ツェンタ (巡洋艦)

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小型巡洋艦ツェンタ
艦歴
発注:
起工: 1896年8月8日
進水: 1897年8月18日
就役: 1899年5月25日
退役:
その後: 1914年撃沈
除籍:
性能諸元
排水量: 基準:2,524.37トン
満載:2,631.64トン
全長: 96.0m
全幅: 11.73m
吃水: 4.24m
機関: ヤーロー式水管缶8基+三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大出力: 7,200軸馬力
最大速力: 21ノット
航続距離: 12ノット/3,800海里
兵員: 292名
兵装: スコダ12cm(40口径)単装砲8門
47mm(44口径)単装砲速射砲8門
47mm(33口径)単装速射砲2門
45cm単装水中魚雷発射管2門
装甲: 舷側:25mm
甲板:20mm~50mm
ケースメイト:35mm
司令塔:50mm

ツェンタ (Zenta) はオーストリア=ハンガリー帝国海軍小型巡洋艦ツェンタ級の一番艦である。

艦歴[編集]

1896年8月起工。1897年8月進水。1899年6月就役。

1899年11月アジアへ向けてポーラを出航。ポートサイドスエズコロンボに立ち寄り、1900年1月にシンガポールに到着した。シンガポールには14日間留まった。それから香港マカオ上海を訪れた。次に日本へ向かい、長崎鹿児島佐世保を訪れた。

中国での義和団の乱の急速な状況悪化がオーストリア・ハンガリー帝国に伝わり、ツェンタは各国の大使館スタッフやオーストリア・ハンガリー帝国の代表団の避難を支援するため呼び戻された。乗員75人がシーモア提督の率いる部隊に加わり、天津を目指した。

ツェンタは装甲巡洋艦カイゼリン・ウント・ケーニギン・マリア・テレジアと合流し、両艦の乗員160人が大沽砲台を攻撃時にドイツの海兵隊を支援した。ツェンタ艦長Kapitän Eduard Thomann Edler von Montalmarが戦闘で死亡した。

1901年12月にツェンタは本国に戻り、1902年10月まで予備役となっていた。復帰したツェンタはケープタウンへの航海をおこない、そこから南アメリカのモンテビデオへ向かった。それからブエノスアイレスへ向かい1903年5月にそこに到着した。6月にはリオデジャネイロを訪れ、それから大西洋を横断してフンシャルカディスタンジェマラガチュニスコルフ島に寄航した後トリエステに帰投した。この後ツェンタは予備役となり、第一次世界大戦勃発までは年一度の海軍演習に参加していた。

ツェンタはモンテネグロの宣戦布告後にモンテネグロの港を攻撃し、その後もモンテネグロ沿岸を封鎖していた。1914年8月16日、14隻のフランス戦艦を中心とする英仏艦隊がアドリア海へ進入した。ツェンタと駆逐艦Ulanはこの英仏艦隊に捕捉され、北への逃走を阻止された。駆逐艦Ulanを逃がした後、ツェンタはバール沖で砲撃によって撃沈された。乗員179人が死亡した。海岸に泳ぎ着いた生存者は1916年まで抑留された。

関連項目[編集]

参考図書[編集]

  • 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
  • 「Conway All The World's Fightingships 1906-1922」(Conway)

外部リンク[編集]

  • 'Zenta' (1896)本艦のスペックと艦形図があるページ。(英語)
  • SMS Zentaツェンタのスペックがあるページ。