ノート:カール1世 (オーストリア皇帝)

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メモ[編集]

列福[編集]

南米のとある修道女が、原因は不明だが足がひどくはれ上がったらしい。その修道女は、ハプスブルク王朝にさして興味はなかったが、耐えかねてカール1世に「この足を何とかしてください」みたいなお願いをしたら、程なくして治った。それが「奇蹟」と認定され、カール1世は福者となった。なお、二つ以上の「奇蹟」が認められれば、福者から聖人になる。この他にもカール1世にはいくつかの「奇蹟」とされるものがあり、現在調査中である。

  • 小野秋良板井大治『平和の皇帝カール一世:オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝の受難と栄光』くすのき出版、2008年1月9日。ISBN 978-4907754136 

↑の本に書いてあったことを、うろ覚えですがここにメモしておきます。(いま手許にないので……確かこんな感じのことが書いてありました)--松茸取りの翁会話2017年5月28日 (日) 14:15 (UTC)[返信]

福祉政策[編集]

カールは、戦時福祉政策に積極的な姿勢を見せ、とりわけ児童福祉事業を推進する主張に同調した。1917年5月31日、3年ぶりに再招集された帝国議会において、カールはこう演説した。

余は社会福祉をかなり気にかけている。戦争によって人口力は甚大な損害を受けた。これを補うためには、合目的な人口政策が期待される。民衆に蔓延する病気との戦い、膨大な乳幼児死亡の抑制、それとともにさらなる我々の児童福祉の建設、非行化との戦い、旧式の少年犯罪法の時宜にかなった改正は、余の政府の重大な関心事である。また広範な大衆、とくに子を多く持つ家族の住居の必要に備える必要がある。また、社会保険の問題も早急に解決しなければならない。

この直後の6月1日、カールは親書を通じて、社会福祉省と国民健康省の設置を要請した。

それまで、児童労働は商務省、補導教育は法務省、学校教育は文化教育省、職業学校は商務省、戦争孤児は内務省戦時支援局、乳幼児福祉は内務省衛生局、それぞれの管轄下に置かれていた。これらの児童福祉政策を包括し、社会福祉省に統合することを前提とする「児童福祉局」が内務省に設置された。--松茸取りの翁会話2017年9月13日 (水) 02:28 (UTC)[返信]