ノート:フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト

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外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月17日 (日) 18:47 (UTC)[返信]

シーボルトの肩書きの適切な編集方法を教えて下さい[編集]

編集者の皆さんにご指導を仰ぎたいことがあります。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト の肩書きについて、フランスのユダヤ人集団研究を専門とするヘブライ大学歴史学教授リチャード・I・コーヘン(Richard I. Cohen)が、彼の著書『Jewish Icons: Art and Society in Modern Europe』(University of California Press, 1998)のp.92に、「the French geographer Philipp Franz von Siebold(1796ー1866) 」(フランスの地理学者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)と記しています。

その部分和訳が、『もう1人の「明治天皇」箕作奎吾』に掲載されていたので、それを出典として、すでに記されていた彼の肩書きに併記する形で加筆しました。カリフォルニア大学出版発行の学術書に記されたシーボルトの肩書きであることから、特記すべき事項と判断したからです。しかし、編集が不適切だったのか、削除されました。 どのように編集すべきなのか、皆様にご指導いただきたくお願い申し上げます。--町医者会話2020年2月7日 (金) 04:44 (UTC)[返信]

明らかに矛盾する二つの肩書きを併記するのは百科事典としておかしいです。en:Philipp Franz von Sieboldにもde:Philipp Franz von Sieboldにもfr:Philipp Franz von Sieboldにもそんな事は書いてません。そもそも記事本文の内容と矛盾します。記事全体の整合性を考えてください。--Gruppetto会話2020年2月7日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
Gruppettoさん、削除の理由をご説明くださりありがとうございます。参考として、岩波世界人名辞典の例を見ると、�《異説がある場合は ( ) で囲んで併記した.また,ある年間を示す場合は「-」を用い,複数の異説は「,」で区切った.》という方法をとり、異説も掲載していることがわかります。シーボルトがフランスの地理学者であるという異説はカリフォルニア大学出版が発行した学術書の主張ですから、論文の出典として使用できますが、ウィキペディアは外国語版も論文には使用できません。そこで、学術としての検証可能な異説を掲載しないのではなく、異説として見出しをつけて解説するというのはどうでしょうか?ご賛同いただけたら、さっそく編集し直します。--町医者会話2020年2月7日 (金) 19:28 (UTC)[返信]
あなたがリンクして示した「異説」はあくまで「生没年月日」に関するものです。町医者さんの主張には全く賛同できません。--Gruppetto会話2020年2月7日 (金) 20:22 (UTC)[返信]
では、ウィキペディアの人名で「東洲斎写楽」はどうだろうか? 複数の異説が掲載されています。これこそがフリー百科事典の素晴らしいところではないでしょうか。時間の流れとともに、異説が通説に取って代わることもあるでしょう。また、「日本の原子爆弾開発」も、日本が核爆発に成功したという、外国の報道や外国政府のウエブサイトに掲載された異説を掲載しています。これもフリー百科事典の情報の豊かさでしょう。もし、シーボルトの項で、検証可能な学術資料に基づく異説を掲載しないという主張をGruppettoが徹底するとなると、それはGruppettoさんの百科事典であり、フリー百科事典ではなくなってしまうのではないでしょうか?--町医者会話2020年2月7日 (金) 21:19 (UTC)[返信]
写楽のような謎の多い人物の例をそのままこちらに当てはめるのは違うでしょうし、記述に整合性のないことが「フリー百科事典の素晴らしさ」だとは思いません。--Gruppetto会話) 2020年2月8日 (土) 04:38 (UTC)一部修正--Gruppetto会話2020年2月8日 (土) 04:42 (UTC)[返信]
シーボルトも謎の多い人物であることが、次の通り、すでにウィキペディアのこのページに記されています。《近年の調査により、(中略)江戸城本丸詳細図面や樺太測量図、武器・武具解説図など軍事的政治的資料も発見されたことから、単なる医師・学術研究者ではなかったと見られている》、《生物学、民俗学、地理学など多岐にわたる事物を日本で収集、オランダへ発送した。シーボルト事件で追放された際にも多くの標本などを持ち帰った。この資料の一部はシーボルト自身によりヨーロッパ諸国の博物館や宮廷に売られ、》。しかし、シーボルトが、カリフォルニア大学出版の発行した学術書に記されているように、「フランスの地質学者」であったという検証可能な記事は、このウィキペディアに未だ提供されていません。この異説は、既存の記事を否定するものではありません。シーボルトがどういう人物であったのかという解説を、様々な検証可能な資料と人々の編集によって提供するのが、このウィキペディアの意義ではないでしょうか?Gruppettoさんのお考えで利用者にとって《単なる医師・学術研究者ではなかったと見られている》への回答の一つになりうる記事を削除することの正当性は、どこにあるのでしょうか?皆様のお考えを知りたいです。--町医者会話2020年2月8日 (土) 07:17 (UTC)[返信]
コメント依頼を行いました。--Gruppetto会話2020年2月8日 (土) 09:09 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼から来ました。
