ノート:幻視芸術

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ

ヴィジョナリーアートの呼び方は定着していない[編集]

ウィリアム・ブレイクなど古いですが、

  • 『聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術』(2010年) Sacred Mirrors : The Visionary Art of Alex Gray, 1990.
  • 『ジャン・コクトー : 幻視芸術の魔術師』(1995年)
  • 「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』(牧神社、1977年)

といった著書があります。またヴィジョナリーアートを書名に持つ著作はありませんでした。--タバコはマーダー会話2017年4月1日 (土) 17:18 (UTC)[返信]

上の三者は画家(ブレイクは詞でも)として知られていますが、幻視芸術ではなくても「幻視」として言及されています。
  • 『ブレイクの世界―幻視家の予言書』(1978年)
  • 『ジャン・コクトー―幻視の美学』(2003年)
  • 『世界美術家大全』日東書院 p.190.では、ブレイクは幻視者とありますが、ブレイクについて幻視、幻視者と言及する著作は見つけやすいでしょう。--タバコはマーダー会話2017年4月21日 (金) 06:31 (UTC)[返信]
年号を追加。--タバコはマーダー会話2017年6月26日 (月) 00:46 (UTC)[返信]

ウィキペディアの複雑なルールには精通していませんが、口語の言葉をどう解釈するかは小さな問題ではないと思います。無数の人々が口語的に頻用し、ツイッターなどで使用し、なおかつ書物にはなっていないような言葉が多数あると思います。それはスラングやジャーゴンといったもので、例えば「ヤンキー」であるとか「オタク」とか「中二病」といったものが口語的な現象としてまずあり、あとで書物になるというケースがあると思います。そのへんの扱いは、よりルールに精通したウィキペディア利用者に訊ねたいところであります。--Basicsur会話2017年7月27日 (木) 16:14 (UTC)[返信]

再三案内していますが、Wikipedia:信頼できる情報源というガイドラインがあります。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 09:27 (UTC)[返信]

ブレイクの幻視については1970年代より言及があるようです。

  • R.カスナー 著、春山清純 訳「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』牧神社、1977年。 
  • Kenneth Clark (1973). Blake and visionary art. University of Glasgow Press 
  • Lambert, Moira, The visionary artist, 1980, http://hdl.handle.net/10962/d1006113.

--タバコはマーダー会話2017年8月1日 (火) 11:53 (UTC)[返信]

記事に出典として用いらているすべての日本語の資料に「幻視」という共通する訳語が含まれているかと思います。--タバコはマーダー会話2017年8月11日 (金) 11:21 (UTC)[返信]
だいぶ下の、Basicsur氏本人の言で「1994年に国内で開催された展覧会「現代パリの幻想画家たち」のカタログではこのヴィジョネールという言葉が幻視芸術と訳され幻想芸術との比較をふくむ論考が掲載されています」ということです。
比較をふくむのではなく、はっきりと区別しているんですね。エルヴェ・セランが幻想芸術(ファンタスティック)、幻視芸術(ヴィジョネール)と書いています。--タバコはマーダー会話2017年11月27日 (月) 11:07 (UTC)[返信]

改名[編集]

Wikipedia:記事名の付け方には、日本語での正式名称、信頼できる情報源において最も一般的といった基準があります。日本語には上の節に挙げた書籍がありますし、ヴィジョナリーアートでは英語直ですし自己出版のようなものしか見つからず信頼性が低いという理由で、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」におけるただちに改名ケースとして改名します。--タバコはマーダー会話2017年4月4日 (火) 07:07 (UTC)[返信]

2018年の新たな独自研究[編集]

故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、

The First Draft of Manifesto of Visionary Artにも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。

ロングマン現代英英辞典の「未来に関するアイデア」のような意味だけをとり、それを他の「視覚的な知覚」について言及している出典がついている文章に上書きされているのではないでしょうか。これでは検証可能な文章を検証できない形へ改変していることになります。

氏が半年以上前に提示された出典『現代パリの幻想画家たち』でも、「幻視画家」「幻視的光景(ヴィジョンの振り仮名)」といった訳語が繰り返されており、巌谷國士もまとめると「ヴィジョネールという言葉も幻想と訳すことができるが日本語では幻視の方が近い概念であり、ヴィジョンを得る、見えないものを見るという意味であるが、未来を予見するという意味でも用いられる」と書いており、この一番最後の意味だけを採用されているようです。未来を予見するという意味は補足的な意味に過ぎません。とりわけランデへのインタビューp152には、「それは映画のフラッシュのようにひらめきました。実際に完成しているタブローを、私は見たのです。私はいわばその幻視的場面(ヴィジョン)を模写したのです」とありますし、トマもp178「幻視的光景は、フラッシュのようなものだといえるでしょう。(略)私にとっては、それはかなり焦点のぼやけたものです。」これは、オックスフォード現代英英辞典の目や精神に映し出される to display to eye or mind というvisionの意味が近いでしょう。『現代パリの幻想画家たち』には、他にもp100「集団の無意識の奥底から汲まれた人間の絶対の幻視的光景(ヴィジョン) 略 このような芸術家の霊的体験は 略 神秘家のそれにも似る 略 肉体の目を閉じよ。」ともあり、他の文献の記述とも整合が取れます。

