アントン・シンドラー

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アントン・シントラー

アントン・フェーリ(ッ)クス・シンドラー(シントラー)Anton Felix Schindler, 1795年6月13日 モラヴィア・メードル Meed(e)l(オロモウツ郡メドロフ Medlov) - 1864年1月16日 ボッケンハイム Bockenheim)は、モラヴィア出身のドイツ音楽家であり、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン伝記を記したことで知られている。

オロモウツのギムナジウムを卒業後、法律家を目指して1813年にウィーンにやってきたシンドラーは、ウィーン大学で法学を学び、また一時期は法律事務所で働いていたが、やがて法律家としての未来に見切りを付けて音楽家を志すようになる。1822年秋にヨーゼフシュタット劇場の第1ヴァイオリニストとなって間もなく、ベートーヴェンと親しくなり、秘書を務めるようになった。ベートーヴェンからはあまり信用されていなかったようであり(弟のヨハンや甥のカールに宛てた手紙には「あの軽蔑すべき男」「彼の悪い、狡智に長けた性格」と記されている)、関係が破綻したこともあったが、病苦に苛まれ、身寄りのいなかったベートーヴェンの身の回りの世話を一手に引き受けていた。

ベートーヴェンの死後は、ミュンスターアーヘンほかドイツ語圏の各地で音楽教師や音楽監督として活動した。またベートーヴェンに関する貴重な資料を大量に保管していたが、1846年にはそれら(137冊の筆談用ノート「会話帳」を含む)をプロイセンのベルリン王立図書館(のちのベルリン州立図書館)に売却した。

彼の著作『ベートーヴェンの生涯』は1840年に第1版が出版された。さらに1845年に増補版である第2版、1860年に内容を全面的に刷新した第3版が書かれ、後のベートーヴェン解釈に多大な影響を及ぼした。

しかしシンドラーの著した伝記の内容は当初から疑いが持たれていた。ジャーナリストでありベートーヴェン研究家のアレグザンダー・ウィーロック・セイヤーは、もっとも早い段階でシンドラーの著作に事実と異なる箇所を発見したひとりである。1977年の国際ベートーヴェン学会では、シンドラーが「会話帳」の内容を大量に改ざんしていることが明らかになり、彼の名声は完全に地に落ちた。聴覚を完全に失ったベートーヴェンが約十年にわたって使用していた「会話帳」(当初は400冊あったという説もある)の半数以上を、彼は自らの伝記に折り合いをつけるために廃棄処分にしたり、都合よく改ざんしていたのである。彼の伝記の内容の多くはねつ造されたものであり、また生前のベートーヴェンとの関係も誇張されている(例えば10年以上の親密な付き合いがあると記されているが、上記のとおり親密といえる時期はベートーヴェンが死去する5年前から始まったにすぎない)。

現在、シンドラーは、ベートーヴェンの研究における最大の汚点としてその悪名をとどろかせている。

たとえば、現代のベートーヴェン研究家、バリー・クーパーは著書『ベートーヴェン概論』において、「(シンドラーの)不正確で虚偽の内容を記す性癖は甚だしく、他に史料が見つからなければ、彼の記したものは一切信頼できない。」とまで述べている。またメイナード・ソロモンは自身の著作において、シンドラーの問題点が明らかになる以前では多くの学者はシントラーの記述を根拠にベートーヴェンの解釈を行っていたことを指摘した上で、「(シンドラーの伝記から)事実とフィクションを分別するのは容易ではないだろう」と述べており、ソロモンによる伝記の1998年版では、シンドラーの著述のみを根拠とした解釈を排除することが、初版よりもさらに徹底されている。

参考文献[編集]

  • Barry Cooper, gen. ed., The Beethoven Compendium, Ann Arbor, MI: Borders Press, 1991, ISBN 0-681-07558-9.
  • Maynard Solomon, Beethoven, 2nd rev. ed., NY: Schirmer, 1998, ISBN 0-8256-7268-6.
  • 青木やよひ 『ベートーヴェンの生涯』 平凡社新書 2009年