った草案」に移行しようかと言うことがまだ議論中の草案にすぎないんですよね。これを議論の参考にはしてもいいんでしょうが、拘束力を持つ(他の方の加筆を除去する根拠に出来る)のかと言われるとよく分かりません。この点について詳しい方がきちんと説明していただけるとありがたいです。--61.192.108.177 2007年4月14日 (土) 15:17 (UTC)
復帰検討に関する記述について
- asahi.comに「復帰が検討されていた」情報が確認できましたので、これを出典として追加しました。--Paripori 2007年4月14日 (土) 15:10 (UTC)
- 「吉澤ひとみのモー娘卒業公演(2007年5月)や20歳の誕生日(2008年2月)に復帰の兆しを見込まれていた」に対してでしょうか?asahi.comは伝聞形式の記述であり{要出典}そのソースは日刊スポーツと思われます。他紙がそれを報じていないことからスクープ的な要素が大きいと思われますが事実か否かの検証が不可能な状況でそれを出典とすることは危険と考えます。ただのうわさ話と同等ではないか思います。--220.144.167.100 2007年4月16日 (月) 12:08 (UTC)
- ほほう。では貴方は朝日新聞社のソースは全て信憑性に欠けると仰るわけですね。スポーツ新聞がだめ、んでももって朝日新聞もWikipedia:信頼できる情報源に値しないというのであれば、ネット上で参照できる信頼性のある情報源なんて皆無じゃないですかねぇ。--Yukiakiha 2007年4月16日 (月) 12:21 (UTC)
- そういうノリの記述でOKみたいなんで。ハッキリ言って出典が明確じゃなくウラの取れてない記事なんて真に受けても大丈夫なもんすかね?ニュース速報を扱うゴシップ紙や掲示板・個人サイトならそれでもいいんでしょうけど。瓦版見て来たように物を言うってことわざもありますし。ファンが萌えネタを記述する分にはスポーツ新聞は優良なソースだとは思いますが『他紙がそれを報じていないことからスクープ的な要素が大きいと思われますが事実か否かの検証が不可能な状況でそれを出典とすることは危険と考えます。』だと思うと記述しただけなんですがなんか気に障りました?それと一事を持って万事を決めつける考え方には恐怖を覚えます。--220.144.167.100 2007年4月16日 (月) 12:46 (UTC)
- 朝日新聞を無条件否定していると誤解されているようなので朝日新聞を論拠にした現行の加護の項に関する記載内容の誤りなどを上げると
- 1.報道では謹慎期間中に年上男性との温泉旅行中に喫煙とある(契約解除理由に関する記述不足)。
- 2.事務所は解雇を発表した。
- 3.アイドルとしては事実上芸能界追放。
- これらは出典もしっかりしてるんで記述に反映させる必要がありそうです。またどう考えても朝日新聞が信用できないのは「加護は幼少時代に両親が離婚して母親に引き取られ育てられてきたので父親とは会う機会も少なかった」という報道。朝日新聞社に対する信頼性はさておき加護に関する報道の一部はこの一文で「ちゃんと自分らで調べてんのかよ」って疑義を抱かざるを得ません。まあ意図的にダブルスタンダードで出典として記事の内容を取得選択するなら話は別ですが。--220.144.167.100 2007年4月16日 (月) 14:13 (UTC)
- 上のご意見からはasahi.comが出展としてなりえない根拠とは考えられません。その報道が正しくないという根拠があれば別ですが、今のままでは主観をそのままぶつけてらっしゃるようにしか捉えられません。「要出展」がつけられているとおり、これが伝聞形式だという事を何の理由もなく述べてしまうのはさすがにまずいと思います。--篠岡 2007年4月16日 (月) 15:13 (UTC)
- 伝聞形式は文章の読み込みが少し甘かったようですね。他の文は断定的な行止めだったけど事務所関係者云々以降は「という」という形の文止めだったので又聞きまたは日刊スポーツをそのまま記事にしたのかと思いました。一般新聞紙のWebサイトの芸能情報の扱いに対する偏見もありましたし。しかし時々笑わせてくれますが政治経済に関しては朝日新聞はいい新聞だと思います。ってことで要出典の指摘を受けている事項に関しては取り消し謝罪させて頂きます。余談ですが加護が両親の離婚後母親に引き取られていたということは始めてしりました。本文の人物、エピソードの節に父親に関する記述がありますが両親の離婚後加護本人は父親と会う機会も少なかったということですし敢えて記述することなのかなという印象を受けました。(本当余談ですが・・・)--220.144.167.100 2007年4月17日 (火) 11:20 (UTC)
- 上のご意見からはasahi.comが出展としてなりえない根拠とは考えられません。その報道が正しくないという根拠があれば別ですが、今のままでは主観をそのままぶつけてらっしゃるようにしか捉えられません。「要出展」がつけられているとおり、これが伝聞形式だという事を何の理由もなく述べてしまうのはさすがにまずいと思います。--篠岡 2007年4月16日 (月) 15:13 (UTC)
- ほほう。では貴方は朝日新聞社のソースは全て信憑性に欠けると仰るわけですね。スポーツ新聞がだめ、んでももって朝日新聞もWikipedia:信頼できる情報源に値しないというのであれば、ネット上で参照できる信頼性のある情報源なんて皆無じゃないですかねぇ。--Yukiakiha 2007年4月16日 (月) 12:21 (UTC)
最大の問題は、アサヒコムも二次情報であるという事です。どこが大元として報じたかを出して下さい。--121.1.164.167 2007年11月1日 (木) 04:47 (UTC)
井上公造氏の報道でご両親の離婚が確認されました。「加護」は芸名でもありませんし実際の芸能活動が現在時点行われておりません。名前は旧姓を用いるまたは旧姓を並記するの対応が必要かと思います。なおプライバシーに対する配慮ですが加護の母親が自身でプライバシーを切り売りするのが現状ですので実姓の匿秘までの配慮は不要ではと思います。--122.135.19.191 2007年11月17日 (土) 04:35 (UTC)
姓名に関しては、問題はないと思いますよ。加護姓になるかどうかは、戸籍がどちらにあるのかによるかだけですし、申し立てをすれば、名乗ることは可能です。母親の姓に関しても、役所に届けるもしくは裁判所に申し立てることによって、名乗ることは可能です。母親がプライバシーに関して切り売りしているかどうかの判断は、一般的に出回っている情報を散見されるのを見ていると、あながち、切り売りしているのではないように思えます。この夏にインタビューされた記事が女性週刊誌に掲載された内容をよく見ると、懐疑的なところもあるので、本当の所はわからないと思います。--以上の署名のないコメントは、Qtdreamjp(会話・投稿記録)さんが 2007年11月24日 (土) 20:03 (UTC) に投稿したものです。