イギリスの航空機産業

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イギリスの航空機産業では、イギリスにおける航空機産業について記述する。

概要[編集]

第二次世界大戦終結後、イギリス国内には中小航空機メーカーが乱立していた。戦時中はロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメントが新技術の開発に取り組み、その成果を各社が導入するなど、それぞれが得意分野を活かし、業界の発展に貢献して歴史に残る数々の名機を開発していたが、これは発注量が多かった戦時中だからこそ可能だった。第二次世界大戦が終結してから、各メーカーはジェット機の開発に着手するなど、常に最先端を維持していたものの、軍からの発注が激減したため、限られたパイの奪い合いが起こり、どのメーカーも青息吐息の状況だった。なお、第二次世界大戦終結前の1942年12月23日に創設されたブラバゾン委員会では、既に戦後の民間機市場を巡る攻防について、規模で勝るアメリカ企業との攻防が予想されていた[1]

第二次世界大戦が終結してからは、規模の経済の恩恵を享受するアメリカの航空機産業の後塵を拝すようになった。また、航空機のジェット化で開発費が高騰したため、一社だけでは開発費を賄う事が困難に成りつつあった。そのうえ、かつては磐石だと思われていた植民地が独立したため、市場を失い、フライ・ブリティッシュ政策も形骸化しつつあり、衰退に拍車をかけた[1][2]。1960年代初頭に再編され、ホーカー・シドレーブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーションによる2つの機体製造グループとウエストランド・エアクラフトによるヘリコプターメーカー、ブリストル・シドレーロールス・ロイス・リミテッドによる2つのエンジン製造グループに再編された[1][3]

1964年10月の総選挙により保守党から政権を引き継いだ労働党ウィルソン政権は国防費を非軍事産業の開発へふり替えるという政策を打ち出しており、保守党政権下で開発中だったBAC TSR-2アームストロング・ホイットワース AW.681ホーカー・シドレー P.1154が開発中止になった[4][5]

1965年12月、プラウデン委員会は、民間機の新規開発には政府からの強力な支援が不可欠であると議会へ提言していた[1]

1970年代に再び再編され、ブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーションの機体製造メーカーとウエストランド・エアクラフトヘリコプターメーカー、ロールス・ロイス・リミテッドのエンジン製造メーカーにそれぞれ集約された[1]

1960年代以降、イギリスの航空機産業界は従来の独自開発路線を転換して国際共同開発を模索する[3][6][7]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 坂出健『イギリス航空機産業と「帝国の終焉」軍事産業基盤と英米生産提携有斐閣、2010年、83-101頁。ISBN 4641163618 
  2. ^ 大河内暁男『ロウルズ - ロイス研究 企業破綻の英国的位相東京大学出版会、2001年、90-91頁。ISBN 4130460706 
  3. ^ a b イギリスの軍用機ヨーロッパ共同開発路線の起源” (PDF). 2017年2月12日閲覧。
  4. ^ 科学技術政策と行政機構の改革”. 2017年2月14日閲覧。
  5. ^ 昭和41年版科学技術白書 諸外国の動向 イギリス”. 2017年2月16日閲覧。
  6. ^ ジョン ニューハウス 著、航空機産業研究グループ 訳『スポーティーゲーム―国際ビジネス戦争の内幕』學生社、1988年12月。ISBN 978-4311600142 
  7. ^ 市毛きよみ「英仏可変翼攻撃機(AFVG)共同開発とその挫折 : 一九六四-一九六七」『法學政治學論究 : 法律・政治・社会』第110巻、慶應義塾大学大学院法学研究科内『法学政治学論究』刊行会、2016年9月、1-31頁、ISSN 0916-278XCRID 10505642889086703362023年7月5日閲覧 

関連項目[編集]