チャールズ・S・ハートマン

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チャールズ・S・ハートマン
Charles S. Hartman
生年月日 (1861-03-01) 1861年3月1日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
インディアナ州モンティチェロ
没年月日 (1929-08-03) 1929年8月3日(68歳没)
死没地 モンタナ州グレートフォールズ
出身校 ワバッシュ・カレッジ英語版
所属政党 共和党
  銀共和党
民主党

選挙区 モンタナ州全州選挙区
当選回数 3回
在任期間 1893年3月4日 - 1899年3月3日
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チャールズ・サンプソン・ハートマン(英語: Charles Sampson Hartman, 1861年3月1日 - 1929年8月3日)は、アメリカ合衆国インディアナ州出身の政治家。所属政党は共和党銀共和党民主党モンタナ州全州選挙区選出のアメリカ下院議員を通算3期務めた。

経歴・人物[編集]

インディアナ州モンティチェロで生まれたハートマンは公立学校を卒業後、ワバッシュ・カレッジ英語版で学んだ。

1882年1月、モンタナ州ボーズマンに移住。同地で法律を学び、1884年に弁護士資格を得て、個人開業した。1884年から1886年までギャラティン郡の遺言検認裁判官を務めた。1889年には、ギャラティン郡の代表として州憲法制定会議の議員を務めた。

1892年、ハートマンは共和党から下院議員選挙に立候補し、当選。1894年にも再選を果たすが、1896年選挙では銀共和党員として再選された。1898年選挙では立候補を辞退し、弁護士としての活動を再開した。

1900年民主党に入党。1900年の民主党全国大会の代議員を務めた。1910年の第62回連邦議会で民主党員として立候補し、落選。1913年7月にエクアドルへの特命全権大使に任命され、1922年5月14日まで務めた。1926年グレートフォールズに移り、弁護士業を再開した。1927年3月3日にモンタナ州第12司法地区の判事に任命された。その後、1928年に同地区の判事に選出され、1929年8月3日に亡くなるまで務めた。フォートベントンのリバーサイド墓地に埋葬された。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • United States Congress. "チャールズ・S・ハートマン (id: H000300)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • チャールズ・S・ハートマン - Find a Grave(英語)
  • Stout, Tom (1921), Montana, its story and biography : a history of aboriginal and territorial Montana and three decades of statehood Vol.1, Chicago and New York, The American Historical Society 
アメリカ合衆国下院
先代
ウィリアム・W・ディクソン
アメリカ合衆国の旗 モンタナ州全州選挙区
選出議員

第3代: 1893年3月4日 - 1899年3月3日
次代
アルバート・キャンベル
外交職
先代
モンゴメリー・シュイラー・ジュニア
駐エクアドル米国大使
1913年9月30日 - 1922年3月20日
次代
ゲルハルト・アドルフ・バディング