ノート:フランツ・カフカ

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記事内容について[編集]

どなたが書いた記事かわかりませんが、以下の一節だけでもそうとう多くの間違いが含まれています。

1883年プラハで宝石商を営むユダヤ人の家庭に生まれる。当時オーストリア・ハンガリー帝国の都市であったプラハで公用語だったのはドイツ語であり、カフカもドイツ語を母語としている。教育を受けたのもドイツ語であり、家庭は西欧的な同化ユダヤ人だったので青年期までほとんど自らをユダヤ人と意識することはなかった。反ユダヤ暴動が起こった時もカフカの家は暴徒から「この家はドイツ人も同然だ」と見逃されている。

・カフカの父は「宝石商」ではない。

・「プラハの公用語」というように、都市ごとに公用語があるわけではない。

・「家庭は西欧的な同化ユダヤ人」というのも問題。カフカの父はユダヤ的なものを半分引きずりながら、西欧への同化を目指していた。

・「この家はドイツ人も同然だ」は完全な間違い。反ユダヤ暴動はチェコ人が起こしたもので、「カフカはチェコ人だ。放っておけ」と言われたという エピソードがある。

暇があれば全面的に書き直してみようと思います。以上の署名の無いコメントは、Swd23512(会話履歴)さんによるものです。--Greenland4 2008年2月10日 (日) 17:52 (UTC)[返信]


「審判」・「城」・「アメリカ」の刊行年について、1925~27年という記述も見かけるのですがどうなのでしょうか?以上の署名の無いコメントは、Final(会話履歴)さんによるものです。--Greenland4 2008年2月10日 (日) 17:52 (UTC)[返信]



「人物」と「後代への影響」の欄が饒舌すぎに感じます。また、「作品の翻案」は箇条書き等でもう少しすっきりした記述にした方が読みやすいように思います。以上の署名の無いコメントは、 58.1.208.6(会話履歴)さんによるものです。--Greenland4 2008年2月10日 (日) 17:52 (UTC)[返信]

饒舌にすぎるとのご指摘に関してなのですが、“説明の仕方や口調、言いまわしに問題がある”ということなのか、“説明の記述が多すぎる”ということなのか(それともどちらもなのか)、教えていただけないでしょうか。それによって、どの記述が残しておくべき部分で、どの部分を改善すべきなのかについての議論の内容が変わってくるように思います。 --トポス 2008年2月12日 (火) 11:38 (UTC)トポス[返信]

事実関係を大きく逸脱する記述ではないとは思いますが、投稿者による「評価」が前面に出過ぎている印象があります。たとえば「その勤勉さと有能さから出世」、「これらのことから、職場において官僚機構について知悉し…以下」「既に彼にしかありえない文学的センスの萌芽」などが気になります。事典ですから、事実の即物的な提示に徹し、評価は読者にゆだねる方がよいように思います。 また、たとえばドイツ語版では「人物」にあたる部分は「出生」「幼年期・青年期と教育」「職業生活」「世代対立。父−息子の関係」「友人関係」「女性関係」「民族性の問題」etcと区分けされています。英語版でも「家庭」「教育」「文学活動」といった項目で記述されています。同じ項目にする必要はないと思いますが、項目を整理して記述するのはどうでしょうか?--61.124.149.180 2008年2月13日 (水) 06:30 (UTC)[返信]

