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シーザーとクレオパトラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シーザーとクレオパトラ
Caesar and Cleopatra
クレオパトラ役のリー
監督 ガブリエル・パスカル
脚本 ジョージ・バーナード・ショー
原作 ジョージ・バーナード・ショー
製作 ガブリエル・パスカル
製作総指揮 J・アーサー・ランク
出演者 クロード・レインズ
ヴィヴィアン・リー
音楽 ジョルジュ・オーリック
撮影 ジャック・カーディフ
ジャック・ヒルドヤード
ロバート・クラスカー
フレディ・ヤング
編集 フレデリック・ウィルソン
配給 イギリスの旗 イーグル=ライオン
アメリカ合衆国の旗 ユナイテッド・アーティスツ
日本の旗 BCFC/ニッポンシネマコーポレーション
公開 イギリスの旗 1945年12月11日
日本の旗 1950年9月1日(有楽座)
上映時間 138分
製作国 イギリスの旗 イギリス
言語 英語
製作費 約1,278,000ポンド
興行収入 2,250,000ドル(北米市場)
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シーザーとクレオパトラ』(原題:Caesar and Cleopatra)は、1945年に製作・公開されたイギリス映画である。クロード・レインズヴィヴィアン・リーがタイトルロールを演じている。ジョージ・バーナード・ショー戯曲シーザーとクレオパトラ英語版』の映画化作品であり、ショー自身が脚本を執筆した。監督はプロデューサーでもあるガブリエル・パスカル。撮影は戦時中の1944年であるが、テクニカラーの大作として完成した。

バーナード・ショーの原作であるため、1963年の『クレオパトラ』のような重厚な歴史スペクタクルではなく、ヴィヴィアン・リーには珍しいコメディタッチの作品となっている。

日本公開は1950年、9月1日から21日まで有楽座で上映されている[1]。また1973年11月30日23時20分からフジテレビの『スペシャル洋画劇場』枠でテレビ放送された[2]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

  • 監督・製作:ガブリエル・パスカル
  • 製作総指揮:J・アーサー・ランク
  • 原作・脚本:ジョージ・バーナード・ショー
  • 音楽:ジョルジュ・オーリック
  • 撮影:ジャック・カーディフ、ジャック・ヒルドヤード、ロバート・クラスカー、フレディ・ヤング
  • 編集:フレデリック・ウィルソン
  • 美術:ジョン・ブライアン、オリヴァー・メッセル
  • 衣装・装置:オリヴァー・メッセル

製作[編集]

企画・キャスティング[編集]

1941年、ヴィヴィアン・リーにはほぼ同時に2つバーナード・ショーの戯曲を舞台で演じる話がきた[3]。アメリカでの『シーザーとクレオパトラ』と英国での『医師のジレンマ』である[3]。ヴィヴィアン・リーはクレオパトラを演じたかったため、映画化を計画しているガブリエル・パスカルに、舞台で上演してから映画化の話を持ちかけたが、パスカルは興味を示さなかった。しかしパスカルはヴィヴィアン・リー主演で映画化することは承知した[4]。ただし、配役はバーナード・ショーの承認が必要であった[5]。どうしてもクレオパトラを演じたいリーは『医師のジレンマ』を演じてバーナード・ショーを満足させられれば、クレオパトラも認めてもらえるだろうと『医師のジレンマ』を引き受けた[5]。その後『医師のジレンマ』は大成功し、地方で6か月、ロンドンで13か月も上演した[6]

バーナード・ショーを訪れたヴィヴィアン・リーは、うまく会話をさばきクレオパトラについては一言も触れず、ペルシャ猫のように振る舞った[7]。いとまを告げようとした時、バーナード・ショーは「あんたはクレオパトラをやらなきゃいかんね」と言って、ヴィヴィアン・リーがクレオパトラに決定した[8]

また、この作品にはハープ奏者としてジーン・シモンズが端役で出演、その他ロジャー・ムーアケイ・ケンドールなども端役で出演している[9]

撮影[編集]

撮影は戦時中の1944年7月12日から始まった[10]。撮影を見に来たショーは「(プロデューサーが)かわいそうに、この映画は100万ポンドはかかるだろう」と言ったが、実際にそれまでの英国映画で最も制作費のかかった作品となった[10]

撮影前のリーは体調が悪く咳が続いていたにもかかわらず、北アフリカに展開する英国兵士の慰問興行に参加した[11]。咳は帰る頃にはなんとか止まったものの、体重は7キロも減っていた[12]。その直後に妊娠がわかり、医師はこの時期の映画出演は避けるべきだと忠告したが、リーはそれを退けて撮影に入る[10]。この年の英国の夏は記録的な冷夏となり、猛暑のアレキサンドリアの雰囲気を出すために連日薄着の衣装で肌寒い屋外での撮影に臨んだリーは、これですっかり体調を崩して撮影開始から6週間後に倒れてしまう。やがて本人は回復したものの、お腹の子供は流産してしまった[13]

この映画の撮影終了後、リーに最初の躁鬱病の発作が出る[14]。前触れもなく突然機嫌が豹変し、暴れ出したかと思えばその後は大声をあげて泣き出し、やがて発作が収まると何も覚えていないとう始末で[15]、以後リーと夫のローレンス・オリビエはこの恐怖にさいなまれることになる[15]

エピソード[編集]

賞歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 資料室 直営洋画劇場上映作品1934-1954”. 東宝株式会社. 2020年4月18日閲覧。
  2. ^ スクリーン近代映画社、1974年1月号(1973年11月21日発売)、242頁。 
  3. ^ a b エドワーズ 1985, p. 195.
  4. ^ エドワーズ 1985, pp. 195–196.
  5. ^ a b エドワーズ 1985, p. 196.
  6. ^ エドワーズ 1985, pp. 196, 198.
  7. ^ エドワーズ 1985, pp. 198–199.
  8. ^ エドワーズ 1985, p. 199.
  9. ^ 2003年2月27日発売.東北新社.『シーザーとクレオパトラ』デジタルニューマスター版DVD.イントロダクションおよびジャケット.
  10. ^ a b c エドワーズ 1985, p. 202.
  11. ^ エドワーズ 1985, p. 200.
  12. ^ エドワーズ 1985, p. 201.
  13. ^ エドワーズ 1985, p. 203.
  14. ^ エドワーズ 1985, pp. 205–206.
  15. ^ a b エドワーズ 1985, p. 206.
  16. ^ この本には奥付がないので、出版日の正確な日が不明。Amazonの英国版や米国版では1945年、46年、など様々な日になっている。出版社Macdonald & Co LTD.。前書きはバーナード・ショーとガブリエル・パスカル。「歴史的背景」「ヴィヴィアン・リーのクレオパトラ」「音楽」「セット」など14の章が着色カラーやモノクロなど豊富な画像と共に紹介されている。
  17. ^ エドワーズ 1985, pp. 269–273.
  18. ^ エドワーズ 1985, pp. 269–274.
  19. ^ エドワーズ 1985, pp. 270–271, 277–279.

参考文献[編集]

  • アン・エドワーズ 著、清水俊二 訳『ヴィヴィアン・リー』文春文庫、1985年5月25日。ISBN 978-4167309053 

外部リンク[編集]