ノート:ペトロの手紙二

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訳の比較[編集]

3章11-12節の訳の列挙について、新世界訳聖書が日本聖書協会の3種と並んで挙げられている理由が分かりません。新改訳聖書フランシスコ会訳聖書岩波訳聖書(委員会訳)など、仮に列挙するとしても、より正統派あるいは学術的と認知されている訳は他にあるように思います。この箇所の「神の日」を「エホバの日」と表記しているのは新世界訳だけではないかと思いますし(手元には文語、口語、共同訳、新共同訳、新改訳、フランシスコ会訳、岩波訳、田川訳のほか、NTDの註解書などもありますし、英語訳のRSV, NRSV, ESV, REB, NAB, NKJVとフランス語訳のエルサレム聖書、La TOB、スゴン訳もありますが、すべて「神 / God / Dieu」です)、そのような(広く流布しているスタンスと異なる)信仰上のバイアスが明らかにかかっている訳例をあえてここに挙げる必然性には乏しいように思います(誤解のないように付け加えますが、個別の教派を攻撃する意図は一切ありません。あくまでも、百科事典の新約正典の記事としてのバランスを問題にしています)。

そもそもこの箇所が2通りに訳しうることは『新共同訳 新約聖書註解II』(1991年)、『新約聖書スタディ版 新共同訳』(2004年)、岩波版などでも解説されているわけですし、単にパブリックドメインになっている文語訳と口語訳だけ引き合いに出しつつ、どちらの訳しようもありうる(しかし「早める」の方が語学上好ましいとされることがしばしば)ということを信頼できる情報源に基づいて叙述すればよいだけではないでしょうか。もし異論が無ければその線で直しますが、個人的にはわざわざこの箇所の訳し方の違いだけをそこまで大々的に扱う理由がよく分かりません。ただ、五島勉氏がこの箇所を歪曲して引用しつつキリスト教の「危険さ」の象徴であるかのように煽って、浅見定雄氏から批判されたことがあったので、そういう通俗的なベストセラー(その年の新書ノンフィクション部門3位)でも話題・論争になったことがある箇所だと示すことで、大々的に扱う大義名分は立つかなとも考えています。--Sumaru会話2015年4月15日 (水) 15:36 (UTC)[返信]

異論がないようなので上の線で加筆しようとしたのですが、そのついでに他の箇所の出典も付けられるだけつけようとしたところ、調べている範囲で正確性について気になる箇所があったので、そこに要出典をつけるついでにいくつかの箇所にも要出典をつけました。反応がないようであれば、ゴールデンウィークの終盤か終了直後くらいをめどに、まとめて改稿させて頂きます。--Sumaru会話2015年4月22日 (水) 16:35 (UTC)[返信]

報告 改稿しました。元の記事の情報をできるだけ残すように努めましたが、調べた範囲の情報と明らかに矛盾する記述などは削りました。また、情報を残した場合でも、出典の記述とのニュアンスの整合性などの問題から、文章をかなり改変した場合があります。--Sumaru会話2015年5月4日 (月) 13:34 (UTC)[返信]