チャイタニヤ・マハープラブ

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শ্রীকৃষ্ণ চৈতন্য মহাপ্রভু
चैतन्यः महाप्रभुः
チャイタニヤ・マハープラブ
Chaitanya-Mahabrabhu-at-Jagannath.jpg
Jagannathにあるチャイタニヤ・マハープラブの絵画
個人情報
生誕
Vishvambhar Mishra

(1486-02-18) 1486年2月18日
死没 1534年6月14日(1534-06-14)(48歳)
宗教 ヒンドゥー教
配偶者 Lakshmi Priya
Vishnupriya英語版
宗派 ゴウディヤ・ヴァイシュナヴァ派英語版
グル
Isvara Puri英語版(マントラ)
Kesava Bharati英語版(サンニャーサ英語版)
地位
グル
Isvara Puri英語版(マントラ)
Kesava Bharati英語版(サンニャーサ英語版)
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シュリ・クリシュナ・チャイタニヤ・マハープラブ (ベンガル語: শ্রীকৃষ্ণ চৈতন্য মহাপ্রভু 発音 [sri.ˈt͡ʃɔiˌt̪ɔnːo mɔɦaˑprob̤u] (Śrī Kŕśńà Caitanya Mahāprabhu) サンスクリット語: चैतन्यः महाप्रभुः (サンスクリット語発音: [ɕriː t͡ɕɐit̪ɐnjɐ mɐɦaːprɐb̤u])) は15世紀のインドの聖人である。彼はラーダークリシュナが合わせられた化身(アヴァターラ)とみなされていた。 チャイタニヤ・マハープラブはクリシュナをキルタンと踊りで崇拝し、その手法はベンガルヴィシュヌ派に大きな影響を与えた。また、彼はヴェーダーンタ学派のAchintya Bheda Abheda Tattva英語版の主な提唱者で、ゴウディヤ・ヴァイシュナヴァ派英語版の開祖でもあった。He expounded バクティヨガ英語版を細説し、ハレ・クリシュナ英語版と呼ばれるマントラの詠唱を広めた[1]Shikshashtakam英語版と呼ばれる8節から成る祈りの詩を書いた[2][3]

彼の生誕祭はGaura-purnima英語版として祝われる[4][5]。顔色が融けた金のようであったことにちなむガウラランガ(Gauranga)やガウラ(Gaura)[6]またインドセンダン(ニーム)の木の下で生まれたことにちなむニマイ(Nimai)[7]という別名でも知られる。

生涯[編集]

Deity of Shadabhuja Gauranga at Ganga Mata Math in Puri.

チャイタニヤは共に現在のバングラデシュシレット管区出身のJagannath Mishraとその妻のSachi Deviの次男として生まれた[8]Chaitanya Charitamrita英語版によれば、彼はナバドウィープ英語版(現在の西ベンガル州)において1486年2月18日の満月の夜に生まれた。この夜には、月食が見られたという[9][10][11]

非常に幼いころから知識を得ることやサンスクリット語の学習への興味を示したり、クリシュナの名を歌う詠唱や歌唱をしていたりしていたという逸話が語られている[12]。チャイタニヤが亡き父のためにガヤー英語版へとŚrārddhaの儀式を行いに行く道中、彼の師匠となるIsvara Puri英語版と出会い、Gopala Krishnaと呼ばれるマントラの伝授を受ける。この出会いがチャイタニヤの外見や思想に大きな変化を及ぼすこととなった[13]。ベンガルに帰った後、学者のようであった彼の外見が信奉者のようになっており、Advaita Acharya英語版に代表される地元のヴィシュヌ派の信徒を驚かせた。そのあとすぐにナディア地区英語版におけるヴィシュヌ派の高位の指導者となった [要出典]

ベンガルを離れ、Kesava Bharati英語版の命を受けてサンニャーサ英語版を始めると[14]、数年間クリシュナの名を詠唱しながらインド全土を放浪した。その後、シヴァガンガーが邂逅した場所で、ガンジス川の河口が見えるチャトラブホッグ英語版にたどり着いた。Chaitanya Bhagavata英語版と呼ばれる書物によれば、チャトラブホッグのAmbulinga Ghat英語版と呼ばれる場所で親密な仲間と共にキルタンを詠唱しながら沐浴を行った。そこで一晩滞在した後、ボートで彼は残りの生涯の24年間を過ごすこととなるオリッサ地方プリーへと発った[15]ガジャパティ朝の当時の王プラターパルドラ英語版は彼をクリシュナ権現として彼を扱い、チャイタニヤの朗読会(サンケールタン英語版)の後援者および信者となっていた[16]。この頃の彼はサマーディによって神の愛に触れ、バクティによってエクスタシーの域に達していたと信者によって信じられている[17]

1515年、チャイタニヤはクリシュナへの崇拝に関連して、失われた聖地を探す目的でヴリンダーヴァンを訪れた。彼のスピリチュアルな能力によって、ヴリンダーヴァン周辺のクリシュナに関連している場所を見つけることができたと信じられている。その中には今日のゴウディヤ・ヴァイシュナヴァ派英語版の信者の崇拝によるsapta devalay(7つの主要な寺院)も含まれている[18]

脚注[編集]

  1. ^ Sri Chaitanya Mahaprabhu
  2. ^ Srimad Bhagavatam (Introduction) Archived 25 May 2013 at the Wayback Machine.
  3. ^ Śrīmad-Bhāgavatam 1.2.8 - See Purport for Chaitanya Mahaprabhu” (英語). vedabase.io. 2021年1月22日閲覧。
  4. ^ Gaura Purnima”. www.krishna.com. 2008年12月16日閲覧。
  5. ^ Sri Gaura Purnima"givegita.com"
  6. ^ In the Name of the Lord (Deccan Herald) "He was also given the name of ‘Gora’ because of his extremely fair complexion." Archived 7 December 2006 at the Wayback Machine.
  7. ^ KCM Archive"They named Him Nimai, as he was born under a neem tree." Archived 24 April 2008 at the Wayback Machine.
  8. ^ Template:Cite Banglapedia Archived copy”. 2021年1月14日閲覧。
  9. ^ Chattopadhyay, Nripendra Krishna (1961). Sri Sri Chaitanya Charitamrita. http://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.265084 
  10. ^ Kabiraj, Krishnadas. “Sachitra Sree Sree Chaitanyacharitamrita(Adi Lila)” (ベンガル語). Internet Archive. 2020年7月29日閲覧。
  11. ^ Swami, A. C. Bhaktivedanta. “Śrī Caitanya-caritāmṛta(Ādi-līlā)” (英語). vedabase.io. 2021年10月2日閲覧。
  12. ^ CC Adi lila 14.22 Archived 6 March 2012 at the Wayback Machine.
  13. ^ CC Adi lila 17.9 Archived 24 September 2014 at the Wayback Machine.
  14. ^ Teachings of Lord Chaitanya Archived 15 May 2015 at the Wayback Machine.
  15. ^ History of Gaudiya Vaishnavism
  16. ^ Gaudiya Vaishnavas Archived 2 March 2009 at the Wayback Machine.
  17. ^ Srimad Bhagavatam, Introduction Archived 25 May 2013 at the Wayback Machine.
  18. ^ Srimad Bhagavatam (Introduction) Archived 25 May 2013 at the Wayback Machine. "Lord Caitanya not only preached the Srimad-Bhagavatam but propagated the teachings of the Bhagavad Gita as well in the most practical way."