キオス島の虐殺

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『キオス島の虐殺』
フランス語: Scène des massacres de Scio
Eugène Delacroix - Le Massacre de Scio.jpg
作者ウジェーヌ・ドラクロワ
製作年1824年
種類油彩
寸法354 cm × 419 cm (139 in × 165 in)
所蔵ルーブル美術館パリ

キオス島の虐殺』(キオスとうのぎゃくさつ、: Scène des massacres de Scio)は、ウジェーヌ・ドラクロワ1824年に完成した油絵(354 x 419 cm )。現在はパリルーブル美術館の所蔵である。

1822年4月11日より数ヶ月間、当時オスマン帝国統治下のギリシアのキオス島にて、独立派らを鎮圧するため、トルコ軍兵士が一般住民を含めて虐殺した事件の一場面を、キャンバスにて表現したものといえる。1820年末より、ギリシア独立のための武装蜂起が始まり、1821年3月26日より、ギリシア独立戦争として一連の戦闘が開始されるが、トルコ側による鎮圧も過酷なものであった。

遠近法を無視したこの絵では、左側の人物のピラミッドと右側の人物のピラミッド、二つのピラミッドで構成されている。右側のピラミッドの頂点をなす騎乗するトルコ人司令官は、全裸のギリシア女性をつるし上げ、死んだ母親にすがる幼児、あらぬ彼方をみやる老婆が、絶望と弾圧の強い意志を表現して、描かれている。

人物写真もなく、活字による報道だけであった1820年代で、絵画によるイメージという手法により、ギリシア独立について、ヨーロッパ市民の目を注ぐこととなった。

なお、この絵画も含めて、ヨーロッパ諸国によるギリシア独立支援への世論により、フランスやイギリスがギリシア独立勢力の支援に動き、1830年2月にギリシアのトルコからの完全独立が合意、1832年6月にギリシアが完全独立国として承認される。