ティモ・ミッキラ

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ティモ・ミッキラ(Timo Mikkilä, 1912年10月16日[1][2] - 2006年1月18日)は、フィンランドピアノ奏者[3]

ラハティの生まれ。1928年からマルッティ・パーヴォラにピアノの個人レッスンを受け、1930年にヘルシンキ音楽院に入学してからもパーヴォラのクラスで研鑽を積んだ。1932年にヘルシンキで演奏活動を始める。1933年にはパリに留学し、ジャン・バタラにピアノ、ナディア・ブーランジェに音楽理論を学んだ。1934年には帰国してヘルシンキの民俗音楽院で教鞭をとり、1938年からヘルシンキ音楽院のピアノ科講師に転じたが、1947年から1949年までパリを訪れ、スザンヌ・グーベルやポール・ロース等の薫陶も受けている。1954年にもパリに行き、サンソン・フランソワと親交を結んだ。1955年からシベリウス音楽院[4]の教授に昇格し、1975年まで務めた。1951年から1963年までフィンランド独奏者協会の会長を務め、1963年には同会の名誉会員になった。

ヘルシンキにて没[5]

脚注[編集]

  1. ^ Hillila, Ruth-Esther; Hong, Barbara Blanchard (1997) (英語). Historical Dictionary of the Music and Musicians of Finland. Greenwood Publishing Group. p. 236. OCLC 185704752 
  2. ^ アーカイブ 2019年8月2日 - ウェイバックマシン
  3. ^ ティモ・ミッキラ - Discogs
  4. ^ 1939年にヘルシンキ音楽院より改称
  5. ^ アーカイブ 2018年1月6日 - ウェイバックマシン