スチュアート・エルドリッジ

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ジェームズ・スチュアート・エルドリッジ(James Stuart Eldridge、1843年1月2日 - 1901年11月16日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したアメリカ合衆国医師である。

経歴・人物[編集]

フィラデルフィア出身。ジョージタウン大学卒業。

1871年(明治4年)、開拓使顧問のホーレス・ケプロンの書記官として来日した。翌1872年(明治5年)に函館の病院で診療した。また同年函館医学校を設立し、同校の外科院長を務めた。1875年(明治8年)横浜に転勤し、横浜一般病院の院長と横浜十全医院外科の治療主任を兼ねて務めた。また日本在留の欧米人の疾病統計の仕事によって、母国に日本の解剖模型を送る等、日米の医学交流にも携わった。晩年の明治33年(1900年)には慈恵成医会副会長も務めた。

翌明治34年(1901年)日本で死去し、横浜外国人墓地に葬られた。

出典[編集]