    シーボルトはフランスとどのような関わりがあったのでしょうか?記事内容を見る限りドイツやオランダといった国は出てきますが、フランスとの関係性がよくわかりません。ユダヤとの関係性についても同様です。en:Richard I. Cohen教授はフランスのユダヤ人集団の研究者さんだそうですが、この方の研究領域とシーボルトはどのように関係しますか?学術書で記載があったとしても、もし著者の専門と関係のない内容であれば、出典として使うのは難しいでしょう(Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意)。
    また、ウィキペディアは出典なき記述も不適切ですが、出典がある記述であればなんでもOKというわけではありません(WP:IINFO)。「地理学者」と書くとしても、複数の地理学の学術書で地理学者として取りあげられているくらいの根拠は必要だと思います(Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められる)。--郊外生活会話2020年2月8日 (土) 10:02 (UTC)[返信]
郊外生活さん、ありがとうございます。一つ一つお答えしていきます。
>シーボルトはフランスとどのような関わりがあったのでしょうか?
分かりづらいので、他の資料を当たってみました。A. Thiede, Y. Hiki, G. Keil, ”Philipp Franz von Siebold and His Era: Prerequisites, Developments, Consequences and Perspectives” 〈フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとその時代:前提条件、開発、結果、展望〉, Springer Science & Business Media, 2013の p.67によれば、
《In September 1814, he won a prize for doing well in French and religion.》〈 1814年9月、シーボルトはフランス語と宗教が良好であったために賞を受賞した。〉とありました。
18歳のシーボルトは、ナポレオンの退位後のウイーン会議開催とともに、敵国のフランス語が堪能だったことで何かに貢献し、賞を受賞していたことがわかります。
>ユダヤとの関係性についても同様です。
en:Richard I. Cohen教授はフランスのユダヤ人集団の研究者さんだそうですが、この方の研究領域とシーボルトはどのように関係しますか?
先のコーヘンの『ユダヤ人の肖像...』によれば、「歴史学者や自然科学研究者や哲学者に不可欠なサプリメントとして、フランスの地理学者であるシーボルトの民族学の認識は、ユダヤ教関連資料の収集や展示に際して、東西ユダヤ人の容姿に対する主要な指南となった」(和訳『もう1人の「明治天皇」箕作奎吾』)とあります。シーボルトの民俗学の認識は、歴史学者としてフランスのユダヤ人集団を研究するコーヘンにとって、不可欠なサプリメントであるようです。
>「地理学者」と書くとしても、複数の地理学の学術書で地理学者として取りあげられているくらいの根拠は必要だと思います
複数の根拠が見られます。
〈アメリカ議会図書館の地理学上の地図の解題付きリスト〉”A list of geographical atlases in the Library of Congress, with bibliographical notes”.のp.1298に、1851年のシーボルト著〈17世紀の未発表のオランダの海図に基づく日本帝国とその小国や保護国の地図と海図〉"Atlas von Land- und Seekarten vom Japanischen Reiche und dessen Neben- und Schützländern, nach unausgegeben Holländische Seekarten vom 17ten Jahrhundert"が掲載されています。
https://archive.org/details/listofgeographic02libriala/page/1298/mode/2up/search/Siebold+
アムステルダム大学のアーカイブに、〈シーボルトの日本に関する民族学の知識と地理学の知識の全てを、この膨大で美しい本で見ることができる。〉《Al zijn etno- en geografische kennis van Japan is in dit lijvige en prachtige boekwerk te vinden.》と、あります。     
https://web.archive.org/web/20070328203612/http://www.uba.uva.nl/collecties/object.cfm/objectid=34853D0C-C771-4E13-8B78334417AB31EE#paragraaf15
〈大英図書館〉British Libraryが2015年に発行したシーボルトの著作物の題名が、〈シーボルトによる、1643年のフリースの日本の東北での発見に対する地理学的民族学的解明。フリースの観測の簡略化された図表付き〉 ”Geographical and ethnographical elucidations to the discoveries of M. G. Vries A.D. 1643 in the east and north of Japan. By P. F. von Siebold. ... With a reduced chart of Vries's observations. ”,,です。
https://www.amazon.com.au/Geographical-Ethnographical-Elucidations-Discoveries-Observations/dp/1240917066
以上から、米英の国立図書館やオランダのアムステルダム大学が、シーボルトの地質学者としての仕事を認めていることが、わかります。
