エメ・モロー

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エメ・モロー
Aimé Morot
Art and criticism - monographs and studies (1892) (14598120237).jpg
生誕 1850年6月16日
フランスの旗 フランス,ナンシー
死没 1913年8月12日
フランスの旗 フランス,ディナール

エメ・モロー(Aimé Nicolas Morot、1850年6月16日[1] - 1913年8月12日)はフランスの画家、彫刻家である。

略歴[編集]

フランス北部、ムルト=エ=モゼル県ナンシーで生まれた。12歳からナンシーの美術学校(l'Ecole Municipal de Dessin et de Peinture de Nancy)で学び[2][3]、10代の後半になってパリに出て、エコール・デ・ボザールアレクサンドル・カバネルの教室で学んだが[1][4]、この学校にはなじめず、カバネルに絵を直されたりした後、退学した。その後2年間は独学で、パリ植物園で植物や、動物を写生して修行した[2]

1870年に普仏戦争が始まると、陸軍に召集され戦闘を目撃し、後年騎兵隊の突撃などの場面を描いた作品を残した[5]

1873年にローマ賞に応募し、エコール・デ・ボザールを卒業していないにもかかわらず、大賞を受賞し、ローマ留学の資格を得た。ローマでも在ローマ・フランス・アカデミー(ヴィラ・メディチ)には、ほとんど滞在することなく[2]、独自に作品を描き、パリの展覧会に出展し、何度か入選した。

1880年にパリに戻り、画家ジャン=レオン・ジェロームの娘と結婚した。1880年代後半からパリの私立学校、アカデミー・ジュリアンで教え始め、1898年に弟子たちの個性を尊重した指導で、マティスルオーを指導したギュスターヴ・モローが死去した後、モローのスタジオを継承した。1900年のパリ万国博覧会の展覧会に出展した作品で大賞を受賞し、その年、エコール・デ・ボザールの教授に任じられた[1]

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c E. Benezit, 1976. Dictionnaire critique et documentaire des peintres, sculpteurs, dessinateurs et graveurs. Volume 7, p. 553. Librairie Gründ. Paris, France. 9782700001495.
  2. ^ a b c Aimé Nicolas Morot and Charles Moreau-Vauthier, 1906. L'oeuvre de Aimé Morot: membre de l'Académie des Beaux-Arts. Librairie Hachette et Cie., Paris. 7 p., 60 gravures, in folio.
  3. ^ M. S. (1907). L'oeuvre de Aimé Morot (Ch. Moreau-Vauthier). Gazette des Beaux-Arts. 49e Année, 595e Livraison, 3e Periode. Tome XXXVII, p. 87-88. January issue, Paris.
  4. ^ Dupont Vicars (Ed.), 1901. Master Painting's of the World. The White City Art Co. (Publ.), Chicago, Ill. 192 p.
  5. ^ E. Cameron (1901). Evolution of a Picture: A Chapter on Studies. Brush and Pencil 8(3):121-133.