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アーデルグンデ・フォン・バイエルン (1870-1958)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アーデルグンデ・フォン・バイエルン
Adelgunde von Bayern

出生 (1870-10-17) 1870年10月17日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国リンダウ
死去 (1958-01-04) 1958年1月4日(82歳没)
西ドイツの旗 西ドイツジグマリンゲン
埋葬 西ドイツの旗 西ドイツジグマリンゲン
配偶者 ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンヴィルヘルム
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 バイエルンルートヴィヒ3世
母親 マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=エステ
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アーデルグンデ・フォン・バイエルン(Adelgunde von Bayern, 1870年10月17日 - 1958年1月4日)は、バイエルン王国の王族。全名はアーデルグンデ・マリー・アウグステ・テレーゼAdelgunde Marie Auguste Therese)。バイエルン王ルートヴィヒ3世の長女で、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンヴィルヘルムの2人目の妃となった。

生涯

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1870年10月17日、ルートヴィヒ3世(当時バイエルン王子)とその妃であったオーストリア=エステ大公フェルディナントの大公女マリア・テレジアの間に第二子としてリンダウで生まれた。

アーデルグンデは1915年1月20日ミュンヘンでホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯ヴィルヘルムと結婚した。2人の間に子供は生まれなかった。

1958年1月4日にアーデルグンデはジグマリンゲン(現バーデン=ヴュルテンベルク州ジグマリンゲン郡)で死去し、当地に葬られている。