また、シーボルトとフランスとの関係については、少年シーボルトがフランス語が堪能な故に受賞した賞の内容が明らかにされないことや、フランスのユダヤ人集団研究の専門家がフランスの地質学者と記している根拠が明らかにされないことから、地理学上の問題(領土問題)が生じる可能性への配慮が伺えます。本件を異説として掲載することは、日本人が知らされてこなかったシーボルトの新しい解説に触れる機会になると思います。--町医者会話2020年2月9日 (日) 22:04 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼から来ました。この際、出典として必要なのは「シーボルトは、フランスの地理学者である」と明白に述べているものではないでしょうか。この主張が特別な主張でないとして、ドイツ人でありながら「フランスの人物」と称されうるとすれば、非常に重大で著名な功績をフランスにて残した人物であるはずですから、「フランスの○○である」と紹介する文献が存在しないことは考えづらいです。直接そのように述べずとも、フランスでの功績に触れないということはありえないでしょう。地理学者・地質学者といった肩書についても同様で、博物学者としての活動の中で地理学に関連した業績を成すこともあるでしょうが、それが地理学史における非常に重大で著名な功績と見なされていれば、「シーボルトは地理学者/地質学者である」と述べる出典が複数見つかるはずです。--Sugarman会話2020年2月10日 (月) 00:43 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼を見て来ました。私もSugarmanさんのご意見と同じく、「シーボルトは、フランスの地理学者である」と明白に述べている別の出典が見つからない限りは記載は避けた方がよいように思います。出典としてご提示いただいている『Jewish Icons: Art and Society in Modern Europe』の該当箇所の前後を見ると、パリ万博の展示の話をしているようなので、万博に関係していて日本に関係する地理学書を書いたエリゼ・ルクリュあたりとの取り違いで、出典自体の内容の誤りではないかと思うのですが……。(訂正)すみません、文脈的に日本博物館を開催したシーボルト本人を指していてもおかしくないと思い直しました。ただ著者がシーボルトのプロフィールを誤って記載した可能性はあるため、他の出典を探した方がよいという意見は変わりありません。--Nano blocks会話2020年2月14日 (金) 17:03 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼から来て、どういう案が適切なのか考えてきましたが、結論としては「「『フランスの』地理学者」と記載するのは確実に不適」「地理学に関しては概要節の書き方を工夫すればよい。「地理学者」との明記は保留」というのが落としどころではないかと思料します。
まず後者ですが、こちらは概要節を「~医師・博物学者。医学のみならず生物学、民俗学、地理学に通じ、西洋圏における日本学の発展に・・・」という感じの文章に改めたら十分ではないでしょうか。「生物学、民俗学、地理学」は「日本学における貢献」節から引用したものですが、そこで触れているのなら地理学に触れること自体は問題はないと考えます。「地理学」という肩書の表現については、これは少し避けるべきというか「幅広い分野に精通した博物学者」という面を強調すれば事足りるかと思います。Sugarman氏が触れている「地理学史の面で重大な功績があれば地理学者と記載するも可」という考え方も否定はしませんが、シーボルトがまず医師、ついで博物学者としてキャリアを開いてきたことを踏まえると、「生物学、民俗学、地理学、日本学・・・などに幅広くに通じた医師・博物学者」を前面に押し出すのが妥当なところではないでしょうか。
次に前者ですけども、「『フランスの』地理学者」は現状では確実に不適な表現と言えます。コーヘン氏文献では、シーボルトがウィーン会議全期間の初っ端あたりでフランスから何かの賞をもらった記載があるそうですが、それが裏付けある出来事としてもその程度では「フランスからの受賞歴もある」程度のことで、フランスで大きな足跡を残したとは言えません。一例でゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルはイタリア時代に最初のオペラとオラトリオを作曲し、また現地の複数の音楽家とも交流を深めており、それを裏付ける複数の情報源がありますが、そのことをもって「ヘンデルはイタリアの作曲家」とは記載されないでしょう。それと同様に、賞をもらっただけでシーボルトを「フランスの何々」と記載するのは、ヘンデル以上に無理があると考えます。そもそも、コーヘン氏文献が英語文献ながら英語版で出典として使われていないところから、英語圏では強い複数の裏付けがないから重視されていない、問題があるから相手にされていない、(表現が悪いですが)与太話の類として見なされている可能性もゼロではないでしょう。今後、強力な裏付けが複数出てきたなら話も変わってきましょうが、無い現状では「フランスの」をことさら強調する記載は止めるべきではないか、どうしても「フランスの」にこだわるならドイツ諸邦、オランダ、日本での活動と同等のことをフランスでも行った裏付けを提示すべきだと考えます。--Ogiyoshisan会話2020年2月27日 (木) 23:02 (UTC)[返信]
@Ogiyoshisanさん、一点補足させてください。引用された箇所のコメントで私が意図したのは、功績の有無が直ちに記載の可否につながるということではなく、そう称するに値する重大な功績があれば、これに言及し、件の人物を明白に地理学者と述べている文献があるはずで、その文献を用いれば地理学者という肩書についての記載の可否を議論できる、ということです。--Sugarman会話2020年3月2日 (月) 00:20 (UTC)[返信]
自分のコメントは大意で「明白に地理学者と述べている文献が示されない限りは「地理学者」という記載は止めるべきだが、地理学自体には多少触れてもいいのではないか」というニュアンスだったわけですが、なるほど、そういう意味だったんですね。--Ogiyoshisan会話2020年3月2日 (月) 22:55 (UTC)[返信]
コメント依頼をした者です。皆様コメントありがとうございました。少なくとも、現在の記事内容のまま記事冒頭の肩書に「フランスの地理学者」と書くことは支持されていない、ということを町医者さんはご理解いただけると幸いです。--Gruppetto会話2020年3月3日 (火) 14:37 (UTC)[返信]