コンスタンティノープル包囲戦の一覧

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東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の歴史上、コンスタンティノープル包囲戦と呼ばれる包囲戦が数多く存在する。その中でコンスタンティノープルが軍事的に完全に陥落したのは、1204年の第四次十字軍によるコンスタンティノープルの奪取と、1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落、この2回のみである。本項では、20回以上に及ぶ東ローマ帝国首都コンスタンティノープルの攻防戦に、前身のビュザンティオンで行われた包囲戦を加えて列挙する。

古代ビュザンティオン[編集]

ビュザンティオンは従来アケメネス朝に服属していたが、紀元前478年にギリシア連合軍に奪取され、以降その勢力圏となった。

諸勢力の攻撃[編集]

ルーシ族の攻撃[編集]

ビザンツ帝国の内戦[編集]

十字軍の攻撃[編集]

ニカイア帝国の攻撃[編集]

ビザンツ帝国の亡命政権ニカイア帝国は、ラテン帝国との数度の戦争の末にコンスタンティノープルを奪回、ビザンツ帝国を復活させた。

  • コンスタンティノープル包囲戦 (1235年), 第二次ブルガリア帝国とニカイア帝国の連合軍による攻撃、失敗。2年間の休戦
  • コンスタンティノープル包囲戦 (1248年), ゲオルギオス・アクロポリテスが包囲戦があったと述べているが、詳細は不明。
  • コンスタンティノープル包囲戦 (1260年), ニカイア帝国による攻撃、失敗
  • コンスタンティノープルの回復 (1268年), ニカイア帝国の将軍アレクシオス・ストラテゴポウルス率いる部隊が、ラテン帝国軍の主力が出払った隙をついてコンスタンティノープル占領に成功。ラテン帝国は消滅し、ビザンツ帝国によるコンスタンティノープル支配が復活した。最後のラテン皇帝ボードゥアン2世は抵抗を見せず亡命した。市の抵抗も少なく、包囲戦と呼べるような戦闘は発生していない。

オスマン帝国の攻撃[編集]

関連項目[編集]