アントワーヌ・ペーヌ

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娘たちといる自画像

アントワーヌ・ペーヌ(Antoine Pesne、1683年5月23日 - 1757年8月5日)はフランス生まれの画家である。1711年からプロイセン王国の宮廷画家となり、ベルリンの美術アカデミーの校長も務めた。アントワーヌ・ヴァトー、 ニコラ・ランクレ、フランソワ・ブーシェらと並んで、フランスのロココ美術の代表的な画家の一人とされる。

略歴[編集]

パリで生まれた。父親は肖像画家で、父親と、叔父でルイ14世の宮廷画家で王立絵画彫刻アカデミーの校長のシャルル・ド・ラ・フォッス(Charles de La Fosse)から絵画を学んだ。アカデミーの奨学制度で1705年から1710年の間は、ヴェネツィアナポリローマに留学し、ローマではアンドレア・チェレスティ(Andrea Cellesti )から指導を受けた。ローマでは静物画家のデュブイソン(Jean Baptiste Gayot Dubuisson)の娘と結婚した。

1710年にプロイセン王国の国王、フリードリヒ1世に招かれベルリンに移り、1711年にオランダ人画家Augustin Terwestenが死去して空席になった宮廷画家に就任した。1713年にフリードリヒ1世が亡くなった後も宮廷画家を続けてが、次代の国王、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は「兵隊王」と仇名された人物で芸術には無関心で、報酬は半分に減らされた。

1715年にデッサウの宮廷、1718年にドレスデン(ザクセン選帝侯領)の宮廷を訪れて働き、この間パリの王立絵画彫刻アカデミーの会員となるための作品を描き会員となった。1722年にはベルリンの美術アカデミーの校長に任じられた。

1736年から1740年の間は芸術に関心のある皇太子フリードリヒ2世が住む、ラインスベルク城に滞在し、皇太子が愛好するロココの画家、アントワーヌ・ヴァトーのスタイルで多くの肖像画を描き、宮殿の装飾画も描いた。

1740年にフリードリヒ2世が国王になった後、1746年にベルリンに土地と邸を建てる資材が与えられ、亡くなるまでベルリンに住んだ。

作品[編集]

参考文献[編集]

  • Helmut Börsch-Supan: Pesne, Antoine. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 20, Duncker & Humblot, Berlin 2001, ISBN 3-428-00201-6, S. 212 f. .
  • L. Dimier (Hrsg.): Les peintres français du XVIIIe siècle. Paris 1930.
  • Götz Eckardt: Antoine Pesne, VEB Verlag der Kunst Dresden, 1985.
  • G. Poensgen (Hrsg.): Antoine Pesne. 1958.
  • P. Seidel: Friedrich der Große und die bildende Kunst. 1924.
  • Weinitz.: Pesne, Antoine. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 25, Duncker & Humblot, Leipzig 1887, S. 430–432.
  • Norbert Willy: Antoine Pesne – Der Maler und Freund Friedrichs des Großen (Velhagen und Klasings Monatshefte, XXVII Jahrg., Sammelband 1912/1913, Bd. I., S. 609–625).
  • Lexikon der Malerei, Unipart, Ramseck bei Stuttgart 1993, S. 561.