ノート:ミソジニー

ナビゲーションに移動 検索に移動

二次元キャラへの愛着に関して[編集]

二次元キャラが好きな男=女性蔑視というのはこじつけが過ぎると思いますが、いかがな物でしょうか。特定の人物、及び「オタク」というグループへの誹謗、中傷が目的でなく、これらの記述が客観的事実に基づく物であるのならばそのソースを示していただきたいと思います。--RestaurantLynx 2006年5月15日 (月) 13:17 (UTC)

 「キャラクターに純粋に恋愛感情を抱くオタクとは別に、こういう人種も存在する」・・・と説明しているので問題ない筈です。二次元が好きなオタクを中傷しているわけではないです。--Orion t 2006年5月15日 (月) 22:31 (UTC)

    • この版での書き方ではオタクへの偏見を助長する物と考えられても仕方ないかと考えます。(要するに「もてないおたくは二次元にはまって現実見てない」と言っているように取られる可能性があると言うことです)文章の量的におたくへの言及に偏っているのも問題ですし。

とはいえ、慎重に記述すれば面白い話題にはなりそうですけどね。--RestaurantLynx 2006年5月15日 (月) 13:44 (UTC)

    • つまり「下記と同じく二次元女性を崇拝している場合が多い。」のみを削除すればいいのではないでしょうか。--Orion 2006年5月15日 (月)
    • 「二次元萌えを主張する男性オタク作家に多い。」とありますが、「二次元萌え」という主張にも色々あるのではないでしょうか? また、確かに「男性オタク作家」の中には、本田透氏の様に「三十路女は萌えないゴミ」等と言う、女性に対して失礼極まりない持論を書いている人も居ますが、「男性オタク作家に多い。」とまでは言えないのではないでしょうか? 「アニメやマンガなどのいわゆる「二次元」の少女を愛するあまり、現実の人間に対して女性蔑視的な発言を行う一部の男性オタク作家の主張は、ミソジニーの一種である。」くらいが穏当ではないでしょうか? 古鳥羽護 2006年5月15日 (月) 18:35 (UTC)
      • Orion tさん、ご配慮いただき、ありがとうございました。この先、議論などでまみえる事もあると思いますが、よろしくお願いします。 古鳥羽護 2006年5月15日 (月) 18:53 (UTC)
      • わがままを聞いていただきありがとうございました。--RestaurantLynx 2006年5月16日 (火) 01:08 (UTC)
    • 「二次元の少女を崇拝し、その代償として現実の女性を蔑視する人種が存在する。」との表現ですが、確かに「人種」という単語には「環境などの違いによる気質を共通の特徴として分類した言い方。」という意味もありますが、百科事典的にはどうなんでしょうか? 私が「『二次元萌え』という主張にも色々あるのではないでしょうか?」と指摘してご配慮いただきましたが、「二次元の少女への崇拝」にも色々なスタンスがあって、必ずしもミソジニー的であるとは限らないと思います。「二次元の女性への恋慕を現実の女性に対する恋慕の代替にし、その姿勢が先鋭化して、現実の女性を蔑視する様な言論を行う者が一部に存在する。」という表現でどうでしょうか? 古鳥羽護 2006年5月16日 (火) 11:01 (UTC)

二次元を崇拝する人々が必ずミソジニーじゃないのはわかってます。ですから「男性アニメオタクの中には、純粋にキャラクターに恋愛感情を抱くオタクや女性ファンとは別に」と説明しています。Orion 2006年5月16日 (火) 13:01 (UTC)

    • ご配慮下さりありがとうございました。古鳥羽護 2006年5月16日 (火) 15:03 (UTC)
    • また、女性の中に、二次元の男性への恋慕を現実の男性への恋慕の代替にして、それを先鋭化させてしまった例は無いのでしょうか? 確かに、最近の雑誌等が「腐女子」について報じる時に、「二次元と現実は別。ちゃんと現実の彼氏もいる。」というコメントを掲載しているのを私は読みました。しかし、「美しさの不滅性や永遠性」において、現実の女性が二次元の美少女には対抗できない様に、現実の男性も二次元の美男子には対抗できませんので、逆の例の言論や事象も存在するのではないかと思います。完全な存在への信仰が先鋭化して、不完全な存在(人間)への嫌悪になってしまうという事は、色々な事象に見られるのかも知れませんが、少なくとも「アダムとイブ」に関するミソジニーとは性質が違う様に思えます。 古鳥羽護 2006年5月16日 (火) 11:01 (UTC)

