コンダヴィードゥ城

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コンダヴィードゥ城
コンダヴィードゥ城の絵画(1804年

コンダヴィードゥ城英語:Kondaveedu Fort, テルグ語:కొండవీడు కోట)は、南インドアーンドラ・プラデーシュ州グントゥール県のコンダヴィードゥ村にある城塞。かつてはこの城を中心に都市があった。

歴史[編集]

1323年カーカティーヤ朝トゥグルク朝に滅ぼされた際、コンダヴィードゥはその支配下にはいったが、カーカティーヤ朝の家臣が起こしたレッディ王国により、のちに解放された。

14世紀末、レッディ王国が二つに分裂した際、コンダヴィードゥはそのうちの一つの首都となったが、1422年ヴィジャヤナガル王国の手に落ちた。

1458年にはデカンバフマニー朝の手に落ち、1516年にはヴィジャヤナガル王クリシュナ・デーヴァ・ラーヤによって征服された。

1531年1537年1579年にはヴィジャヤナガル王国とゴールコンダ王国との間にこの城をめぐり争いが繰り広げられ、1579年にこの争いに勝利したゴールコンダ王イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャーは都市と城の名をムルタザーナガル(Murtuzanagar)と改めた。

その後、この城の支配者は目まぐるしく変わり、1687年にはムガル帝国1752年にはフランス1766年にはニザーム王国1788年には最終的にイギリスの支配下に置かれることとなった。

現在、コンダヴィードゥ城は廃墟となっている。

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