シュブハイ
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シュブハイšubuqai (スバハイsubakhaiとも) は、明朝後期の蒙古 (北虜) で、現赤峰市一帯を根拠地としたハルハ・バアリン部始祖。ダヤン・ハアンの曾孫にあたり、兄はジャルウト部始祖のウバシ。ボルジギン氏。
漢文では蘇巴海の外、速把亥、蘇不害、速不亥、速卜亥、蘇把亥、速不害、索博該衛征、達爾漢諾顔などとも。
嘉靖末年に父に従って泰寧衛・福餘衛の故地に移り、明人から泰寧衛の酋長とみなされた。当時その強大な勢力を以てトゥメン・ジャサクトゥ・ハアン (蒙古帝国第38代) より蒙古五執政理事の一として任命され、ハルハ部の代表とみなされた。弟・炒花らとともにチャハル部と結び、明の開原・義州 (現義県)・錦州 (現凌海市) などを襲撃して度々明軍を破った。後に李成梁率いる明軍に敗れ、萬曆10年1582に参将・李平胡の放った矢が中って陣没した。妹夫・花大が遺体を回収し、塔毋戸渡に埋葬したという。
一族
[編集]父祖
[編集]* 本節は基本的に森川哲雄(1972)[1]・(1976)[2]に準拠し、ふりがなは転写を参考にした。
- 曽祖父・ダヤン・ハアンdayan qaγan:蒙古帝国第34代ハアン。
- 伯祖・トロ・ボラトtörö bolad
- 従伯父・ボディ・アラク・ハアンbodi alaγ qaγan:第36代ハアン。[注 1]
- 又従兄・ゴデン・ハアンgödeng qaγan:第37代ハアン。
- 又従兄甥・トゥメン・ジャサクトゥ・ハアンtümen ǰasaγtu qaγan:第38代ハアン。
- 又従兄・ゴデン・ハアンgödeng qaγan:第37代ハアン。
- 従伯父・ボディ・アラク・ハアンbodi alaγ qaγan:第36代ハアン。[注 1]
- 祖父・アルチュ・ボラトalču bolad:内ハルハ (5部ハルハ) 始祖。
- 伯祖・トロ・ボラトtörö bolad
子孫
[編集]* 本節は基本的に鴛淵一(1941)[3]に準拠し、ふりがなは転写を参考にした。
- スバハイsubakhai
- 卜言兔
- 卜言顧
- ドゥレン・ベイレdureng beile:都令、額參台吉など。
- アユシayusi:額木素郎、矮要世など。
- グルブシgurbusi:古路不四。
- イェヘ・バアトゥルyekhe baghaturu:把兔兒、卜言把兔兒、巴噶爾圖爾、葉赫巴圖魯など。
- エブゲデイ・ベイレebugedei beile:額伯革打黃台吉。
- セレンsereng:色令。
- ウバシ・タイジubasi taiji:榜什台吉。
- セダルsedar:色特兒、色特爾など。
- ホトゴル・アンハkhotoghor angkha:昂阿、和托果爾昂哈など。
- ナンヌク・タイジnangnuk taiji:昂奴、嚢努克、嚢路台吉など。
- エブゲデイ・ベイレebugedei beile:額伯革打黃台吉。
脚註
[編集]典拠
[編集]- ↑ ⑶ ハルハに所属する諸集団とその関係. . ハルハ・トゥメンとその成立について (東洋学報) 55 (2): 39-46.
- ↑ 森川, 哲雄 (1976). 三. Dayan qaγan の諸子分封とチャハル. “チャハル・八オクトとその分封について”. 東洋学報 (東洋文庫) 58 (1): 136-149.
- 1 2 五.. “〈研究〉明末に於る喀爾喀と泰寧”. 史林 26 (4): 73-82.
註釈
[編集]- ↑ 第35代カアンはバルス・ボラト・ジノン。子のアルタン・カアンはトゥメト部主として急激に勢力を伸長させ、チャハル部に圧力をかけてトゥメン・ジャサクトゥ・カアンと敵対した。
文献
[編集]史書
[編集]論文
[編集]- 鴛淵 一「〈研究〉明末に於る喀爾喀と泰寧」史学研究会『史林』26-4 (1941)
- 森川 哲雄「ハルハ・トゥメンとその成立について」東洋文庫『東洋学報』55-2 (1972)
- 森川 哲雄「チャハル・八オクトとその分封について」東洋文庫『東洋学報』58-1(1976)