ウィン・ティン
ウィンティン Win Tin | |
|---|---|
|
| |
| 生誕 |
1930年3月12日 ビルマ |
| 死没 |
2014年4月21日(84歳没) ヤンゴン |
| 国籍 | ミャンマー |
| 別名 |
マウン・ウン・ジン (မောင်ဝန်ဇင်း) ポー・ティット (ပေါ်သစ်) ピイソー (ပြည်စိုး) ポンニャ(ပုည) Win Swe (ဝင်းဆွေ) Thutethi (သုတေသီ) 編集者 (အယ်ဒီတာ တစ်ဦး) |
| 教育 | ヤンゴン大学 |
| 職業 | ジャーナリスト、政治活動家 |
| 団体 | 国民民主連盟 |
ウィン・ティン(Win Tin、1930年3月12日 - 2014年4月21日)はビルマの政治家。国民民主連盟の共同創設者、ジャーナリスト。
来歴
[編集]ジャーナリストとして
[編集]1930年3月12日、当時、英領ビルマだったバゴー地方域・ギョビンガウ郡区生まれ[1]。ウー・ヌも学んだヤンゴンの伝統校・ミョーマ国立高校からヤンゴン大学に進学し、英文学、近代史、政治学の学位を取得して1953年に卒業[2]。
大学在学中の1952年からミャンマー語雑誌『ザ・オウェイ(The Oway)』の編集長に就任し、フランス通信社(AFP)にも寄稿。1954年~1957年の間、オランダのジャンバートン(Jumbarton)新聞社で顧問編集者を務め、在外ミャンマー向けの週2回のニュースレター『ドー・ピー・タディン(わが国のニュース)』を発行した[3]。
1968年、マンダレーに拠点を置く『ハンタワディ』紙の編集長に就任。『ハンタワディ』紙は1969年に国有化されたが、ネ・ウィンはマンダレーを訪れる度にウィンティンを夕食に招待するほど彼のことを気に入っていたおかげで、わりと自由に執筆活動を行い、ジャーナリスト組合の代表も務めた。しかし、1978年、ウィンティンを中心に行われていた「土曜読書会」で社会主義に批判的な論文を発表したことにより、彼は解雇され、『ハンタワディ』紙は廃刊となった。その後、ウィンティンはフリーのライター兼翻訳家として活動した[4][5][2][3]。
政治犯として
[編集]8888民主化運動の際、ウィンティンは「作家同盟」を結成し、当時多数発行されていたガリ版刷りの独立系新聞・雑誌の編集に携わった。当時定期的に発行されていた学生会報『タマガ(Thamaga)』の編集にも携わっていた。1988年9月26日に国民民主連盟(NLD)が創設された時は、アウンサンスーチーとともに書記長に就任した。しかし、1989年7月4日、ウィンティンは当局に逮捕され、逃亡犯の父親と電話で話した罪で懲役3年の刑を宣告され、インセイン刑務所に収監された[2][3]。
獄中では、時に犬小屋のような狭い独房に食事も水も与えられず監禁され、暴行され、睡眠を奪われるなどの拷問を受けた。刑務所の病院でヘルニアの手術を受けた後に睾丸を失い、心臓発作を2度経験したにも関わらず、適切な治療を受けられなかったのだという[2]。しかし、ウィンティンは屈せず、獄中でもラジオで情報を入手し、『津波(The Tidal Wave)』というアングラ新聞を発行して、ミャンマーの時事問題・政治問題について執筆した。彼に同情的な看守がラジオ、書籍、ペン、紙、色鉛筆などを持ちこんだ。また、諸外国の外交官、政治家、国連関係者、支援機関関係者の訪問を頻繁に受け、国連人権調査官の横田洋三の訪問を受けた際には、「軍事政権下の刑務所における人権侵害」と題された83ページのレポートを密かに渡した[3]。
1995年、65歳の誕生日の時、ウィンティンは独房から以下のような演説を行った[3]。
軍事政権は私たちの士気を打ち砕くために犬小屋に閉じ込めたが、それによって私たちの精神は鍛え上げられ、強靭になった。彼らが自然の法則さえ知らないとは残念だ。真の政治家は、議会であろうと獄中であろうと、どこにいても最善を尽くす。その義務は国家の意志を実行することだ。国家の将来を考えることは、たとえ獄中であっても、私達皆にとってもっとも重要な義務である。独裁者たちは私たちの肉体を拘束することはできても、魂を拘束することはできない。 — ウィンティン
1992年、「釈放と引き換えに二度と政治活動に参加しない」という合意書に署名しなかったため、刑期を10年延長された。また、横田の訪問を受けた直後の1995年9月11日真夜中、刑務所当局はウィンティンの独房を捜索し、コンクリートの床の下に、本、書類、ペン、色鉛筆、ラジオ、ニュース速報などが入ったケースを発見。1996年3月、刑期をさらに7年延長された[3]。
2001年、ユネスコのギジェルモ・カノ世界報道自由賞と世界新聞協会(WAA)の自由の黄金のペン賞を受賞た[3]。
2008年9月23日、看守たちがウィンティンをから連れ出し、車に乗せて彼の友人宅に送り届け、19年ぶりの釈放された[3]。
釈放後
[編集]釈放後もウィンティンは、獄中の政治犯たちへの連帯を示すため、刑務所の囚人服と同じ青い服を常に着用していた[6]。
幹部の高齢化が批判されていたNLDに対しては、「女性、若者、少数民族、現職幹部の順で優先順位をつけるべき」と主張していた。また、中国の脅威に留意すべきというのが持論だった[7]。
