ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーン

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Luis Alfonso
ルイス・アルフォンソ
Louis XX.jpg
ルイス・アルフォンソ(2014年1月)
生誕 1974年4月25日(42歳)
スペインの旗 スペインマドリード
別名
宗教 キリスト教
宗派 カトリック教会
配偶者 マリア・マルガリータ・バルガス・イ・サンタエージャ
子供
父:アルフォンソ
母:マリア・デル・カルメン

ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・マルティネス=ボルディウ(スペイン語: Luis Alfonso de Borbón y Martínez-Bordiú, 1974年4月25日 - )は、スペイン銀行員で、フランス王位請求者ボルボン家スペイン・ブルボン家)の一族で、レジティミストブルボン朝の王位継承者と主張している。アンジュー公ルイ・ド・ブルボンフランス語: Louis de Bourbon)、あるいはフランス王ルイ20世フランス語: Louis XX)と呼ばれる。

ルイス・アルフォンソの支持者は「ブラン・デスパーニュ」(フランス語: Blancs d'Espagne、スペインの白)と呼ばれる。対立者からは「アルフォンソ派」(Alfonsists)とも呼ばれる。

経歴[編集]

誕生後のルイス・アルフォンソと両親

1974年、カディス公アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・ダンピエレの次男としてマドリードで生まれた。母ドニャマリア・デル・カルメン・マルチネス=ボルディウ・イ・フランコ英語版は総統フランシスコ・フランコの孫で、ルイス・アルフォンソはフランコの曾孫にあたる。

1975年3月20日、アンジュー公およびセゴビア公を称していた祖父ハイメ(“フランス王アンリ6世”)の死去により、父アルフォンソが“フランス王アルフォンス2世”となり、同時にアンジュー公の称号も継承した。ルイス・アルフォンソは1981年9月19日に父からトゥーレーヌ公フランス語版に叙され、1984年2月7日に兄フランシスコスペイン語版が自動車事故で死去したため、代わってブルボン公の称号を帯びた。

1989年1月30日、父アルフォンソがアメリカ合衆国コロラド州のビーヴァー・クリークでのスキー事故により死去した。これを受けて、ルイス・アルフォンソが正統派の支持するフランス王家の長“ルイ20世”となり、アンジュー公の称号も継承した。ただしカディス公の称号は、スペイン政府が1987年に、世襲の称号ではなくこの称号はスペイン王室のみに属すると主張したため、用いていない。

ルイス・アルフォンソはリセ・フランセ・ド・マドリード英語版に通った後に大学で経済学を学び、BNPパリバマドリードに勤務した。母のいるフランスを定期的に訪れてはいるものの、もっぱらスペインで暮らしている。2003年11月にベネズエラ出身のマリア・マルガリータ・バルガス・イ・サンタエージャ英語版との婚約が発表され、翌2004年11月にドミニカ共和国ラ・ロマーナで結婚式を挙げた。しかし、スペイン国王フアン・カルロス1世やスペイン王族はこの結婚式に出席しなかった。これはフアン・カルロス1世が、自身の父方の従甥にあたるルイス・アルフォンソがボルボン家の傍系(現スペイン王家の系統を嫡流とする場合)にもかかわらず、アンジュー公およびフランス王家の長の称号を名乗っていることを好んでいないのが理由と言われている。ルイス・アルフォンソとマリア・マルガリータの2人は、2005年からベネズエラで暮らしていた。

ルイス・アルフォンソは、2006年の母マリア・デル・カルメンの3度目の結婚式に出席しなかった。これは彼が、母のセレブリティ的な生活観と、自身が尊敬する母の前夫ジャン=マリー・ロッシからの離婚を嫌っていたからだと言われている。

2007年3月5日、娘のエウヘニア(Eugenia)が生まれた。エウヘニアは同年6月にパリ駐在ローマ教皇庁外交使節館で教皇使節のフォルトゥナート・バルデッリ英語版から洗礼を受けた。フランスの正統派はエウヘニアを王女ウジェニー・ド・ブルボンEugénie de Bourbon)殿下として認めているが、スペインではドニャ・エウヘニア・デ・ボルボン・イ・バルガス閣下と呼ばれる。

2010年5月28日に双子の息子ルイスLuis)とアルフォンソ(Alfonso)が生まれた。双子は9月5日にサン・ピエトロ大聖堂で、教皇総代理のアンジェロ・コマストリ英語版枢機卿から洗礼を受けた。ルイス・アルフォンソは長男ルイスをブルゴーニュ公に、次男アルフォンソをベリー公に叙した。ルイスはドーファンルイ・ド・ブルボンとして正統派の主張する次代のフランス王位継承者となる。息子たちはスペインにおいてそれぞれドンルイス・デ・ボルボン・イ・バルガス閣下、ドン・アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・バルガス閣下と呼ばれる。

同年11月8日、正統派の組織であるブルボン家協会フランス語版への関与を取りやめ、新たにアンジュー公爵協会フランス語版を設立した。しかし2015年に入って同協会を解散し、再びブルボン家協会に合流した。

フランス王位請求者として[編集]

ブーヴィーヌの戦い800周年記念式典で(2014年7月)

1992年8月25日、ルイス・アルフォンソはエーグ=モルトルイ9世が建設した町)の名誉町民号を当時の町長だったルネ・ジャノから贈られた[1]

フェリペ5世ユトレヒト条約でフランス王位継承権を放棄したこと[2]は、レジティミストとオルレアニストの間で長らく論争の種となっている。レジティミストは、フランス王位はサリカ式継承法に従って定められており、いかなる条約もフランスの王位継承に干渉することはできないと主張している。

1994年6月16日、ルイ16世アメリカ独立戦争を支援したことから、ブルボン家家長としてフランスのシンシナティ協会の正会員となった[3]

2010年12月、フランス革命後に持ち去られたアンリ4世の頭部をサン=ドニ大聖堂に改葬するためにニコラ・サルコジ大統領と協力した。

2014年8月25日には、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスから名誉市民の称号を贈られた。

称号[編集]

現在ルイス・アルフォンソが有している称号は、以下の通りである。

オルレアン派の支持するフランス王、“フランス人の王アンリ7世”とも呼ばれるパリ伯兼フランス公アンリ2004年に、アンジュー公の称号を甥のシャルル=フィリップに与えた。アンリはまた1987年から1989年に、正統派の支持するフランス王家の長であるルイス・アルフォンソが、オルレアン派の支持するフランス王家の長である自身の主張に反してアンジュー公およびフランス王家の長の称号を名乗っていることとフランス王室の紋章を使用していることは違法であるとして、フランスの裁判所に提訴した。法廷は、現在のフランスは王国でなく共和国であり、このような訴訟はフランス共和国に関係なしとして、訴えを退けた。現在、アンジュー公の称号はルイス・アルフォンソとシャルル=フィリップとの間で競合状態にある。

フランス法務省はルイス・アルフォンソを(スペイン王族として)“殿下”の称で呼んでいる。スペインでは“閣下”と呼ばれる。

現在のスペイン憲法はフアン・カルロス1世の子孫にのみ王位継承権を認めており、ルイス・アルフォンソ一家は該当しない。ただし、該当者がいなくなった場合の継承候補者からも排除されているわけではない。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

  • Louis XX(フランス語) - ブルボン家協会による紹介ページ。
先代:
アルフォンス2世
フランス王位請求者
(正統派)
1989年 - 現在
次代:

推定相続人:ルイ