イブン・バウワーブ
イブン・バウワーブ(アラビア語: ابن البواب, ラテン文字転写: Ibn al-Bawwāb)は、10世紀後半から11世紀前半にかけて、バグダードで装飾写本の制作に従事した筆耕者(カーティブ)、造本職人[1][2]。中世イスラーム世界を代表する能筆家、三筆の一人にその名が挙げられる(残る二人は、イブン・ムクラとヤークート・ムスタアスィミー)[2][3]。イブン・スィトリー(Ibn al-Sitrī)とも呼ばれる。
名前
[編集]「イブン・バウワーブ」あるいは「イブン・スィトリー」のクンヤで呼ばれることの多いこの人物の名前は、イスムがアリー・ブン・ヒラール・ブン・アブドゥルアズィーズといい、クンヤがアブル・ハサンという(アラビア語: أبو الحسن علي بن هلال بن عبد العزيز, ラテン文字転写: ʿAbū al-Ḥasan ʿAlī b. Hilāl b. ʿAbd al-ʿAzīz)[1]。なお、ibn al-Bawwāb のカナ表記については、アラビア語の発音規則を反映させるか、定冠詞と後続の名詞の分かち書きをするか、定冠詞の表記を省略するかなどのスタイルの違いにより、イブン・アル=バウワーブ、イブヌル・バウワーブ、イブヌ=ル=バウワーブ、イブン・バウワーブなどの表記ゆれがある。また、Ibn al-Sitrīにも、イブン・アッ=スィトリー、イブヌッ・スィトリー/シトリー、イブヌ=ッ=スィトリー/シトリー、イブン・スィトリー/シトリーなどの表記ゆれがある。
人物像
[編集]「イブン・バウワーブ」は、父親の職業に由来する通り名(nomen professionis)と解されている[1]。「バウワーブ」はアラビア語で「門番」を意味するため、「イブン・バウワーブ」は文字通りには「門番の息子」を意味し、そのため、イブン・バウワーブは貧しい家に生まれたものと推測されている[1]。にもかかわらず高度な教育を受け、イスラーム法学に通じ、クルアーンの暗誦もできた[1]。佐藤次高が指摘するところによると、中世イスラーム社会は生まれた身分が低く、たとえ奴隷であっても、本人に才能があれば活躍できる社会であった[4]。
イブン・バウワーブは、イブン・ムクラの弟子の一人、ムハンマド・ブン・アサド(Muḥammad ibn Asad)に影響を受けて、カリグラフィーに興味を持った[1]。そして、ムハンマド・ブン・サムサマーニー(Muḥammad ibn Samsamānī)の下で修行した[1]。サムサマーニーもやはり、イブン・ムクラの弟子の一人である[1]。イブン・バウワーブは、クルアーン写本を生涯で64セット作成した[1]。そのうちの1セットが現存しており、装飾の施された1000ページ余りがダブリンのチェスター・ビーティ図書館において見ることができる[3]。
イブン・バウワーブが後の世に及ぼした重要性は、アラビア書道の発展への寄与にあると考えられる。彼の書はイブン・ムクラの弟子たちの影響を受けている。彼はイブン・ムクラのアイデアに芸術的要素を吹き込むことで、「均整のとれた書法」( al-ḫaṭṭ al-manṣūb )を完成させた。イブン・バウワーブは、当時存在したあらゆる書法を扱ったが、その中でもとりわけ、ナスフ体とムハッカク体の書法が高く評価されている。彼の流派は、没後も13世紀まで続いた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Nassar Mansour: Sacred Script: Muhaqqaq in Islamic Calligraphy. (Kapitel Muḥaqqaq: The work of Ibn al-Bawwāb and Yāqūt al-Musta’ṣimī.) I. B. Tauris 2011. ISBN 1848854390
- D. S. Rice: The Unique Ibn al-Bawwab Manuscript. Dublin: Emery Walker 1955.
- J. Sourdel-Thomine: Ibn al-Bawwāb. In: Encyclopaedia of Islam, Second Edition. ISBN 9789004161214