クリストバル・マルティネス=ボルディウ (第10代ビリャベルデ侯爵)

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クリストバル・マルティネス=ボルディウ
Cristóbal Martínez-Bordiú
第10代ビリャベルデ侯爵
1963年のビリャベルデ侯の写真
続柄 9代ビリャベルデ女侯の息子

出生 (1922-08-01) 1922年8月1日
マンチャ・レアルスペイン語版
死去 (1998-02-04) 1998年2月4日(75歳没)
配偶者 初代フランコ女公カルメン・フランコ
子女 2代フランコ女公カルメン・マルティネス=ボルディウ
11代ビリャベルデ侯フランシスコ・フランコなど
家名 マルティネス=ボルディウ家
父親 ホセ・マルティネス
母親 9代ビリャベルデ女侯マリア・ボルディウ
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クリストバル・マルティネス=ボルディウスペイン語: Cristóbal Martínez-Bordiú1922年8月1日 - 1998年2月4日)は、スペイン貴族医師第10代ビリャベルデ侯爵(El X Marqués de Villaverde)の爵位を持ち、総統フランシスコ・フランコの娘である初代フランコ女公爵カルメン・フランコと結婚した。

経歴[編集]

ホセ・マリア・マルティネス・イ・オルテガ(José María Martínez y Ortega)と第9代ビリャベルデ女侯爵マリア・デ・ラ・エスペランサ・ボルディウ・イ・バスカラン(María de la O Esperanza Bordiú y Bascarán)の息子としてマンチャ・レアルスペイン語版に生まれる[1]

マドリード・コンプルテンセ大学で医学を学び、心臓病を専門とする外科医になる[1]

1950年8月1日に総統フランシスコ・フランコの娘カルメン・フランコと結婚した。夫妻は7人の子供を儲けた[2]

1968年にスペインで最初に心臓移植を行った外科医だが、その時の患者は死亡している[1]。国立胸部疾患学校の胸部外科の責任者となり、アメリカヨーロッパによく出張した。国立胸部疾患学校の医療監督となっていたが、1986年に当時の保健社会福祉大臣マリア・ゴメス・メンドーサによって解任された[1]

1998年2月4日に脳出血により死去[1]。ビリャベルデ侯爵位は長男のフランシスコ・フランコが継承した。一方、妻カルメンが持つフランコ公爵位は2017年に彼女が死去した後、長女カルメン・マルティネス=ボルディウが継承している[3]

子孫[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • ヴィントガッセン, アンティエ『独裁者の妻たち』阪急コミュニケーションズ、2003年(平成15年)。ISBN 978-4484031095 
スペインの爵位
先代
マリア・ボルディウ
第10代ビリャベルデ侯爵
? - 1998年
次代
フランシスコ・フランコ