確かにご指摘のように、記述の仕方に問題があるかもしれません(ちょうどご指摘の箇所が私の投稿した部分なので、記述理由の説明と、記述が妥当だったかどうかの検討をしてみようと思います)。「その勤勉さと有能さから出世」の箇所は『カフカ事典』(三省堂)202ページ(職場についての説明部分)の「カフカの有能さ勤勉さは上司たちに大いに認められるところであった」及び「彼の有能さは、第一次世界大戦勃発に際して~」の箇所に依拠したものですが、もう少し違う書きようがあったかもしれません。「これらのことから~」の箇所はそれまでの記述のまとめとして、文学者としてのカフカ像を理解するのに役立つかと考えて入れたのですが、ご指摘のあとに読んでみると確かに必要のない、しかもまとめようとしすぎていた(カフカのある面を強調しすぎていた)部分だったように思います(ただ「官僚機構についてよく知っていた」ことだけは(20世紀の代表的作家のなかでもカフカに特徴的な面なので)変形・整理して職業のところなどに移すべきではとも思うのですが)。「既に彼にしか~」の箇所についても、カフカ独自の作風のあらわれを表現するには「“彼にしかありえない”云々」ではなく、別の説明のしかたがあったように感じました。他にも(私の投稿した箇所に限ってですが)“後代への影響”第四段落の最後の文の後半や、第五段落のロック・ミュージシャンに関する部分の「彼らへのカフカの影響が~」の文など、必要なかったのではと思われる箇所がいくつも見つかりました。ご意見を待った上で、改めて訂正・変更すべき箇所についての合意形成にむけて書き込みをしようと思います。 “人物”欄の整理についてはおっしゃるとおり、ドイツ語版なども参考にしながらサブカテゴリー(「職業」「対人関係」「友人」「父との関係」「文学活動」など)を設けるのもいいように思います。--トポス 2008年2月14日 (木) 04:39 (UTC)[返信]

改稿について[編集]

全体的にエピソードの紹介を中心とした記述になっていたので、時系列などがわかるよう経歴から書き起こし、個別のエピソードなどは「人物」の欄にまとめる形にしました。影響を受けた人物としてサミュエル・ベケットジョセフ・ヘラーカルロス・フエンテスジョゼ・サラマーゴスタニスワフ・レムフィリップ・K・ディックトゥーサンペレーヴィン、映像作家としてテリー・ギリアムヴィンチェンゾ・ナタリクエイ兄弟ヤン・シュヴァンクマイエル、漫画家としてスコット・アダムスジョーネン・バスケス諸星大二郎が挙げられていましたが、ざっと調べたところ裏づけとなる文献が見つからず、作風から執筆者が判断したものであるのか出典に基づくものであるのか不明なためいったん除去させていただいています。本文に記したように「カフカ的」という言葉は一種のクリシェとなっていますので、「カフカに似ているとよく言われる作家」と「カフカに影響を受けたことを明言している作家」および「カフカから影響を受けたことを研究者などから指摘されている作家」は区別すべきですし、前者の場合もWikipedia:信頼できる情報源に基づく出典(つまり匿名掲示板やブログなどではない出典)を記すべきかと思われます。

  • テリー・ギリアムについて - 「彼は代表作『未来世紀ブラジル』について、「ウォルター・ミティ(ジェームズ・サーバー著の短篇小説の登場人物)とフランツ・カフカの出会い」と語っている」と書かれていましたが、これだけではカフカをわかりやすい比喩として持ち出しているだけにも見え、「影響を受けた」ということの出典にはならないと思います。ウッディ・アレンについても同様です。
  • ハロルド・ピンターについて - 『ハロルド・ピンター全集』の解説によれば、ピンターはカフカとベケットを好んで読んでいたものの、それらの作家から特に影響を受けたわけではないと語っているそうです。ただしこれは作家の自己申告に過ぎないので、研究者などからの指摘があればそれを出典として掲載しても構わないかもしれません。

以上の作家について出典がありましたらそれとともに記していただくようお願いします。

この他ヘルマン・ブロッホドン・デリーロなどについて記されいましたが、カフカについて「誰が何を言った」といったことを羅列していくときりが無く、また本文にもうまく組み込めなかったので割愛しました。またこういう例を挙げた上で「それらの作家たちにとってのカフカの影響力の大きさを感じさせる」といった風にまとめてしまうとWikipediaでは独自の分析と見なされてしまいます(Wikipedia:独自研究は載せない)。他の作家の評言などはWikiquoteに「カフカについての他の作家の評」みたいな節を設けて記すのがよいかもしれません。--Meridian 2009年6月4日 (木) 03:24 (UTC)[返信]


