ガーズィー・ウッディーン・ハーン (フィールーズ・ジャング2世)

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ガーズィー・ウッディーン・ハーン(Ghazi ud-Din Khan, 1709年3月13日以前 - 1752年10月16日)は、北インドムガル帝国の。フィールーズ・ジャング2世(Firuz Jung II)、インティザーム・ウッダウラ(Intizam ud-Daula)の称号でも知られる。ニザーム王国の祖カマルッディーン・ハーンの長男である。

生涯[編集]

1709年3月13日以前、ムガル帝国の武将カマルッディーン・ハーンの長男として生まれた[1]

1724年、父カマルッディーン・ハーンはデカン地方ニザーム王国を建国して独立するが、ガーズィー・ウッディーン・ハーンは父の代理として帝都デリーに残った。

1740年から1745年まで、ガーズィー・ウッディーン・ハーンは副軍務大臣の地位にあり、1751年6月17日からは軍務大臣の地位にあった[2]。宮廷にいる間、トルコ系貴族の一員として宰相サフダル・ジャングイラン系貴族と争った。

さて、この間1748年に父カマルッディーン・ハーンが死亡し、兄弟や甥がニザーム位を争っていたが、正式な継承権はガーズィー・ウッディーン・ハーンにあった。そのため、彼も継承権を主張し、1751年1月31日に皇帝から「ニザームル・ムルク」の称号を与える勅令が出された[3]

1752年5月14日マラーターとの協議でもガーズィー・ウッディーン・ハーンが正当な後継者として認められ、彼はデカンへと戻ったが、10月16日に宮廷のあるアウランガーバードで弟ニザーム・アリー・ハーンの母に暗殺された[4]

出典・脚注[編集]

関連項目[編集]