ソルヴァルド・コズラーンスソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Flag of Iceland.svg これはアイスランド人の名前です。姓にみえる部分は父称あるいは母称であり、の名前としてのではありません。この記事で取り扱っている人物は、正式には個人名ソルヴァルドで呼ばれます。

ソルヴァルド・コズラーンスソン(トルヴァリド・コドランソン)[注 1]アイスランド語: Þorvaldr Koðránssonベラルーシ語: Торвальд Кодрансан、950年頃 - 1002年以降)は、アイスランド出身の伝説的なキリスト教宣教師かつ旅行家であり、「Pallteskja」または「Pallteskiuborg」(現ベラルーシ北部の市・ポラツク。当時ポロツク公国の首都であったポロツクとされる。)に洗礼者ヨハネ修道院を建設したとされる人物である。ソルヴァルドの冒険譚は、アイスランドの『オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』、『洗礼のサガ英語版』、『平たき島からの書』に所収される、「旅行家ソルヴァルドに関する紡ぎ話ノルウェー語版」に記されている[注 2]

生涯[編集]

アイスランドにある、ソルヴァルドとフリドリクの記念碑

ソルヴァルドはアイスランド北部のスカーガフィヨルズル付近で生まれた。青年時代にはデンマーク王スヴェン1世ノルウェー王イングランド王を兼ねる。)に仕え、軍事に関する職工に携わっていた。ソルヴァルドは情け深く、捕虜となった同郷人を買い戻し、自由の身へと戻らせていた。また、アイスランドでキリスト教の教えに触れた。980年ごろ、職を捨ててザクセン公国に渡ると、司教フリドレク[注 3][訳語疑問点]から洗礼を受けた。

981年、ソルヴァルドはフリドレクと共に、布教の使命を帯びてアイスランドに帰還した。2人によって、アイスランド最初のキリスト教教会が開設されたが、同郷の異教徒らはソルヴァルトを嘲笑した。激高したソルヴァルドは、ソルヴァルドらに悪意を示し、わずらわしく感じられた人物2人を殺した。これによってソルヴァルドらは、アイスランドから早急に逃亡する必要に迫られた。

985年、ソルヴァルドはビザンツ皇帝バシレイオス2世コンスタンティノープル総主教(ru)ニコラオス2世(ru)との会見のためにコンスタンティノープルへと派遣された。エルサレムを経由し、コンスタンティノープルに到着したソルヴァルドは、会見において、「東バルトの地のルーシの公」に対するビザンツ全権大使に任命するという勅書を与えられた。この、ルーシの公を頂く東バルトの地とは、おそらくポロツクノヴゴロドプスコフを意味している。

986年、ソルヴァルドは同僚のステヴニル・ソルギルスソンと共にドニエプル川に沿って北上し、キエフを通過してポロツクに至った。ポロツク公ログヴォロド(ru)が支援の意を示したため、ソルヴァルドらはポロツクへの滞在を決めた。ドロフナという山に教会が開設され、洗礼者ヨハネ修道院が開かれた。また、ポロツクではソルヴァルドと、著名なヴァイキングで、後にノルウェー最初の聖人となるオーラヴ(995年よりノルウェー王)との面会がなされた。

おそらく1002年以降に、ソルヴァルドはポロツクで死亡した[1]。後にポロツクを訪れたスカルド詩人(古代スカンディナヴィアの吟遊詩人[2])は、ソルヴァルドは聖ヨハネ教会の傍らの山に埋葬され、聖人として崇拝されている、という主張を残した[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「トルヴァリド・コドランソン」はロシア語: Торвальд Кодранссонの転写による。
  2. ^ 以下の書籍名はロシア語からの重訳による。「洗礼のサガ」:ロシア語: Саге о крещении / アイスランド語: Kristni saga、「平たき島からの書」:ロシア語: Книги с Плоского острова / アイスランド語: Flatø-annaler、「旅行家ソルヴァルドに関する紡ぎ話」:ロシア語: Пряде о Торвальде Путешественнике / アイスランド語: Þorvalds þáttr víðförla
  3. ^ 「フリドレク」はロシア語: Фридрекの転写による。

出典[編集]

  1. ^ Мельников, А. А. Путь непечален. Исторические свидетельства о святости Белой Руси / А. А. Мельников. — Минск : Изд-во Белорусской Православной Церкви Московского Патрирхата, 1992. — С. 18.
  2. ^ 『コンサイス露和辞典』p999
  3. ^ Джаксон, Т. Н. Austr í Görðum : древнерусские топонимы в древнескандинавских источниках. — М.: Языки русской культуры, 2001.

参考文献[編集]

  • Архимандрит Августин (Никитин). Россия и Исландия / Августин (Никитин А.) // Санкт-Петербург и страны Северной Европы : Материалы ежегодной Международной научной конференции. — СПб.: Изд-во РХГИ, 2004. — С. 311—326.
  • Катлярчук, А. Швэды ў гісторыі й культуры беларусаў / А. Катлярчук. — 2-е выд. дапрац. — Вільнюс : Інстытут беларусістыкі, 2007. — 303 с.
  • Сапунов, А. Сказания исландских, или скандинавских саг о Полоцке, князьях полоцких и р. Западной Двине / А. Сапунов // Полоцко-Витебская старина. — Вып. 3. — Витебск, 1916.
  • Rafn, C. C. Antiquités russes d’après les monuments historiques des Islandais et des anciens Scandinaves, vol. 1—2. — Ed. C. Rafn. Copenhagen, 1850—1852. — T. 2. — Copenhague, 1852.
  • 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年