影響を受けた人物のなかで削られた人物についてなのですが、カルロス・フエンテスについてはアメリカの教育に関わる組織Academy of Achievementによる2006年6月2日のインタビューのなか(記事はここです)で、17歳のときに読んだ『変身』が「決して忘れることの無い啓示だった(One epiphany which I will never forget is reading Kafka's Metamorphosis.)」「啓示はカフカを読んだことだった(The epiphany was reading Kafka, I think)」と語っており(Academy of Achievementは若者向けの非営利の教育組織とのことで、ウィキペディア英語版の記事([1])を読む限り信頼しえる組織のように思われます)、またエッセイ(英訳の題『Myself with Others』)でのミラン・クンデラとの対話でもカフカについて触れています。またジョゼ・サラマーゴは1999年に欧州議会で開かれたサラマーゴについての集会における講演で、『白の闇』における非人間化された現代の現実の追求をカフカの影響下にあるものと語っており、また官僚主義化した現代世界をカフカを喚起しながら説明した上で、『あらゆる名前』を官僚機構への関心から描いたものとして説明しています(この講演についての記事はポルトガルのA Aurora do Lima紙(ホームページはここ)に1999年5月21日付の記事として掲載されています)。ジョセフ・ヘラーについては英語版のエンカルタの記事(日本語版には登録しないとは入れませんが、英語版には登録しなくても入れるようです)において、ヘラーによるモラルの危機のグロテスクな表現において関連のあるものとしてカフカの名がナサニエル・ウエストとともに喚起されています(執筆者のChristian K. Messengerはイリノイ大学の教授だと記されています)。

フィリップ・K・ディックについては、彼が出した手紙の集成である“The Selected Letters of Philip K. Dick 1938-1971 ”(出版者はUnderwood Books)の56ページにおいて、日本やアフリカ、ロシアの作家やベケット、イヨネスコらと共に影響を受けた作家としてカフカが明言されているほか、スタニスワフ・レムによるディック論“Philip K. Dick: A Visionary Among the Charlatans ”(日本では「ペテン師に囲まれた幻視者」としてサンリオが出版した『悪夢としてのP・K・ディック -人間、アンドロイド、機械』に所収)において、カフカと同様にジャンルを定めるのが困難な作家として、また受け取られる際にカフカと同様の困難を抱えている作家としてディックが論じられています。ジャン=フィリップ・トゥーサンは『浴室』の訳者あとがきにおいてカフカの名が喚起されているほか、ニューヨーク・タイムズの2008年12月12日のTom McCarthyによる記事においてトゥーサンのインタビューが引かれ、『カメラ』の結末に関してトゥーサンがカフカのアフォリズムを引用したことが記されています。またquarterly conversationというサイトにもトゥーサンのインタビューが載せられ、そこではトゥーサンが好きな作家を尋ねられて一番目にカフカの名を挙げているのですが、quarterly conversationがどれほど信頼に足る組織かが分からないので(ブログなどではないようなのですが)「信頼できる情報源」とは言えないかもしれません。

イスマイル・カダレについては、ガーディアン紙の2006年1月7日のJames Lasdunによる記事、ニューヨーク・タイムズ紙の2002年7月7日のRichard Ederによる記事でともにカフカが関連付けて引かれ(もっともどちらでも関連付ける一方で違いも述べられ、後者ではカフカよりもスウィフトに似ているともされていますが(ただカフカからの影響を否定するものではありません))、またガーディアン紙の2005年9月17日のJulian Evansによるカダレについての記事では末尾にKey textsとしてカフカの『審判』が挙げられています。信頼のできる新聞社で執筆している署名入りの論者の間で、既にカダレがカフカの影響下にあるものとして認められているといってもいいのではないでしょうか。