ミソジニーは「女性に嫌悪や偏見を抱く男性」ですから女性は関係ないと思います。Orion 2006年5月16日 (火) 13:01 (UTC)

    • ですので、ミソジニーとは逆の事象として、「男性に嫌悪や偏見を抱く女性」というのは、考えられないでしょうか? という意味です。言葉足らずですいませんでした。「完全な存在への信仰が先鋭化して、不完全な存在(人間)への嫌悪になってしまう」というのは、何も男性から女性に限った話ではないと思います。古鳥羽護 2006年5月16日 (火) 15:03 (UTC)
      • 女性からの男性蔑視に関しては項目名とのずれが生じてしまいますから、この項目がミソジニーという項目名を持っている以上書き込みづらいと思います。「性蔑視」などであれば男性から女性、女性から男性という両方の記述は可能だと思いますが…。個人的にはそもそも初版がPOVだったことを引きずってる気がします。二次元に関しては言及しないほうが幸せかも--RestaurantLynx 2006年5月17日 (水) 06:34 (UTC)
      • 「ミソジニー」という項目の存在自体は良いと思います。ただ、「異性にもてない事」や「架空の異性に萌える事」と関連した、「異性蔑視」という事象については、ミソジニーが意味する「男性による女性蔑視」に限らず、「女性による男性蔑視」という事象の事も考えないと、逆差別になってしまうと思います。本田透氏の言論が目立ってしまっただけで、非モテ女性やオタク女性による男性蔑視的な言論もあるでしょう。(オタク男性への蔑視的言論ならば、削除依頼中の「萌えオタ」というPOVがありますし。) 古鳥羽護 2006年5月17日 (水) 15:20 (UTC)

あと、私は本田透氏の主張がホモフォビア(同性愛者に対する嫌悪)と関係があるとは思えないのですが… 古鳥羽護 2006年5月19日 (金) 22:33 (UTC)

  • ホモソーシャルの記述を見て「なるほど」と思いました。 ただ、萌えとミソジニー、萌えとホモソーシャルの関連付けは、どちらも本来の概念ではないって事を書いておいたほうがよいと思います。古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 06:33 (UTC)
    • ノート:ホモソーシャルでの議論にもある様に、やっぱり、ミソジニーについても、概念が誰から提唱されて、提唱者は本来どの様に定義しているのかという部分を書く必要があると思います。また、流行や風俗に転用されているという主張や、「もてない男性」の心理や「萌え」文化を愛好する男性の心理と関連しているという主張が、どの「検証可能かつ信頼性のある情報源」で述べられたものであるのかという事を書く必要があると思います。古鳥羽護 2006年5月21日 (日) 14:24 (UTC)
  • 「非モテ」だとか「喪男」など、ネット上の一部での流行に過ぎない言葉をここに書くべきでしょうか。それに関連サイトを一通り調べてみましたが、「非モテ」などと呼ばれる論者の中には「ミソジニー」と呼ばれることに反駁している者も多くいて、「非モテ」即ち「ミソジニー」という結論が出ているわけですらないのです。さらに、小谷野敦氏や本田透氏の作品への言及は単なる「批評」でしょう。そういう性質のことを Wikipedia に書くべきではありません。130.54.130.227 2006年5月26日 (金) 05:08 (UTC)

創世記に関して[編集]

あいにく僕はクリスチャンではありませんが、聖書から女性蔑視的な節が削除されたなどという話は聞いたことがありません。まあキリスト教といってもカトリック・プロテスタント・東方正教などなどいくつもに分れていますし(ついでに言えば、創世記はユダヤ教やイスラム教でも経典の一つとされています)、中にはそういう変な進歩的な宗派があるのかもしれませんが、もし実例を御存知でしたらお教えください。West 2006年5月16日 (火) 14:13 (UTC)

