トグリイ

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トグリイロシア語: Тоглый(他にТовлый,Тоглыи, Итоглыиなど)、12世紀後半)はポロヴェツ族の長(ハーン)である。コビャーク死後の[1]ドニエプル川河口からブグ川河口一帯における有力な族長だった[2]

1183年、他のポロヴェツの族長らと共にオレリ川の戦いに参加するが、息子や兄弟のボクミシ共々、ルーシ諸公軍に捕縛された[2]

1190年、ルーシから離反したトルク族の軍司令官クントゥヴディを迎え入れ[3]、アクーシ(ru)と共にポロシエキエフ南部)へ侵入したが、スヴャトスラフの子グレプに敗れた[4]

1193年、アクーシと共に、和平協議のためにリューリクの招聘に応じカネフで会談したが、破談に終わっている[5]

出典[編集]

  1. ^ Плетнёва С.А. Половцы
  2. ^ a b 中澤ら 2018, p. 197.
  3. ^ 中澤ら 2018, p. 246.
  4. ^ 中澤ら 2018, p. 252-253.
  5. ^ 中澤ら 2018, p. 257-258.

参考文献[編集]

  • 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、181-279頁、CRID 1390572174764448768doi:10.15099/00018264hdl:10110/00018264ISSN 03865975