ドマス・ツェセヴィチュス

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ドマス・ツェセヴィチュス
生誕 1902年11月12日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国(現・リトアニア)ダプショネイ
死没 1986年3月14日(83歳)
ヴィルニュス
出身校 リトアニア大学ケルン大学
職業 経済学者、出版者、ジャーナリスト、編集者、政治活動家
政党 リトアニア人民族主義連合

ドマス・ツェセヴィチュスDomas Cesevičius1902年11月12日 - 1986年3月14日)は、リトアニア経済学者出版者、編集者ジャーナリスト政治活動家である。

経歴[編集]

1924年から1927年まで、リトアニア大学人文学部で学ぶ。1928年から1932年まで、ケルン大学にて経済学社会科学を学ぶ。1933年博士号を取得(経済学)。

1933年からヴィータウタス・マグヌス大学講師。1933年から1934年まで日刊紙『リエトゥヴォス・アイダス』経済部長。1939年11月から『リエトゥヴォス・アイダス』編集長。1939年、雑誌『ヴァイラス』編集協会会長。その他『エコノミカ』『リエトゥヴィス』の編集にも携わった。

1939年12月2日から1940年6月19日まで、リトアニア人民族主義連合党首。

戦後、ヴィリニュス大学で教鞭を振るう。1950年ソヴィエト当局に逮捕され、シベリアへと追放された。1954年、リトアニアへと戻り、その後は経済学者として勤務した。[1]

著書[編集]

  • Visuomeniškumo argumentas mūsų laikų ūkio santvarkoje, Kaunas, 1936.
  • Lietuvos ekonominė politika 1918–1940 metais1965年前後に執筆、1995年ヴィリニュスで発行)

参考文献[編集]

  • Vincentas Lukoševičius, Mečislovas Treinys. Domas Cesevičius, Vilnius, 1998.

脚注[編集]

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  1. ^ Žurnalistikos enciklopedija. – Vilnius: Pradai, 1997. – 83 psl.