幻視芸術(2018年2月22日16:58)に書かれたような「未来の世界はどうあるべきを明確にするアイディアを意味したり」といった意味こそが、ロングマン現代英英辞典の記述を発展させた他の出典に確認できない独自研究であります。『現代パリの幻想画家たち』だけ未来に関するような意味で支配的になっているということも、まったくありません。出典の検証に反する独自研究をWikipediaに投稿することはWikipediaの目的外利用です。

--タバコはマーダー会話2018年2月22日 (木) 17:23 (UTC)[返信]


辞書を独断的に不完全だと断定することは個人にはできません。辞書を勝手に不完全だとするのは独自研究です。to display to eye or mindとありますので、オックスフォード現代英英辞典においてもMindつまり内的なものが示唆されています。そもそも芸術一般が内的世界の外的表出であり、これは古典的でかつ常識的なものです。幻視芸術家のすべてが幻覚を視覚的に見ているのではありません。そこには不安や希望や恐怖といった内的要素があります。たしかに先見の明で未来を見るといったVisionaryの口語の意味はvisionary artの中心的な本質ではなく副次的なエピソードであり、強調することは読者に混乱を与えることになります。しかしそれほど日本語の幻視と比較するとvisionaryという英語は含みが広いということに気をつけるべきです。 Visionary art is an artistic style based on a spontaneous depiction of what is seen in the altered state of consciousness, religious, meditative contemplation, trance, as well as flashbacks that arise after so-called "tripods" (psychedelic state) altered states of consciousness, characterized by a different perception and an intense process of awareness. English synonyms Visionary art: Visionary Art, Fantastic Realism, Imaginative Art, Mystical Art, Psychedelic Art. One of the creators of the theory of the noosphere and the modern theory of cosmic evolution, Pierre Teilhard de Chardin, revealed the true nature and essence of art in the style of "Visionary art": "We are not people who experience spiritual experience, but spiritual beings who experience the experience of human existence." 全世界に向けたロシアにおける幻視芸術のイベントに ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの言葉が引用されています。 こちらの編集方針も独自研究の除去です。ご検討ください。このページにおける最も大きな独自研究は幻視を短絡的に視覚的幻覚とし、その要素を抽出して独自の幻視芸術というどこにもないジャンルをウィキペディア上に実現しようとした試みにあります。 visionaryは日本語の幻視とイコールではありません。幻想と訳しても間違いではありません。ファンタスティック リアリスムが同義語とされているのが証拠です。--Basicsur会話2018年2月25日 (日) 16:50 (UTC)[返信]

以前の定義 「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」の問題は、第一に同義語の幻想芸術と訳した場合、意味が分からなくなることです。「幻想芸術とは、幻想で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと、アウトサイダーアートの定義と同様に幻想に基づく~といったものになります。第二に、 幻視で見たケースの芸術と、それを基にしたケースの芸術の二例があげられていますが、両者の違いが読み取れないのです。基にしたほうの芸術家は幻視していないのでしょうか。幻視(Vision)と表記したとしても、Visionは思考や想像力を含む語なのであり、「基」にしたほうの画家は思考も想像力も使わないのでしょうか。ここにおける問題もvisionaryというもともとの意味が生かされていないこと、さらには芸術名称の字義と実際の活動実態が一致していないことからの混乱なのです。「幻視芸術とは、幻視で見たこと、あるいはそれを基とした芸術のこと」という表現の意図を想像すると、ここでの幻視は 特殊な幻覚を見る状態を扱っているのではないでしょうか。幻視芸術家たちは普通の人々であり、幻覚ばかりみて生きているのではありません。精神障害者は幻覚を見る、アレックス グレイも麻薬で幻覚を見た。だから幻覚、幻視こそが両者の共通点である、という編集方針は短絡的類推になります。 アウトサイダーアートはヴィジョナリーアート ミュージアムで扱われている。だからヴィジョナリーアートの活動実態はアウトサイダーも含むのだ、という編集も短絡的類推です。同姓同名を同一人物とすることと同じです。ここにおける編集の独自研究の可能性はとにかく、我々は日本において海外の活動実態を想像しなくてはならない、というハンディから来ています。さらに、お互いが頑固になり、自らの独自研究要素を自覚しようとしないときにも独自研究は発生するでしょう。  Visionaryは先見の明がある、という意味がある。だから幻視芸術は未来を予言する芸術だ。というのもたしかに短絡的類推です。自分でも乱暴だな。と思いましたが、実験的にこういう編集もできてしまうのだという試みとしてとらえてもらえるとありがたいです。