ドン・デリーロの発言については、ただ単なる関心といえる以上の意味合いがあるように思われます。1993年のインタビュー(これは“Conversations With Don DeLillo “に収録され、ウィキペディア英語版のデリーロの記事に当該部分が引用されています)やディー・ツァイト紙の2007年10月11日記載のインタビューにおいて、デリーロは小説家を同時代の思想や、人々の世界の見方や、あるいは生き方に影響を与えようとするものとしてとらえており、しかも現代ではそれが不可能になってしまったのだと考えているのですが、彼はそこでカフカとベケットを(今では不可能になってしまった)人々の世界の見方を変え得た作家として、また伝統的な小説家が同時代人に影響を与ええると信じていた時代から変わってしまった世界においてほのめかすように語られるビジョンの提示者として論じています。つまりデリーロは、同時代の人々の世界の見方や生き方に影響を及ぼそうとするものとして(彼自身小説家ですから)、しかもそれが不可能になった時代における小説家として創作を行っているわけですが、そこではカフカとベケットが一種特別な存在として裏返しに意識されているわけです。上述したような発言をしているからといってデリーロを単純にカフカの影響を受けていると決め付けることはできませんが、単なる関心以上に重視している様子がデリーロの発言にはあるのではないでしょうか。

サミュエル・ベケットについては、ウィリアム・カリーの『疎外の構図』(新潮社刊)で比較しつつ取り上げられているほか、デリーロや保坂和志(評論集参考)のように両者を関連付けて取り上げる人もいますが、これだけでは影響があるとはいえないかもしれません。アラスター・グレイについては、彼の著書『ラナーク』(国書刊行会刊)所収のインタビューでも本人が影響を明言しています。ヘルマン・ブロッホは『カフカ事典』212ページに「自分がカフカと同種の詩人であると感じ、カフカに親近感を覚えていた」との記述があるので単なる関心以上のものがあるようにも思いますが、これだけでは影響があるとは言えないかもしれません(同学社刊の『カフカと二十世紀ドイツ文学』にブロッホの章があったような気がするのですが、うろ覚えではっきりしません)。またボルヘスとブランショについては創作においても影響を受けている(ボルヘスは『伝奇集』の訳者あとがき、ブランショは『ブランショ小説選』の訳者あとがきに記述あり)ことを明記しておくほうが良いように思います。あとハクスリー、ジッド、トーマス・マンによる批評(ハクスリーは角川文庫『変身』訳者あとがき、ジッドとトーマス・マンは『カフカ事典』のカフカへの解釈の欄に記述あり)にも簡単に触れておくべきではと思います。--トポス 2009年6月4日 (木) 15:23 (UTC)[返信]

詳細情報ありがとうございます。まさか書き込んで即座に情報をいただけるとは思ってもおりませんでした・・・先走って削除してしまったようで申し訳ありません。取り急ぎ作家名のみ復旧いたしました。今ちょっと別のことに気を取られていまして腰をすえて作業ができないので、出典情報や他の詳細情報の記載はもう少し落ち着いてからにさせてください。ハクスリー、ジッド、マン、ブランショ、ボルヘスについても本文および注に繰り込ませていただこうと思います(もちろんトポスさんのほうで記載していただいても構いません)。
「影響」という題で節を作ってしまったのでベケットやブロッホについては難しいのですが、例えば「関連項目」のところに比較されることが多い作家として挙げ、注でデリーロの言などに触れるとかそういう風にもできるかもしれません。--Meridian 2009年6月5日 (金) 01:46 (UTC)[返信]
上でトーマス・ベルンハルトを挙げるのを忘れていましたが、彼についてももし何かあればよろしくお願いします。--Meridian 2009年6月5日 (金) 01:54 (UTC)[返信]
ご返事ありがとうございます。こちらこそ書き込みを急ぎすぎてしまい、申し訳ありませんでした。今日明日と時間がなく十分な書き込みができそうにありませんが、有効な情報や有用な議論の基になる事柄をなるべく提供できればと思っています。どうも失礼いたしました。--トポス 2009年6月5日 (金) 14:32 (UTC)[返信]