シーザーとクレオパトラ

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シーザーとクレオパトラ
Caesar and Cleopatra
クレオパトラ役のリー
監督 ガブリエル・パスカル
脚本 ジョージ・バーナード・ショー
原作 ジョージ・バーナード・ショー
製作 ガブリエル・パスカル
製作総指揮 J・アーサー・ランク
出演者 クロード・レインズ
ヴィヴィアン・リー
音楽 ジョルジュ・オーリック
撮影 ジャック・カーディフ
ジャック・ヒルドヤード
ロバート・クラスカー
フレディ・ヤング
編集 フレデリック・ウィルソン
配給 イギリスの旗 イーグル=ライオン
アメリカ合衆国の旗 ユナイテッド・アーティスツ
日本の旗 BCFC/ニッポンシネマコーポレーション
公開 イギリスの旗 1945年12月11日
日本の旗 1950年9月1日(有楽座)
上映時間 138分
製作国 イギリスの旗 イギリス
言語 英語
製作費 約1,278,000ポンド
興行収入 2,250,000ドル(北米市場)
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シーザーとクレオパトラ』(原題:Caesar and Cleopatra)は、1945年に製作・公開されたイギリス映画である。クロード・レインズヴィヴィアン・リーがタイトルロールを演じている。ジョージ・バーナード・ショー戯曲シーザーとクレオパトラ英語版』の映画化作品であり、ショー自身が脚本を執筆した。監督はプロデューサーでもあるガブリエル・パスカル。撮影は戦時中の1944年であるが、テクニカラーの大作として完成した。

バーナード・ショーの原作であるため、1963年の『クレオパトラ』のような重厚な歴史スペクタクルではなく、ヴィヴィアン・リーには珍しいコメディタッチの作品となっている。

日本公開は1950年、9月1日から21日まで有楽座で上映されている[1]。また1973年11月30日23時20分からフジテレビの『スペシャル洋画劇場』枠でテレビ放送された[2]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

  • 監督・製作:ガブリエル・パスカル
  • 製作総指揮:J・アーサー・ランク
  • 原作・脚本:ジョージ・バーナード・ショー
  • 音楽:ジョルジュ・オーリック
  • 撮影:ジャック・カーディフ、ジャック・ヒルドヤード、ロバート・クラスカー、フレディ・ヤング
  • 編集:フレデリック・ウィルソン
  • 美術:ジョン・ブライアン、オリヴァー・メッセル
  • 衣装・装置:オリヴァー・メッセル

製作[編集]

企画・キャスティング[編集]

1941年、ヴィヴィアン・リーにはほぼ同時に2つバーナード・ショーの戯曲を舞台で演じる話がきた[3]。アメリカでの『シーザーとクレオパトラ』と英国での『医師のジレンマ』である[3]。ヴィヴィアン・リーはクレオパトラを演じたかったため、映画化を計画しているガブリエル・パスカルに、舞台で上演してから映画化の話を持ちかけたが、パスカルは興味を示さなかった。しかしパスカルはヴィヴィアン・リー主演で映画化することは承知した[4]。ただし、配役はバーナード・ショーの承認が必要であった[5]。どうしてもクレオパトラを演じたいリーは『医師のジレンマ』を演じてバーナード・ショーを満足させられれば、クレオパトラも認めてもらえるだろうと『医師のジレンマ』を引き受けた[5]。その後『医師のジレンマ』は大成功し、地方で6か月、ロンドンで13か月も上演した[6]

バーナード・ショーを訪れたヴィヴィアン・リーは、うまく会話をさばきクレオパトラについては一言も触れず、ペルシャ猫のように振る舞った[7]。いとまを告げようとした時、バーナード・ショーは「あんたはクレオパトラをやらなきゃいかんね」と言って、ヴィヴィアン・リーがクレオパトラに決定した[8]

また、この作品にはハープ奏者としてジーン・シモンズが端役で出演、その他ロジャー・ムーアケイ・ケンドールなども端役で出演している[9]

撮影[編集]

撮影は戦時中の1944年7月12日から開始されている[10]。撮影を見に来たバーナード・ショーは「(プロデューサーの)ランクがかわいそうだな。この映画は100万ポンドかかるだろう」と言ったが、実際英国で最もお金のかかった作品になった[10]

撮影前、ヴィヴィアン・リーは体調が悪く咳が続いていたが、北アフリカへの軍の慰問に加わった[11]。帰る頃にはなんとか咳は止まったものの、体重は7kgも減っていた[12]。その後妊娠がわかり、医師はこんな時期に映画に出演してはいけないと言ったが、ヴィヴィアン・リーは忠告を退け撮影を開始[10]。1944年の夏は季節外れの寒さで、ヴィヴィアン・リーは薄い衣装で屋外に出て猛暑の雰囲気を作り出さなければならず、撮影開始から6週間後に倒れ、お腹の子供は失われた[13]

映画の撮影後、ヴィヴィアン・リーに最初の双極性障害の発作が出た[14]。態度が突然変わり暴れ出し、その後は大声をあげて泣き出し、発作が収まると何も覚えていなかった[15]。このことはヴィヴィアン・リーと夫のローレンス・オリビエにとって恐怖であった[15]

エピソード[編集]

賞歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 資料室 直営洋画劇場上映作品1934-1954”. 東宝株式会社. 2020年4月18日閲覧。
  2. ^ スクリーン近代映画社、1974年1月号(1973年11月21日発売)、242頁。 
  3. ^ a b エドワーズ 1985, p. 195.
  4. ^ エドワーズ 1985, pp. 195–196.
  5. ^ a b エドワーズ 1985, p. 196.
  6. ^ エドワーズ 1985, pp. 196, 198.
  7. ^ エドワーズ 1985, pp. 198–199.
  8. ^ エドワーズ 1985, p. 199.
  9. ^ 2003年2月27日発売.東北新社.『シーザーとクレオパトラ』デジタルニューマスター版DVD.イントロダクションおよびジャケット.
  10. ^ a b c エドワーズ 1985, p. 202.
  11. ^ エドワーズ 1985, p. 200.
  12. ^ エドワーズ 1985, p. 201.
  13. ^ エドワーズ 1985, p. 203.
  14. ^ エドワーズ 1985, pp. 205–206.
  15. ^ a b エドワーズ 1985, p. 206.
  16. ^ この本には奥付がないので、出版日の正確な日が不明。Amazonの英国版や米国版では1945年、46年、など様々な日になっている。出版社Macdonald & Co LTD.。前書きはバーナード・ショーとガブリエル・パスカル。「歴史的背景」「ヴィヴィアン・リーのクレオパトラ」「音楽」「セット」など14の章が着色カラーやモノクロなど豊富な画像と共に紹介されている。
  17. ^ エドワーズ 1985, pp. 269–273.
  18. ^ エドワーズ 1985, pp. 269–274.
  19. ^ エドワーズ 1985, pp. 270–271, 277–279.

参考文献[編集]

  • アン・エドワーズ 著、清水俊二 訳『ヴィヴィアン・リー』文春文庫、1985年5月25日。ISBN 978-4167309053 

外部リンク[編集]