独自研究というものを我々がどうとらえてゆくかを確認する良いきっかけになったと思います。出典と異なる編集を見つけたら、互いにチェックし合いましょう。難しいのは出典先の情報が間違っている場合です。今回のロシアのサイトに関しても全てが正しいと確信して引用しているわけではありません。幻想芸術コーディネーターのジョン・ベイナートによると、この芸術運動はまだ流動的であり、未来の研究者に任せたほうが良い、と本に書いてました。

 さらに五感が不適切だという指摘がありますが、シンプルさや端的な表現として、良いかなと判断しました。これは文字通り嗅覚その他を意味するのではなく、目に見えない六感に比較して一般的に普通の感覚全体をさす分かりやすい日本語だとは思います。よりベターなものがあれば換えても良いです。--Basicsur会話2018年2月27日 (火) 01:06 (UTC)[返信]


独自研究に関する機会ができましたので、このノートの中にある、重要な独自研究の種を指摘しておきます。


国内にほとんど皆無な解釈、「幻視芸術=アウトサイダー・アート」がウィキ内のみにある事態を見過ごして良いのでしょうか。

あなたの独自ルールに該当するガイドライン等はありません。
>タームの実例ではありません。
意味が分かりません。タームという言葉の意味を勝手に使っていらっしゃるので。強迫的幻視者が14回あるならこの書籍の中での重要な用語ですし、現に記事中に反映しています。--タバコはマーダー会話2017年7月31日 (月) 10:53 (UTC)[返信]



ここでマーダーさんは私が言及した用語=タームについて異議を出しています。用語は百科事典、辞書の編集には欠かせないどころか、そのために存在しているもので、用語を無視しては勝手な解釈がいくらでもできます。例えば「夏休み」と「夏季休暇」は同じ用語ではありません。「独自研究」と「独自の研究」も同じ用語ではありません。それぞれの用語に特定の背景があります。「強迫的幻視者」はアウトサイダーアート世界の中の用語のようですが、ここに幻視という言葉が確認できることを理由に、独自に「幻視」と「芸術」を新たにくっつけ「幻視芸術」という用語を発明することには無理があり、「幻視する芸術」という一語があることで、「する」を独自に削除して「幻視芸術」を造語するのも個人がやってはいけないことです。さらに、国内でアウトサイダーアートはアール・ブリュットというフランス語で広く紹介されており、日本語の「幻視芸術」という用語によるアウトサイダーアートの紹介は一例も存在しません。アウトサイダーアートを幻視芸術として紹介すべきならそれはボルチモアのビジョナリー・アート・ミュージアム周辺に限ってのみ、という注釈がなければ世の中から孤立した独自研究になります。読者に混乱を与えます。さらに重大なのは口語のVisionary の意味を意図的に無視し、(以前、提示しましたがマーダーさんに削除されました。)英語を母国語としている何億の人々に認証されている英英辞書の定義を勝手に不完全であるとするのは甚だしい独自研究になりませんか?Visionaryという語を含むあらゆる英文の資料の全てをマーダーさんが誤解していることは明白であり、辞書定義を無視したマーダーさんによる記事全体が独自研究を含む恐れ、というより独自研究そのものなのです。  独自研究はいけないことですが、誰もが独自研究をする可能性があります。互いに気づき、気づかせる、と言うことが大切であり、「ああ、なるほどそうですか、間違ってましたねえ。すいません。ではどうすれば正しい記事になるのかをともに考えましょう。」という姿勢となった時にノートは生きてくるのであり、相手の独自研究を重箱のすみを突つくよう批判して欠点を拡大させることはウイキペディアの趣旨ではないと感じています。欠点は批判するものではなく長所によって互いに補うべきものです。ちなみに先日、ネイティブに会って、Visionaryの意味について尋ねましたが、やはり視覚的幻覚という意味では使わない。むしろスピルバーグやスティーブ・ジョブスのような創造的人物を評価するときに使うのがVisionaryということでした。しかしこれは英語の口語のことであって、Visionary Artという芸術用語が何を意味しているのかはまた別の話です。やはり、先日紹介したロシアのサイトに興味深い内容の記事があると感じています。これは伝聞情報なのですが、いずれ明確に理解できたら紹介したいものです。


口語のVisionary の意味を紹介します。ご自分の研究の発展に邪魔だという理由で独自に削除することは絶対に控えてください。ご自分の間違いに気づいたら、相手を攻撃せずに静かに内省しましょう。

Visionary 1 Having clear idea of what the world should be like in the future.世界がどうあるべきかに関して明確なアイディアを持つこと。 2 existing only in someone's mind and unlikely to ever exist in the real world.ある人の心の中のみに存在し、今までの現実世界にはあり得なかったようなもの。

