ジェリコ・コムシッチ

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ジェリコ・コムシッチ
Željko Komšić
Željko Komšić.jpg
ジェリコ・コムシッチ(2009年9月)

任期 2013年7月10日2014年3月10日
首相 ヴィエコスラヴ・ベヴァンダ
任期 2011年7月10日2012年3月10日
首相 ニコラ・シュピリッチ
ヴィエコスラヴ・ベヴァンダ
任期 2009年7月6日2010年3月6日
首相 ニコラ・シュピリッチ
首相 ニコラ・シュピリッチ
任期 2007年7月6日2008年3月7日
首相 ニコラ・シュピリッチ

任期 2006年11月6日2014年11月17日

出生 (1964-01-20) 1964年1月20日(53歳)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
Flag of SR Bosnia and Herzegovina.svg ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国サラエヴォ
政党 ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党 (1997年 - 2012年)
民主戦線英語版 (2013年 – 現在)
出身校 サラエボ大学
ジョージタウン大学
配偶者 サビナ・コムシッチ

ジェリコ・コムシッチクロアチア語: Željko Komšić発音 [ʒeʎko komʃitɕ]1964年1月20日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナの政治家。現在、同国の大統領評議会でクロアチア人代表を務める。以前は社会民主党の急先鋒であったが、同党が連邦議会の多数派形成でクロアチア民主同盟と合意に達した2012年7月に離党した[1]

主としてボシュニャク人から選ばれたため、クロアチア人の間では彼を不正な代表とする見方がある[2][3][4]

経歴[編集]

サラエボ大学で法学士号を取得し、ワシントンD.C.ジョージタウン大学エドマンド・A・ウォルシュ外交大学院に学んだ弁護士である。ボスニア紛争でボスニア・ヘルツェゴビナ共和国陸軍に従軍した経験があることから、同国最高位の軍人勲章である黄金の百合勲章を受章している[5][6]。戦後ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党 (SDP-BiH) に入党して政治活動をはじめ、ノヴォ・サラエヴォ市の市会議員となった。2000年に同市市長に選ばれた後、サラエヴォの副市長を2年務めた。1998年に民主変革同盟が政権をとると、駐ユーゴスラビア大使に任命されベオグラードに赴任したが、SDPが再び野党に転落した2002年の総選挙後に退任した。コムシッチは、社会民主党に3人いる副代表のひとりである[要出典]

大統領職[編集]

2006年の総選挙で、コムシッチはSDPからクロアチア人大統領に立候補した。結果、投票総数の39.6%にあたる11万6062票を獲得し[7]クロアチア民主同盟 (HDZ) のイヴォ・ミロ・ヨヴィッチ (26.1%) 、クロアチア民主連合1990 (HDZ 1990) のボジョ・リュビッチ (18.2%) 、労働と向上のための人民党 (NSRB) のムラデン・イヴァンコヴィッチ=リヤノヴィッチ (8.5%) 、クロアチア人の権利党 (HSP) のズヴォンコ・ユリシッチ (6.9%) 、イレナ・ヤヴォル=コリェニッチ (0.7%) [7]を押さえて当選、10月1日に就任した。HDZの分裂により、ボシュニャク票の多数がコムシッチに流れたことが彼の勝利につながった[要出典]。ほとんどボシュニャク人によって選ばれたことから、クロアチア人は彼を不正な代表とみている[2]

大統領評議会のボシュニャク人代表であるハリス・シラジッチは2008年5月、訪問先のワシントンD.C.で、「ボスニア・ヘルツェゴビナにはひとつの言語しか存在せず、それに三つの名前があるだけだ」と述べた。この声明は、クロアチア人政党やスルプスカ共和国ミロラド・ドディク首相(当時)から否定的に受け止められた。コムシッチはこれに対して、彼はそのようなことをいう立場にはないと反論した[8]

2010年に国立民主研究所が行った調査によると、ボシュニャク人の間で最も人気のある政治家はコムシッチである[9]。同年の総選挙でも全体の60.6%の33万7065票を獲得し、HDZのボリャナ・クリシュト (19.7%) 、クロアチア連合 (HK) のマルティン・ラグジュ (10.8%) 、NSRBのイェルコ・イヴァンコヴィッチ=リヤノヴィッチ (8.1%) 、ペロ・ガリッチ (0.3%) 、ミレ・クトレ (0.2%) 、フェルド・ガリッチ (0.2%) を下して再選を果たした[10]

脚注[編集]

  1. ^ Krešić, Zoran (2012年7月23日). “Komšić napustio SDP zbog sporazuma s HDZ-om” (Croatian). Večernji list. http://www.vecernji.hr/vijesti/komsic-napustio-sdp-zbog-sporazuma-hdz-om-clanak-434378 2012年7月30日閲覧。 
  2. ^ a b Vogel, T. K. (2006年10月9日). “Bosnia: From the Killing Fields to the Ballot Box”. The Globalist. http://www.theglobalist.com/storyid.aspx?storyid=5684 2012年7月30日閲覧。 
  3. ^ Pavić, Snježana (2010年10月8日). “Nije točno da Hrvati nisu glasali za Željka Komšića, u Grudama je dobio 124 glasa” (Croatian). Jutarnji list. http://www.jutarnji.hr/izbori-u-bih--nije-tocno-da-hrvati-nisu-glasali-za-zeljka-komsica--u-grudama-je-dobio-124-glasa-/893048/ 2013年4月6日閲覧。 
  4. ^ “Reforma Federacije uvod je u reformu izbornog procesa” (Croatian). Dnevno. (2013年5月13日). http://www.dnevno.ba/vijesti/bih/83174-reforma-federacije-uvod-je-u-reformu-izbornog-procesa.html 2013年5月13日閲覧。 
  5. ^ Željko Komšić - član predsjedništva BIH iz reda hrvatskog naroda - Biografija:
  6. ^ Southeast European Times - ZeljkoKomsic - Member of the Presidency, Bosnia and Herzegovina
  7. ^ a b Opći izbori 2006 - potvrđeni rezultati: hrvatski član Predsjedništva” (Bosnian). Central Election Committee of BiH. 2012年7月30日閲覧。
  8. ^ “Komšić: U BiH se ne govori samo jedan jezik” (Croatian). Klix. (2008年5月26日). http://www.klix.ba/vijesti/bih/komsic-u-bih-se-ne-govori-samo-jedan-jezik/080526038 2012年7月30日閲覧。 
  9. ^ “Najpopularniji Komšić, HDZ raste, pad SDA” (Croatian). Večernji list. (2010年5月20日). http://www.vecernji.ba/vijesti/najpopularniji-komsic-hdz-raste-pad-sda-clanak-143595 2010年6月3日閲覧。 
  10. ^ Potvrđeni rezultati Općih izbora 2010. godine: Predsjedništvo BiH - Hrvatski član” (Croatian). Central Election Committee of BiH. 2012年7月30日閲覧。.

外部リンク[編集]

公職
先代:
イヴォ・ミロ・ヨヴィッチ
大統領評議会クロアチア人代表
2006年 - 2014年
次代:
ドラガン・チョヴィッチ
先代:
ネボイシャ・ラドマノヴィッチ
ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領
2007年 – 2008年
次代:
ハリス・シラジッチ
ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領
2009年 – 2010年
ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領
2011年 – 2012年
次代:
バキル・イゼトベゴヴィッチ
ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領
2013年 - 2014年