イワノフカ事件

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イワノフカ事件(イワノフカじけん)は、1919年3月22日、シベリア出兵中の日本軍が、抗日パルチザンに対する掃討作戦の過程でアムール州ブラゴベシチェンスク郊外のイワノフカ村(ru)において多数の民間人を殺害した事件[1]

歴史[編集]

白衛軍は都市部こそ掌握したものの、農村はソビエト寄りで武装解除の要求にも応じなかった。白衛軍に従わないイワノフカ村に対し[2]右派エスエル党に所属する反革命指導者のアタマン・ガーモフは[3]日本軍に応援を頼んだ[4]。 

もともと戦争の意味が曖昧で戦意も低かった上に、軽視していた敵軍による戦友の戦死が相次いでいた日本軍は厳寒の中で疲労困憊して神経過敏に陥り、「暴徒」と「良民」も区別せずに「村落焼棄」の方針が打ち出された。[5]

1919年2月中旬、歩兵第十二旅団山田四郎少将は「師団長ノ指令ニ基キ」次のような通告を発している。[6]

『第一、日本軍及ビ露人ニ敵対スル過激派軍ハ付近各所ニ散在セルガ日本軍ニテハ彼等ガ時ニハ我ガ兵ヲ傷ケ時ニハ良民ヲ装イ変幻常ナキヲ以テ其実質ヲ判別スルニ由ナキニ依リ今後村落中ノ人民ニシテ猥リニ日露軍兵ニ敵対スルモノアルトキハ日露軍ハ容赦ナク該村人民ノ過激派軍ニ加担スルモノト認メ其村落ヲ焼棄スベシ』[7]

アムール州で日本軍により焼き討ちを蒙った村落は他にもあるが、もっとも大規模で残虐な被害を受けたのがイワノフカ村であった。[8] その事があって以来、村民の大部分は極度に日本軍を恨み、パルチザン軍13個中隊を編成する結果となった。一方、山田旅団長は

赤衛軍ニ援助ヲ与エ若ハ日本軍ニ敵対セントスル村落ハ尽ク『イワノフカ』ト同一運命ニ遭遇スヘキヲ覚悟スヘシ

と威嚇を繰り返した。[9]

犠牲[編集]

共同通信の報道によれば、日本軍は制圧の過程で女性や子供ら、1歳半の乳飲み子から96歳の老人まで含む、257人を銃などで殺害、36人を小屋に閉じ込め焼き殺したという[1]

近年[編集]

1994年シベリア抑留者の慰霊碑を建てようと現地を訪れた全国抑留者補償協議会の会長は、村長にこう問われたという。「あなたはこの村で日本が何をしたか知らないのですか」。翌年、日露共同の慰霊碑ができた[10] それ以来、ロシアのイワノフカ村では毎年、犠牲者の追悼式典が行われている。[1] [11] [12] [13]

一方、日本では多くの人、特に若い人はこの事件の存在さえ知らないと現地紙は報道している [14]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c “ロシア住民虐殺で追悼式典 イワノフカ事件90年”. 47NEWS. 共同通信社. (2009年7月12日). http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009071201000480.html 2012年3月6日閲覧。 
  2. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 470
  3. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 200
  4. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 470
  5. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 474
  6. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 474
  7. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 474-475
  8. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 475
  9. ^ 『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』原 暉之 1989年 筑摩書房 ISBN 978-4480854865 p. 477
  10. ^ 歩み来て、未来へ--ニッポン近代考 共同通信社
  11. ^ 沿アムール地方 日本からの代表団が1919年事件の犠牲者を弔うThe Voice of Russia 2012-08-27
  12. ^ 揖斐川のNPOが24日からシベリア追悼訪問中日新聞 2012年8月22日
  13. ^ 旧日本軍の住民虐殺で追悼 ロシア極東イワノフカ村47NEWS 2012-03-22
  14. ^ В Приамурье делегация из Японии чтит память павших в 1919 годуamur.info 2012-08-27

関連項目[編集]