シュート夫妻
シュート夫妻、夫のサミュエル・アディソン・シュート(Samuel Addison Shute、1803年 – 1836年)と妻のルース・ホイッティア・シュート(Ruth Whittier Shute、1803年 – 1882年)は1830年代のニューイングランドやニューヨーク州で共同で、地方の人々の肖像画を描いた「フォークアート」の画家である[1]。
概要
[編集]夫のサミュエルはマサチューセッツ州、エセックス郡のバイフィールドで生まれた。ダートマス大学で学び、医者などをしていた[2] 。妻のルースはニューハンプシャー州ドーバーの生まれで、有名な詩人で奴隷制廃止論者のジョン・グリーンリーフ・ホイッティア(John Greenleaf Whittier)のいとこにあたる[3]。2人は1827年10月16日にニューハンプシャー州のサマーズワースで結婚した。
結婚した後、サミュエルは医者をやめ、ルースと共同でニューイングランド北部やニューヨーク州の町や村を巡回し、新聞に広告を出して客を募り、肖像画を描いて販売する生活を始めた。この仕事はサミュエルが32歳で亡くなるまで続けられた。製作のスタイルは独特で、1枚の絵を2人で仕上げたとされる。いくつかの作品には「Drawn by R.W.Shute and Painted by S.A.Shute.」のように分担が記されていた。
シュート夫妻に描かれたのは農村の家族や当時、ニューイングランドで盛んだった繊維工業の労働者が多かった。
1834年頃に、サミュエルが病気になり、夫妻はニューヨーク州のチャンプレンに移った後、ルースは1人で、絵を描いた。1836年にサミュエルは亡くなった。ルースは後に再婚し、ケンタッキー州に移り、亡くなるまで、絵を描いた。
シュート夫妻の作品はニューヨークのアメリカン・フォーク・アート博物館やメトロポリタン美術館に収蔵されている[4][5]。
作品
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Master Burnham (1831/1832)
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Josiah C. Burnham (1831/1832)
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Miss Emeline Parker of Lowell, Massachusetts (1832)
参考文献
[編集]- ^ Stacy C. Hollander, Ruth Davis Anderson, et al., American Anthem: Masterworks from the American Folk Art Museum, New York: Harry N. Abrams in association with the American Folk Art Museum, 2002, p. 322.
- ^ Kellogg, Helen. "Shute, Dr. Samuel Addison (1803-1836)." The Encyclopedia of American Folk Art, edited by Wertkin , Gerard C. and Lee Kogan, Routledge, 2003.
- ^ Kellogg, Helen. "Shute, Ruth Whittier (1803-1882)." The Encyclopedia of American Folk Art, edited by Wertkin , Gerard C. and Lee Kogan, Routledge, 2003.
- ^ Metmuseum.org
- ^ [1]