ノート:パーニーパットの戦い

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この記事を英語版に基づいて、第一次第二次第三次に三分割しようと思うのですがいかがでしょうか?あと、パーニーパットを現地音に近いパーニーパトにしようと思います。--Rayaraya会話2014年4月19日 (土) 15:00 (UTC)[返信]

二点コメント。

  • 分割については反対しませんが、あなたには記事の分割後に他のページからのリンクの修正を行う意思はあるのでしょうか。リンクの修正を行わないまま放置されると、第一次、第二次、第三次それぞれの記事を閲覧するために曖昧さ回避のページとなるパーニーパットの戦いを経由しなくてはならなくなるので、読者にとっては不便極まりないです。面倒な作業を他人に丸投げするのでしたら、読み手に不要な手間をかけさせるだけの記事の分割を行う必要性は無いと考えます。
  • 改名については、反対します。この編集で私が提示した書籍と
    • 『アジア歴史事典』8巻収録(平凡社, 1961年)
    • 『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)
    • 『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)
    • バーバラ.D.メトカーフ、トーマス.R.メトカーフ『インドの歴史』(河野肇訳, ケンブリッジ版世界各国史, 創土社, 2006年6月)
    • 内藤雅雄、中村平治編『南アジアの歴史』(有斐閣アルマ, 有斐閣, 2006年7月)
    • 『南アジアを知る事典』新版(平凡社, 2012年5月)
    • 『世界史年表・地図』第19版(吉川弘文館, 2013年2月)
上記に挙げた書籍を読む限り、「パーニーパト」表記の認知度が高いとは思えません。あなたが直近の編集を行う際に参照された『ムガル皇帝歴代誌』では、「パーニーパット」表記が使われ、ノート:ハイデラバードでの改名提案であなたが挙げておられた『南アジアを知る事典』新版での項目名は「パーニーパットの戦い」となっています。また、『バーブル』(世界史リブレット人)では「パーニーパト」の表記が用いられていますが、この本の著者である間野英二氏は『岩波イスラーム辞典』『新イスラム事典』で執筆を担当しておられる「バーブル」の項目では「パーニーパット」表記を用いています。山川出版社から出された2冊の『南アジア史』を根拠とされておられるのでしょうか?

あと、記事の改名を行う際には改名の手順に沿って告知を行ってください。--オオミズナギドリ会話) 2014年4月20日 (日) 08:30 (UTC)傍線部の追記--オオミズナギドリ会話2014年4月20日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

