グイード・カヴァルカンティ

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グイード・カヴァルカンティ

グイード・カヴァルカンティ(Guido Cavalcanti, 1258年 - 1300年)は、イタリア詩人

生涯[編集]

1258年頃にフィレンツェ共和国の首都フィレンツェで生まれた。フィレンツェの裕福な名家出身。父はゲルフ[1]。学者ブルネット・ラティーニのもとで学ぶ。カヴァルカンティはゲルフの出身だったが、1267年にギベリンの指導者の娘と結婚した[1]。しかし、後年に彼はゲルフ党白派に参加した。ゲルフとギベリン、さらに白派と黒派の争いは激烈化する。抗争に巻き込まれたカヴァルカンティはサルザーナへ流罪に処される。流刑地で孤独な生活を送り、ほどなくしてマラリアに罹患。最終的に帰国を願い出て許され、まもなくフィレンツェで死去した[1]。36編のソネット、11編のバッラータといった詩が現存している。特に『Donna mi prega』は高評されている。また、カンツォーネやモテットも書いている。

脚注[編集]

外部リンク[編集]