アントン・シンドラー

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アントン・シントラー

アントン・フェーリ(ッ)クス・シンドラー(シントラー)Anton Felix Schindler, 1795年6月13日 モラヴィア・メードル Meed(e)l(オロモウツ郡メドロフ Medlov) - 1864年1月16日 ボッケンハイム Bockenheim)は、モラヴィア出身のドイツ音楽家であり、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン伝記を記したことで知られている。

法律家を目指して1813年頃にウィーンにやってきたシントラーは法律事務所で事務員として働きながら有能なバイオリニストとしてケルンやウィーンの楽団で演奏活動を行っており、1814年にベートーヴェンと知り合った。やがて法律家としての未来に見切りを付けたシンドラーは1823年頃からベートーヴェンの秘書を務めるようになった。当初はあまり信用されていなかったようであり、(弟のヨハンや甥のカールに宛てた手紙には「あの軽蔑すべき男」、「彼の悪い、狡智に長けた性格」と記している)関係が破綻したこともあったが、病苦に苛まれ、身寄りのいなかったベートーヴェンの身の回りの世話を一手に引き受けていた。

ベートーヴェンの死後はヨーロッパ各地で音楽教師や音楽監督として活動した。またベートーヴェンに関する貴重な資料を大量に保管しており、1841年にはそれら(136冊の筆談ノートを含む)をプロイセン王立図書館(後のベルリン州立図書館)に売却した。

彼の著作『ベートーヴェンの生涯』は1840年に出版、さらに1860年1871年に増補され、後のベートーヴェン解釈において多大な影響を及ぼした。

しかし、早くも1850年代からシンドラーのベートーベンに関する伝記には疑義が持たれるようになり、やがてジャーナリストでありベートーヴェン研究家のアレグザンダー・ウィーロック・セイヤーの精緻な調査により、1970年代にはシンドラーの名声は完全に地に落ちた。

後の研究によって、多くの記録がねつ造されたものであり、また生前のベートーヴェンとの関係も誇張されていることが明らかになった(例えば10年以上の親密な付き合いがあると記しているが、上記のとおり親密といえる期間はベートーヴェンが死去する前の5年程度である)。

また、聴覚を晩年に完全に失ったベートーヴェンはそれ以後は筆談を使っていたのだが、この十年ほどの期間に及ぶベートーヴェンの筆談ノート(400冊ともいわれる)という貴重な資料の半数以上を、自らのねつ造した伝記に折り合いをつけるために廃棄処分にし、自分に都合よく改ざんしたことが明らかになった。現在ではベートーヴェンの研究における最大の汚点としてその悪名をとどろかせている。

たとえば、現代のベートーヴェン研究家、バリー・クーパーは著書『ベートーヴェン概論』において、「(シントラーの)不正確で虚偽の内容を記す性癖は甚だしく、他に史料が見つからなければ、彼の記したものは一切信頼できない。」とまで述べている。またメイナード・ソロモンは自身の著作において、シントラーの問題点が明らかになる以前では多くの学者はシントラーの記述を根拠にベートーヴェンの解釈を行っていたことを指摘した上で、「(シントラーの伝記から)事実とフィクションを分別するのは容易ではないだろう」と述べており、ソロモンによる伝記の1998年版では、シントラーの著述のみを根拠とした解釈を排除することが、初版よりもさらに徹底されている。

参考文献[編集]

  • Barry Cooper, gen. ed., The Beethoven Compendium, Ann Arbor, MI: Borders Press, 1991, ISBN 0-681-07558-9.
  • Maynard Solomon, Beethoven, 2nd rev. ed., NY: Schirmer, 1998, ISBN 0-8256-7268-6.
  • 青木やよひ 『ベートーヴェンの生涯』 平凡社新書 2009年