キット・カルキン

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キット・カルキン
Kit Culkin
本名 Christopher Cornelius Culkin
生年月日 (1944-12-06) 1944年12月6日(79歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優、マネージャー
配偶者 パトリシア・ブレントラップ(1974年 - 1995年)
ジャネット・クライロウスキー(1995年 - 2017年死別)
著名な家族 マコーレー・カルキン(子)
ロリー・カルキン(子)
キーラン・カルキン(子)
ボニー・ベデリア(妹)
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キット・カルキン(Kit Culkin)ことクリストファー・コーネリアス・カルキン(Christopher Cornelius Culkin、1944年12月6日 - )は、アメリカ合衆国舞台俳優である。マコーレー・カルキンロリー・カルキンキーラン・カルキンらの父であり、彼らのマネージャーであった。ボニー・ベデリアは妹である。

幼年期[編集]

カルキンはニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンで、広報活動を行っていたフィリップ・ハーレー・カルキン(Philip Harley Culkin、1898年 - 1977年)[1]と作家・編集者のマリアン・エセル(Marian Ethel、1914年 - 1964年)の息子として生まれた[2]。彼と妹のキャンディスおよび後に女優となるボニー[3]はニューヨークで育った[1]

彼とボニーはスクール・オブ・アメリカン・バレエ英語版のクラスを受講した[1](1980年代に息子のカルキンも受講している[4])。

経歴[編集]

カルキンは、リチャード・バートンジョン・ギールグッドローレンス・オリヴィエアンソニー・クインらとともにブロードウェイで舞台作品に出演していた。彼の兄弟のテリーと妹のボニー、キャンディスも舞台やテレビに出演していた。カルキンは、これらの初期の成功は、彼らのマネージャーだった母親のおかげだとしている。

彼の息子のうちマコーレー、ロリー、キーランの3人は俳優となり、その実績は父・キットの現役時代を凌いだ。1980年代後半から1990年代半ばにかけて、キットは彼らのマネージャーとして有名になった。わずか数年で、それほど裕福ではなかったカルキンの一家は巨額の富を得た。マコーレーは映画『ホーム・アローン』ので主役を務めたことで非常に人気を博し、1991年の映画『マイ・ガール』では、マコーレーはハリウッドの子役で初めて100万ドルの出演料を受け取った。

しかし、キットの非常識な要求などで1994年後半にはオファーが減少した。同棲していたマコーレーの母・ジェニファーと1995年に別れ、マコーレーが稼いだ1,700万ドル(当時のレートで約17億円)を巡って裁判となった。裁判は泥沼化し、1996年にマコーレーは「父と母が裁判に決着をつけるまで自分はどの作品にも出演しない」と俳優活動の休業を発表した。1997年2月、裁判所が「マコーレーの稼いだお金は家族ではなくマコーレーの会計士が管理するように」と命じ、同年の4月にキットがすべてを放棄する形で裁判は終了した。

私生活[編集]

彼は以下の8人の子供をもうけた。

  • Adeena VanWagonerとの間の子
    • ジェニファー・アダムソン(Jennifer Adamson、1970年 - 2000年)
  • パトリシア・ブレントラップ(Patricia Brentrup、1954年 - )との間の子
    • シェーン(Shane、1976年 - )
    • ダコタ(Dakota、1978年 - 2008年)
    • マコーレー(Macaulay、1980年 - )
    • キーラン(Kieran、 1982年 - )
    • クイン(Quinn、1984年 - )
    • クリスチャン(Christian、1987年 - )
    • ロリー(Rory、1989年 - )

カルキンとブレントラップは1974年から1995年までの21年間同棲していたが、結婚はしなかった[5]

2008年12月9日、ダコタはロサンゼルスで自動車に轢かれた[6][5]。彼女はUCLA医療センター英語版へ運ばれたが、次の日の午後死亡した。30歳だった[6]。娘のジェニファー・アダムソンは、2000年に薬物過剰摂取により29歳で亡くなった[7]

カルキンはかつてはオレゴン州グランツパスに住んでいた。 彼の長年の友人でありパートナーであるジャネット・クライロウスキー(Jeanette Krylowski)は2017年5月31日に亡くなった。彼女の死後、カルキンはグランツパスから転居したが、その後の居住地は不明である[8]

出演[編集]

作品名 役名
1961年 ウエスト・サイド物語 エキストラ
1964年 ハムレット プレイヤークイーン

脚注[編集]

  1. ^ a b c Bandler, Michael J. (1992年10月25日). “Character Study Despite Her Laurels, Bonnie Bedelia Wonders When Stardom Will Arrive”. Chicago Tribune. 2018年1月5日閲覧。
  2. ^ Bonnie Bedelia”. filmreference.com. 2010年3月2日閲覧。
  3. ^ Bonnie Bedelia: Biography”. TV Guide. 2013年5月5日閲覧。
  4. ^ “Culkin to Appear in 'Nutcracker' Film”. The New York Times. (1992年8月15日). https://www.nytimes.com/1992/08/15/arts/culkin-to-appear-in-nutcracker-film.html 2018年1月5日閲覧。 
  5. ^ a b Schmidt, Veronica (2008年12月12日). “Macaulay Culkin's sister, Dakota, killed”. The Times. オリジナルの2009年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090515122413/http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/film/article5330064.ece 2018年1月4日閲覧。 
  6. ^ a b Macaulay's Sister Dies”. TMZ.com (2008年12月11日). 2010年3月2日閲覧。
  7. ^ Fun Facts”. macaulay-culkin.com. 2010年3月2日閲覧。
  8. ^ Report of Kit Culkin”. nymag.com. 2010年3月2日閲覧。

外部リンク[編集]