コンテンツにスキップ

シュブハイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シュブハイšubuqai (スバハイsubakhaiとも) は、明朝後期の蒙古 (北虜) で、現赤峰市一帯を根拠地としたハルハ・バアリン部始祖。ダヤン・ハアンの曾孫にあたり、兄はジャルウト部始祖のウバシ。ボルジギン氏

漢文では蘇巴海の外、速把亥、蘇不害、速不亥、速卜亥、蘇把亥、速不害、索博該衛征、達爾漢諾顔などとも。

嘉靖末年に父に従って泰寧衛福餘衛の故地に移り、明人から泰寧衛の酋長とみなされた。当時その強大な勢力を以てトゥメン・ジャサクトゥ・ハアン (蒙古帝国第38代) より蒙古五執政理事の一として任命され、ハルハ部の代表とみなされた。弟・炒花らとともにチャハル部と結び、明の開原・義州 (現義県)・錦州 (現凌海市) などを襲撃して度々明軍を破った。後に李成梁率いる明軍に敗れ、萬曆10年1582に参将・李平胡の放った矢が中って陣没した。妹夫・花大が遺体を回収し、塔毋戸渡に埋葬したという。

一族

[編集]

父祖

[編集]

* 本節は基本的に森川哲雄(1972)[1]・(1976)[2]に準拠し、ふりがなは転写を参考にした。

子孫

[編集]

* 本節は基本的に鴛淵一(1941)[3]に準拠し、ふりがなは転写を参考にした。

  • スバハイsubakhai
    • 卜言兔
    • 卜言顧
      • ドゥレン・ベイレdureng beile:都令、額參台吉など。
      • アユシayusi:額木素郎、矮要世など。
      • グルブシgurbusi:古路不四。
    • イェヘ・バアトゥルyekhe baghaturu:把兔兒、卜言把兔兒、巴噶爾圖爾、葉赫巴圖魯など。
      • エブゲデイ・ベイレebugedei beile:額伯革打黃台吉。
        • セレンsereng:色令。
      • ウバシ・タイジubasi taiji:榜什台吉。
      • セダルsedar:色特兒、色特爾など。
      • ホトゴル・アンハkhotoghor angkha:昂阿、和托果爾昂哈など。
      • ナンヌク・タイジnangnuk taiji:昂奴、嚢努克、嚢路台吉など。

脚註

[編集]

典拠

[編集]
  1. ^ ⑶ ハルハに所属する諸集団とその関係. . ハルハ・トゥメンとその成立について (東洋学報) 55 (2): 39-46. 
  2. ^ 森川, 哲雄 (1976). 三. Dayan qaγan の諸子分封とチャハル. “チャハル・八オクトとその分封について”. 東洋学報 (東洋文庫) 58 (1): 136-149. https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/record/5341/files/gakuho01_58-1%2C2-05.pdf. 
  3. ^ a b 五.. “〈研究〉明末に於る喀爾喀と泰寧”. 史林 26 (4): 73-82. 

註釈

[編集]
  1. ^ 第35代カアンはバルス・ボラト・ジノン。子のアルタン・カアンはトゥメト部主として急激に勢力を伸長させ、チャハル部に圧力をかけてトゥメン・ジャサクトゥ・カアンと敵対した。

文献

[編集]

史書

[編集]
  • 瞿九思『萬曆武功錄』(漢) (明萬曆40年1612) 國學文庫
  • 茅瑞徵『東夷考畧』(漢) (明天啓1年1621) 燕京図書館所蔵
  • 王在晉『三朝遼事實錄(漢) (明崇禎12年1639) 江蘇省立國學圖書館
  • 張廷玉, 他『明史(漢) (清乾隆4年1739)
  • 小徹辰薩囊台吉欽定蒙古源流(漢) (清乾隆42年1777) 國學文庫
  • 和田 淸『内蒙古諸部落の起源』奉公會 (大正6年1917)

論文

[編集]