国軍や支配階級の中には、中国の影響下にあるのはあまり良いことではないと知っている人が大勢いる。ビルマのほとんどの人々は、この脅威を懸念している。中国は相当干渉してくる。彼らははるかに発展しているため、非常に巧妙に、巧みに行動するだろう。 — ウィンティン
スーチー批判者として
[編集]ミャンマーの民主化活動家の間では、スーチー批判はタブーだったが、ウィンティンは、スーチーの理解者・協力者でありつつ、時にスーチーを手厳しく批判した[8]。
2008年、刑務所から釈放された時、『エーヤワディー』紙の編集長・アウンゾーのインタビューに応え、「あなたとスーチーの違いはなんですか?」という質問に、以下のように答えた[8]。
スーチーはVIP囚人だ。しかし、私たちは犬小屋で過ごし、非人道的な扱いを受けた。将軍たちに対する私たちの感情や思いは、スーチーとは違う。彼女は常に彼らに理解を示し、国軍を父親の軍隊と見なしていた。しかし、私たちはそうではない。 — ウィンティン
また、2013年には、『ワシントン・ポスト』紙のインタビューに応えて、以下のように述べている[8]。
私たちの中には国軍をベンガル湾に追い込みたい人もいる。しかし、スーチーはただ、彼らをカンドージ湖(ヤンゴンにある市民憩いの場となっている湖)に追い込みたいだけだ。 — ウィンティン
ただし、ウィンティンは亡くなる前日にもスーチー支持の意思を表明しており[9]、民主化は絶対に実現すると信じていた[7]。
虎が血の匂いを嗅ぎつけた時…これは私たちの表現です。現代の人々が虎で、民主主義が血だ。人々は半世紀も苦しみ、すべてを失ったが、今、彼らは血の匂いを嗅いでいる。 — ウィンティン
死
[編集]2014年4月21日、腎不全のためヤンゴン総合病院にて死去。84歳。葬儀に出席したスーチーは、いつもと違い髪に花を飾っていなかった。生涯独身で、部屋が2つしかないみずぼらしい家に住んでいた。ウィンティンはジャーナリストのピーター・ポパムに、以下のように語ったことがある[10][11][12][9]。
私は独身です。家族との生活はありません。人生の大半は政治家とジャーナリストとしての仕事のために生きてきました。それが私の人生を奪ってきました。19歳くらいから私は公人として生きてきました。それは有名人としてという意味ではありません。私の人生は社会に属し、社会こそが私の人生なのです。 — ウィンティン
脚注
[編集]- ^ “U Win Tin, Writer Jailed and Tortured in Myanmar for 19 Years, Dies (Published 2014)” (英語). (2014年4月22日) 2025年8月19日閲覧。
- ^ a b c d Jagan, Larry (2014年5月1日). “Win Tin obituary” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2025年8月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Aungzaw 2014, pp. 43–50.
- ^ Popham 2016, p. 22.
- ^ スーチー 2012a, pp. 101–105.
- ^ “U Win Tin (1929- 2014), Burma’s moral compass – DVB” (英語). Alex Bookbinder. 2025年8月20日閲覧。
- ^ a b “U Win Tin: Insights from Myanmar’s Tiger in Chief” (英語). thediplomat.com. 2025年8月20日閲覧。
- ^ a b c “U Win Tin: Myanmar’s Revolutionary Journalist” (英語). The Irrawaddy. 2025年8月20日閲覧。
- ^ a b “ウィン・ティン氏死去-ミャンマー最大野党NLDの共同創設者 ミャンマーニュース”. www.myanmar-news.asia. 2025年8月19日閲覧。
- ^ Popham 2016, p. 25.
- ^ “U Win Tin’s Lasting Legacy” (英語). The Irrawaddy. 2025年8月20日閲覧。
- ^ Tun, Aung Hla (2014年4月21日). “Win Tin, journalist and opponent of Myanmar's military, dies aged 84” (英語). Reuters 2025年8月19日閲覧。
参考文献
[編集]- アウンサンスーチー 著、土佐桂子, 永井浩 訳『増補復刻版 ビルマからの手紙 1995~1996』毎日新聞社、2012年。ISBN 978-4620321226。
- Aung Zaw (2014). The Face of Resistance: Aung San Suu Kyi and Burma's Fight for Freedom. Silkworm Books. ISBN 978-6162150661
- Popham, Peter (2016). The Lady and the Generals: Aung San Suu Kyi and Burma’s struggle for freedom. Rider & Co. ISBN 978-1846043710