ノート:二見町 (三重県)

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ノート:二見町から転送)

改名提案[編集]

同名町があったため 二見町 (曖昧さ回避) を作成しましたが、プロジェクト:日本の市町村では、廃止自治体同士、また廃止自治体とその他地名は、平等な曖昧さ回避とされているので、二見町 (曖昧さ回避)二見町二見町 (三重県) と移動することを提案します。--Tatase 2011年7月4日 (月) 14:34 (UTC)[返信]

反対 申し訳ないのですが、こちらもノート:出石町と同様に反対とさせて頂きます。プロジェクト:日本の市町村を読んだ上で申し上げます。重複する記事名に「自治体名・その他地名」が含まれる場合の「その他地名」は解釈次第で様々な捉え方が可能です。
またウィキプロジェクトの決定には強制力はなく、かつ記事はプロジェクト参加者のみの所有物ではありませんから、混乱を避けハッキリさせたいならば町村制施行により過去に自治体として現存した経歴の有無による地位をどう扱うかなど改めて議論を行えばよろしいかと存じます。例えば過去に市町村として存在しなかったとしても江戸などは中心とするトピックとして明らかですが、全国に数十万とも存在するような大字や字などまで平等曖昧さ回避に位置付けることには不自然さを感じますし、何処かで歯止めも必要と考えます。
現に二見町 (曖昧さ回避)は単に全国の二見町一覧記事の様相を呈しており曖昧さ回避としての機能については疑問です。むしろ日本全国の二見町一覧に改名提案したいぐらいです。この中で記事として現存しているのは伊勢市の二見町のみです。もちろん、どのような小さな字だろうがそれなりに史料を収集して特筆性を満たすような記事に仕上げることも可能ですが、過去に市町村として存在したか否かの地位の差は歴然としており平等ではないと考えます。ノート:山内町およびその他同種のご提案についても同様と考えます。--As6022014 2011年7月11日 (月) 03:04 (UTC)[返信]
コメント「解釈次第で様々な捉え方が可能です」というのは、どう解釈してどう捉えられたのでしょうか。具体的にお願いします。
合意に強制力がないというのは、ご自身が例に出された「江戸」のようなケースに適用すべきでしょう。三重県二見町には、江戸に匹敵するような「合意に従わなくていい特別な理由」はなく、(数十万もはありませんが)ありふれた廃止自治体(あるいは現存冠称)の1つです。
「ウィキペディアに記事があるかどうか」という自己言及した理由で、曖昧さ回避の必要性を議論すべきではありません。ウィキペディアの行為にかかわらず他の二見町は存在し、曖昧さ回避は必要です。
過去に市町村として存在した~というのは、他に市町村があったここの議論では有効な反論ではありません(他所の議論と混同されたのでしょうか)--Tatase 2011年8月8日 (月) 19:59 (UTC)[返信]
「解釈次第で様々な捉え方が可能です」については、プロジェクト:日本の市町村が云う所のその他の地名について具体的な記述は無く、全国津々浦々の字まで想定していたのか果たして疑問であり、Tataseさんご自身はすべての字も含まれるとする解釈であろう、しかし人によっては特筆性を満たした記事の範囲であろう、など様々な解釈があることを申しました。ただすべての字まで平等曖昧さ回避に位置付けるのは拡大解釈が過ぎるだろうと私は考えます。曖昧さ回避の方針に従えば、三重県の二見町は中心となるトピックとして位置付けることも可能です。合意に強制力がないというのは、ご自身が例に出された「江戸」のようなケースに適用すべきでしょう。についてもTataseさん個人の意見であり、1意見として尊重はされるべきですが、私個人は賛同しかねますし、コミュニティ全体で合意された方針ではありません。
逆に質問いたしますが、現段階で記事の作成されていない三重県以外の二見町についての特筆性についてTataseさんはどのようにお考えでしょうか。Tataseさんご自身はこれらについて充実した記事を立てる構想があるのでしょうか。また昭和の大合併以前の市町村は18000余あり、字となればその何倍もあるわけですが、現状としてある字は記事が存在し、又ある字は記事が存在しない実態の中で、すべての字について将来も記事が作成されるとは到底考えられません。--As6022014 2011年8月9日 (火) 13:47 (UTC)[返信]
暫く返答がありませんが、Tataseさんの8月8日 (月) 19:59 (UTC)のご回答は、ノート:山内町の提案が時間切れになったことにより、慌ててこちらの反論を行うに至ったのでしょうか?もし左様であればあまり感心したことではありません。
但し、私の方も他所の議論と混同されたのでしょうかといった誤解を与えたことに関してはお詫び申し上げます。市町村として現存したか否かも、私個人が曖昧さ回避の序列の例として挙げたまでであり、コミュニティ全体で合意された方針ではありません。
ご返答がありませんので、私個人の特筆性についての考え方を申し上げます。まず特筆性は方針として定まっているわけでもなく、激しい議論の応酬はあれど意形成には到底至っていません。私は特筆性は「有る」「無い」といった二元論で片付けられるものではなく、高いか低いかの程度問題であろうと考えています。個々の利用者によりその閾値が異なるであろうと言うことです。さてその程度は以下のような観点が有るのではなかろうかと考えます。
  1. 著名度 - これは単純に数値化できませんがGoogle検索ヒット数や、そのトピックに関してどの程度の文献など出典が得られるかなどが挙げられます。
  2. 需要 - Wikipedia記事ならば閲覧数は一つの目安で、記事が立項されること自体、一つの需要かもしれません。日本語版以外の他言語版でも記事が立つようならば尚更、特筆性は高いと云えるでしょう。
  3. 教養的な知識を得られるものであるかどうか - 例えば高知市宝永町の記事を立てるとします。これが単に人口や面積などのデータ集にとどまるものならば特筆性は低いでしょう。しかし、この町名は宝永地震津波災害を踏まえて、築かれた宝永堤に由来するなどが加われば特筆性は増大します。
これらを踏まえて、曖昧さ回避においては当然特筆性の高いものは上位に来るであろうと考えます。平等曖昧さ回避とすべきものは甲乙付け難い場合です。また、例えば日本の山に関しては日本百名山 > 日本二百名山 > 日本三百名山とより少数のトピックは上位に来るであろうと考えます。地名についても、2011年8月17日現在の現存市町村は、すべて記事は作成されているようですが、昭和の大合併以降以降あるいは地方自治法制定以降の市町村では未作成記事も存在し、それ以前の合併前の市町村については果たして将来も記事が作成されるのかさえ多いに疑問です。百科事典であれば同列のものはシリーズとして完結していることが望ましいし、完結の見込みの無いものは特筆性も低く、いわんや平等曖昧さ回避に位置付けるのは行き過ぎではないかと考える次第です。
三重県の二見町は日本全国にある夫婦岩二見浦のモデル的存在であり、著名度、需要において最上位に来るものと考えますが、他の二見町にこれと肩を並べる程の材料があるのでしょうか。--As6022014 2011年8月17日 (水) 12:41 (UTC)[返信]
賛成 現状記事は存在しませんが、廃止された自治体が複数存在するため。--shikai shaw 2011年7月25日 (月) 14:06 (UTC)[返信]
反対 兵庫県加古郡二見町 (兵庫県)(現明石市)の存在は確認しましたが、記事がない段階での平等化は時期尚早。兵庫県町の立項を待ってからの改名を支持します。--Im224 2011年8月15日 (月) 15:00 (UTC)[返信]
二見町 (兵庫県)を立項のうえ、プロジェクト:日本の市町村#重複名称の扱いに基づいて移動しました。--検見川町 2012年2月28日 (火) 01:14 (UTC)[返信]