  • 旧約聖書(新共同訳)創世記2-20~23に、該当する記述があります。新共同訳は多くの宗派で採用されていますから、「現在のキリスト教ではこの節は削除されている」は、明らかに間違いです。私はカトリックですが、原始教会の時代ならともかく、「聖書の文言を削除する」なんて、億が一、バチカンで教皇と枢機卿が全員賛成したとしても、ありえませんよ。^^; 勿論、宗教団体としての男女差に関しては、聖公会には女性の司祭が誕生しているなど、宗派によって、男女平等が推進されているわけですが、この点、カトリックは保守的ですからね。(マザー・テレサさえも、一般の修道僧と同格だったわけで。ただし、死後の列福、列聖に関しては、男女差別は無い筈です。) 古鳥羽護 2006年5月16日 (火) 15:03 (UTC)
  • 参考リンクCHURCH ONLINE Bible Search 古鳥羽護 2006年5月16日 (火) 15:11 (UTC)
    • 「アダムとイブ」の創造の経緯の違いを、宗教的なミソジニーと見る向きはあると思います。カトリックの「聖母マリアへの祈り」にある「御身は女の内にて祝せられ、ご胎内の御子イエスも祝せられたもう。」という文言を、「賤しい女でありながら祝せられた」と取る事もできますが、「神の子イエスよりも優先的に祝せられた」と取る事もできるでしょう。カトリックの聖人の中で聖母マリアが別格の存在であり、「カナの奇跡」ではイエスに命令すらできる立場にあったと解されている訳ですが、彼女は「新約における新たなイブ」ともされています。「新たなアダム」であるイエスを神の子としている事を理由に、これを「女性蔑視」と見る事もできましょうが、では、女性を半裸の格好にしてハリツケにする事が、「神による新たな救済のしるし」として妥当でしょうか? 保守的なカトリックの教義においてさえも、男女差はジェンダーだと考える事もできるわけです。イスラム圏で、女性にブルカで体を覆う事を要求する事を、「女性蔑視」だと考えるか、「女性保護」だと考えるかの違いさえ、文化的な視点の違いに過ぎないなのかもしれません。 古鳥羽護 2006年5月17日 (水) 15:20 (UTC)

正確性[編集]

「女性に対する嫌悪・憎しみ」などをミソジニーというというのは分かるが(というか、そういう言葉が存在するというのが分かる)、しかしこれでは「辞書的定義」であり、「(男性の)女性恐怖症」や「女嫌い」とはどういう関係があるのか。英語版の en:Sexism を見ると、Sexism against females の極端なものがミソジニーである、と書いてあるが、概念が不明確である。

>同性愛に対する恐怖感・嫌悪感 ホモフォビア (Homophobia) と関係があると言われている。

これは、誰が云ってることなのか。というより、一般性がどこまであるのか。記事を書いている人の主観ではないのか。または、根拠のない憶測を誰かが述べているのではないのか。典拠不明である。『旧約聖書創世記』の記述を例にあげているが、どうも違うのではないかと思う。

「男性優位社会」における女性蔑視とか女性の地位の低さ、性差別などと、ミソジニーはどういう関係があるのか。また、心理的な「女性嫌い・女性蔑視・女性への憎しみ」と、社会的・文化的な文脈での「(制度的な)女性への蔑視」の概念などが混乱した状態にある。これらの関係を明確に把握して、記事を構成すべきである。--Maris stella 2006年9月12日 (火) 23:29 (UTC)

なんとなく、たんなる「女性蔑視」と批評用語としての「ミソジニー」がごっちゃになってしまっている気がしますね。私は専門的に勉強したわけではないのでどこがどうだと指摘はできませんが、何となく次元の違う話が本文内で同等に書かれてしまっている気がしてなりません。たんなる「女性蔑視」等に対して「ミソジニー」という用語が使われることもあるのかもしれませんが、より限定的な「ミソジニー」についてと階層分けした方がよいのではないでしょうか。--ПРУСАКИН 2007年1月31日 (水) 15:55 (UTC)
「概要」が編集者の論文と化しているのはどうかと。--Luilz 2007年2月22日 (木) 12:20 (UTC)
話題が異なりますがどうしましたか。話の繋がりがよくわかりません。--ПРУСАКИН 2007年5月17日 (木) 13:38 (UTC)

英語版へのリンク[編集]

「ミソジニー」と「女性差別」の二つが英語版の"Misogyny"に他言語リンクされてますが、その二重になっている状態はいいんですかね。--shikine 2007年5月5日 (土) 04:07 (UTC)

負け犬」について[編集]

「現代日本では、30代以上の独身者のうち、女性のみを「負け犬」などと呼称するのもその典型例といえよう。」とありますがこれ関係ないんじゃないですかね。ブームの発祥であるエッセイ『負け犬の遠吠え』は未婚の女性に対するエールだったそうですし(読んでないから知らない)、それをブームとして流行させたマスコミの意図はミソジニーの発露というよりは単に洗脳しやすい女性視聴者を 結婚に向かわせるためであったように思います。個人間のやりとりで「負け犬」という言葉をミソジニーの発露として用いることは出来るでしょうが「負け犬」という言葉自体をミソジニーに結びつけるのは難しいのではないかと思います --114.172.194.144 2009年9月17日 (木) 04:04 (UTC)