--Basicsur会話2018年3月2日 (金) 16:54 (UTC)[返信]

〜故意になのか、Basicsur氏は自らが提出した出典に書かれていることとは異なる見解を書くことが繰り返されていますが、今度はロングマン現代英英辞典のみに立脚しているんでしょうか。不完全な辞書のように思います。オックスフォード現代英英辞典には、「vision - To show as in a vision; to display to eye or mind. visionary - Able or accustomed to see visions」などとあり視覚的なものも指します。また、 The First Draft of Manifesto of Visionary Artにも、「transcends our regular modes of perception.」「Art of the Visionary attempts to show what lies beyond the boundary of our sight.」とあるので、視界sight、transcend超越・超える、perception知覚なので、「通常の知覚を超越した幻視の状態が反映されている」としていましたが、「通常の五感を超越した芸術ジャンルである」としてよくわからない味覚や聴覚を含む「五感」といった言葉に変えられたり、独自研究が入り込んでいるため元に戻します。〜


これに関して、丁寧に回答します。英語のseeは「理解する」I see.も含みます。visionも思考や想像力を含むのです。オックスフォード辞典における visionaryは下のようになってます。マーダーさんはvisionで調べているのでロングマン辞典との比較になっていません。  1Thinking about or planning the future with imagination or wisdom.‘a visionary leader’想像力や知恵によって未来を計画し思考すること。「ヴィジョナリーなリーダー」といった用法など。  2Relating to or having the ability to see visions in a dream or trance, or as a supernatural apparition. 夢やトランス状態で見る視覚体験や能力、あるいはそれに関すること。超自然的な幽霊のような存在を見ること。‘visionary dreams’「ヴィジョナリーな夢」といった用法など。

ロングマン辞書もオックスフォード辞書もわりと意味は重なっています。まず現実を変えていく実際的な能力、という意味と、現実にはあり得ないようなものを見聞きしたり抱いたりするということです。 日本語の幻視は視覚的幻覚、という意味に限定されており、  Visionaryが意味する範囲と異なっています。今後、幻視芸術を編集していこうとするなら、これら英語辞典の意味に沿わなくては独自研究になります。幻視芸術は日本発ではないのです。

さらに、美術に関するものではありませんが、西洋思想における「ヴィジョナリー」や「アウトサイダー」という言葉に関して、より親密になれる資料として有名なコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』があります。ご存知かもしれませんが、今、改めて読むと重要なヒントが得られそうです。

「通常の知覚」を五感の二語で表現することは日本ではありふれています。マーダーさんが住んでいる国がどこかは知りませんが、日本人としては自然な表現なのです。「五感」に関しては独自研究と言い切れないものがあります。出典先が英文である場合、日本人の、特に若年層にも分かるような配慮で噛み砕いた表現や意訳が必要になります。それは出典先を曲解する趣旨ではないのです。--Basicsur会話2018年3月3日 (土) 16:33 (UTC)[返信]

ここまで説明してマーダーさんがいかに独自研究に浸っていたかが明らかになったと思います。独自研究を削除すべきとするなら、時間はかかりますがまず、ご自分の独自研究を改善していってはどうかと提言します。誰が独自研究をしたかは関係ありません。情報が事実と一致していないとウィキペディア利用者が困るのです。私自身の独自研究にも気づいています。勘違いしていたことが色々あります。時間がかかるので後日発表したいと思います。マーダーさんの方で先に気づいたのなら私の独自研究を公表しても構いません。対応したいと思います。--Basicsur会話2018年3月3日 (土) 17:10 (UTC)[返信]

ヴィジョナリーアートのページを幻視芸術と改名したことにより、ヴィジョナリー=幻視=視覚的幻覚 と短絡的に曲解する重篤な独自研究が発生したため、今後そういった独自研究を避けるためにヴィジョナリー・アートという表記を記事内に使用することにします。「ヴィジョナリーアート」という語をウィキペディア内から一掃しようとする偏った方針が今まで存在し、それが独自研究を促進させて来ました。 さらに読みにくい幻視芸術の歴史を 見出しで分割しました。--Basicsur会話2018年3月9日 (金) 15:36 (UTC)[返信]

細部を詰めるための情報交換[編集]

「霊(スピリット)の表現のため「観想の眼」を開くには、瞑想は確実な方法のひとつであり」の引用に 「R.カスナー 「幻視芸術」『ウィリアム・ブレイク』 春山清純訳、牧神社、1977年。」が使われています。この著作は絶版で、入手不能であり、しかも「観想の眼」というケン・ウィルバーの用語がすでにこの1977年の著作の中で使われているとは思えません。引用するときの手作業ミスではないでしょうか?--Basicsur会話2018年3月28日 (水) 15:38 (UTC)[返信]