ジョン・ブリスカー

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ジョン・ブリスカー
John Brisker
故人
ポジション SF
基本情報
愛称 Heavyweight Champion of the NBA
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1947年6月15日
没年月日 1978年4月?(失踪)
出身地 ミシガン州デトロイト
身長(現役時) 196cm (6 ft 5 in)
体重(現役時) 95kg (209 lb)
キャリア情報
出身 トレド大学
選手経歴
1969-1972
1972-1975
ピッツバーグ・パイパーズ/コンドルズ
シアトル・スーパーソニックス
受賞歴
  • 2×ABAオールスター:1971, 1972
  • オールABA2ndチーム:1971
  • ABAオールルーキー1stチーム:1970
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ジョン・ブリスカーJohn Brisker, 1947年6月15日 - 1978年4月失踪, 1985年5月29日死亡宣告)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長196cm、体重95kg。ポジションはスモールフォワードABA及びNBAでプレーした。1978年にウガンダで失踪し、生死不明のまま1985年に死亡宣告がなされた。

経歴[編集]

デトロイト出身。トレド大学を経て、1969年にABAピッツバーグ・パイパーズでプロデビューした。1年目からチームトップの平均21.0得点と活躍し、オールルーキー1stチームに選ばれた。2年目の1970-71シーズンはリーグ2位の平均29.3得点を叩き出し、オールスターとオールABA2ndチームに選出された。翌1971-72シーズンは49試合の出場に留まったが、平均28.9得点で2年連続のオールスター選出を果たした。シーズン終了後NBAシアトル・スーパーソニックスに移籍し、3シーズンプレーして1975年に現役引退した。

ABA及びNBAでの成績は、331試合の出場で通算6,847得点(平均20.7得点)であった。ABA平均26.1得点は、リック・バリージュリアス・アービングに次ぐ3位の記録である。

人物[編集]

全盛期はABAトップクラスの選手だった一方、短気で粗暴な性格でも知られた。当時のチームメイトは彼を「一旦口論になれば銃を持ち出しかねない男」と評している。試合で乱闘を起こして退場させられることも珍しくなく、"NBAのヘビー級チャンピオン"とあだ名された。1971年のデンバー・ロケッツ戦では開始2分でロケッツのアート・ベッカーを肘打ちして退場し、その後もベッカーを追って何度もコートに戻ろうとしたため、警官が出動する騒ぎになった。

失踪[編集]

1978年3月、ブリスカーは新規輸出入ビジネスを立ち上げると称してウガンダに渡航した。翌1978年4月11日、シアトルに住む交際相手に電話したのを最後に音信不通となり、1985年5月29日に生死不明のまま死亡宣告がなされた。

ブリスカーに何が起こったかは現在も明らかになっていないが、傭兵となって戦死もしくは処刑されたという説が有力である。当時のウガンダはイディ・アミン大統領のもとで恐怖政治が行われており、何らかの政争に巻き込まれた可能性もある。一方でアメリカ国務省はブリスカーのアフリカ渡航を確認できておらず、真相は謎のままである。

個人成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

Season Team GP MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1969–70 PTP
PTC
77 28.2 .461 .293 .827 5.7 1.7 21.0
1970–71 79 39.1 .455 .337 .829 9.7 2.9 29.3
1971–72 49 42.1 .458 .314 .867 9.1 4.1 28.9
1972–73 SEA 70 23.3 .435 .822 4.6 2.1 12.8
1973–74 35 20.5 .449 .820 4.2 1.6 .8 .2 12.5
1974–75 21 13.1 .426 .857 1.6 .9 .3 .1 7.7
Career 331 30.1 .453 .321 .834 6.5 2.4 .6 .2 20.7
All-Star 2 24.0 .276 .000 .700 11.0 2.0 11.5

外部リンク[編集]