イザベル・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ

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イザベル・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ
Isabel de Orléans e Bragança
Comtesse de Paris 1995.jpg
パリ伯爵夫人イザベル、1995年
出生 (1911-08-13) 1911年8月13日
フランスの旗 フランス共和国セーヌ=マリティーム県ウー
死去 (2003-07-05) 2003年7月5日(91歳没)
フランスの旗 フランスパリ
配偶者 パリ伯アンリ
子女 一覧参照
父親 グラン・パラ公ペドロ・デ・アルカンタラ
母親 エリーザベト・ドブルジェンスキー・デ・ドブルジェニツ
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イザベル・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサIsabel de Orléans e Bragança e Dobrzensky de Dobrzenicz, 1911年8月13日 - 2003年7月5日)は、ブラジル皇子およびグラン・パラ公ペドロ・デ・アルカンタラの娘で、フランスのオルレアニスト王位請求者パリ伯アンリの妻。ポルトガル語全名はイザベル・マリア・アメリア・ルイザ・テレザ・ジョアナ・ミゲラ・ガブリエラ・ハファエラ・ゴンザーガ(Isabel Maria Amélia Luísa Vitória Teresa Joana Miguela Gabriela Rafaela Gonzaga de Orléans e Bragança e Dobrzensky de Dobrzenicz)。フランス語名はイザベル・ドルレアン・エ・ブラガンスIsabelle d'Orléans et Bragance)。フランスでは一般に「マダム(Madame)」と呼ばれた。

生涯[編集]

ペドロ・デ・アルカンタラ皇子とその妻でボヘミア貴族のエリーザベト・ドブルジェンスキー・デ・ドブルジェニツ伯爵夫人の間の第1子、長女として生まれた。父はブラジル皇帝ペドロ2世の長女で帝位継承者のイザベル皇女の長男で、いずれはブラジル皇帝家の家長となることが決まっていたが、王族出身でない母との結婚により1908年にブラジル帝位継承権を放棄した。しかし1940年にイザベルの弟ペドロ・ガスタンがブラジル帝位請求者となることを宣言している。父はブラジル皇族としての身分・権利を放棄したわけではなかったので、イザベルとその弟妹は名目上のブラジル皇女(皇子)の称号と「皇帝家および王家の殿下(Sua Alteza Imperial e Real)」の敬称を名乗った。

1931年4月8日、シチリア島パレルモにおいて、遠縁にあたるオルレアン家のアンリ王子と結婚した。フランスの第3共和国政府は旧王族による王政復古の動きを危険視して、オルレアン家の人間のフランス入国を禁止していたため、イザベルの家族が宮殿を所有するパレルモで結婚式が執り行われたのだった。夫のアンリは1940年にオルレアン家の家長となった。

子女[編集]

イザベルはアンリとの間に11人の子供をもうけた。