スライマーン2世
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スライマーン2世 شاه سلیمان | |
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シャー (僭称) | |
スライマーン2世の金貨 | |
在位 | 1749年12月17日 - 1750年1月 |
出生 |
1714年6月 エスファハーン |
死去 |
1763年5月 ホラーサーン、マシュハド |
配偶者 | ハーン・アーガー・ベーグム(スルターン・フサインの娘) |
王朝 | サファヴィー朝 |
父親 | ミール・サイード・モハンマド・マラシ |
母親 | シャバヌ・ベーグム・サファヴィー |
スライマーン2世(ペルシア語: شاه سلیمان Suleiman II, 1714年 - 1763年)は、サファヴィー朝の王位僭称者(在位:1749年 - 1750年)。マシュハドにあるイマーム・レザー廟を管理していた。名をミール・サイード・モハンマド・マラシといった。
生涯
[編集]1748年10月、イラン貴族はマシュハドにおいてシャー・ルフを王位に即けた。この2か月前、イブラーヒームがシャーを称していたが、イブラーヒームは敗北し逃亡した。この時スライマーンはイブラーヒームがマシュハドに入るのを許さなかった。1749年12月、母がサフィー2世スライマーンの娘であったため、スライマーンはクルド人やジャライル朝の族長らに擁立され、スライマーン2世として即位した[1]。この時シャー・ルフは盲目にされたが、数か月後に再び王位に即き、スライマーン2世は廃位され幽閉、盲目にされた[2]。
参考文献
[編集]- Floor, Willem, A Note on The Grand Vizierate in Seventeenth Century Persia, Harrassowitz Verlag, 2005, pp. 435 – 481
- 小牧昌平 (1997). “一八世紀中期のホラーサーン : ドッラーニー朝とナーデル・シャー沒後のアフシャール朝”. 東洋史研究 56 (2): 366-390. doi:10.14989/155132 .