パーニーパトへの改名のタグ貼り忘れなど不備をご指摘いただきありがとうございます。分割後のそれぞれの記事でのリンク修正は致します。改名への根拠を挙げるのを忘れておりましたが、根拠としては
  • 辛島昇編 『新版 世界各国史7 南アジア史』 山川出版社、2004年
  • 小谷汪之編 『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』 山川出版社、2007年
  • 辛島昇編 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』 山川出版社、2007年
  • 辛島昇・坂田貞二編 『世界歴史の旅 北インド』 山川出版社、1997年
  • ヴィレム・フォーヘルサング著、前田耕作・山内和也訳 『世界歴史叢署 アフガニスタンの歴史と文化』 明石書店、2005年
  • 間野英二『バーブル』世界史リブレット人、山川出版社, 2013年
ではパーニーパトとしており、ヒンディー語पानीपत(Panipat)ではッを発音せず、パーニーパトとなる、といったところです。
私としては(辞書や辞典、教科書は除いて)学術的な表記としてパーニーパトが使用されてきていると考えました。ですが、オオミズナギドリさんの最近編集なさった記事バーブルにおける参考文献では、ほぼパーニーパットに統一されている、同じ編集者でもパーニーパト、パーニーパットの表記を使い分けているというのであれば、改名せずにパーニーパットのままにしようかなと思います。--Rayaraya会話2014年4月20日 (日) 12:04 (UTC)[返信]
分割と改名の件については了解しました。分割には賛成します。改名への反対の意思は変更しません。ただ、この改名の根拠は非常に心証が悪いです。
  • ノート:マハーラージャノート:ハイデラバードの改名提案では辞書や辞典を根拠に挙げておられましたが、なぜここではそれらの本を除かれておられるのでしょうか。「パーニーパット」はハイデラバードと同じ地名であり、マハーラージャでは辞書・事典類のみを根拠に挙げておられるので大変奇異な印象を受けるのですが。
  • 「パーニーパット」表記を用いる書籍をここで挙げないのは何故なんでしょうか。「パーニーパト」表記が複数の書籍で使われていたとしても、より多くの書籍で「パーニーパット」が使用されているのであれば、「パーニーパト」が一般的・認知度高いとは言い難いです。あなたが「パーニーパット」表記を使用している本を参照しているため、この点も不可解に思いました。
  • ウィキペディアは学術雑誌ではないので、学術的な表記が何よりも優先されるとは限らないです。 学術書よりも多くの人間に参照される教科書類を除くのは何故ですか?
  • 同じ世界歴史大系シリーズの『南アジア史』を、それぞれ別の本としてカウントしているのには何か意図があるのでしょうか?どちらも出版された時期はさして離れていないのですが。
  • 中央アジア史を扱った『アフガニスタンの歴史と文化』を挙げておられるのはなぜですか。訳者の前田耕作・山内和也両氏は南アジア史(および南アジアに直接関連する分野)を専門としておりません。
なんで、上の5点より、他の人に「自分の意見を通すために、改名提案の通過に不利となる資料を故意に伏せているのではないか」という疑念を持たれてもおかしくないです。--オオミズナギドリ会話2014年4月21日 (月) 12:07 (UTC)[返信]
本当に私の不手際で申し訳ありません…質問に答えさせていただきます。
まず、1つ目の質問に関して…たしかに地名ですが、ここでは学術的なものを扱っておりますので、学術書を優先しました。歴史分野に関しては、これからは辞書・辞典もカウントいたします。
2つ目の質問に関して…他文献と比べなかったのは私のミスです。「なぜパーニーパトの表記にするのか」との根拠のみをお聞きになっているのかと思いまして、パーニーパトとしている文献のみを記しました。ですので故意に伏せた、というわけではありません。私の側で今確認できるパーニーパットとしている文献は(オオミズナギドリさんがあげてらっしゃるものもありますが)、
  • ビパン・チャンドラ著、栗原利江訳 『近代インドの歴史』 山川出版社、2001年
  • バーバラ・D・メトカーフ、トーマス・D・メトカーフ著、河野肇訳 『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』 創士社、2009年
  • フランシス・ロビンソン著、小名康之監修・月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌』 創元社、2009年
  • 内藤雅雄・中村平治編 『南アジアの歴史』 有斐閣アニマ、2006年
  • アンドレ・クロー著、岩永博監修、杉村裕史訳 『ムガル帝国の興亡』 法政大学出版局、2001年
、といったところです。
3つ目との質問に関して…1の理由とも重複するところがありますが、一応、チンギス・ハン→チンギス・カン、キプチャク・ハン国→ジョチ・ウルス、イル・ハン国→イルハン朝、メディナ→マディーナ、バグダッド→バグダートなど(挙げればきりがありませんが)、地名や歴史分野でのwikiでは一般的な表記よりも学術的、原音主義的な表記の傾向が強くなって優先されているように見えましたので…ですが、これからは一般的な表記との兼ね合いも見て判断していこうと思います。
4つ目と5つ目の質問に関して…先の文献に関しては列挙しただけですので、別の本として扱ったという意味合いはありません。あと、私は文献の出版年は気にしたことはありませんでした。ましてや、それぞれの文献における著者の専門分野などはほとんど調べたことがありませんでした。なので、これからの参考にさせていただきます。
ともあれ、私のような若輩にいろいろありがとうございます。--Rayaraya会話) 2014年4月21日 (月) 14:39 (UTC)少し訂正--Rayaraya会話2014年4月21日 (月) 14:49 (UTC)[返信]
ノートページでの議論を経て改名されたチンギス・カンと議論を経て改名提案が取り下げられたバグダードはともかく、他の3つの記事名を挙げて「学術的、原音主義的な表記が優先される」と考えるのはあまり良くないと思うのですが。いずれの記事も2004年5月に立項されたものですが、当時の記事名の付け方のガイドラインは現在のものと大きく異なっており、現在の記事の冒頭で挙げられている「基準」が定められておりません([1][2])。それらの記事はWP:NPOVWP:VWP:NORの三大方針を満たすための有意な加筆が行われていない状態が長年にわたって続いています。ガイドラインが整備されていない時期の、内容・記事名についての検証がされないまま放置された3つの記事は妥当な「学術的、原音主義的な表記が優先される」根拠になりうるのでしょうか(ここでいう「悪例を参考とすること」にも通じていますね)。また、ノート:バグダードでの改名提案では「バグダード表記は慣習的に使用されている表記でもある」と説明もされております。--オオミズナギドリ会話2014年4月21日 (月) 22:53 (UTC)[返信]
上記の3つだけでなく、「など」と申したようにウェストファリア条約→ヴェストファーレン条約、コンスタンティノープル総主教庁→コンスタンディヌーポリ総主教庁、イスタンブール→イスタンブルがあります。ただ、ジョチ・ウルスやイルハン朝のようにリンク先が膨大なものに関しての記事名は、皆議論を避けているような気もします。
最近のものを確認しますと一応、プロジェクト‐ノート:キリスト教/キリスト教の記事名と用語表記のガイドライン#ローマ教皇の記事の改名で、教皇計256記事をカトリック中央協議会公式ホームページ掲載の歴代教皇リストに基づいた表記に改名しようという提案がなされていました。これは大きく議論になったすえ、数日前に終了しています。
私としては前述のように、「ガイドラインが整備されていない時期の、内容・記事名」、「学術的、原音主義的な表記がどこまで優先されるのか」、については一度再考してみるべきであると思います。ただ、教皇の議論における改名先の記事名やウェストファリア条約→ヴェストファーレン条約、コンスタンティノープル総主教庁→コンスタンディヌーポリ総主教庁のように明らかに読み手が聞いてわからないような記事名は避けるべきだと思います。--Rayaraya会話2014年4月22日 (火) 14:14 (UTC)[返信]

記事を第一次第二次第三次に分割しました。それぞれの記事へリンク修正を行います--Rayaraya会話2014年5月4日 (日) 17:02 (UTC)[返信]